第三十六話:リマ会談
ラーダ王国、リマ市。
比較的近年になってから人口が急増し始めた同都市は、威風辺りを払うゴシック様式の建造物が立ち並ぶ中心部と、近年ノール帝国を中心に流行しているバロック様式の建物がひしめく、都市外縁部の二区画に大別される。
都市というものは本来中心部に向かっていく程、贅を凝らした華美なものが増えていくのが道理ではあるが、リマ市の様相はその真逆を行っている。つまるところ、綺羅を飾る事に特化したバロック様式の外縁部から、荘厳や威厳を重視したゴシック様式の中心部へと街並みが変化していくのだ。
「妙な街並みですなぁ。中心に向かうほどに時代を遡っていく様な錯覚に陥りましたぞ」
白一色の車体に、金で彫られた鷲の彫刻を帯びた馬車の扉が開かれ、ヴィゾラ伯が降車する。
「此度は物見遊山に非ず。寡黙にて歩を進めよ」
既に先を歩き始めていた軍団長の鋭い声に突き動かされ、ドタドタと慌てて軍団長の左斜め後に付くヴィゾラ伯。
「……軍団長殿、恐れながら一点質疑のほど、宜しいでしょうか?」
「良し」
「閣下は何故、付き人を一切付けないのでしょうか?」
軍服の上から身に付けた筆記用具類や、片手に抱えた書類を凝視しながらヴィゾラ伯が尋ねる。
「一人の身に余る量でもあるまい。付き人など無用」
「はぁ、左様で……」
三名の付き人を後ろに引き連れているヴィゾラ伯が困惑の表情を浮かべる。
自らの荷物を手に持って移動する貴族は、余程他者が信用出来ない者か、そうでなければ只の変人である。どれほど困窮している貴族であっても、付き人は必ず侍らすのが貴族の矜持である。
己の部下から奇異の目で見つめられようと、ものかはといった様子でリマ市庁舎へと足を踏み入れていく軍団長。それから少し距離を取りつつ、ヴィゾラ伯も続いて軒先を潜った。
やたらに高さを追求している尖塔や、採光の為に大きく採寸が取られた窓、建物外壁を補強する為に架けられたアーチ状の飛梁など、外観から感じ取ったゴシック様式の造形美を裏切る事なく、その内観もゴシック然としていた。むしろ、極力支柱を排した大広間や、細々とした彫像や金銀細工の一切を配置せず、ひたすらに空間の広さを訴求しているその姿に、ヴィゾラ伯はある種の潔ささえ感じていた。
「ノール帝国より、プルザンヌ公爵ラッジ・ド・オーヴェルニュ卿、次いでヴィゾラ伯爵シャルル・ド・オリヴィエ卿、ご入来!」
伽藍堂とした広間に、客人到来を告げる声が良く響く。二人の目線の先には、広間の大きさに対して些か、いや、甚だ不釣り合いな小机と椅子が用意されていた。
「お待ちしておりましたぞ。此度は駕を曲げる様な物言いとなってしまい、誠恐縮の極み……」
机の側に立っていた男が、慇懃無礼とも取れる仰々しい身振りで頭を下げる。
「謦咳に接する事が出来、光栄に御座います。リマ市の地主、並びに王国会上院議員を拝命しております、ベージル・バークに御座います」
ベージル・バークと名乗る男は、片足を下げつつ胸に手を当て、腰を深々と折りながら改めて頭を下げた。暗いブラウンの長髪と、皺のない顔立ちからして、それほど歳を食っていない印象を受けるが、やけに細長く整えられた口髭や、猫目を連想させる縦長な瞳の所為で、老練された胡散臭さとでも言うべき雰囲気が漂っている。
「我がリマ市の街並みは如何でしたかな?もし御所望とあらば、地主たる私自らが推薦する名所をご案内させて頂くことも……」
男性にあるまじきメゾソプラノの声色で、恭しく右手を差し出す。
「今は無用。火急の身故、此度の戦役が無事落着次第、勘案させて頂く」
「おや、左様で。ノール帝国オーランド方面軍の軍団長閣下ともなると、ご多忙に絶えぬ日々なご様子……少しばかり羽根を伸ばしても罰は下らないと思いますが――」
無用と言っている、と腕を組みながら一蹴するプルザンヌ公。
「……音に聴こえし通り、ノール軍人は真面目な様ですな」
飄々と、指先で何かをつまむ様な仕草をすると、横座りの姿勢で着席するベージル。
「文にて概略は承知しておりますが、認識相違ないか今一度、バーク卿の口からお話し頂きたく」
