第三十四話:アトラの麓に座す国々
「また、有翼騎兵ですか……」
部屋中をぐるぐると歩き回りながら、パルマ女伯が溜息まじりに述べる。
「私も実際に刃を交えて確信しました。あれは本物の有翼騎兵です。事情は不明ですが、ヴラジド大公国の忘れ形見がノール帝国に飼われているのは確実かと」
「わたくしも確かにこの目で見ましたわ。第二次パルマ会戦で目撃した有翼騎兵と同部隊でしたわ」
肘掛け椅子に座ったフレデリカとエリザベスが答える。
辛くもリヴァン市からの脱出を成し遂げたオーランド残存軍は、三日三晩の強行軍の後、奇跡的にコロンフィラ市へと落ち延びる事に成功していた。
「面倒な事になりましたな。旧ヴラジド大公国とノール帝国が手を組んでいるとなれば、敵が一つ増える事と同義……」
剃り残した顎髭を弄りながら、むつかしい顔をするリヴァン伯。
「これは個人的な所感として聞いてほしいのだが、あの有翼騎兵がノール軍と手を組むなど、少々考え難いと思っていてな。何か事情があるのやも――」
「おい!!アリ……ランドルフ卿!」
コロンフィラ伯が、並々ならぬ剣幕と共に部屋へと突入してきた。
「……なんですか?」
歩みを止め、少々キョトンとした様子で反応するパルマ女伯。
「留守中に余の邸宅を荒らし回ったな!?どこに何があるのかまるで分からなくなってしまったではないかッ!」
「屋敷中が余りに散らかっていたので、少々整理しました。むしろ以前よりも所在が明らかになったと思いますが?」
「余はあの状態が一番所在を掴みやすいのだ!勝手に弄るな!十年前にも言っだろう!」
「貴卿一人がこの屋敷を切り盛りしているのならともかく、ここには使用人や客人も住んでいるのです。彼彼女らが過ごしやすい場所を提供するのが、所有者たる貴卿の役目です」
「お前は俺の母親か何かか!?一々口出してくるな!」
「元婚約者としての忠告です。その様に粗暴だから行き遅れるのです」
「行き遅れはお前も一緒だろうが!」
「……パルマ女伯閣下とコロンフィラ伯閣下って、婚約者同士だったんですの?」
小さな悲鳴と共にエリザベスが目を丸くする。
「そうだよ。まぁ見ての通り、長続きはしなかったんだけどね」
耳打ちしながら、フレデリカが答える。
「まぁまぁ、貴い身分の者達が言い争いをしていては、下々に対して示しがつかない。ここらで手打ちとしようではないか」
リヴァン伯が二人の間に入り仲裁する。コロンフィラ伯は鼻を鳴らしながら壁にもたれ掛かり、パルマ女伯は引き続き部屋の中を歩き回り始めた。
「……リヴァン伯閣下、先程のお話ですが、有翼騎兵とノールが手を組む事は考え辛いと仰ってましたわよね?理由をお伺いしたいですわ」
「おお!そうだったな……」
話の続きをしても良いものかと様子を伺っていたエリザベスが、場が静まったと同時に口を開く。
「ふむ。やや込み入った話になる故、どこから話せば良いものか……エリザベス嬢、ヴラジド大公国について君はどれくらい知っているかな?」
「わたくしが物心付く頃には、既に地図から消えていた国ですので、そこまで深く存じてはおりませんわ。ヴラジド語でシュラフタと呼ばれる貴族達が治める国だったという事と、二十年前にノールに滅ぼされた事くらいしか、存じ上げておりませんの」
「シュラフタを知っているのなら話は早い。あの国は、シュラフタ達による議会制を敷いていたからな。もちろん国のトップたる大公殿下にも権力はあったが、どちらかと言えば議会の方が立場は上だな」
「あら、ヴラジドも議会制を採用しておりましたのね。オーランド連邦に似ていますわね」
「ヴラジドがオーランドに似ているのではなく、オーランドがヴラジドに似ているのです」
歩き回るのを止めたパルマ女伯が会話に参入する。
「余の祖父、ウィリアム・ランドルフが提唱した立憲君主制構想が頓挫した後、ヴラジド大公国をモデルにした貴族議会制構想が新たに提唱されたのです」
連邦議事堂の礎石にその名が刻まれていた事を思い出しながら、頷くエリザベス。
「その時、議会制構想の急先鋒として旗振り役を担っていたのが、現在のサリバン家です。我がランドルフ家とサリバン家の仲が悪くなった遠因とも言えますね……」
