表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/100

第二十九話:リヴァン完全包囲網(後編)

 リヴァン市からタルウィタへと続く道が、人の波で埋まっている。

 引き摺るような足取りで歩みを進める彼らは、かつてパルマ市民だった者、リヴァン市民だった者、兵士だった者など、様々な境遇の人々から構成されていた。

 そして皆一様に、安心と後悔が混ざった悲しい表情で、何度も後ろを振り返る。担架に寝かされた負傷兵ですら、背後のリヴァン市を視界に収めようと、しきりに身を捩っている。

 後ろ髪を引かれる思いで歩く彼らは、一路、ノール軍が敷いた白一色の包囲網に向かって進んでいく。

 その包囲網に開けられた針の穴ほどの善意。つまり、市民及び負傷兵達に設けられた避難路へと、彼らは進んでいたのだ。


「報告いたします!市民及び負傷兵が包囲網の外縁に到達しました!無事包囲網を脱した模様です!」


「そうか、分かった」


 教会の長椅子に腰掛けたフェイゲンが、オズワルドの報告を受ける。


「存外、あの小太り貴族は約束を守れる男らしいな」


 もぬけの殻と化した教会内部を、ぐるっと見渡しながら呟くフェイゲン。


「人が少ないと、ここまで声が響くものなのか」


 自分の声の残響音に驚きつつ、書類へと身体を向けるフェイゲン。


「……このリーヴァ教会は北部オーランドの中でも屈指の大きさを誇ります。例年、この時期は来年の豊作祈願の為にここを訪れる巡礼者で一杯だった様であります」


「詳しいな。調べたのか?」


「いえ、避難中の市民から偶然聞いたもので……」


 と言うと、オズワルドは少し言い淀み、様子を伺うような口調でフェイゲンへ尋ねた。


「実は、この話を伺った年寄りから、連隊長殿へ伝言を頼まれておりまして……」


「それは戦略上重要な情報かね?」


「……はい」


「ふむ、ならば聞こう」


 編成表を書き込んでいた手を止め、オズワルドへ顔を向けるフェイゲン。

 それを見たオズワルドは大きく息を吸い込むと、そのまま一息で話した。

 

「来年こそは、ここで豊作を祈願させてくれ。私達の故郷を、必ず取り戻してくれ、と……」


 数秒固まった後、オズワルドから目を背け、再度羽ペンを手に取り、編成表の記入を再開するフェイゲン。


「君は、それを戦略上重要な情報であると自身の中で結論付けたのかね?」


 目を合わせずに詰問するフェイゲン。


「はい」


 今度は寸分の迷いもなく、オズワルドは言い放った。


「……そうか」


 そう言うとフェイゲンは、口端を吊り上げながら一通の手紙を取り出した。


「私も同感だ。結局の所、最後には勝たねばならんからな」


 彼が二つ指に挟んだ封筒には、コロンフィラ伯の直筆であることを示す、漆黒の封蝋が押されていた。


「全兵士をここに集めてくれ!」


 いつものサムズアップと共に、フェイゲンは命令を下した。

 


 夕刻、リーヴァ教会にて。


「皆、よく集まってくれた」

 

 教会の中心部、内陣に(あつら)えた祭壇に佇むフェイゲンが、集結したオーランド連邦軍兵士達を見下ろす。


「まず、この教会に集った諸君らは、選りすぐりの古強者である。先ずもってはそれを自覚し、誇ってほしい」


 選りすぐりの古強者。

 それは裏を返せば、教会内に全兵力を集結できてしまうほどに、自軍が消耗している事を暗に示していた。


「さぁ、しっかりと誇ったかね……おい、そこの第三中隊!もっと胸を張らんか!先の会戦で最後まで左翼を守ろうとした貴隊らしくないぞ!誇らんか!」


 名指しで部隊名を言われるとは思っておらず、驚きと共に姿勢を正す第三中隊の兵士達。


「よし、それで良い……では本題に入ろう。本来であれば、こういった情報は先ず士官へ伝達してから諸君らに伝えるべきだと考えるが、事の重要性を鑑みて、同時に伝える事とした」


