第十九話:ヨルクの護り(前編)
「この川って、名前とか付いてたりするの?」
「あー、確かヨルク川って名前だった筈だぜ」
パルマ焦土作戦から二週間後。
リヴァン市近くを流れるヨルク川にて、パルマ・リヴァン連合軍は急ピッチで防衛線の構築を行っていた。
「水深は浅いけど川幅があるわね。それなりの自然要害として活躍してくれる気がするわ」
後ろ手を組みながら、チャポンと片足を川につけてみると、腰下くらいまで脚が沈み込んだ。川淵でこれくらいなら流心部も一メートル程度だろう。流れも遅い。
濡れたペティコートの裾を絞りながら川下に目をやってみると、緩やかな曲線を描くヨルク川に沿って、土塁と塹壕、そして馬防杭が数キロに渡って築かれていた。
「中々壮観じゃない。ここから見た感じじゃ、陣地構築はもう完了した様に見えるけど」
「歩兵指揮官殿は満足してねぇみたいだけどな。昨日、あともう一週間あれば完璧だったとボヤいてたぜ。ほら、もう帰るぞ」
「え、もう帰るの!?」
岩の上に腰を落とし、両足を川に浸けてバシャバシャしていたエリザベスが目を丸くする。
「この半月、休み無しで砲兵陣地を構築してきたのよ!?もう少し水浴びしててもバチは当たらないわよ!」
さっさと帰ろうとするイーデンの腕をグイグイ引っ張るエリザベス。
川の後方、丁度ヨルク川とリヴァン市内の間にある、少しだけ盛り上がった地形に、カノン砲兵団は陣地を構築していた。
「パルマの歩兵連隊長殿がお前をお呼びなんだよ。待たせちゃ悪いだろ?ほら行くぞ」
イーデンによって強引に川から水揚げされるエリザベス。
「え、パルマの連隊長さんって、先のパルマ会戦で殉死されたんでしょ?まさか幽霊と待ち合わせでもしてるの?」
「んな訳ねぇだろ新連隊長殿だよ。チラッと聞いた限りじゃ、お前に借りがある的な事言ってたぜ?」
「借り?」
ブーツを履き直しながら考えてみるが、パッと思い付く顔が無い。もっとも、向こうから借りがあると言って来てくれているのだから、悪い人ではなさそうではある。
「借りを返そうとしてくれてるって事よね?興味が湧いてきたわ。行ってあげようじゃない!」
「上級指揮官相手なんだから、無礼なマネは勘弁してくれよ?怒られるのは俺なんだからな」
分かってるわよ、とイーデンと並んで歩くエリザベスだったが、ふとイーデンを小馬鹿にした様な目付きで見つめる。
「アナタも私から見れば上級指揮官なんだから、敬語を使って欲しいならそう言ってね?」
さぁ敬語を使ってくれと言え!と言わんばかりに聞き耳を立て、イーデンの返答を待つエリザベス。
「タメ口のままでいいぜ。お前の口から敬語が出てこないのは、むしろ俺の落ち度だよ。本当に優秀な指揮官相手なら、自然と敬語が出てくるからな」
数歩先を歩きながら、イーデンはポツリと呟いた。
「悪かったな、デキの悪い指揮官で」
両目を袖口で拭う動作を見せるイーデン。
「……あ、え!その、違うの!そんなつもりじゃ無くて……ちょ、ちょっとした冗談よ!?気を悪くしたのなら謝るわ!あ、安心して?私から見てもアナタは十分優秀な指揮官よ!」
先程の態度とは打って変わり、慌てて取り繕おうとするエリザベス。
その狼狽様を背中で感じながら、イーデンは必死で笑いを堪えていた。
彼はまた一つ、エリザベスの取り扱い方を覚えたのだ。
数分後、ヨルク川に平手打ちの音が響いた。
◆
「久方ぶりだな、イーデン隊長。急に呼び出してすまない。君の部下の一人に用があってな」
リヴァン市内の教会。普段であれば巡礼者が礼拝を行う厳かな場所ではあるが、今はパルマ・リヴァン連合軍の臨時作戦司令部として機能している。その為、信徒席である長椅子は端に撤去されており、出入りする人も軍人が大部分を占めていた。
「……貴官、頬が赤く腫れておるぞ?何があったのかね?」
「ここに来る際に色々ありまして……」
腫れた頬をさするイーデンの隣には、ムスッとした様子でそっぽを向くエリザベスの姿があった。
「まぁ、差し障る様なら詮索はせんよ。そして、エリザベス・カロネード……で合っていたかな?また会えて嬉しいぞ」
背けていた顔を前に戻してみると、見覚えのある片眼鏡の中年将校が長机に腕を置いていた。
「直接会うのは第二次パルマ会戦以来だったかな?左翼戦線では世話になった」
「あ、あの時の中隊長さん。お元気そうで何よりですわ」
彼の装いをよく見てみると、会戦時に見た時よりも袖口のパイピングが豪華になっており、肩口から胸部にかけて、金の飾緒も追加されている。
