第十八話:双頭の金鷲
「パルマは、何処にありや?」
純白の軍服をたなびかせながら、一人の男が問う。
軍人としては大層珍しく、無帽の出立ちである。
「か、かような」
隣に佇む貴族将校――ヴィゾラ伯の顔に汗が滲む。
彼の視線の先には、黒煙燻る、パルマだったモノの残滓が広がっていた。
「かような事態を招きし事、平に謝し奉ります」
「余はパルマを奪取せよと、君に命じた覚えがある。さにあらばこの始末、余りに徒や疎かなり」
男が腰に佩いたサーベルに手を掛ける。彼の軍服にあしらわれた金銀の装飾品が、音を立てて微かに揺れる。
「閣下、どうか平にご容赦を……!」
「謝辞は無用。申し開きも不要。余が期待せしは、一も二も無く次の案なり。次案あらばこの場で申してみよ」
短い銀髪を逆立て、赤き瞳を宿す青年が朗々と述べる。
「は、ははっ!信頼出来る情報筋によれば、オーランド連邦軍は未だに動員が出来ていない模様に御座います!この機に乗じて最短経路で首都タルウィタへと軍を進めれば、忽ちオーランドを降伏せしむる事、確かで御座います!」
「……その道程は?」
青年の瞳が、僅かな興味を浮かべる。ヴィゾラ伯はこれ幸いと、持論を展開する。
「先ずはパルマ市民軍の撤退先かと推察されるリヴァン市を攻略致します。その後は森林地帯を抜け、川沿いに進軍、そのままタルウィタへと雪崩れ込みます!」
ヴィゾラ伯の必死の提言に対し、青年は何も答えない。赤く、冷たい瞳をパルマに向けるのみだ。
ヴィゾラ伯にとって、永遠とも感じる時間が過ぎた時。
「五千だ」
短く、端的に青年が呟いた。
「五千、と言いますと?」
「……委曲を尽くさねば微塵も伝わらんか。まぁ良い」
今迄パルマを見つめていた青年が、ヴィゾラ伯に面を向ける。
「今一度、君に五千の軍を授ける。リヴァン市の敵軍と干戈を交えよ。その結果を以って、君の案を惟るとしよう」
「なんと、身に余る酌量に御座います!軍団長殿!」
深々と頭を下げるヴィゾラ伯。
「貴族が軽々しく頭を垂れるな。垂れるのは範に留めよ」
軍団長と呼ばれた青年は、これまた金の装飾に包まれた白馬に跨ると、ヴィゾラ伯を一瞥もせずに走り去っていった。
「ふぅ、なんともおっかない御仁だ」
額に浮かぶ大量の脂汗をハンカチでゴシゴシと拭き取るヴィゾラ伯。
「おおそうだ、オルジフ!もう出て来ても構わんぞ」
「……何故、私を隠したのですか?」
近場の茂みに押し込まれていたオルジフ男爵が、ガサゴソと姿を現す。
「軍団長殿はヴラジド人を善く思っていないからな。貴卿も要らぬ火の粉を被りたくはあるまい?」
「代わりに樹を被りましたが」
枝木や葉っぱを肩から払い落としながら述べるオルジフ。
「許せ!軍団長殿は唯でさえパルマを無傷で手中に収める事ができず、虫の居所が悪いのだ。これ以上気を悪くされると我らにその矛先が向かいかねん!」
大袈裟な身振り手振りで説明するヴィゾラ伯。
「遺憾ながらパルマ攻略は不戦敗に終わったが、貴卿も草葉の陰で聞いていた通り、代わりにリヴァン攻略を任されたぞ!汚名返上の時は近い!」
そう言いながら背後に振り返り、両手を天高く上げるヴィゾラ伯。そこには攻勢が空振りに終わり、消化不良のまま撤収作業を行うノール軍兵士達の姿があった。
「意気込みは十分ですな。しかして、勝算はお有りなのですか?」
「まぁまぁ、取り敢えず一旦こちらに来たまえ!一から説明してしんぜよう!」
右手で机をバンバンと叩きながら左手で手をこまねくヴィゾラ伯。オルジフは溜息を吐きながら、机を挟んでヴィゾラ伯の向いに立った。
「この地図によれば、リヴァン市の手前には河川があるらしい。奴らが今まさに防衛線を築いているとするならば、河川に築く意外に考えられん」
「……精緻な地図ですな」
地形図を覗き込みながら呟くオルジフ。
「ラーダ王国にカロネード商会という優秀な武器商がおってな、値は張るが良い地図を売ってくれるのだ」
地図の端に記されたカロネード商会の紋章を指差すヴィゾラ伯。