 コロンフィラ伯の手紙を広げながら、一同を見回す。


「まず一つ。数日前、連邦首都タルウィタにおいて第二百四十九回臨時連邦議会が開催された。議題は諸君らも知っての通り、連邦軍編成についての採決だ。その結果がコロンフィラ伯閣下よりたった今もたらされた……」


 勿体ぶるような口ぶりの後、彼は右手を天高く掲げた。

 

「全会一致だ!連邦軍が間も無く動員されるぞ!皆、よくぞ耐え抜いてくれた!」


 フェイゲンの嘆声と同時に、兵士たちの間にどよめきと小さな歓声が上がる。一ヶ月近く続いていた、逃げることの許されない遅滞戦術が、ようやく終わりを迎えたのだ。彼らの顔が綻ぶのは当然の帰結であった。

 しかしそれでもまだ、大多数の兵士達は、諦観を帯びた力の無い表情を、フェイゲンへと向けるのみであった。


「…………」

 

 彼らの多くは察していたのだ。今すぐ連邦軍が動員されたとしても、このリヴァンの地へ正規軍が救援に来るのはずっと後になるという事を。

 その時までリヴァン市を防衛し続ける事など不可能である事を。

 包囲網を突破し、脱出する事など尚不可能である事を。

 自分達は結局、時間稼ぎの死兵の役から脱する事は出来なかったという事を、彼等は理解していたのである。

 

 その様子を壇上から観察していたフェイゲンは、少し声のトーンを落とすと、手紙を祭壇の傍に退けた。


「諸君らは、耐え難きを耐え、凌ぎ難きを凌ぎ、勝ち難きを勝利してきた。それは小官が保障しよう。紛れも無く、諸君らは殊勲部隊である」


 頭の制帽を取り、胸に当て、敬意を表するフェイゲン。


「諸君らには、然るべき場所で、然るべき御仁から勲を賜る権利がある。いや、賜らなければならない!」


 今一度、手紙を手に取りながら語気を強めていくフェイゲン。


「その為にも、我々はノール軍の包囲網を突破しなければならない。首都タルウィタへと帰る為には、あの忌々しい白き囲いを破らねばならんのだ!」


 数的優位を持ち、防衛線を形成している相手に突破機動を実行する。戦略眼を持つ士官でなくとも、それが絶望的な作戦である事は理解できよう。


「…………」

 

 町に迫る夕闇よりも暗く、重い空気が教会内に充満する。これが最期の戦いとなるのだろうと、口にせずとも皆一様に、そう感じていた。

 

 少なくとも、この時点までは。


「皆が思っている通り、我々だけでこの作戦を完遂する事は難しい。しかしながら……他ならぬ女伯閣下の御助力によって、我らは強力な援軍を得るに至った!」


 漆黒の封蝋を高々と掲げながら、満を辞して宣言するフェイゲン。


「これが二つ目の伝達事項だ!コロンフィラ伯が直々に!隷下の騎士団を率いてこの地に向かっている!深夜には到着するだろう!」


 コロンフィラ騎士団の言葉に、俯いていた兵士達が一斉に顔を上げる。死人同然の面持ちだった兵士たちの目に、再び光が戻る。


「コロンフィラ伯の騎士団って……あの黒騎士団か!?」

「マジか!数百年に渡ってノール軍の侵攻を防ぎ続けてきた英雄達だぞ!?」

「黒騎士団なら、アイツらなら!俺達を助けてくれるかもしれないぞ!」


 驚きにも似た期待の声は、程なくして教会中を沸き立たせる歓声へと変貌した。

 フェイゲンは、焚きつけた希望の炎を更に燃え広がらせる為、今一度声を大にして叫んだ。


「断固たる決意を持って、私は述べよう!諸君らは、決して死兵などではない!断じてッ!捨て石などではない!この戦争の最も苦しい時期を共に乗り越えた、掉尾(ちょうび)を飾るに相応しき英雄達である!必ずや、共にタルウィタへ!そして最後にはパルマへ!諸君らを連れ帰って見せよう!」


