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第二十八話:リヴァン完全包囲網(前編)

 リヴァン市内の教会。

 この建物には、先の防衛戦で負傷した兵士たちが次々と運び込まれており、床の美しいモザイク模様が見えない程に負傷兵が敷き詰められていた。治療に当たっているのはリヴァン市民と、故郷からこの地へ避難してきたパルマ市民達だ。


「む……」

 

「わぁ!起きた〜!」


 礼拝堂の隅。申し訳程度の板切れによって仕切られた空間の中で、フレデリカは目を覚ました。


「お水飲む?どうぞ〜」


 隣に座っていたエレンからピッチャーを手渡され、左手で受け取ろうとするが、刺す様な痛みに思わず顔を歪ませる。


「左腕はあんまり動かさない方がいいと思うよ?傷がまだ治ってないからね〜」


「あぁ、すまない……私は一体何日眠っていた?」


 右手でピッチャーを受け取りながら尋ねるフレデリカ。


「前の会戦からずっとだから……二週間弱?途中で何度か夢遊病みたいになってたらしいけど。クリスおじさんが心配してたよ〜」


 日数を指折り数えつつ、ピッチャーを受け取るエレン。


「二週間か。銃創一つでここまで戦闘不能になるとは情け無いっ……!?」


 無理やり体を動かそうとすればする程、激痛がその意志を砕こうとしてくる。結局、他の兵士達と同じ様に呻き声を上げながら、ゴザの上で安静の姿勢を取る。


「私が眠っている間、何があった?」

「色々あったよ。話すと長くなるけど」

「構わない、教えてほしい」

「ういー」


 エレンはフレデリカへ、第二次ヨルク川防衛戦に敗北した事、自軍は時間稼ぎの為にリヴァン市内での籠城戦を選択した事、ノール軍はリヴァン市の包囲を既に完成させている事を伝えた。


「そうか。すまない、私の不在で多分に迷惑を掛けた事だろう」


 特に戦況を悲観する事もなく、己の不在を伏し目で詫びると、無事な右腕を支えにしながら体を起こそうとする。


「あーダメだって、寝ててなきゃ!」


 安静にさせようとするエレンの手を振り解き、無理矢理上体を起こすフレデリカ。

 

「なんの、これしき……!」


「毛玉殿の言う通りですぞ、大尉殿」


 間に入ってきたテノール声に反応した二人が頭上を見上げると、仕切りの上から馴染みのカイゼル髭が顔を覗かせていた。


「エレン殿、留守の番をありがとう。輜重隊の所へ戻っていいぞ」

「うぃ」

 

 ポンポンとエレンの頭を撫でると、先ほどまで彼女が座っていたスツールへ身を寄せるクリス。


「無事目を覚ましたようで何よりです、大尉殿」


「少尉、図らずも騎兵隊を貴様に預ける形となってしまい、すまなかった。負担を掛けたな」


 壁に背中を預ける形で座り直すと、フレデリカは今まで少し緩めていた目尻を、普段の様に釣り上げた。

 

「第二次防衛戦における我が隊の損害は?」

「ありません」

「彼我の損害は?」

「おおよそ千人強かと。敵はカノン砲を全門喪失したものの、歩兵の損害は軽微と認めます」

「想像以上に我が軍の損害が多いな……」


 顎に手を当てて顔を顰めるフレデリカ。


「正面を任されていた南部辺境伯義勇軍の兵が次々に脱走した為、早々に戦線が崩壊しました。フェイゲン大佐曰く、敵の架橋設備を用いた渡河攻撃と霧の所為もあり、我が方はまともな抵抗が出来なかった模様にございます」


 戦況を述べるクリスの声に、震えが混じり始める。


「そうか、南部義勇軍が脱走か……」


「誠、理解し難い行動でございます」


 努めて無表情を維持しながら述べるクリスの喉奥からは、震えるような憤怒が見えていた。


「無理も無い。兵士達からすれば、強行軍で遥か北の地まで連れてこられ、何処の地とも分からない場所で正規軍と戦闘をさせられたのだ。我々と(くつわ)を並べるには、あまりに士気差があり過ぎたのだ」


