第二十七話:臨時連邦議会
オーランド軍のリヴァン市内退却と時を同じくして。
「こりゃあ、一体どういう風の吹き回しだ?」
連邦議事堂前広場の停留所。馬車から降りてきたコロンフィラ伯が声色を失う。
そこには、議会開催予定日の一週間程前であるのにも関わらず、貴族諸侯達全員分の馬車が既に停まっていたのである。
「普段は当日になるまで碌に集まろうとしないのに、今回はやけに皆早いな……」
「おや、来ましたね」
議事堂へと向かう階段の中段あたりに、いつもの仏頂面のパルマ女伯が腕を組んで佇んでいる。
「今回の貴族諸侯達は随分生真面目な様だな?」
ズラリと並んだ色とりどりの馬車を見ながら尋ねるコロンフィラ伯。
「今回は可及的速やかに臨時連邦議会を開催する必要がありますからね。諸侯らが早く集まる様に一計を案じてみた所、見事に全員集まってくれました」
「早く集まる様に?何だ、金で釣ったのか?」
はいその通りですと、ロール紙を取り出す女伯。
「議会の早期開催に協力してくれた者には、余から報償を与える旨を方々へ知らしめました」
手渡されたロール紙を見てみると、そこには先着順で金品を贈呈する旨の文面がパルマ女伯の名で認められていた。
「……俺の所にはこんな書状来てなかったぞ」
目角を立てながら紙を指差すコロンフィラ伯。
「貴卿はこんな書状が無くともしっかり一週間前には来てくれますからね。加えてコロンフィラはパルマに一番近い都市ですので、他諸侯へのハンデを考慮した結果です」
「……ふん。まぁいいか」
褒めるついでで丸め込まれた様な気がしたが、実際悪い気はしなかった為、鼻息を漏らすだけで済ませるコロンフィラ伯。
「金の出所は?まさかサリバン家が出してくれた訳でも無いんだろ?」
「無論、自費です。パルマから持ち出してきた財産が幾らかあったので、それを使いました」
「そんで、幾ら残ったんだよ?」
「ありませんよ。全て使い切りました」
「は?全部使っただぁ!?」
後ろに仰け反りながら三歩後退するコロンフィラ伯。
「それじゃあ今のお前は、土地無し金無し状態ってことか!?」
「そうですね。強いて言うなら、没落貴族とかいう身分でしょうかね」
絶対身分制度においては、どれだけ没落したとしても貴族は貴族であり、どれだけ財を成したとしても平民は平民である。
そうであるが故に、堕ちるところまで堕ちた貴族は途方も無く惨めである。平民以下の生活を強いられながらも、己は貴族であると胸を張って言わねばならないのだから。
「辺境伯一人の財産と引き換えに連邦軍動員の時間が早まるとあれば、迷わず実行すべきです」
懐中時計に目を落とした後、議事堂への階段を上る女伯。
「臨時連邦議会は全諸侯が集まり次第の開催となります。貴卿が最後ですので、お急ぎの程を――」
「ランドルフ卿。一つ質問していいか?」
階段へ足を乗せつつ、コロンフィラ伯が問う。
「お前……貴卿は、このオーランド連邦という国をどう思っている?」
「どう、と申しますと?」
身体は動かさずに、首だけを僅かに後ろに向ける女伯。
「貴卿がオーランド連邦構想の発起人たる、ランドルフ家の血脈である事を承知で言おう。この国は、そこまでして守る価値が本当にあるのか?」
階段を登る足を止め、背中でコロンフィラ伯の質問を受け止める。
「国王不在という致命的な組織欠陥を抱えたまま六十年、国としての纏まろうとする姿は一向に見えてこない。そればかりか、他国からの侵略を受けても意に介さず、ラーダ王国の小娘にすら呆れられる始末だ」
ここまで一息で述べた後、一段と息を大きく吸うコロンフィラ伯。
「俺は……連邦構想そのものが間違っていたという可能性を捨て切れずにいる」
最上段に足を伸ばしていたパルマ女伯が、その歩を戻す。
「この期に及んで貴卿はどう思っているのかと、ふと聞きたくなってな」
「……この様な事しか言えず申し訳ないのですが」
白のドレスが石段の上で美しい半円を描きながら翻る。
「もう少しだけ、余と連邦の事を信じていてくれませんか?必ずや、守る価値のある連邦を創り上げて見せますので」
申し訳ない。そう言う表情には悔悟の念など微塵もなく、その瞳には一切の曇りもなく、その佇まいには万難不倒の気さえ感じられた。
「……あいも変わらず痩せ我慢が上手いな。貴卿は」