 限界まで膨れ上がった期待と熱気が弾け、割れんばかりの拍手と歓声が噴き上がる。

 

 フェイゲンは、興奮覚めやらぬ彼らの拍手を背中で受けながら、壇上を後にした。



「連隊長殿、素晴らしい演説でしたわ」


 事の顛末を見守っていたエリザベスが、教会の裏手からひょこっと顔を出す。


「なに、君が連邦議会で見せたという大立ち回りに比べれば、どうと言う事は無い」

 

 裏口から教会を後にした二人は、作戦司令部と化したリヴァン伯の邸宅へと歩みを進める。

 押し並べて話すことも無く、二人の足音だけが夕闇のリヴァン市に響く。

 再びフェイゲンが口を開いたのは、教会から漏れ聞こえる喧騒の音が、限りなく小さくなった頃合であった。


「この戦い、勝てると思うか?」


 壇上の演説時とは違い、フェイゲンは不安の表情を浮かべている。


「絶対に勝たねばならない戦いを前にして、その発言はナンセンスだと思いますわ」


 微笑を帯びた澄まし顔で言い放つと、そのままスタスタと前を歩いて行くエリザベス。


「……そうだな、無粋な質問だった」


 制帽を深く被り直し、町の屋根伝いに沈んでいく太陽を見つめるフェイゲン。

 

 北方大陸は季節を問わず日が短い。夏季であっても、太陽の落ちる速度はかなりの物だ。

 今日もその例に漏れず、二人が町の広場へと差し掛かる頃には、フェイゲンの持つランタンの光に頼らざるを得ない程に、辺りは暗くなっていた。


「……別に、向こうへ行っても良かったのだぞ?」


 ランタンの火力を調節しながら、不意に口を開くフェイゲン。


「向こう?」


 会話の意図が掴めずに、首をかしげるエリザベス。


「あの時、ノール軍へ降らないかと、ヴィゾラ伯から提案を受けていたのだろう?」


「あぁ、その話ですわね。ノール軍砲兵中隊長の席を提示されましたけど、丁重にお断りさせて頂きましたわ」

 

 歩きながら腕を組んで答えるエリザベス。


「帝国軍将校の地位など、喉から手が出る程欲しい者が沢山いるだろうに。なぜそこまでしてオーランド軍に拘る?元々貴官は成り行きでこの戦争に巻き込まれている立場なのだ。出ていった所でそれほど文句も言われまい」


「あらあら、そんなにわたくしに軍から出ていって欲しいんですの?」


 そうではない、と足を止めるフェイゲン。


「今が、この町から逃げ出す最後のチャンスだと言う事だ」


 その言葉を聞いて、フェイゲンから十歩ほど進んだ所でパタリと歩みを止めるエリザベス。


「今ならまだヴィゾラ伯へもう一度とりなす暇もあろう。演説ではああ述べたが、この包囲網を突破出来る可能性は低い。負け戦に付き合わせるのも悪いと思ってな……馬の用意なら出来ているぞ?もし気が変わったのなら――」


