第三十一話:リヴァン市退却戦(中編)
「焼夷弾全弾発射確認!」
「次の発射も直ぐだからね〜次弾用意急いでね〜」
所々に火炎放射用の穴が空いた丸弾、すなわち焼夷弾に点火用の導火線を差し込みながら指示を出すエレン。
「毛玉隊長ォ!予め導火線を刺した状態で保存しとくんじゃダメだったんですかねぇ!?」
砲兵輜重隊員の一人が、エレンと同じ様に必死で点火用の導火線を突き刺しながら不満を述べる。
「導火線は本当に射撃する直前に刺さないと危ないの〜。もし発射する前の焼夷弾ちゃん達に火が移っちゃったりしたら、このリヴァン邸宅ごと吹き飛んじゃうからね!」
「エレン!急ぎですまんが次弾発射頼めるか!?」
ハァハァと、息を切らしたイーデンが、階段を駆け上がりつつ、エレンに指令を飛ばす。
「初弾一射、その五秒後に第二射、その三秒後に第三射だ!」
「ういー了解」
エレン率いる砲兵輜重隊は、リヴァン伯の邸宅屋上に臼砲陣地を敷いている為、直接指令を届けるには何度も階段を往復する必要がある。遠くへ信号を届けたいのであれば、なるべく高い位置から発射した方が良いという、至って短絡的な考えが招いた激務である。
「えーと、意味は何だったっけな……」
フレデリカがコロンフィラ伯へと手渡した物と同じタイプの作戦書を広げるエレン。
「初弾一射は敵戦線に動きあり……五秒後の第二射はタルウィタ方面の包囲網、三秒後の第三射は敵兵力の減少。なるほどー」
雨による不発を防ぐ為、臼砲の砲口に被せられた一枚布を取り払うと、導火線を突き刺した焼夷弾を臼砲の砲口へ押し込むエレン。
「タルウィタ方面の包囲網が緩くなったってことだよね?」
「あぁそうだ。奴等、俺たちが臼砲を真上に発射する意図に勘付いたらしい。包囲網の戦力を抽出して、リヴァン市周囲に捜索隊を放ってるみたいだ」
中々に頭の切れるヤツが敵にいるらしい、と言いながら、今登ってきたばかりの階段を、再び下り始めるイーデン。
「それにしても、イーデンおじさんが連絡役なんて珍しいね?いつもならお姉ちゃんとかオズワルドに任せるのに」
「大佐殿から、後進の育成にも力を入れろって言われてな。今回はあの二人に指揮を任せてみる事になったんだ……」
イーデンが階下に向かうに連れて、彼の声が徐々に遠ざかっていく。
「……あの二人がお互いを尊重し合いながら指揮するなんて出来るのかなぁ」
臼砲の発射準備を整えながら呟くエレン。
残念ながら、エレンのその不安は現実のものとなっていた。
「だーかーらー!最初に撃つべきは戦列中央なの!敵の陣形を乱すためにはど真ん中に球を撃ち込むのが一番効率的なの!」
「敵の陣形を乱すのが目的なら、敵最右翼の擲弾兵中隊から撃つのが定石だろう!?精鋭の擲弾兵中隊が瓦解すれば、射撃戦で優位に立てる上、連鎖士気崩壊も期待できる!」
「今回の作戦は歩兵同士による射撃戦なんて想定してないでしょ!撃つだけ無駄よ!」
「敵の士気にダメージを与える事はどんな作戦だろうと有用だ!士気が低下すれば敵は大胆な戦術を取れなくなる!コロンフィラ伯の突撃が成功するまでは、こちらが戦場の支配権を常に握っている必要があるんだよ!それが分からんのか!」
リヴァン市の西門、タルウィタ方面へと続く街道の前で、二人の士官候補がギャーギャーと騒いでいる。
二人の後ろで砲を備える臨時カノン砲兵団の面々も、どう静止してよいか分からず当惑の表情を浮かべている。
「そもそも士官候補歴で言ったら俺の方が上なんだぞ!年長の指示に従え!」
「実戦経験と階級は全く同じなんですけど!?それに第一次ヨルク川防衛戦で、私は実質カノン砲兵団の総指揮を執ったわ!むしろ実戦経験で言ったら私の方が上よ!」
いつしか話の内容は、どちらの戦術が正しいかではなく、どちらが偉いかに変わっていた。
「おいおい嬢ちゃんと坊ちゃん。指揮官同士でそんな言い争いしている様じゃ、俺達が困っちまうぞ?」
見かねたアーノルドが仲裁に入ろうとする。
「聞いてよ伍長さん!コイツ士官学校出の癖に机上論でしかモノが語れないみたいよ!」
