第三十話:リヴァン市退却戦(前編)
「リヴァン市の戦況はどうなっている!?暗闇のせいで碌に分からんぞ!」
「斥候を放っております故、もう暫くのご辛抱を!」
深夜の暗闇に塗り潰されたヨルク川に沿って、鎧に身を包んだ重騎兵が疾走する。時折、雲の切れ目から差し込む月の光が、彼らが纏う漆黒の重装鎧を鈍く照らす。
「さっきすれ違った避難民から何か情報は得られたか?」
「はっ!リヴァン市は完全包囲下にあり、敵軍戦力は自軍戦力を圧倒しているとの事!」
「じゃあまだ完全に落ちちゃいないって事だな!?急ぐぞ!」
それほど速度が出る訳でもない重装軍馬を目一杯急かしながら、二百を数える黒騎士団の長、コロンフィラ伯が叫ぶ。
「アスター卿、並びにランドルフ卿より伝言です!二卿の助力により、既に連邦軍の動員が開始されているとの事!編成完了までおよそ一ヶ月!」
「一ヶ月か!平和ボケしてた国の割には動きが大分早いな!」
立ちはだかる倒木を飛び越え、視界を遮る小枝を直剣で切り払い、口笛と声で隊形を維持するコロンフィラ伯。ノール軍に自分達の存在を悟られる訳にはいかない為、松明を始めとする明かりの一切を廃して彼らは進んでいく。川のせせらぎ音を道標に進んでいるのだ。
「急停止!」
口笛と共に全部隊に急制動をかけるコロンフィラ伯。進路上に、松明の灯りがチラついているのを目視したのだ。
「三列縦隊!前列長槍構えッ!」
長槍を脇で挟み込みながら、密集隊系を取る騎士達。対して松明の主は、敵意のない事を示す様に明かりを左右に振った。
「団長殿!斥候只今戻りました!」
松明を振りながら、斥候として出していた騎士数騎が近づいてくる。
「馬鹿者!誰が松明を焚けと言った!?ノール軍に我らの位置がバレたらどうする!?」
斥候から松明を奪い取ると、それをヨルク川の水面に思いっきり投げ込むコロンフィラ伯。
「も、申し訳ございません団長殿!余りに暗く、前後どころか上下不覚に陥りそうでしたので……」
鉢型兜のバイザーを押し上げながら、謝罪の言葉を述べる斥候役。
「で、何か収穫はあったか?何もなかったとは言わせんぞ?」
「はっ……ノール軍のリヴァン市包囲網について、あらかた陣容は掴めました。やはり、タルウィタへと続く街道周辺の包囲線が、最も厚い様です」
「他には?」
「はい、実は斥候を行っている最中、怪しい女を捕まえまして……オーランドの軍服を着用しておりますので、味方かとは思われますが……」
そう述べる斥候達の背後に、手縄を掛けられた状態で騎乗している女性士官がいる事に気づくコロンフィラ伯。暗がりでよく見えないが、彼女の左肩には包帯が巻かれている。
「誰だ?所属と階級を名乗れ」
「お久しぶりですね、フィリップ・デュポン卿。直接お会いするのはパルマ女伯閣下の婚約式以来でしょうか?」
銀髪を帯びた彼女。フレデリカの顔が月明かりに照らされる。
「お前……フレデリカ・ランチェスターか!久しいな!パルマ軽騎兵の活躍は余の耳にも届いているぞ。おい、縄を解いてやれ!パルマ女伯閣下の騎兵隊長様だぞ」
コロンフィラ伯の命令を受け、慌てて縄を解こうとする騎兵達。
「貴殿、わざと俺の斥候に捕まったな?」
「はい、捕まった方が速く貴卿の元に辿り着けると思いましたので」
縄を解かれながらコロンフィラ伯の詰問に答えるフレデリカ。
「どうやって包囲網を脱したのだ?ちょっと失礼します、で通してくれる程ノール軍も馬鹿じゃないだろう?」
「民間人と負傷兵のみを包囲網から逃す、という取引が両軍の間で取り交わされましたので。負傷兵に混じって包囲網を脱して参りました」
縛りが解かれた手で、左肩の包帯をさすりながら答えるフレデリカ。
「ノールがそんな殊勝な取引を?此度のノール軍指揮官は、今までと一味違うみたいだな」
「例のエリザベス・カロネード嬢に直接会う事を条件に、非戦闘員の脱出を認めた様です」
「エリザベスって、あの小生意気な嬢ちゃんの事か?アイツ、そんなに目を張る戦果を上げてるのか?」
「はい、ノール重騎兵の突撃を、砲兵隊のみで二度も撃退しております。至近距離での散弾一斉発射が得意戦術の様ですね」
「おおう、マジか……」