「……おーっほっほっほ!」


 高笑いをしながら満面の笑みで振り向くエリザベス。暗闇ですらその意表を突かれたのか、僅かに場が明るくなった様な錯覚をフェイゲンは覚えた。


「今更ノコノコ敵に降るなんてお下品な事、死んでも嫌ですわねっ!それにわたくしは、軍団長を目指すついでにオーランドに勝利をもたらすと約束しましたの!」


 劣勢を自覚し、尚もオーランド軍に残る事を堂々と宣言するエリザベス。


「……なるほど。ランバート中尉は、良い部下を持った様だ」


 取り越し苦労だったよと、エリザベスの肩を叩き、彼女を追い越して先を歩き始めるフェイゲン。


「だがこれだけは教えてくれ。我が軍の何処にそこまで惚れ込む要素があったのだ?」


 エリザベスの顔を照らす様に、ランタンを低く掲げながら問うフェイゲン。


「……正直、つい先程まで、わたくし自身もその答えを探しておりましたの」


 すると、広場の中央にポツンと置かれた黒いベンチへと近付いていくエリザベス。


「少し、身の上話をさせて頂いても宜しいかしら?」


 ベンチに腰掛けながら、エリザベスが尋ねる。


「リヴァン伯の邸宅に着いてからではいかんのか?もう大分暗くなってきているぞ」


「本音は他人に聞かれたくないモノでしょう?」


 人っ子一人居なくなった広場を一望しながら答えるエリザベス。


「驚いたな。君は自分から本音を話したがらない性格だと思っていたが……」


「まあまあ、わたくしに軍服を授けて下さった御礼だとでも思って下さいまし」


 袖の余った部分を上下にパタパタさせてアピールするエリザベス。フェイゲンはその様子を鼻で笑うと、ゆっくりとベンチにランタンを置いた。


「……わたくしは、幼い頃からカロネード商会の教育を受けてきましたわ。教育を受けている間は勿論、自由時間であっても他人と関わり合う事は厳しく制限されておりましたの」


「私も噂には聞いていたが、大商人の跡取りともなると、並大抵の努力では務まらんらしいな?」


 エリザベスは無言で頷く。


「だから、分からなかったのよ」


「何がだね?」


 フェイゲンの問いに対し、笑い混じりにエリザベスは次の言葉を連ねた。


「友人の作り方よ。こればっかりは、幾ら本を読んだところで分かりっこなかったわ」


 思いの外、年相応の発言が飛び出してきた事に対して、思わず口元が緩むフェイゲン。


「それはそれは、お嬢様らしい悩みだな。ご両親には聞けなかったのかね?」


「殆ど家にいる事が無かったから、聞くに聞けなかったわ。個人的に両親が嫌いだっていうのもあるけど……」


 話が逸れたわね、とベンチに浅く座り直すエリザベス。


「友人が良いものである事は本で知っていたけど、実際はどんな関係なのか、見当もつかなかったわ……ラーダ王国の軍事演習を見るまでは、ね」


 なぜ、王国軍の軍事演習の光景が、延々と自分の心に燻り続けていたのか。

 なぜ自分は軍人を目指そうとしたのか。

 その理由をヴィゾラ伯に述べた際に、なぜ漠とした違和感を覚えたのか。

 エリザベスはその答えに、やっと辿り着いたのだ。


「わたくしは、ずっと軍隊の格好良さに一目惚れしたと思っておりましたの。だけど、本当は――」


 演習の合間合間に、兵士達が時折見せる楽しそうな表情。

 体勢を崩した仲間の肩を保ち、共に進もうとする兵士達。

 突撃する騎兵に対し、敬礼を以てその武運を祈る指揮官達。


「――本当は、兵士達(貴方達)の姿に、一目惚れしていた様ですの。どうしようも無く……えぇどうしようも無く、戦友として、貴方達と同じ視座に立ってみたいと。そう思ったんですの」


 エリザベスの表情には、まるで想い人を偲ぶかの様な、耽美的な笑みが浮かんでいた。


「……本音を聞いてくれて有難う御座いますわ。こういう事柄は、近しい人には(かえ)って打ち明け辛かったんですの」


 ベンチから腰を上げると、エリザベスはランタンを片手に、軽やかな足取りで先を進み始める。


「……エリザベス。貴官は」


 エリザベスの背中を追い掛けながら、慈しむ様な目でフェイゲンが呟く。


「ずっと寂しかったのだな」


 フェイゲンの言葉が、エリザベスの耳に届く事は無かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