「あら、中隊長から連隊長へ特進なされたんですのね。大昇進おめでとう御座いますわ」
「上が軒並み殉職して、階級が繰り上がっただけに過ぎんよ。パルマ軍の残存兵力も、中隊規模にまで縮小してしまったからな」
編成表と思われる縦長の紙ロールを捲りながら苦笑する連隊長。
「改めて、パトリック・フェイゲン大佐だ。貴官のお陰で我が中隊は全滅せずに済んだ、感謝する」
机を挟んで握手を交わす二人。
「それからイーデン、長らく宙に浮いていた貴官の階級が定まったぞ。イーデン砲兵中尉、士官への正式昇進、おめでとう」
「はっ!オーランド連邦軍初の砲兵士官として、その名に恥じぬ戦いを心掛けます!」
イーデンが、彼らしからぬ丁寧な敬礼を見せる横で、エリザベスはまだ若干不機嫌そうにしている。
「加えて、これは私からのささやかな贈り物だ。受け取ってくれ」
二着の士官用軍服を取り出し、机の上に置くフェイゲン。
「今の貴官らの服装では、士官であると認識され難いと思うてな。二つとも男用なのは容赦して欲しい、女用の軍服なぞ無いからな」
自分用の軍服が突如目の前に現れ、先程まで不機嫌そうにしていたエリザベスの目の色が変わった。
「これ、わたくしの軍服ですの!?」
飛びつく様に軍服を掴み上げ、食い入る様に細部を見つめるエリザベス。
パルマ軍の証である深い青色を基調とした前開きのロングコートには、士官である事を示す金のパイピングが随所にあしらわれている。丈の短い灰色のウール製ズボンと白のロングストッキング。ストレートラストタイプのバックル付き黒革靴。
何度も夢にまで見た自分の軍服が、そこにはあった。
「有難うございますわ!この御恩、一生忘れませんわ!」
目を輝かせながら、年相応のはしゃぎ様を見せるエリザベスと、静かに一礼して軍服を受け取るイーデン。
「気に入ってもらえた様で何よりだ……そして、まぁ、ここからが貴官らを呼び付けた本題なのだが」
今までの柔和な表情から一転して、厳しい目付きへと変貌するフェイゲン。
「……ヨルク川の防衛作戦についての話でしょうか?」
「左様」
片眼鏡の奥で青い瞳が光る。
「此度の戦を有利に進める為には、貴官ら率いる砲兵部隊との連携が必要不可欠だと思うてな。加えてあともう一人、呼びにやっている者がいるのだが――」
フェイゲンがそう言い掛けた途端、教会の扉が勢いよく開け放たれる。
「連隊長殿!大変お待たせ致しました!オズワルド・スヴェンソン士官候補、只今戻りました!」
まるで敵襲かと見紛う程の勢いでオズワルドが突入してきたかと思えば、続いてゆっくりとした足取りでフレデリカが入室してきた。
「フレデリカ・ランチェスター大尉、オズワルド士官候補に呼ばれ、只今参上致しました」
「待っていたぞ大尉。丁度今から作戦会議を実施しようと思っていた所だ」
小気味良い半長靴の音を響かせながら、フレデリカとオズワルドが長机に身を寄せる。
「これで、歩兵、騎兵、砲兵の三兵科が揃ったな」
フェイゲンは皆の顔をじっくりと見回す。
皆が無言で頷くのを見届けた後、フェイゲンは作戦概要を話し始めた。
「パルマへ送っていた斥候からの報告によれば、敵は総兵力ニ万の内、五千をリヴァン攻略に向ける腹積りらしい」
「現時点での我々の戦力は?」
イーデンの問いに足して編成表を机に広げてるフェイゲン。
「パルマ・リヴァン連合歩兵連隊が千名、カノン砲兵団の野砲五門、リヴァン市の防衛設備である臼砲が三基、パルマ軽騎兵中隊が五十騎、それに加えて……」
もう一枚、編成表らしきモノを広げるフェイゲン。
「オーランド南部辺境伯の面々から、歩兵二千を含む援軍の申し出があった。明後日には到着する見込みだ」
「援軍?南部辺境伯の方々が、どうして援軍を?」
「君と女伯閣下のお陰だよ」
エリザベスの問いに対し、サムズアップをしながら答えるフェイゲン。彼は思っていたよりも所作豊かな性格をしているらしい。
「タルウィタ連邦議会で、君の発言に心を打たれた南部国境の辺境伯達が、自分達の常備軍を援軍として送りたいと申し出てくれた。連邦軍の正式編成は叶わなかったが、援軍自体は叶ったと言えよう」
その言葉にエリザベスは思わず顔を綻ばせる。
あの証言は決して無駄では無かった。
心の底からオーランド連邦の団結を、必死に呼びかけた甲斐があった。
そう思うと、胸にじんわりと熱い物が込み上げてくる。
「そうなりますと、歩兵三千人、大砲八門、騎兵五十騎が我が軍の総兵力となりますな!まだ数では劣っておりますが、防衛戦故、希望はありますぞ!」
オズワルドが握り拳を高く掲げる。
「いや、そうとも言い切れん」
