第三十五話:亡国の翼
「リヴァン市内の様子はどうですか?」
「小規模な損害のみに留まっておりますので、十分駐屯地として利用可能かと」
並んで歩く参謀補佐の報告を受けながら、リヴァン市の西門を潜るリヴィエール。
オーランド軍が去り、もぬけの殻と化したリヴァン市内では、ノール軍による占領が着々と進行していた。当面の戦略拠点として利用する予定だったパルマが灰と化した今、このリヴァン市がノール軍唯一の駐屯地であった。
「使えそうな軍需品は残っていますか?」
「いえ、ありません。野砲及び臼砲は鹵獲防止処置を施されており、銃、被服、装備品に至るまで、全てが焼却処分されております」
「そうですか……中々に徹底していますね」
使用不能にされた状態で放置されている野砲達を横目に、目抜き通りを進んでいくリヴィエール。
「ところで、連隊総指揮官はどこへ行ってしまったのですか?」
「ヴィゾラ伯閣下は軍団長閣下と共にラーダ王国へと発っております。此度のオーランド侵攻について、ラーダより説明を求められた様にございます」
「ラーダ王国へは、事前に仲裁不要と根回しを行っていた記憶がありますが……」
「はい。参謀閣下の仰る通り、開戦当初は協定通り、ラーダ王国側も不干渉を貫いておりました」
脇に抱えた書類の中から、手紙の写しをリヴィエールに渡す参謀補佐。
「しかしリヴァン市の陥落後、すぐにラーダの大使から文が届きまして、こちらに赴いて事情を説明せよと……」
簡単に内容に目を通した後、ため息を一つ漏らしながら手紙を返却するリヴィエール。
「大方、我々の進軍速度を遅らせる為の姑息な手段でしょう。ラーダは、北方大陸東部のパワーバランスが崩れることを危惧している様ですね」
「半ば言い掛かりに近い内容という事ですか?であれば、そもそも真面目に取り合う必要も無いかと存じますが……」
手紙を受け取りながら首を傾げる若い参謀補佐に対して、苦笑混じりの咳を零すリヴィエール。
「ラーダが小国であれば、嘲笑と共に手紙を破り捨てるのもまた一興だったのでしょうね。しかしてラーダは大国です。いくら我が国が軍国と言えども、自他共に認める大国相手に下手な真似は出来ません。人に上下がある様に、国にも上下があるのです」
「はぁ、そうですか」
「軍人である貴官が納得せずとも構いません。これは軍事の話ではなく、政治の話ですので」
目抜き通りから逸れ、やや曲がりくねった道を進む二人。それほど時間を掛けずして、目的地であるリヴァン邸の白屋根が見えてきた。邸宅の軒先前には、屋上から落とされてバラバラになった臼砲の残骸が転がっている。
「こちらがリヴァン邸になります。オルジフ・モラビエツスキ男爵殿へは、室内で参謀閣下の到着を待つ様に伝えております」
「案内ありがとうございます……さて」
それまでの薄い笑顔から一転して、リヴィエールの顔が険しくなる。その顔つきは、先の包囲戦で有翼騎兵の分割を指示した時のソレと全く同じであった。
◆
「アラン・ド・リヴィエール参謀閣下、御到着にございます」
ドア向こうから聞こえてきた声に反応し、椅子から立ち上がるオルジフ。戦時ではない為、鎧は付けておらず、濃いマゼンタ色の平服を身に纏っている。
声から間を置かずして、音も無く扉が開かれリヴィエールが入室する。
挨拶も交わさず、お互いの目線も外さずに、牽制するかのような所作で二人は席についた。
「……まずは、先のリヴァン市撤退戦における戦働きを労っておきましょうか。オーランド連邦軍の追撃、ご苦労様でした」
「労われる程の事はしておりません」
「ええ、本当にそうですね」
