第十五話:パルマ最期の夜(前編)
深夜。
パルマ市庁舎、女伯の執務室にて。
「閣下、軽騎兵中隊のクリス・ハリソン少尉がお戻りになりました」
「漸く来ましたね、通しなさい」
ノックと共に侍従長が執務室の扉を開けると、狼狽焦燥な面持ちのクリスが、飛び込む様にして入室してきた。
「閣下!到着が遅れ、面目次第も御座いません!アトラ山脈の地吹雪により、足止めを食らっておりました」
膝を付き、深々と謝罪の意を表するクリス。
「待っていましたよ。皆、貴殿の報告を聴きたがっています」
「皆、ですと……?!おぉ、フレデリカ大尉殿!それにエリザベスも!」
「少尉、アトラ山脈までの追跡任務、ご苦労だったな」
「お帰りなさい少尉殿、お久しぶりね……」
三人が囲む円卓には、パルマの周辺地図や盤上駒が台風一過の如く散乱しており、既に激しい議論が交わされていた事を物語っている。
加えて三人の表情にも陰りが見えており、疲れ果てた表情をしている。
「夕刻、タルウィタから帰還した後、三人で議論を交わしていたんだが、結局は少尉の報告待ちという結論になってね。疲労困憊の所済まないが、ノール軍の動向について話して欲しい」
「はっ、承知致しました!……おぉ、かたじけない」
侍従長が用意してくれた椅子に腰掛けると、懐からメモを取り出すクリス。
「結論から申し上げ奉ります。ノール軍は第二次攻勢の準備を整え、直ぐにでもパルマへ侵攻を開始する腹積りです。その数、およそ二万と認めます」
「やはり、そうですか」
パルマ女伯がポツリと呟くと同時に、フレデリカとエリザベスは顔を曇らせ、俯き加減になる。
「閣下のご尊顔から拝察するに、オーランド連邦軍の編制は……」
「否決されました」
「なんと宜なるかな……やはり、我々のみでパルマを守り抜くしか――」
「いえ、パルマの防衛はしません」
「……と、言いますと?」
フレデリカが、唇を噛み締めながら拳を強く握り込む。
「我々は――コホン」
声が掠れ、一度咳払いをするパルマ女伯。
「――我々は、パルマを放棄します。焦土作戦により敵の進軍を遅らせている間に、リヴァン市で防御を固め、敵を迎え撃つ準備を整える算段です」
一息に言い切るパルマ女伯。
「か、閣下」
思わず椅子から立ち上がり、一歩一歩、フラフラとパルマ女伯に近づくクリス。
「パルマを灰にすると仰るのですか……?閣下が幾年にも掛けて、守り抜いてきたパルマを、ほ、他ならぬ閣下が、手を下すなど、そんな、そんな事が!」
わなわなと、両手を女伯の肩に掛けるクリス。
「閣下ァ!どうかご再考を!パルマを守る術は必ず、必ずやございます!閣下が、ランドルフ家が、代々脈々と治めてきたこの土地を、ノールの奴等に明け渡してはなりません!」
「少尉殿、落ち着いて下さいまし!」
「少尉!貴官の気持ちは分かる!落ち着いてくれ!」
フレデリカとエリザベス、侍従長の三人がかりでクリスを女伯から引き剥がす。彼はフラフラと、糸の切れた人形の様に椅子にもたれ込んだ。
「クリス・ハリソン少尉。気休めにもならない事を承知で申します。余とて、パルマを思う気持ちは貴殿と同じです。故に弁明させてほしいのです、この案を採用した経緯を」
跪き、クリスと同じ目線へと腰を落としながら、パルマ女伯は経緯について話し始めた。
◆
遡る事二時間ほど前。
「ダメね、どう頑張っても守り切れるビジョンが浮かばないわ」
「誠に情け無いが、私も右に同じだ」
円卓を囲むフレデリカとエリザベスが嘆息を漏らす。
「閣下、申し上げます。敵の数、攻勢開始日等は未だ明らかではありませんが、このパルマ市を守るには余りに兵が不足して御座います。パルマ軍の残存兵力は三百人足らずであり、先の会戦で連隊長を含む多数の高級将校を失っております。我々のみで、人口五万を数えるこの大都市を守り切るのは至難の業です」
フレデリカがパルマ女伯に向き直り、所感を報告する。
「市内外に建てられた外壁や城塞を活用する案も考えましたが……」
「街の外壁は容易に崩されるほど脆く、数百年前に造られた城砦は時代遅れも甚だしく……といった所でしょうか?」
壁際の椅子に腰掛けたパルマ女伯が呟く。