サムズダウンをしながら険しい表情に戻るフェイゲン。
「結局の所、敵の総数がニ万である事に変わりは無い。この戦力差ではいずれ、ヨルク川防衛線も突破される時が必ず来るだろう」
「左様でございますか……」
突き上げた拳を力無く収めるオズワルド。
「かと言って、ノール軍に易々とリヴァンをくれてやる理由も無い。パルマを灰にしてまで稼いだ時間だ、それ相応の出血を相手に強いらねばならん」
その言葉にフレデリカとエリザベスが強く頷く。
「故に貴官らに遵守して欲しい指針は二つ。一つは敵に出血を強いつつ、自軍の被害を抑えるよう努める事。いま一つは勝とうと思わず、戦闘を長引かせる事に重点を置く事だ」
「常に優勢を保ちつつ、最後は整然と撤退する……要するに"上手に負ける"必要があるという事ですね?」
「その通りだ、大尉」
フレデリカにもサムズアップを送るフェイゲン。
「し、しかし連隊長殿。戦闘を長引かせると仰られましても、終わりの見えない戦いは士気統制に多大な影響を及ぼします」
イーデンが挙手をして異議を唱える。
「長期にわたる連続戦闘は、兵士達を極度に疲弊させます。せめていつ終わるのか、どうなれば撤退出来るのか、具体的な達成点をご教示賜りたく」
「うむ、貴官の指摘はもっともだ。先に結論を述べよう、我々は最低でも一ヶ月間、ヨルク川を防衛する必要がある」
一ヶ月間。
暫くの間、その言葉の重みを全員が噛み締めた。最低でも三十日間この地を守り切らなければ、パルマ焦土作戦の全てが徒労に終わる。そう述べられているのと同義だった。
「そして、その一ヶ月の根拠だが――」
「タルウィタ連邦議会の臨時開催を行うおつもりですわね?」
フェイゲンの言を遮って、エリザベスが口を開く。
「連邦議会の臨時開催?し、しかしエリザベス、既に連邦軍の正式編成は否決されているはずじゃ?」
唐突に連邦議会の名を口にしたエリザベスを、困惑した様子で見つめるオズワルド。
「そうね。オズワルドの言う通り、一瞬私も無駄だろうと考えたわ。だけど……」
フェイゲンを見つめるエリザベス。
「得たのですわね?ノールがオーランド全土を征服しようとしている確たる根拠を?」
「その通りだ」
開封された一枚の手紙を机に置くフェイゲン。
「双頭の鷲……ノール皇帝直筆の親書が、なぜ?」
フレデリカが手紙を見つめながら尋ねる。
「宣戦布告文書だ。十日ほど前、ノール軍の使者がやってきた。改めてオーランドに宣戦を布告をすると、な」
「何を今更!事後宣戦布告もいいところでは無いですか!奴等はどこまで我々を侮辱すれば気が済むのですか!!」
悔しさと怒りを叩きつける様にして叫ぶフレデリカ。
「パルマ女伯閣下も同様の言葉を述べていらっしゃった。ただ皮肉な事に、この宣戦布告文書を物証として、連邦軍編成を改めて訴える場を設ける事にも成功している」
「その結果が、連邦議会の臨時開催という訳ですか……」
目を閉じ、唇を噛み締めるフレデリカ。
「そうだ。連邦議会の臨時招集には約一ヶ月掛かる。つまり、最低でも連邦軍の編成が確定する三十日後までは、この地を守り切らねばならんのだ」
「もし、連隊長殿。一点よろしくて?」
エリザベスに、目線で続きを促すフェイゲン。
「オーランド連邦軍の編成には、全会一致での可決が必須であると伺っておりますわ。無いとは思いますが万が一、反対する貴族諸侯が一人でもいたら……」
その先の事など考えたくも無い。
もしそんな事が起これば、幾日この地を守り通そうとも、最終的な敗北が確定するのだ。
「頼りない回答で恐縮だが、それについてはパルマ女伯とリヴァン伯の手腕に祈るのみだ。我々は軍人として、目の前の課題を粛々とこなさねばなるまい」
「……仰る通りですわ、承知いたしました」
空気が重くなってしまった事を感じ取ったフェイゲンが、一度大きく咳払いをする。
「中々に厳しい任務を貴官らに与えている事は重々承知している」
鼻腔から息を漏らしながら、皆に向けて駄目押しの両手サムズアップを送るフェイゲン。
「なればこそ、成し遂げて見せようではないか!パルマ凱旋の折、最も苦しい緒戦を戦い抜いたのは我々であると、高らかに宣言する為に!」
「了解!」
「了解しました!」
「了解ですわ!」
「了解であります!」
各自好き勝手なタイミングで敬礼をする四人を見て、思わず苦笑するフェイゲン。
「……てんで揃わぬ敬礼が、これほどまでに頼もしいとは思わなかったな」
敬礼は揃わなかったが、心は確かに揃っていた。
ストックが無くなって来たので、暫く週一投稿になります