オルジフの謙遜を諸共に踏み潰し、明確な敵意を向けるリヴィエール。
「なぜオーランド軍残党の追撃を諦めたのですか?」
「一部の敵軽騎兵が捨て身の攻勢を仕掛けて参りました。同部隊の対処に追われている内に、敵軍本隊は脱出を――」
「その程度の嘘で私を騙せるとでも思っていたのですか?私も易く見られた物ですね」
鼻に掛けた笑いと共に、戦闘経過報告書を机の上へ乱雑に放り投げる。
「蘊奥を極めたるオルジフ・モラビエツスキ男爵ともあろう御仁が、たかが十騎の騎兵突撃で敵を見失うとは到底考えられません」
彼の逃げ道を潰す様に、戦況図とオルジフの証言の矛盾点を次々に指摘するリヴィエール。
「敵残存軍は歩兵が主体です。いくら整然と撤退を行っていたとは言え、時速十キロ程度が精々でしょう。神速を誇る有翼騎兵が追いつけぬ敵ではありません。また報告書によれば、貴隊と敵軽騎兵が白兵戦を行っていた時間は五分程度とあります。その間に敵本隊が全速力で逃走したとしても、稼げる距離は五百から八百メートル程度です。軽騎兵の対処後であったとしても、十二分に再追撃は可能だった筈です」
オルジフはリヴィエールの追求を前にしても、全く表情を崩そうとせず、寡黙を貫いている。
「もう一度尋ねましょうか。なぜオーランド軍残党を見逃したのですか?」
「……敵本隊に、二百騎程度の重騎兵がおりましてな。いかな我ら有翼騎兵としても、多勢に無勢と判断し、追撃を諦めました」
「敵重騎兵は敵軍の先鋒を担っていました。そう簡単に隊列変更は出来ない状況だった事でしょう。加えて、仮に重騎兵の脅威があったとしても、敵軍の中段……特に本体から離されつつあった砲兵部隊までは安全に掃討可能だった筈です」
「おぉ、考えてみればそうでしたな。流石は参謀閣下、この老いぼれには思いも付かぬ戦術眼をお持ちですな」
「白々しい言い訳を抜かさないで頂きたい!これは明確な利敵行為ですぞ!」
リヴィエールが声を荒げる。しかし大声を上げる事に慣れてないのか、その後すぐに激しく咳き込んだ。
「参謀閣下が私の手腕を高く買って頂いている事に対しては誠、恐縮の極みにございます」
リヴィエールの咳がひとしきり治ったのを確認したオルジフが口を開く。
「しかして烏滸がましいですが、私とて完全無欠ではございません。それも、尾羽打ち枯らした老骨であるが故に、過ちを犯す事もある事でしょう。此度は相手が上手だった、ただそれだけの事にございます」
「……やたらと敵を持ち上げるのは、ヴラジド人の気質ですか?」
「いえ、私個人の気質にございます」
そこまで言い終えると、二人の間に熟考を思わせる長い沈黙が流れた。
「……内通の確たる証拠もない故、今回は不問と致しましょう」
やや疲れた様子で、机の報告書を纏めて脇に抱えると、足早に席を立つリヴィエール。
「不幸な誤解が解けたようでなにより――」
「しかし」
今一度厳しい眼をオルジフに向ける。
「私は連隊総指揮官殿程、甘くはありませんよ。私がなぜ本国の命令でこの地に派遣されているのか、その理由を今一度考えてみる事をお勧め致します」
オルジフはリヴィエールと眼を合わせずに、先程まで報告書が並べられていた机を見つめたままである。
「旧ヴラジド大公国の野戦指揮官を拝命していた貴卿ならば、利敵行為に対する罰の重さも重々承知している事でしょう。罰は貴卿のみならず、部下やその家族にも及びますので、努々お忘れなきように」
わざとらしく音を立ててドアを閉めながら、リヴィエールは退出した。
「……勿論、承知しているとも」
初めて、オルジフの口角が吊り上がった。