「恐れながら仰る通りですわ。投石機の時代であれば、さぞ堅牢だったものと推察致しますが、火薬と大砲の前には無いも同然かと」
毅然とした態度でエリザベスが報告する。
現代の防壁に必要とされるのは、縦の高さではなく横の深さである。背は低くとも、土や砂を用いた厚みのある防壁を構築できれば、重砲の雨に晒されようともある程度は耐えることが出来る。
逆に昔の防壁の様な薄く背の高い壁は、砲弾によって容易に倒壊してしまう為、返って防御側にとっては扱い辛い代物になってしまう。
「今から土塁を作り始めたとしても、パルマを囲めるほどの塹壕を掘るためには一ヶ月以上はかかるものと思われます。エリザベス候補生の言う通り、パルマでの防戦は現実的では無いかと」
頷きながらフレデリカも意見を述べる。
「やはり、パルマからの退却は避けられませんか……また市民へ避難指示を出さなければなりませんね」
閉じた扇子を額に押し当て、ため息を吐くパルマ女伯。
「小官の考えとしては、パルマからの撤退後にリヴァン軍と再合流。その後リヴァン市で共同防衛線を構築する形が最善策かと考えます」
フレデリカが群青色の盤上駒をパルマからリヴァンへとスライドさせる。
「そうなりましょうね、委細承知しました。フレデリカ大尉、貴隊の中から足の速い者を選出し、リヴァン領主への伝令を遣わせなさい。文は余が直筆にて認めます」
「承知致しました。では直ちに――」
「いえ、暫しお待ちくださいまし」
先程から地図を凝視し続けていたエリザベスが、鋭く、明朗な声を発した。
「エリザベス、貴女は異論ありと申すのですか?」
パルマ女伯の目が鋭くなる。
「あ、いえ。誤解なき様申し上げますと、リヴァン市での共同防衛線の構築には異論御座いません」
パルマ女伯から目を逸らしながら弁明するエリザベス。
「ただ、それだけでは稼ぐ時間が余りに少な過ぎます」
そう言うとエリザベスは、コンパスを用いてパルマを中心とした円を描いた。
「この円をノール軍の一日行程……つまり、一日で行軍できる最大距離とお考え下さい。この通り、ギリギリですがリヴァンが範囲内に入っております。つまり、単にパルマから退却するのみでは、正味一日しか猶予が稼げません」
二人の反応を伺いながら、持論を述べる。
「リヴァン市でまともな防衛線を築く為には、最低でも一週間、出来れば半月の猶予が必要になると思われますわ。何かしらの遅滞戦術が必要になるかと存じます」
ここまでで質問は?と目で問い掛ける。
「エリザベス士官候補、この行軍範囲円に根拠はあるかい?かなり大きく半径を取っている様に見えるが……」
「ノール軍は緊縮行進での行軍を採用しており、軍の規模に対して比較的素早く軍を移動させる事が出来ます。また、同国は周辺各国への侵攻を繰り返して大きくなった国でも御座います。敵地侵攻のノウハウや、現地徴発に関する練度も考慮した結果、この範囲が妥当かと考えました」
安全マージンとして、敢えて大き目に範囲を取っている事情もありますが、と付け加える。
「驚いたな、君は敵軍の行軍速度まで推測できるのか。独学とはいえそうそう身に付けられる知識では無いぞ?」
「あくまで机上論ですけどもね。詳細はクリス少尉殿が情報を手に戻って来てからとなりましょう」
さて、と話を切り替える。
「具体的に、どの様な作戦で敵軍の侵攻を遅らせるかについてですが……」
二人を見つめながら、生唾を飲む。
この作戦は、この会議が始まってから、いやタルウィタ連邦議会が終わってから、ずっと自分の頭の片隅で燻り続けていた物だ。
この作戦だけは提言してはならない。その一心で、必死に代替案を見つけようと思案に暮れた。
そして、ついぞこの瞬間まで、代わりとなる妙案が自分の中から出てくる事は無かったのだ。
「言い辛い作戦である事は、貴女の表情から察しています。先ずは述べてみなさい、話はそれからです」
パルマ女伯に背中を押され、諦めを帯びた表情で口火を切った。
「パルマを焦土として、都市機能を、完全に、完膚なきまでに破壊するのが、最も効果的な遅滞戦術かと存じます」
耳鳴りがする程に、部屋が静まり返った。
部屋の空気が刺す様な冷たさに包まれる。
「エリザベス」
フレデリカの顔から血の気が引いていく。
「ほ、本気で言ってるのかい?」