話が逸れましたね、とリヴァン伯に発言の主導権を戻すパルマ女伯。
「ふ〜む。ヴラジドの話をする前に、我が国の成り立ちの話を先にした方が分かりやすいかもしれん……エリザベス嬢、オーランド連邦は様々な中小国が集まって誕生した国である事は知っているな?」
もちろんですわ、と頷くエリザベス。
「では、連邦の構成国となる為には、国の長達が色々と条件を飲む必要があった事は知っているかね?」
「条件?」
左様、と他の領主達の顔色を伺いながら話すリヴァン伯。
「まぁ君の身分からすれば、そんな事かと笑うやもしれんがな……連邦の一員となるには、それまで自らが冠していた王号を捨て、一領主としての爵位を甘んじて受勲しなければならなかったのだ」
「……えーと。つまり、国王から一地方諸侯への降格を受け入れなければ、連邦の一員にはなれなかった、という事ですわね?」
当たり前といえば当たり前である。国王が複数存在する国など、体内的にも対外的にも都合が悪い。序列を平す為にも、王位を捨てさせる事は絶対条件だったのであろう。
「その通り。余の家系が代々治めていたリヴァン小王国、デュポン家が治めていたコロンフィラ騎士団領、そしてパルマ王国……。ここにいる伯の爵位を有する者達は、皆かつては王族や、それに準ずる血筋だったのだ」
「……王位を捨てる際に、国内で反乱は起きませんでしたの?国体の維持に関わる重大な事項ですわよね?反対する輩が出てもおかしくないと思うのですが――」
「親父殿に聞いた限りじゃ、反乱が起きた所と起きなかった所、割合としては半々位だったらしい」
壁に体を預けながら、コロンフィラ伯が答える。
「まぁそれでも、ノールやラーダみたいな大国と国境を接してる小国は、比較的穏便に連邦入りを果たしたらしい。連邦という名の庇護下に入れるからな」
コロンフィラ伯の言を追認する様に、リヴァン辺境伯とパルマ女伯が頷く。
「ただな……ノールとラーダ、その両国と国境を接しながらも、連邦入りを拒んだ国が一つだけ存在した。ここまで言えば、それがどの国なのか、博識な嬢ちゃんなら分かるだろ?」
「……それが、ヴラジド大公国という訳ですわね?」
三伯爵が揃って頷いて見せた。
「今でこそ、地図から消えてしまってはいるが、ヴラジド大公国は、オーランドとノールの間に存在していた国だ。加えて、西とはラーダとも国境を接している。中々に厳しい立地だったんだ」
机に広げられていた北方大陸地図に目を遣りながら話すコロンフィラ伯。
「……元々アトラ山脈は、ノールとオーランドの自然国境ではなく、ヴラジドとオーランドの自然国境でした。今はもう見る影もありませんがね」
パルマ女伯がアトラ山脈を指差しながら付け加える
「ヴラジドは、ノールやラーダ程ではないにしろ、地方大国と言って差し支えない国でした。祖父としても、是非オーランドの一員として引き込みたかった事でしょう」
「……なぜ、ヴラジド大公国は連邦入りを拒んだのですの?」
当然思い浮かんだ質問を投げ掛けるエリザベス。
連邦入りを断れば、オーランド、ノール、ラーダの三大国と国境を接する事になってしまう。なぜヴラジドは自らを窮地に追い込む様なマネをしたのか、彼女は聞かずにはいられなかった。
「嬢ちゃんがさっき言ってた言葉の通りだよ。国体の維持に重大な疵瑕が発生すると判断して、連邦入りを拒んだんだ」
「国体の、維持……」
イマイチ釈然としない様子で言葉を繰り返すエリザベス。
確かに、気持ちは分からなくも無い。今まで戴冠していた王の冠を捨て去り、一地方領主へとその地位を落とされるのだ。確かに、その国を治める者にとっては屈辱的だろう。しかし拒否したところで、結局はノールやラーダに攻められるのは時間の問題だった筈だ。事実として、現在ヴラジドはノール帝国の一地方にまで落ちぶれてしまった。
平民であるエリザベスから見ると、なぜ敢えて生き残る道を捨て去ったのか、不思議だったのである。
「どうして、そこまでして国体の維持に執着したんですの?拒否した所で、どうせ滅ぼされる事は見えてましたのに」
どうせ。
その言葉を発した瞬間。三伯爵の目つきが変わった。