話を前へ進めようと、ヴィゾラ伯が左手で言葉を促す。
「世間話は無用という訳ですな、承知いたしまして……。さて、御両人にご足労をお掛けしたのでは他でもない、風雲急を告げるノール・オーランド戦争についてに御座います」
あからさまに眉を顰めて、困っている様子を隠さず全面に出すバーク。
「貴卿らもご存知の通り我がラーダ王国は、ノール・オーランド間の国境紛争について、可能な限り公明正大な仲裁者としての立場を保ってまいりました。事実として、今まで幾度となく開戦の危機に陥った両国の間に立ち、和を講じ、仲裁案を提示し、北方大陸の平穏を求めんが為の努力を惜しまず尽くしてきたと確信しております。そう取り立てて一つ例を挙げるのであれば……」
「肯綮に中たる物言いを心掛けてほしい。此方は要点と要望のみを欲している」
いつまで経っても核心を述べない苛立ちから、とうとう貧乏揺すりを始めるプルザンヌ公を見たバークは、元々浮かべていた薄ら笑いを更に深くした。
「これはこれは失敬!政治に関わる事が多い身故、アレコレと言葉を飾る癖がついておりまして……軍人殿へはまず結論から話すべきでしたな」
手を額に当て、苦笑しながらかぶりを振るバーク。
「では要点を述べましょう。これ以上オーランド連邦の領土を犯すのは、北方大陸の平和的観点から見て甚だ宜しくない。パルマ地方の割譲までは容認しますので、これ以上のオーランド侵攻は取り止めて頂きたい」
笑みを浮かべつつ、キッパリと要件を述べるバーク。
「……その申し出を断った場合の、貴国の出方について伺いたい」
鼻息を漏らしながら、椅子に深く座り直すプルザンヌ公。
「拒否ですと?ふむ……」
顎に手を当てて、素っ頓狂な顔をするバーク。
「拒否をされてしまいますと、少なくともこの戦争において、我が国は中立という立場を取れなくなってしまいますぞ?」
「そは、貴国がオーランド側に立って鞘を払う可能性がある、という事か?」
「そこまでは何とも言えませんな。ただ、今まで貴国が好き勝手に拡張侵攻を繰り返してこれたのは、私が貴国の国力を敢えて過小に、王国議会へ報告していたからでもありますぞ?もう少し、私が与えた恩に対して報いる姿勢を見せても良いのではないでしょうかな?」
頭ひとつ分、身を乗り出して尋ねるバーク。それを避けるように、ヴィゾラ伯とプルザンヌ公は頭ひとつ分、身を引いた。
「私の報告の仕方一つによって、貴国をラーダ王国の主権を脅かし得る重大な懸念国家と印象付ける事も可能ですぞ?よぉく熟考した方が、賢明ですなっ!」
語尾を跳ねらせながら言い切ると、背もたれに腕を掛け、足を組むバーク。
事実として、ノール帝国がここまでの軍事拡張戦略を採ってこれたのは、ラーダ王国がある程度黙認の姿勢を貫いてきた事による所が大きい。二十年前のヴラジド大公国侵略、そして今回のオーランド連邦侵略と、通常であれば他国から警戒されかねない速度での領土拡張が許されてきたのは、ラーダ王国の、より正しく言えば、ラーダ王国極東事情を一手に任されているベージル・バークの見て見ぬ振りのお陰なのである。
「……大方、その様な要望であることは承知しておりました。一点、此方から提案が御座います、宜しいですかな?」
バークの返答を待たずして、プルザンヌ公は手に持っていた書類を机の上に広げる。それには、アトラ錫鉱山採掘権、と大きく題が打たれていた。
「貴殿も知っての通り、パルマ地方のアトラ山脈からは良質な錫が採掘可能で御座います。元より我が国とオーランドがアトラ山脈国境で争っていたのは、この錫鉱山の支配権を巡ってのことで御座います」
付き人に羽根ペンを用意させながら、ヴィゾラ伯が書面の意図を述べ始める。
「ラーダ王国軍の所有する青銅砲の多くが、アトラ山脈産の錫を原料としている事は承知しております。もし、此度のオーランド侵攻について、このまま貴殿が見て見ぬふりを保って頂けるのであれば、我が国は喜んでアトラ錫鉱山の採掘権を貴殿へ譲渡致しましょう」