「当初の予定では軍団長殿の思惑通り、パルマで現地徴発を済ませた後、速やかにリヴァン市へと進軍する予定だったのだが……」
「今のパルマからは、灰と炭しか取れませんな」
そこなのだよ!と頭を掻きむしるヴィゾラ伯。
「これでは補給が続かん!弾薬は消費していないから問題無いとして、食糧が全くもって足りん!周囲の村々から多少は買い付けたが雀の涙ほどしか補充出来んかった!」
「本国領からの、補給を待つしかありませんな」
嵌めていたガントレットを外し、灰色の顎髭を弄るオルジフ。
「その通りだ!しかも、補給馬車がアトラ山脈を越えて我が軍の元まで到着するのに半月は掛かる!それまでに我らが出来る事といえば灰と化したパルマを眺めながら紅茶を啜る事くらいだ!」
ティーカップを口に近づける素振りを見せながら喚き散らすヴィゾラ伯。その姿をオルジフは眉一つ動かさず凝視していた。
「ち、父上の言っていた通り、気難しい御仁だな、貴卿は……」
心底話し辛いといった表情で横を向くヴィゾラ伯。
「補給を待っている間に、オーランド連邦軍の動員が完了してしまう懸念は?」
「その心配は無用だ。タルウィタ連邦議会に出席していた友人からの情報によれば、オーランド連邦軍の編成は議会で否決されたらしい。暫くは大丈夫だろう」
「先程軍団長殿に述べていた、信頼出来る情報筋とは、その友人の事ですかな?」
左様!と人差し指をピンと立てるヴィゾラ伯。
「所詮、オーランド連邦なぞ烏合の衆に過ぎん。自領が攻められているのにも関わらず、まともな軍すら編制できん国など物の数では無いわッ!」
片手に持った指揮棒で、リヴァン市をピシャリと叩くヴィゾラ伯。
「して、如何にしてリヴァンを攻めるのですか?閣下もご存じの通り、パルマの時とは事情が異なります。敵方は、こちらが攻めてくる事を把握しているのです」
「なぁに、正攻法で攻めれば良い。我が軍の伝統にして最新鋭の三兵戦術だ!」
胸と腹を張って高笑いするヴィゾラ伯。対してオルジフは何かを述べようとしたが、諦めた様な表情と共に口をつぐんだ。
「……左様ですか。では、最後に私より一点ご忠言を」
「な、なんだね改まって?」
少し後退りをするヴィゾラ伯。
「敵砲兵に、くれぐれもご注意されたし。それも、銀髪の小娘を見かけたら特に用心する事をお勧めし申す」
「銀髪の小娘ぇ?魔女でも見たのではないかね?」
身構えて損したと言わんばかりに呆れるヴィゾラ伯。しかしオルジフはお構い無しに言を連ねる。
「その魔女に、我が隊も御尊父殿もしてやられております。御留意すべきかと」
なおも懐疑的な眼差しを向けるヴィゾラ伯に対し、氷の様な冷たい眼光で応えるオルジフ。
「ほ、他ならぬ貴卿がそこまで言うのならば!オーランドの砲兵共には用心しておこうっ!」
オルジフの気迫に気圧されて、冷や汗混じりに速答するヴィゾラ伯。
「述べるべき儀としてはこんな所か。ではこれにて……おぉ!そうだ!忘れる所であった!」
おもむろにポケットから封蝋付きの手紙を取り出し、オルジフに手渡すヴィゾラ伯。
「これは?」
双頭の鷲の紋章が押された手紙をまじまじと見つめるオルジフ。
「我らが皇帝陛下から、オーランド連邦への最後通牒だ。貴隊の誰でもいいから、リヴァン市へ届けてくる様に」
「既にパルマは灰と化しております。今更なのでは?」
手紙を懐に仕舞いながらも、異議を述べるオルジフ。
「遅かろうが早かろうが、宣戦布告をしたという事実こそが大事なのだよ。それに、パルマを焦土化したのは我らでは無いからな。奴らが勝手にやった事に対して、我らが責を負う道理はあるまい」
地図をクルクルと束ね、将校用のテントへと戻ろうとしたヴィゾラ伯だったが、既に自分のいたテントが撤去されていることに気付き、勇み足が消沈する。
くるりとオルジフに向き直り、一つ咳払いを漏らす。
「あ、安心したまえ!次こそは貴卿率いる有翼騎兵を大活躍させてやる!」
小脇に丸めた地図を抱え、高笑いをしながら何処かへと歩き去って行くヴィゾラ伯を、オルジフは半眼で見つめていた。
ストックが無くなって来たので暫く週一投稿になります