「流石の私でも、こんな趣味の悪い冗談は言いませんわ」
目を瞑ったまま、腕を組んで押し黙るパルマ女伯を見つめながら、白色の盤上駒をパルマ市に置くエリザベス。
「パルマを焦土とすれば、最低でも二週間は敵の進軍を遅らせる事が出来るかと。加えて、パルマから先への進軍ルートを狭める効果や、敵の補給路の長大化を強いる事にも繋がります」
「……焦土とは、どの程度までの事を指すのですか?」
やっとパルマ女伯が口を開く。その小さな薄緑色の瞳は、微かに震えていた。
「文字通り、土を焦す迄です。建物を瓦礫の山へと変貌させ、その瓦礫で市内を流れる川を堰き止め、井戸という井戸に毒を注ぎ、道という道を破壊し、橋という橋を落とします」
「……復興にはどれ程時間がかかりますか?」
女伯の質問に対し、顔を曇らせるエリザベス。
「長い、とても長い時間が掛かります。閣下のご存命中に復興出来るかどうかも不明で御座いますわ」
変に希望を持たせるのは、かえって残酷な結末を招く事になる。非情と呼ばれようとも、ここはハッキリと現実を述べる方が良い。
「わかりました。正直に答えてくれて感謝致します」
ふぅ、と溜め込んでいた物を吐き出す様に深呼吸をするパルマ女伯。
「パルマの焦土作戦、承知致しました。それでリヴァン防衛線の構築が可能となるのであれば、裁可しましょう。大尉、直ちにリヴァン市へ伝令を――」
「お、お待ち下さい!閣下!ほ、本当にパルマを灰燼に帰すおつもりなのですか!?」
女伯の肩を揺さぶりながら、縋るような表情で問い正すフレデリカ。
「まだノール軍の第二次攻勢が確定した訳でも、明日にでもノールが攻めてくると決まった訳でもありません!そ、そうです!クリス少尉の偵察報告を待ってからでも遅くはありません!どうかご再考を!」
皮肉にも、連邦会議で貴族諸侯が述べていた内容と同じ論拠でパルマ女伯を諭そうとするフレデリカ。
「第二次攻勢が確定していようがしていまいが、最悪の事態は想定すべきです」
「し、しかし……!避難する市民達への説得はどうするおつもりですか!?閣下自らパルマを焼くとあっては、必ず反対する輩が出てまいります!」
「市民へは焦土作戦の事を伏せたまま避難指示を出しなさい。パルマ焦土化の責任は、侵攻してきたノール軍に被せます」
「で、では焦土作戦の実行部隊はどうするおつもりですか!?パルマ軍の兵士達も、元はパルマ市民です!自分達の街を破壊する命令など聞き入れてくれる筈もありません!」
「パルマ焦土作戦はリヴァン軍に実行させます。パルマ軍にはその間、リヴァン市での防衛線構築をさせておきなさい」
「ぐッ……!」
反論を尽く打ち返され、唇を噛み締めるフレデリカ。
「……この事態は、余がオーランド連邦軍の編成に失敗したが故に起きた物です。貴殿が気に病む必要はありません」
そう言うとパルマ女伯は、あろう事かフレデリカに対して深々と頭を下げた。
「貴殿の財産を、土地を、家を、そして我が領地を守る事が出来ず、面目次第もございません」
「閣下……」
女伯の肩から手を離し、フラフラと仰け反るフレデリカ。あわや倒れ込みそうになった背中を、エリザベスと侍従長が支える。
「大尉殿。貴官の愛するパルマを灰塵に没せしめる策しか持ち合わせていない事、このエリザベス、忸怩の極みに御座いますわ」
ラーダ人の自分が言ったところで、火に油を注ぐ発言に過ぎない事は百も承知だった。
そうだとしても、喉頭にまで迫った赤黒い罪悪感を、謝罪として一度吐き出しておきたかった。
「すまない、もう大丈夫だ。エリザベス、君を責めるつもりはないよ」
落ち着きを取り戻したフレデリカが、力無く笑う。
「私は、自分自身が情けないんだ。君の焦土作戦を阻止しようと幾ら頭を働かせようとも、代案の一つすら出せない私自身が、どうしようも無く情けないんだ……」
お前のせいで。お前のせいでパルマは滅ぶ。
フレデリカはそんな言葉を全く口にしていなかったが、自身に巣食う罪悪感が、勝手にフレデリカの発言を再解釈して、再構築する。
「わ、わたくしは――」
それ以上言葉を紡げない自分の事を、パルマ女伯は無言で見つめていた。
ストックが切れるまでは隔日投稿致します