「聞いてくれアーノルド!コイツ定石ってモノがまるで解ってない!教練を知らない現場上がりの士官候補はコレだから嫌なんだ!」
「いや、そうではなくてだな……」
仲裁に入るつもりが、かえって火に油を注ぐ結果となってしまい、閉口するアーノルド。
「一体どうした。市内まで騒ぎ声が漏れてきてるぞ?」
エレンの所から帰ってきたイーデンが、馬を降りながら尋ねる。
「「中尉殿!!」」
イーデンの元に駆け寄りながら二人がお互いの持論を矢継ぎ早に述べる。
「「それで中尉殿はどっちが正しいと思いますか!?」」
詰め寄られたイーデンは、一旦大きく溜息を吐いた後、制帽を片手持ちにして、二人の頭を思いっきり引っ叩いた。
「貴様ら馬鹿か!!手前の部下の前でそんなみっともねぇ争いをするな!士官は味方の士気統制を維持するのが仕事だろうがッ!お前らが士気を下げる様なマネをしてどうする!?」
「「も、申し訳ありません……」」
普段は滅多に怒らない人物から激怒され、一気に消沈する二人。
「全く……まずオズワルド!お前は自分の階級を盾にして部下に言うこと聞かせようとするのを止めろ!階級差が無くとも、相手を納得させられる位には理論を組み立ててから発言しろ!その調子だといつか部下に愛想をつかされるぞ!わかったな!?」
「りょ、了解いたしました!」
姿勢を正して敬礼するオズワルド。
「それからエリザベス!」
「な、何よ!?」
我を引っ込めたオズワルドに対して、まだ反抗的な眼差しを向けているエリザベス。それを見抜いたイーデンは、少し声のトーンを落として話す。
「どれだけ実戦経験を積んでいたとしても、軍隊じゃ軍歴が全てだ。オズワルドの言う通り、お前の方が下だ。そこは弁えろ」
イーデンに諭され、それでも反抗の意思を崩さないエリザベス。
「わ、私はオズワルドの案に看過できない欠点があったから、それを指摘しただけよ!」
「じゃあ、オズワルドの案にも一理があることは認めるんだな?」
「それはっ……そうだけど……」
ここに来て初めてエリザベスの顔が曇る。彼女の怒気に弱まりが見えた所で、イーデンは言葉を畳み掛ける。
「エリザベス。お前は荒唐無稽な案に対して、わざわざ激昂する様な馬鹿じゃない。そうだよな?」
イーデンの問いに対し、唇を噛みながら僅かに顎を引くエリザベス。
「オズワルドの案にも一理あると感じているからこそ、持論を通そうとムキになってるんじゃないのか?だとしたら、お前が最初に言うべき言葉は否定じゃない」
制帽を被り直し、腕を組むイーデン。
「先ずは大まかに相手の意見に対して同意を示してから、自論を述べるべきだ。自分から見て上の者に意見を具申する際は特に、な」
「うぅ、わ、分かったわよう……オズワルド、ごめんなさい」
「済まない、俺も悪かった」
お互いに頭を下げるエリザベスとオズワルド。
「めでたく仲直りできた所でだが……現代カノン砲に、敵戦列の一部分を精密射撃出来るほどの精度は無い。取り敢えず敵戦列を大まかに照準する事を意識しろ。戦列中央への直撃や擲弾兵中隊への直撃は、あくまで副次的効果として捉えるんだ。わざわざ狙いに行くもんじゃねぇ。この天気と暗さとなっちゃあ、なおさらだ」
暗闇の先、敵戦列が居るであろう方向を指差しながら、イーデンは持論と経験論から来る結論を導き出す。
「「了解いたしました!」」
結局の所、イーデンというベテラン砲兵の前では、二人の理論はどちらにせよ、机上論に過ぎなかったのである。
「ゴホン……。砲兵各員、済まなかった!予定通り、我々はタルウィタ方面の敵包囲戦列に砲撃を行う!敵を後退させるのが目的だ!」
手を後ろで組み、胸を張りながら、朗々と命令を下達するオズワルド。
「砲兵射撃用意!」
「丸弾!装填用意!」
「射角三度!距離約一キロ!射撃用意!」
オズワルドの準備号令に続いて、エリザベスの射撃号令が西門に響く。
大小交々、てんで統一感の無い砲門達ではあるが、その砲口は皆一様に、一点を見据えていた。
「撃てェ!」
リヴァン市に轟音が響いた後、未だ明けぬ北方大陸の空に、漆黒の丸弾が列を成して飛んでいった。
◆
臨時カノン砲兵団の射撃開始から三十分後。