「……なぜ」


 クリスの怒りを感じ取ったフレデリカが、彼の怒りを鎮めるために最もらしい理由を与えたが、返ってそれは彼の怒りを沸き立たせる結果となった。


「なぜ皆!一様に!他人事なのですかッ!?自国領が侵略されているのにも関わらず!なぜ!?なぜなのですか!?」


 怒りに任せて拳を叩きつけられた仕切りが、音を立てて大きく揺れる。


「なぜ……!なぜこんな薄情な国の為にパルマが灰にならねばならなかったのですか!?この国はパルマを灰にしてまで守る価値があるのですか!?」


 フレデリカに問うたところで答えが出るはずも無かったが、彼は問わずにはいられなかった。


「私は……私は……」


 フレデリカは彼の言葉を一切遮らず、ただ実直に受け止め続ける。

 

「パルマを灰にした者を、死ぬまで恨みます」


 最後にその言葉を残した後、クリスは沈黙した。

 治療に走る市民達の喧騒や負傷兵の悲痛な叫びが、まるで屋外の出来事であるかの様に、くぐもって聞こえる。


「……パルマを灰にした者とは、ノール軍のことか?それとも――」


 フレデリカが()()()を言う前に、クリスは答えた。


「……両方です」


 ◆


「すまないな、こんな役割を押し付けてしまって」


「向こうの連隊総指揮官直々のご指名なのでしょう?わたくしの代わりが居ないのなら仕方ないですわ」


「御両人、こちらでございます」


 ノール軍の兵士に案内され、一際大きな天幕の前に立つフェイゲンとエリザベス。

 二人は、昨夜ノール軍指揮官から届いた面会希望の手紙に応える形で、ノール軍の野営地へと足を踏み入れていた。


「連隊総指揮官閣下!オーランド連邦軍より、パトリック・フェイゲン大佐、並びにエリザベス・カロネード士官候補が遥々(はるばる)お越しあそばして御座います!」


「通しなさい」


 か細い病人の様な声が、僅かにテント内から漏れ聞こえる。思わず聞き逃しそうな声だったが、案内役の兵士はすぐさま天幕を捲り、中へと二人を促した。


「お初にお目に掛かります。私奴(わたくしめ)は栄えあるノール帝国軍の参謀職を仰せつかっております、アラン・ド・リヴィエールと申します」


「オーランド軍指揮官のパトリック・フェイゲンだ」


「同じく第三砲兵中隊所属のエリザベス・カロネードですわ」


 リヴィエールと握手を交わすエリザベスとフェイゲン。

 臨時カノン砲兵団と名乗れば、如何にも切羽詰まっている事がバレそうだった為、それらしい部隊名を騙る事にした。


「僭越ながら、貴軍には独立した砲兵部隊が居ないと伺っておりましたが……思いもよらず先進的な軍組織をお持ちの様ですな」


「いやはや、それほどでも……して、貴殿が連隊総指揮官ですかな?」


「いえいえ、申し上げた通り、私奴は一介の参謀でございます。もうそろそろ……」


 目を細めて天幕の外を見つめるリヴィエール。すると数秒置いて、外から誰かがドタドタと走り込んでくる音が聞こえてくる。その音の主は天幕を勢いよく捲ると、額の汗を拭いながらリヴィエールの隣に回った。


「いやー、すまない御両人!呼んだ側が待たせてしまったな!こちらの軍団長に呼び止められてしまってな……」


 ハンカチで手を拭いた後に右手を差し出すヴィゾラ伯。


「改めて、よく来てくれた。ヴィゾラ伯シャルル・ド・オリヴィエだ。パルマ会戦、そしてヨルク川防衛戦での貴軍の勇戦には心から敬意を表するぞ」


 その手を握ろうとする寸前で、フェイゲンが警戒しながら口を開く。


「書面に記されていた通り、確かに負傷兵と民間人をリヴァン市から退避させて頂けるのですな?」

 