自身も重騎兵に該当する兵種である為か、驚き身震いするコロンフィラ伯。
「それで、何の用があって俺のところに来た?何の理由もなしに捕まった訳じゃないんだろ?」
「はい。リヴァン市で籠城中のパトリック・フェイゲン大佐より、任務を預かっております」
胸元から手紙をスルリと取り出す。
「リヴァン包囲網の脱出作戦概要です。午前五時が作戦開始時刻となります」
作戦開始時刻と聞いて、瞬時に懐中時計を取り出すコロンフィラ伯。
「あまり時間はないが、まぁ五時までならギリギリ間に合うか」
それにしても、とニヒルな笑いを漏らすコロンフィラ伯。
「この状況でまだ脱出を諦めて無いのか、そのフェイゲン大佐とやらは。ただの阿呆か、それとも勝算があるのか……」
「貴卿ともあろうお方が、何を世迷言を」
作戦要領を手渡しながら、不敵な笑みを浮かべるフレデリカ。
「貴隊こそが、勝算そのものです」
◆
「現時刻、午前四時五十分!作戦開始十分前だ!時計合わせッ!」
フェイゲンの号令で、将校達が一斉に懐中時計の針を合わせる。
「……この秒針を合わせる作業、一生慣れる気がしないぞ」
カリカリとネジを巻きながら、慣れない懐中時計の扱いに苦戦するオズワルド。
「今回の作戦はタイミングが命よ。一歩でもズレると作戦失敗に繋がりかねないから、しっかりね」
彼の隣で、エリザベスも私物の懐中時計を取り出す。
時計の蓋を開け、秒針を弄ろうとした瞬間、文字盤部分に水滴が滴り落ちた。
「……降ってきたわね」
「そうだな」
曇天を見上げながら、二人が呟く。
「この雨が、吉と出るか凶と出るか……」
いつもの朝霧に包まれた早朝のリヴァン市。
オーランド軍は、コロンフィラ騎士団と、朝霧と、夜が遺していった暗がりを頼りに、脱出作戦を実行しようとしていた。
『日輪が天高く我らを照らす前に、この地を脱する』
それが彼等の必成目標だった。
◆
ほぼ同時刻。ノール軍包囲網の総司令部にて。
「一体何事かねこんな朝早くに……!」
苛立ちを隠せない口調で、ヴィゾラ伯が天幕からコートに袖を通しながら出てくる。
「申し訳ございません連隊総指揮官殿。しかし、先程から敵軍が妙な動きを見せておりまして……」
大隊長が単眼鏡をヴィゾラ伯へと手渡しながら釈明する。
「妙な動きだと?どれどれ……暗闇と霧で碌に見えんが」
受け取った単眼鏡をリヴァン市内に向けながらボヤくヴィゾラ伯。
連邦の中でも比較的歴史の浅い都市であるリヴァン市は、パルマ市とは違って現代式の防壁で守られている。
低く、しかして固く積み上げられた土塁と、厚みのある砂塵の層で構成された市外防壁は、二十四ポンドを超える重砲を用いたとしても、そう簡単に崩すことは出来ない。
先の会戦でカノン砲を全門喪失している事情もあり、いくら圧倒的数的優位を持つノール軍といえども、攻勢には慎重にならざるを得ない状況であった。
「今は落ち着いておりますが、本日未明より、リヴァン市内から断続的に焼夷弾が発射されました」
大隊長の状況説明を聞きながら、灯りの落ちたリヴァン市内を観察するヴィゾラ伯。
「こちらの損害は?」
「ありません。ほぼ直上へ打ち上げておりましたので、何かしらの信号弾かと思われますが、意図は不明です」
「……こういった事に関しては、我らが参謀に聞くべきだな。リヴィエールを呼んで来い!彼の意見を聞きたい!」
承知致しました、と馬に跨り、タルウィタ方面の包囲線へと消えて行く大隊長。
それから程なくして、リヴィエールが自身と同じぐらいに痩せ細った馬と共に現れた。
「やぁリヴィエール、こんな夜更けに呼び出して済まない。タルウィタ方面の包囲網は盤石か?」
「はい、リヴァン市民の脱出後、包囲網は再度閉じられました。ご命令通り、タルウィタ方面は最も防衛線を厚くしております」
付き人の兵士に介助を受けながら、馬を降りるリヴィエール。
「先程未明より、リヴァン市内から上空へ焼夷弾が何度か打ち上がっている。この意図、貴殿ならどう見るか?」
「直上へ焼夷弾を打ち上げる意図は、まずもって何かしらの合図でしょう。情報を伝えようとしているのかと思われます」
ヴィゾラ伯がその回答では満足していない事を、彼の表情から読み取ったリヴィエールは、さらに言葉を続ける。