「敵弾飛来!」
ノール兵士の警告と同時に、もう何度目かも分からないカノン砲弾の一斉射が襲い掛かる。
第二次パルマ会戦の時とは違い、今回はカノン砲の有効射程圏内である為、放たれた砲弾は風切り音を立てながらノール軍戦列へ着弾する。
たかが三キロから五キロ程度の鉄球といえども、黒色火薬の力によって撃ち出されたそれは、着弾の衝撃波で四、五人の兵士を吹き飛ばす位の力は余裕で有している。
加えて、自分の攻撃が届かない場所から延々と撃ち下ろされるストレスや、隣に立っていた戦友の手足が引きちぎられ、叫び声と共に地面に倒れ込む姿を間近で見せ付けられる恐怖感も手伝って、タルウィタ方面戦列の中には早くも動揺が見え始めていた。
「狼狽えるな!戦列を崩すな!戦列が崩れた瞬間に、奴等は脱出突撃を敢行してくるぞ!」
逃亡防止用の槍を携えた各小隊長が、その穂先を部下達へ向ける。
「し、しかし我々は、いつまでこの砲火に晒されれば良いのでしょうか?このまま此処で待機していては、戦力が削られ続けるのみです!前進命令はまだなのですか!?」
度重なる砲撃に苛まれた中隊長の一人が、大隊長へ意見具申という名の弱音を吐く。
「我々は現在、長距離砲兵戦力を欠いている。砲兵支援なしでリヴァン市に突撃を敢行しようものなら、数的優勢を喪失しかねない程の大損害を被る事になるだろう。本隊から援軍のカノン砲中隊が到着するまでは、絶対に包囲を維持せよとの命令だ!」
「ではその砲兵支援はいつ到着するのですか!?」
「夜明けまでには来る!中隊長ともあろう者が取り乱すな!」
そう一蹴しつつも、ブツブツと苛立ちから来る言葉にならない言葉を呟きながら、戦列後方へと下がっていく大隊長。霧と暗闇の奥深くから、不気味な風切り音と共に突如飛来する丸弾達は、指揮官クラスの人物にさえ、無視出来ぬ動揺を与えていたのである。
大隊長は戦列後方で単眼鏡を構えるリヴィエールへの下へ向かうと、痩せ我慢にも似た威勢の良さで報告を行う。
「参謀閣下、報告致します!敵砲撃は苛烈なれども、我がタルウィタ方面戦列に乱れなしであります!このまま我が方の砲兵隊が到着する迄、必ずや守り切って見せましょうぞ!」
「わかりました。その意気込みは何よりですが……」
砲弾の飛翔音に耳を澄ませながら、顎に手を当てるリヴィエール。
「余りにこの状況が長引くのは、士気統制上好ましくありませんね。包囲を崩さない程度に、連隊を後ろに下げましょう。そうですね……一先ず、敵弾の有効射程範囲外まで下がりましょうか。各隊に五百メートルの後退指示を」
「は……はっ!承知致しました!林を背にする形になりますが、宜しいでしょうか?」
「構いません、背撃に対して若干脆弱になりますが、背に腹はかえられません」
畏まりましたと、各中隊長へ指示を飛ばす大隊長。
砲撃下にも関わらず、整然と移動体制を整え、回れ右の号令と共に後退を始めるノール軍。依然として反跳射撃の射程範囲ではあるが、少なくともこれで直撃弾は避ける事が出来る。暗闇と霧が目隠しの役割も果たしている為、優れた視力の持ち主でもいない限り、自分達が後退した事を敵に悟られる心配もない。
リヴィエールが打ち出した戦術は、至極真っ当な考えに基づいていた。
「……お?ノール軍が後退し始めた、かも……臼砲射撃準備して〜」
真っ当であるが故に。
優れた視力の持ち主が、リヴァン市随一の高所から自分達を観察している事など、到底考え付きようも無かったのである。
シャコン、という音を立てながら単眼鏡を畳むと、エレンは屋上の縁部分から身を引っ込め、臼砲達の下へと駆け寄る。
「タルウィタ方面の敵が後退したよ!だから初弾は一射、その五秒後に第二射、その七秒後に第三射だよ!」
エレンが命令を下達してから約十秒後、再度リヴァン市上空に焼夷弾が打ち上がる。
暫くすると、打ち上げた焼夷弾の意味を解読したイーデンが、リヴァン邸屋上へと上がってきた。
「エ、エレン……ちょっと、いいか……?」
「あー、イーデンおじさん。お疲れ〜」
虫の息で階段を登ってきたイーデンが、階段の踊り場部分に座り込みながらエレンに尋ねる。