一瞬、ほんの一瞬の間であったが、確かに変わった。その目付きには、明確な怒りの感情が込められていた。
「……まぁ、エリザベス嬢がそう言うのも無理は無い。事実として、ヴラジドはノールに敗北した訳だからな」
いつものやや垂れ目な、柔和な目つきに戻ったリヴァン伯が、言葉を紡ぐ。
「ここで最初の話に戻って来るのだが、有翼騎兵達は、自らを攻め滅ぼしたノール帝国を心底恨んでいる筈だ。なのにも関わらず、ノール軍に協力する姿勢を見せている。ここが解せぬのだ」
「戦力の供出を強要されている可能性はないんですの?滅ぼした国が、滅ぼされた国の兵士をこき使うのは良くある話かと」
「いや、それは無いと思う」
今まで黙って話を聞いていたフレデリカが初めて口を開いた。
「ノールは旧敵国だった土地に対して、戦力の供出を強要する事は無い。むしろあの国は、自国兵士と旧敵国兵士の処遇差を無くす事に尽力している。だからこそ、国の内外を問わず、軍人からの評価がとても高いんだ」
「なるほど……軍国と呼ばれる所以が分かった気がしますわ」
強い軍国たるには、強い兵士を持たねばならない。強い兵士を持つには、強い忠誠心を植え付けなければならない。そして植え付けられた忠誠心は、良き待遇によって育まれていくものである。
「……纏めると、有翼騎兵達は敵国の軍の一員として、望んで軍務に就いているという事ですわね?」
「左様。あるいは、何かしらの取引がノール軍と彼らの間にあったのかも知れんが、そこまでは分からんな……他に何か有翼騎兵達に関する情報はあるかね?」
「情報といえば……」
フレデリカがこめかみに手を当てながら、有翼騎兵の指揮官の名前を思い出そうとする。
「有翼騎兵の指揮官の名前、確か……オルジフ……モ、モラビエツスキ?と名乗っておりました」
「モラビエツスキ……?懐かしい名前ですね」
意外にも、その名前に対して反応を示したのはパルマ女伯だった。
「閣下はご存知なのですか?」
「オルジフの名前は知りませんが、モラビエツスキ、という姓の方は心当たりがあります。ヴラジド大公国の大貴族の名前ですね」
「なんで貴卿がそんな事を知ってるんだ?」
コロンフィラ伯が尋ねる。
「ランドルフ家とモラビエツスキ家は、祖父の代では色々と交流を重ねていましたので。父の代に入り、ヴラジド大公国の栄光に陰りが見え始めると同時に、交流も希薄になっていった様ですが」
「……初めて知ったぞ」
「特に聞いてこなかったので、答える必要も無いかと思いまして」
パルマ女伯のカミングアウトを聞いて、ややショックな面持ちのコロンフィラ伯。
「ふむ。敵の素性は分かったが、これ以上考えても埒が開かないな。今日の所は、これでお開きにしようか……エリザベス嬢にランチェスター大尉、余の街を最後まで守ってくれて、心より感謝している。結果的に奪われてはしまったが、諸君らの粘り強い防衛によって、連邦軍の編制を間に合わせる事が出来た。有難う!」
そう言いながらフレデリカ、そしてエリザベスの手を力強く握るリヴァン伯。それと同時に、ふと思い出した様にリヴァンが二人へ尋ねた。
「そう言えばフェイゲン連隊長から聞いたが、二人は一足先にタルウィタへ向かうらしいな?」
「はい。パルマ軽騎兵は、最早部隊としての体を成しておりませんので。タルウィタへ直々に騎兵の補充を依頼しに行く予定です」
「私共の砲兵部隊も、先の退却戦で大砲を全門喪失しておりますの。タルウィタには腕の良い鋳物師が多く店を構えていると聞いております。青銅砲の鋳造を依頼しに行く予定ですわ」
今のオーランド残存軍には、騎兵戦力も砲兵戦力も存在しない。歩兵戦力のみで構成された軍隊は柔軟性に欠け、非常に脆弱である。エリザベス達にとって、タルウィタから援軍を要請するのは火急の任であった。
「それと……」
それに加えてエリザベスには、どうしてもタルウィタに行かなければならない用事があった。
「……それと、何だね?」
「いえいえ!気になさらないで下さいましっ!」
クリスから受け取った指輪をポケットの中で握りしめながら、エリザベスはその場を愛想笑いで誤魔化した。
 