「……打ち上げられた焼夷弾を実際に目視していないので断言は出来ませんが、その信号は包囲の外へと向けられた物かと」
「ほう、包囲の外とな?」
自身の背後に繁茂する森に目を遣るヴィゾラ伯。
「はい……。大隊長、焼夷弾は合計何発放たれましたかな?」
「はっ、計五発でございます」
「射撃間隔は?」
「最初に間を置かず三発。その後に比較的長い間隔を伴って二発です」
「射撃間隔の秒数までは記録しておりますかな?」
「いえ、そこまでは……」
不覚を感じた大隊長が謝ろうとするが、問題ありませんと、一言添えるリヴィエール。
「これではっきりしました。オーランド軍は包囲の外と連絡を取り合おうとしております……ゴホゴホッ」
一つ二つ咳を起こしながら、ヴィゾラ伯に向き直るリヴィエール。
「包囲下の友軍同士で連絡を取り合っている可能性は無いのかね?」
「包囲下の者同士で連絡を取り合うのであれば、伝令で十分の筈です。わざわざ敵軍に悟られる可能性の高い焼夷弾でやり取りはしないでしょう」
「それもそうか……では、単純に誤射だったという可能性は?」
「その可能性も低いかと。誤射であれば、前半の三発は兎も角、後半の間隔を開けた二発の説明がつきません。オーランド砲兵は、聞き及んでいた以上に優秀な兵士達です。そう何度も誤射など起こさないでしょう」
「ふーむ……納得!」
自身の中でも腑に落ちたのか、ポンと手を叩きながら叫ぶヴィゾラ伯。
「そうだとするならば、奴等は何を伝えようとしていたのか、そこが一番気になる所だな!」
「いえ、最も重要な点は何をでは無く誰にの部分かと」
「だ、誰に……?むむぅ、あの信号の受け取り手の方が重要なのだな?」
発言を一刀両断されつつも、素直に聞き入れるヴィゾラ伯。
「その通りです、閣下。包囲されている軍が包囲外に向かって出す信号など、ほぼ援軍要請と相場が決まっております。我々が行うべきは、オーランドがアテにしている援軍は今何処にいて、どの様な兵種なのか、そしてどれ程の数がいるのかを把握する事です」
言い終わるや否や、再度介助を得ながら馬に跨るリヴィエール。
「包囲網を形成している戦力の一部を抽出して、リヴァン近郊の偵察へと充てましょう。少なくとも、敵援軍はあの焼夷弾を直接目視出来る位置に居るでしょうから……」
「よう分かった、許可しよう。包囲網の背後でコソコソ動き回られるは気分が悪いからな。何か見つけたら直ぐ報告する様に」
「畏まりました」
そう言い残すと、リヴィエールは、自身が直接指揮を行うタルウィタ方面の包囲戦列へと向かっていった。
「……包囲外の敵、か」
背中で蛇が這いずる様な、不快な感覚がヴィゾラ伯を襲う。
無意識の内に思い込んでいた背後の安全という概念が、音を立てて崩れて行く。
「……さした数ではあるまい。連邦軍は未だ編成されていないのだから」
自分に言い聞かせる様に呟いた後、なんの気無しに懐中時計を開いてみるヴィゾラ伯。文字盤に雨粒が当たり、空を見上げる。
「むぅ、雨か……」
時計の針は、五時丁度を示していた。
「オルジフ率いる有翼騎兵も兵員補充された事だし、何ら心配する事は――」
その瞬間、リヴァン市内から幾つもの砲撃音が響く。
「な、何だぁ!?」
上空高く打ち上げられた焼夷弾達が、煌々と薄明の中に瞬く。
依然としてその信号の意味は判らなかったが、ヴィゾラ伯は、自身の中に走った直感に従う事にした。要するに、貴族の優雅さをかなぐり捨てる様な大声で、自軍兵舎に向かって叫んだのだ。
「ぜ、全軍臨戦態勢ーッ!皆起きろーッ!オーランド軍が仕掛けてくるぞーッ!」
彼の言う通り、午前五時に発射されたこの砲撃こそが、リヴァン市脱出作戦の開始号令であった。
◆
【リヴァン市退却戦】
―オーランド連邦軍―
パルマ・リヴァン連合駐屯戦列歩兵連隊 503名
南部辺境伯連合義勇軍 875名
パルマ軽騎兵中隊 30騎
臨時カノン砲兵団 7門
―ノール帝国軍―
帝国戦列歩兵第一連隊 1122名
帝国戦列歩兵第二連隊 1345名
帝国戦列歩兵第三連隊 1419名
帝国重装騎兵大隊 40騎
帝国榴弾砲小隊 3門
有翼騎兵大隊 100騎