「タルウィタ方面の敵は、どの辺りまで……下がったか?」
「霧のせいであんまり見えないけど、林のすぐ前まで下がったみたいだよ〜」
「お、マジか……!森の手前まで下がってくれたか……!」
手すりを掴みながら、よっこらと立ち上がるイーデン。汗まみれの顔には、確かな手応えを感じる笑顔が浮かんでいた。
「現時刻は、午前六時前か……よし、やるぞ!全臼砲一斉発射だ!コロンフィラ伯閣下へ、突撃開始を告げる狼煙を上げろ!」
俄に明るみを帯び始めた東の空を背にして、額の汗を拭いながら、イーデンが作戦第二段階の号令を下達する。
「りょうかーい!みんな一斉発射の準備は良い〜?」
「「OKです!毛玉隊長殿!」」
徐々に強まる雨足。しかして、それを物ともしない位に、力強い輜重隊員達の返事が屋上に響く。
「臼砲一番から三番!弾種焼夷弾!一斉発射!射撃用意!」
姉と違って要所要所に、間伸びするような独特のイントネーションを挟みながら、射撃号令を下すエレン。
「斉射!」
三発の鐘の音が重なり合い、一際大きく、そして兵器とは思えない優雅な音色を伴いながら三つの焼夷弾が打ちあがる。
「……フレデリカお姉さん。ちゃんとコロンフィラ様と出会えてるかなぁ」
夜明け前の空に輝く三つの小さな太陽を見つめながら、不安げな表情で呟くエレン。
「会えてると信じようぜ。この脱出作戦の肝が神頼みっていうのも、中々締まらん話だけどよ……」
焼夷弾を星と見立てて、まるで願いを託すかの様に、エレンとイーデンは両手を合わせた。
◆
数分後、タルウィタ方面ノール軍陣地にて。
「敵砲兵の射撃が止みました!弾切れの可能性有りとの事です!」
「弾切れ……?そんなバカな」
中隊長からの報告を、信じられないと言った表情で受け取るノール軍大隊長。
「あの優秀なオーランド砲兵が残弾管理を怠るなど有り得ん話だ。リヴィエール参謀閣下が司令部からお戻りになるまで、決して――」
大隊長の言を遮るように、リヴァン市方面から再度カノン砲の砲声が轟く。
「そら見たまえ、まだ弾は尽きていない様だ――ッ!?」
眼前に視線を戻した大隊長の表情が、一気に険しくなる。
オーランド砲兵が発射した砲弾は、彼らの目の前に着弾するや否や、爆音と共に朦々と灰色の煙を上げ始めたからである。
「灰石弾だ!!奴等煙幕を張りやがった!煙に乗じて突撃してくるぞ!」
大隊長の叫び声と同時に、次々と灰石弾が着弾する。数十秒も経たないうちに、彼らの目の前には灰白色のカーテンが出来上がっていた。
「各隊構え!敵が煙の中から姿を現した瞬間に射撃開始だ!」
三列横隊のノール戦列が一斉にマスケット銃を構える。
灰色に染まる視界の奥から微かに、しかして確実に、けたたましい馬蹄音の数々が響いて来る。
「て、敵の騎兵突撃だ!総員着剣ーッ!」
銃口部分に銃剣を突き刺した横隊最前列が、片膝をつき、マスケット銃を地面に突き立て、槍衾を形成する。
強さを増す雨音に遮られつつも、馬蹄音は着実に速度を増しながら、自分達の方へと近づいて来ている。その振動で草木が揺れ、木立が騒めき、空気が打ち震える。
今か今かと、その射撃タイミングを見極めようとする大隊長。しかし彼の期待とは裏腹に、如何に目を凝らして煙幕を見つめようとも、蹄の音ばかりが近付くのみで、肝心の敵騎兵の姿が一向に現れてこない。
「……おかしい、いくら煙幕を貼られているとは言え、そろそろ騎兵の姿が見えても良い頃――」
そう言い掛けた瞬間、大隊長の脳裏に最悪の展開がよぎった。
「そんな……まさか――ッ!?」
敏と振り返り、自身の背後に繁茂する林を凝視する大隊長。
そこには、獅子奮迅の如き勢いでこちらに接近する、漆黒の重装騎兵達の姿があったのである。
「……ぜ、全隊回頭ォォ!!敵騎兵は後ろだぁぁぁぁ!」
大隊長が叫んだ頃には、もう何もかもが手遅れであった。
「コロンフィラ騎士団!総員突っ込めえええええええええ!!!」
完全武装の重騎兵による、歩兵戦列背面への奇襲突撃。
その衝力を受け止められる歩兵など、この世には存在しない。