諦観染みた笑みと軽口を叩きながら、コロンフィラ伯は目の前の石段へと、その一歩を踏み出した。
◆
「この度は、本邦各地を治むる領邦領主殿の御臨席を仰ぎ、第二百四十九回、オーランド臨時連邦議会を催す物と致します。特に、遠地よりはるばる御足労頂いた辺境伯のお歴々におかれましては、日々の国防と国境の安寧に身を尽くしている最中の御臨席となりし事、平にご容赦の程を申し上げ奉ります――」
オスカー・サリバンの口から、いつもの開会宣言が行われる。
すり鉢状の議事堂内、六人の辺境伯と三十二人の貴族諸侯、そして議長の一人。計三十九人が一同に会する。
「なお、皆々様も知っての通り、今回は臨時連邦議会として催行致します故、通常議会にて論じられる各所領の現況報告、並びに議題については割愛させて頂き、緊急議題たる連邦軍編制の採決のみ執り行う事とさせて頂きます」
サリバンが言い終わると同時に、中央の演説台に木製の投票箱が設置される。
「ランドルフ卿、手筈の程は如何ですかな?」
リヴァン伯がパルマ女伯に耳打ちする。
「先程コロンフィラ伯から密紙を受け取りました。問題無さそうです」
「おぉそうか!わざわざ首長官邸まで出向いた甲斐があったという物だ!」
「お静かに」
女伯に嗜められ、慌てて口を閉じるリヴァン伯。
「ではこれより採決を行います。第一投票者、発議人アリス=シャローナ・ランドルフ卿、前へ」
サリバンの号令と共に席から立ち上がり、悠然とした態度で投票箱の前へ進むパルマ女伯。議会参加者の全視線を背に受けながら投票紙に一筆、賛成と記入する。
紙面の擦る音すら立てずに投票箱へ票を投じると、パルマ女伯は口火を切った。
「余、アリス=シャローナ・ランドルフは、パルマの為、そしてオーランドの為、賛成に票を投じます」
己の投票先を高らかに宣言したパルマ女伯に対し、議長のサリバンがすかさず口を挟む。
「ランドルフ卿、その発言は連邦議会規則第四条に違反しております。己の投票先如何について公言する行為は控えて頂きますよう――」
「投票権を有する者の投票先如何について、これを暴き、侵してはならない……議長殿の仰る議会規則第四条は、あくまで他人の投票先を暴く行為を禁ずる条文でございます」
女伯の口端が僅かに吊り上がる。
「余は自らの良心に従って投票し、そして自らの意志で投票先を公言したに過ぎません。これを第四条違反とするのは余りに拡大解釈が過ぎるのではないでしょうか?」
女伯の理路整然とした物言いに、思わずたじろぐサリバン。
「如何いたしますか?余の発言が第四条に抵触するかどうか、更に採決を取りましょうか?その場合、全会一致ではなく過半数にして頂きたい物ですが――」
「いやいや結構、失礼いたしました……では次、コロンフィラ伯フィリップ・デュポン卿、前へ」
公衆の面前で言い争いになることを危惧したのか、手を振りながら次の者へ投票を進めるサリバン。すり鉢の端の方に座っていたコロンフィラ伯が立ち上がり、演説台へと歩みを進める。
連邦議会において、全会一致での採決を取り行う場合、発議人が最初の一票を投じる。その後は首都タルウィタに近い地方領主から順番に票を投じて行き、最後に議長が一票を投じて終了となる。故に今回は第一投票者がパルマ女伯、第二投票者がコロンフィラ伯となっている。
紙面を投じたコロンフィラ伯は、白々しさをも感じさせる声で高らかに言い放った。
「余はランドルフ卿の言に、誠心を動かされた!よって余も賛成に票を投じるものとする!焦土とされたパルマの仇を取る為に!」
貴族諸侯達がコロンフィラ伯のスタンドプレイに驚きの表情を浮かべる。
「奴らは我々を愚弄した!卑怯な奇襲攻撃を以て!そして事後宣戦布告を以て!確かに貴卿らの顔に泥を塗ったのだ!」
怒りを誘発させ、正義感を煽り、その矛先を敵へと向ける。
エリザベスが使った手法をコロンフィラ伯は再利用したのだ。
「さぁ!堂々と、誇りを持って投票しようではないか!我々オーランド連邦はやられっぱなしではない事を奴等に示す為に!」
その芝居掛かった言い回しに影響され、演説台を立ち去るコロンフィラ伯へ拍手が向けられる。拍手を禁じる規則もない為、サリバンも止めるに止められない状態である。
「密書にも書いた通り、後の奴も全員賛成に投票するよう説得しといたぞ」