「無論だ。一日だけ、タルウィタへ続く道の包囲を解いておこう……おぉ、そして君が例の、銀魔女か」


 フェイゲンの手を固く握り返しながら、エリザベスへ顔を向ける。


「魔女とは大層な呼び名ですのね。ただの小娘でしてよ?」


「唯の小娘が我が軍の誇る重騎兵隊を二度も撃退できるものか。何処で教育を受けた?」


「特には。独学で学んだのみですの」


 だいぶ前に同じ質問をフレデリカから受けたことを思い出しながら答えるエリザベス。

 

「なんと独学とは……!リヴィエール、貴様と同じ来歴の者がいたぞ!握手の一つでもすべきではないいのかね?」


「既に交わしておりますので、お構いなく」


 僅かに手を挙げるリヴィエールに、少しばかり瞳を向けてみるエリザベス。

 自分が言えた義理ではないが、本当に軍人かと思える程に細い。肌にピッタリ沿うブリーチズボンの構造からか、脚がより一層細く見える。目も虚がちで、室内であるにも関わらずどこか遠くを見ている様な印象を受ける。


「レディ・カロネード。なぜ貴殿は女性の身でありながら軍人を目指そうと思ったのかね?独学で学んだということは、本業たる生業が別にあったのだろう?」


 興味津々で自分の内情に土足で足を踏み入れてくるヴィゾラ伯に内心嫌悪感を抱きながらも、柔和な表情の維持に務めるエリザベス。

 

「本業は商家でしたわ。残念ながらわたくしは商人としての才を持ち合わせておりませんでしたので、軍人となる事を決意しましたの」


 あまり細かいところまで説明すると更なる深堀が飛んでくることが容易に想像できた為、表面的且つ簡素な説明に留める。


「商家のご令嬢から軍人か……その年なりでなんともロマンチックな人生を歩んでいるものだな。して、軍人の何処に惹かれたのかね?」


「それは……幼い頃に軍事演習を見て、その時に大変感銘を受けまして――」


 そこまで述べたところで、エリザベスは漠とした違和感を自分自身に対して覚えた。

 

 確かに自分はラーダ王国軍の軍事演習を見た事が切っ掛けで、軍人を目指す事を決めた。そうである筈なのに、何故か釈然としない。こんな宙吊りの感情になるのは初めてだ。そんな漠然とした理由ではなく、もっと具体的な、熱心に励む彼らの姿に惹かれた理由が自分の中に存在する筈なのに、どうしてもそれが言葉となって出てきてくれない。

