第二十ニ話:第一次ヨルク川防衛戦(中編)
「構え!撃てェ!」
塹壕線から顔を出したオーランド兵達が、陣地中央へと邁進するノール軍へ射撃を浴びせる。
彼らは射撃を担当する兵士一人と、装填を担当する兵士三人の、計四人一組のグループに纏められていた。
一人が射撃を行なっている間に、三人掛かりでマスケット銃を装填する。装填の終わった銃から次々にリレー方式で発砲する鶴瓶撃ちのスタイルだ。
「俺が弾丸を槊杖に押し込むから、お前は火皿に火薬を流し込んでくれ!」
「俺は細かい作業が苦手なんだ!撃つ役をやらせてくれ!」
「紙薬莢を何度も噛みちぎったせいで喉がカラカラだ!水を寄越すか交代するなりしてくれ!」
やいのやいのと不満が飛び交いつつも、取り敢えずは交代射撃を継続出来ているオーランド軍。
対してノール軍は、両側から射撃の雨に晒され、頭上からは四ポンド砲の砲撃に晒されているのにも関わらず、粘り強く前進を継続している。
「あんだけ四方八方から撃たれてんのに何で足を止めねぇんだ?」
「敵の全力射撃を受けるまで帰ってくるな、とでも言われてるんでしょ。敵ながら可哀想だこと」
砲兵陣地にて、どんどん撃ち出される四ポンド砲の弾道を眺めながら、他人事を述べるエリザベス。
「あのままだと鶴翼陣の根元まで到達しちまうぞ。もう少し砲兵火力を投射した方が……おお?」
イーデンが言い掛けた所で、陣地の中程まで進んだノール軍がとうとう来た道を引き返して退却していく。
「よっしゃあ!おとといきやがれ!」
「寂しそうな背中が良くお似合いだぜ白蛇共!」
歓声を上げる砲兵達。四ポンド砲を担当していた砲兵以外は暇を持て余していた為、余裕綽々の面持ちである。
「敵ながら良く持った方だとは思うけど、やっぱり砲撃には耐えられなかったわね!味方の士気を支え、敵の士気を挫く事こそが大砲の役目ですわ!おーっほっほっほ!」
上体を逸らす勢いで高笑いを響かせるエリザベス。
「いや、まだ諦めちゃいねぇみたいだぞ」
イーデンが苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。
対岸へと退却していく戦列歩兵と入れ違う様にして、今度は百名程の歩兵が前進を開始してきた。
「次から次へとご苦労な事ね。戦力の逐次投入とは、ノール軍らしく無い凡ミスだけど……」
疎らに間隔を空けながら、低姿勢でゆっくりと接近する歩兵達。四ポンド砲が射撃を再開するが、密集していない敵兵に丸弾が当たるべくも無く、虚しく狭間を通り過ぎてくのみである。
「散開してるせいで丸弾が当たらないわねぇ。最右翼の突出部に向かっている見たいだけど……」
鶴翼陣の弱点と言えば、左右へ突き出した突出部である。左右どちらかでも崩されると逆包囲の危険性が一気に高まる為、防御側は突出部に戦力を集中させるのが定石である。
「フェイゲン大佐も突出部への攻撃は織り込み済みで、突出部の戦列を一番厚くしてるんだ。何とかなる筈だぜ」
イーデンの言葉を証明するかの様に、塹壕内から幾丁ものマスケット銃が銃口を覗かせている。対するノール軍歩兵は伏射姿勢のまま銃を構える。彼らの三角帽子には、緑色の羽飾りがあしらわれていた。
「もうノール兵は射撃姿勢に入るのか?百メートルは離れてるぞ?」
マスケット銃の撃ち合いは、少なくとも彼我の距離が五十メートル以内に入ってからでないと、お互いに有効射を加えられない。
にも関わらずノール兵が射撃態勢に入ったという事は、命中させる自信があるという事だ。
「あの距離からの伏射に加えて、やけに散開した布陣……嫌な予感がするわね」
エリザベス予感を助長させる様に、ノール軍の射撃号令が掛かる。
「放て!」
ノール兵達が放った鉛玉が、塹壕内に向かって飛翔する。その弾丸は、塹壕から頭だけを出しているオーランド兵をいとも容易く撃ち抜いた。
「クソっ!本当にこの距離で撃って来やがった!撃ち返せっ!撃て!撃て!」
オーランド側も応射を開始するが、散開しつつ身を隠しているノール軍相手には全く有効打を与えられない。
「畜生ッ!やけに向こうの弾ばっかり当たるじゃねぇか!おい野郎ども!塹壕超越の用意だ!接近戦でカタを付けるぞ!」
少数部隊であれば近接戦闘で撃退できると踏んだ最右翼の中隊指揮官が、隷下の部隊を塹壕から外に出そうとする。
「右翼の中隊長さんは何考えてますの!?塹壕から出ずにジッとしてなさい!クッソ危険ですわよ!?」
腕をブンブン振りながらエリザベスが忠告を入れるが、遠くの歩兵陣地に届く訳もなく、兵士たちは続々と塹壕壁に足を掛けていく。
「塹壕超越――!」
オーランド兵達が塹壕の頂点に到達した瞬間。
歪な太陽が、閃光と爆音と共に、彼らの頭上に輝いた。
「え?」
塹壕を這い出た兵士達が頭上に目を向ける。
それはまるで、見られた事を恥じるかの様に、自らの姿を幾千もの破片へと変貌させた。