演説台から立ち去る際に、コロンフィラ伯がこっそりと呟く。パルマ女伯は目こそ合わせようとしなかったが、僅かに顎を引いて了承の意を示した。
「皆の者!聞いてくれ!余もオーランド連邦の未来を考え、賛成に票を投じる!」
続く貴族諸侯も二人の振る舞いに触発されたのか、手を天高く挙げながら賛成へと票を投じ、今度は先程よりも大きな拍手と賞賛の声が議会に響き渡る。
「私も賛成だ!ノール帝国の侵攻に対して、断固として立ち上がるべきだ」
「賛成に投票した!今こそ連邦が一丸となって立ち上がる時だ!」
「今賛成せずして何がオーランド諸侯か!」
六人目が投票を終える頃には、皆立ち上がって歓声を送る様になり、堰を切った様な拍手と熱気が議会を包み込む。
「珍しく貴族諸侯達がオーランドを思う発言をしておりますな。みな賛成に票を投じる旨はデュポン卿より聞いておりましたが……」
ある種の演劇の様な状況を目の当たりにしたリヴァン伯が、怪訝な面持ちで呟く。
「……彼らは、己の意思という物をそれほど持ち合わせていません。自分は正しい事をしているという空気を外側から作ってしまえば、後はその空気に乗って勝手に進んでくれます。また暫くしたら、いつもの無気力な議会へと戻っていくのが関の山です」
面白くない物を見るような目つきでパルマ女伯が答える。
「彼らは自分の投票する姿に酔っているだけです。自分はオーランドの為を思って、己の正義に従って投票している。そう宣言しながら賛成に票を投じるのはさぞ気持ちが良い事でしょうね。そういう意味では、発作的愛国心とでも言った方が正しいのかもしれません」
そこまで言い掛けて、議会中央に座する顔面蒼白の老人を一瞥する。
「静粛に。ここは厳粛なる連邦議会の場でございます、その場に相応しくない振る舞いは控えて頂きます様――」
そこまで言い掛けたサリバンの顔が、まるで蝋人形の様に固まる。そして徐々に、その額から大量の脂汗が吹き出始めた。
「ようやく気がつきましたか。まぁ、もう手遅れですが」
見る見るうちに憔悴の表情へと変わって行くサリバンの様子を見ながら、ボソリと呟くパルマ女伯。
彼はようやく気付いたのだ。このまま全員が賛成に投票し、自分だけが反対に投票した場合の末路について。
「……あの憔悴振りを直に見れた事に関しては、まぁ良かったと言えるでしょう」
そう言い放った女伯の顔は、嗜虐的な三白眼の笑みに満ちていた。
「さぁ議長殿、後は貴殿を残すのみでございます。どうぞご自身の良心に従って投票をお願いいたします」
パルマ女伯に促されると、サリバンは目を泳がせながら、フラフラとした足取りで演説台へと向かい始めた。それは何も歳の所為だけではない事は明らかである。
今まで全員が賛成と宣言した上で票を投じてきたのだ。ここで反対に票を投じよう物ならば、投票結果で自分が反対に票を入れたことが必ず発覚してしまう。そうなれば、他国から宣戦布告をされているのにも関わらず動員を拒否した無能の烙印を押され、終いには今まで築いてきた社会的地位も喪失することになるだろう。
「わ、私は……」
顔から噴き出る汗を拭いながら、カタカタと震える手で筆を走らせる。
「も、もちろん、賛成に票を投じますとも……」
賛成と書かれた紙面を投票箱へ投じるサリバン。
若きランドルフ家の当主が、サリバン家の老骨に敗北を認めさせたのである。
◆
「終わってみると、呆気ない物でしたな」
「呆気なく終わらせる為に準備を重ねてきましたので。何事も無くて良かったです」
二人を乗せた馬車は、コロンフィラへと続く街道を進んでいた。
「にしてもコロンフィラ伯を頼る案は大正解でしたな!流石は、貴卿が婚約者として認めた御仁だ!」
「元婚約者です。今は只の領主同士、何の関係もありません」
珍しく、少しムキになった様子で答える女伯。
「はっはっは!デュポン卿に御礼をしようと思っていたのだが、議会が終わった途端に何処かへ行ってしまってな」
「彼が率いる黒騎士団の出陣準備が完了したとの事です。自ら指揮を取る為に一旦自領へ戻ると言っていました」
「おお、伝説のコロンフィラ騎士団がついにか!貴卿とデュポン卿の婚約式にも出席していたあの……!」
やめてくれ、と女伯は元々小さい瞳をさらに小さくしながら、窓の外をうんざりした様子で見つめていた。