 なんとかして絞り出そうと考えを巡らせてみるが、思考はぐるぐると心の外縁を彷徨うのみで、肝心の本心を突く事ができなかった。


「まぁ、答えられぬ事があるならばそのままで構わんよ」


 黙ってしまったエリザベスを気に掛けてか、肘掛け椅子に座り直しながら、彼女を客椅子へと促すヴィゾラ伯。


「……士官候補生となったからには、目指したい階級役職というものがあろう。貴殿は何処まで上り詰めるつもりだ?」


「軍団長ですわ。それ以外は眼中にありませんの」


 しっかりと相手の目を見ながら、堂々と自分の野望を宣言するエリザベス。

 ヴィゾラ伯は数秒表情が固まったかと思えば、貴族とは思えない盛大な笑い声を響かせた。


「ふ、ふふふっ、ふはははははッ!!軍団長とは随分大きく出たな!……リヴィエールッ!貴殿はどう思う?我らが軍団長殿とこの小娘が、同等の力量を持つと感じるか!?」


「発言を差し控えさせていただきます」


 梯子を外され、ガクッと頬杖を外すヴィゾラ伯。尚も堂々とした表情を崩さないエリザベスを一瞥すると、少し恥じ入る様な手つきで紅茶を手に取った。


「今までも、方々へそう言い放ってきたのかね?」

「そうですわ」

「その際の相手の反応は?」

「大方、貴卿と同じ反応でしたわね」


 紅茶を一口含むと、片眉を上げながらエリザベスを見つめるヴィゾラ伯。


「……己の夢を笑われてなんとも思わんのか?」


「夢は素晴らしければ素晴らしい程、笑われる物ですわ。わたくしの夢を素晴らしいと思って下さって有難うございますわ」


 そう言って微笑むエリザベスの表情からは、皮肉を言わんとする気など微塵も感じられなかった。

 ヴィゾラ伯は、しばしエリザベスを凝視し続けた後、フェイゲンへと目を向けた。


「フェイゲン大佐殿、呼びつけておいて大変恐縮なのだが、少しばかり席を外してくれんかね?」


「……承知致しました。しかしながら、会話の内容については後程エリザベスより直接聴取致しますので」


 構わんよ、と右手を挙げるヴィゾラ伯に一礼すると、フェイゲンはテントを後にした。


 しばらく無言の波がテント内へと押し寄せた後、ヴィゾラ伯は自身の座る椅子を軋ませながら、口を開いた。


「我が軍は貴殿を高く評価している。加えて幸いなことに、我が軍は優秀な砲兵指揮官を必要としている」


「……何が言いたいんですの?」

 

 彼が何を言おうとしているのかは分かっていたが、無意識に口が尋ねた。


「では畏まって述べさせて頂こう」

 

 ヴィゾラ伯は一枚の紙をテーブルの上に置くと、手元に置いた羽ペンをエリザベスの元へと寄せる。


「エリザベス・カロネードよ、我が軍に加わる気は無いかね?」


「……面白い事を仰いますのね」


「こちらは至って真面目なんだがね」


 パイプに火を付けながら、帝国軍士官登録書と題された紙を指差すヴィゾラ伯。


「軍団長とまでは行かないが、砲兵中隊指揮官のポストを用意しようじゃないか。貴殿の努力如何によっては、軍団長も夢では無いぞ?」


 目の前に用意された士官登録書を、じっと見つめるエリザベス。

 ノール帝国は軍人への待遇に定評のある国だ。軍国としての体を成すには、良く訓練され、良く統制された軍隊が必要となる。そうであるが故に、他国よりも軍人の社会的身分が高く、給金も良い。

 職業軍人を目指す者からすれば、目の前にあるこの書類は喉から手が出る程に欲しい代物である事は間違いない。


「大変魅力的な条件ですわね」


 正直、家を飛び出した頃の自分が聞いていたら、迷わず飛びついていた事だろう。

 

「おぉ!それでは――」


「……謹んでお断りさせて頂きますわ」


 だが今はもう、あの頃の自分ではないのだ。


 エリザベスの答えを聞いたヴィゾラ伯は、ため息を吐くと、目を瞑りながら右手を差し出した。


「幾らだ?望みの額を言ってくれたまえ」

「金額の問題ではありませんの」

「ではどの問題かね?出来る限り、それを解決できる様に取り計らおうではないか」


 余程エリザベスを逃したく無いのか、強く食い下がるヴィゾラ伯。


「オーランドの兵士達と、約束を交わしておりますので」


「どの様な約束かね?」


 エリザベスは一段と瞳を見開き、ヴィゾラ伯の双眸と相対する。

 

 結局の所、約束を交わした相手は冗談半分に受け取っていたかもしれない。そんな事は出来っこ無いと思ったが故に、彼らは愛想笑いを浮かべていたのかもしれない。


「軍団長を目指すついでに――」


 しかし、彼らがどう思うと関係無いのだ。

 

「――オーランドに勝利を(もたら)すと。確かに彼等と約束しましたの」

 

 少なくとも、私は本気だったのだから。


「……ふっははははは!」


 エリザベスの答えを聞くや否や、豪快に笑い飛ばすヴィゾラ伯。


「誠に残念だが、余はその約束を反故にしてやらねばならんな!」


 交渉決裂!と彼が言い放つと同時に、入り口に佇んでいた兵士が天幕を捲り、エリザベスへ退出を促す。


「その約束の決着は戦場で付けるとしよう!銀魔女……いや、砲兵令嬢(カノン・レディ)よ!」


 ヴィゾラ伯の啖呵を受け、エリザベスは、いつもの意地悪い笑顔で叫んだ。


「望む所ですわぁ!覚悟しておいてくださいましッ!」

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