目の前に差し出された羽根ペンを怪訝な顔付きで見つめた後、バークは腕を組みながら天井へと顔を向けた。
「おや、申しておりませんでしたかな?我が王国軍の大砲は、高価な青銅製から安価な真鍮製へと更改が進んでおりましてなぁ。正直、大砲用途としての錫には余り困っておりませんでしてな〜」
申し訳ありませんなぁ、と満面の笑みで顔を前に戻すバーク。その反応を見たヴィゾラ伯は、やれやれと言った様子で契約書を手元に戻そうとする。
「しかし、まぁ……」
眼前から引き離されそうになった契約書を掴み返すと、バークは羽根ペンを左手に取った。
「条件としては悪くありませんな。一筆ご所望とあらば、その様に」
「……お心遣い、感謝いたします。今後とも、互いに袖に縋りあう関係でありたい物ですな」
ノール側の二人が、会談始まって以来の笑みを浮かべた。
「おっと!忘れるところでしたぞ。実はこちらもご勘案頂きたい書類がありましてな……」
署名を済ませる寸前でわざとらしく筆を止めると、バークは一枚の契約書を机上に乗せた。警戒している様子の二人に気付いたバークは、それほどの物ではございませぬ、と大袈裟に手を振ってみせた。
「実は、貴国が各国へ輸出している石炭につきまして、是非とも我が国が優先的に購入出来る仕組みを作りたいと考えておりまして……」
プルザンヌ公が目を落とすと、紙面には石炭の優先購入権を希望する旨の契約書面が、つらつらと書かれていた。
「もちろんタダでとは申しません。書面にもある通り、もし了承頂けるのであれば、今までの購入価格から更に二割の上乗せをさせて頂きましょうぞ」
会談が始まった時と同じ様に、にこやかな笑顔と共に両手を絡めるバーク。
暫しの沈黙の後、プルザンヌ公が羽ペンを持ちながら口を開いた。
「差し支えない。では軌を一にする意も込めて、貴殿と同時に署名すると致す」
「えぇもちろん!もちろん!」
お互いの筆跡を追う様にして、二人は筆を走らせる。広間に羽根ペンが発する小気味よい筆音が響き渡った。
「貴殿を疑う訳では無いのだが、なぜ石炭の優先購入権を?貴国も石炭鉱山は数多く所有していると聞いているが……」
ヴィゾラ伯がふと湧いた疑問をバークへ投げかける。
「西の中央大陸の方で面白い技術が生まれた様でしてな。将来的に燃料として大量の石炭を使うやもしれんと、話題になっておりますな」
貴国へは特に関係の無い話ですな、と会話を切り上げるバーク。
「さて残り多い所もありますが、ここらで踵を回らすと致します」
椅子から立ち上がり、浅く会釈を交わすと、扉に向かうプルザンヌ公。
「おぉ左様でございますか、会食はまたの機会に是非……!」
バークは慌ててプルザンヌ公を追い越し、客人の為に扉を開け放つ。
「そうそう、最後に私から一点、ヴィゾラ伯閣下にお伺いしたいのですが……」
扉を挟んでヴィゾラ伯へと耳打ちするバーク。
「エリザベス・カロネードという小娘を存じ上げておいでですかな?王国会の下院議員を務めている有力商人の一人娘なのですが、パルマ方面に向かったという情報以外に目星がなく、困っておるのです」
エリザベス?と一瞬首を傾げた後、あぁ!と手を叩くヴィゾラ伯。
「あの高飛車な銀髪のお嬢さんだろう?以前、直接会ったぞ。敵としてだがな」
「何と!?是非詳細を教えて頂きたく……!」
小さく驚いた後、小耳に挟もうと顔を傾けるバーク。
「オーランド連邦軍の砲兵中隊所属とか言うてたぞ。軍団長になるのが夢だとか宣ってたかな」
「オ、オーランド連邦軍所属ですと!?……と、とにかくご情報、感謝致しますぞ!」
扉越しに、ヴィゾラ伯へ慌しく礼をするバーク。
「それで?もし次に出会った時はどうすればいい?簀巻にでもして差し出せば良いのか?」
「いえいえ!そこまでの労を貴卿に掛ける訳には参りません!強いて言うのであれば――」
彼が扉を閉めようとした寸前。
「――殺して下さると嬉しいですな。力を持った商人程、厄介な存在はありませんので……」
バークの猫目が、より一層鋭く光った。
「……」
ヴィゾラ伯は、自身の背中に、嫌な汗が流れるのを感じた。
 