鉄の雨が、彼らの頭上へと降り注ぐ。
「榴散弾――!」
そう叫ぼうとした兵士は、頭と喉をズタズタに引き裂かれ、ゴボゴボと自らの血に溺れながら塹壕内へと倒れ込んだ。
塹壕から身を乗り出していた兵士は全て榴散弾の餌食となった。破片が全身に食い込み、ハリネズミの様な姿となった兵士が塹壕の中へと崩れ落ちて行く。生き残った兵士達も、閃光と爆音によって自我亡失の様相を呈している。
「榴散弾による疾風射……!」
エリザベスが唇を噛む。
塹壕から攻勢を仕掛ける瞬間を狙う疾風射は、炸裂のタイミング次第では攻勢そのものを破砕する威力を有する。今の射撃タイミングは正にその理想例だ。
「猟兵の施条銃で敵を吊り出し、塹壕から這い出て来た所で榴散弾を叩き込む……完全に敵の術中に嵌ったわね」
今も伏せながら射撃を継続しているあの敵兵は猟兵で間違いないだろう。
ライフリングという、螺旋状の溝が掘られた特注のマスケット銃を持つ彼らは、通常のマスケット銃兵よりも射程と精度に優れる。
我々が塹壕から動けないのを良い事に、このまま射程外から戦力を削り取るつもりなのだろう。
「イーデン!臼砲で焼夷弾を打ち上げて!パルマ軽騎兵に出撃の合図よ!」
「け、軽騎兵?百人くらいの敵相手にもう虎の子を出しちまうのかよ?」
呑気な返答をするイーデンにエリザベスが地団駄を踏みながら捲し立てる。
「アレは猟兵よ!敵は長距離射撃戦を仕掛けてきてるわ!このままだと延々に射程外から攻撃されるわよ!」
「あれ猟兵なのかよ!?また高級な部隊を引っ提げて来やがって!おいエレン、臼砲発射だ!焼夷弾を打ち上げろ!」
「うぃ!焼夷弾発射用意〜。真上に撃ち上げるのが目的だからね〜敵に向かって撃たないでね〜」
「仰角八十度!撃てぃ!」
エレンの号令と共に、まるで鐘の様な上品な音を響かせながら、臼砲が発射される。
砲兵陣地の直上、最大高度に到達した所で、真っ赤な火花を散らしながら燃え盛る焼夷弾。
「緒戦で軽騎兵と臼砲の手札を明かす事になるとは、先が思いやられるわ……」
煌々と輝きながら、両軍へその存在感をアピールする焼夷弾を見つめながら溜息を吐くエリザベス。
臼砲は、敵の要塞や防衛設備を延焼させる為に使うのが主目的であり、この様に信号弾代わりに使う事はあまり無い。
その曲射性能を活かして物陰から奇襲砲撃を行う事も出来る兵器だったが、それは夢想と消え失せた。臼砲が敵方にあると知ったノール軍が、そう易々と奇襲砲撃に引っ掛かる筈もないだろう。
「おや、砲兵令嬢からの御指名だ」
「意外と早かったですな」
一方で、リヴァン市内に待機していたクリスとフレデリカが、上空に浮かぶ小さな太陽を見つめる。
「籠城側の騎兵は暇な事が多いらしいが、今回は退屈しなくて済みそうだな……速歩!前進!リヴァン・パルマ両辺境伯閣下の御為に、卑き白蛇の軍を討伐せしめよ!」
隷下の騎兵を鼓舞しながら、フレデリカはサーベルを天高く掲げた。
◆
「臼砲と軽騎兵の手札が判明しましたな、連隊総指揮官殿」
パルマ軽騎兵が前線へと到達する前に、指揮下の猟兵に後退命令を下達するリヴィエール。
「リヴィエールの進言通り、軽歩兵を出してみて正解だったな!はてさて。そろそろ有翼騎兵を突入させても良い頃合いだろう。オルジフ!出番ぞ!」
ヴィゾラ伯の号令と受け、有翼騎兵達の先頭に立ったオルジフが右手を高く上げる。
「味方猟兵が空けた敵陣右翼へ突入せよ!敵鶴翼陣を突破し、勢いに乗じて砲兵陣地を叩いて来い!敵砲制圧が最優先目標だ!」
突撃喇叭の音と共に、意気揚々と進撃を開始する有翼騎兵。
彼らが背負う大羽根飾りを見ながら、リヴィエールがヴィゾラ伯へと口を開いた。
「連隊総指揮官殿。有翼騎兵と共に重騎兵大隊も出撃させた方が宜しいかと」
「その故は?述べてみよ」
進言の許可も取らずに、ヴィゾラ伯へ提案を行うリヴィエール。対するヴィゾラ伯も、そんな事を歯牙にもかけずに言葉を返す。
「先の会戦経過を鑑みるに、敵騎兵戦力はあの軽騎兵一個中隊のみでしょう。こちらが騎兵二部隊を出せば必ず、必ずや一部隊は砲兵陣地に到達出来ましょうぞ」
糸目を僅かに開きながら、左右翼の渡河地点を指差すリヴィエール。その手は骨張っており、まるで病人の様にか細い。
「ふーむ。まぁ、父上の様に戦力を温存して敗北するのは避けたい所だな……よし採用!重騎兵を出せ!」
「御意に、連隊総指揮官殿。重騎兵を有翼騎兵に追従援護させましょう」
リヴィエールはヴィゾラ伯に一礼をすると、至近に侍らせていた騎兵指揮官へと蚊の鳴くような声で指示を出した。騎兵指揮官は聞き辛そうに耳を傾けた後、一応の頷きで応えた。
「前進!」
胸甲鎧を身に付けたノール重騎兵が、有翼騎兵の斜め後方に追従する。
「頼むぞ〜オルジフッ!この攻勢で決着をつける勢いで攻め立てよ!」
我が子の門出を応援するかの様に、ヴィゾラ伯は大きく手を振った。