第九話:第二次パルマ会戦(後編)
「お嬢ちゃん!大砲の設置は終わったか!?」
アーノルドが中隊長を連れて戻ってきた時、既に十二ポンド砲は射撃準備を終え、隣には腕組みをするエリザベスが佇んでいた。
「ええ、終わってるわよ。貴方が最左翼の歩兵中隊長さんかしら?」
他の兵卒よりも、少しばかり豪華な軍服に身を包んだ片眼鏡の男が僅かに頷く。
「ああそうだ。直接支援に対する謝辞を述べたいが、まずは敵騎兵への対処が先だ」
そう言うと中隊長は左手を高く掲げ、隷下の歩兵達に良く通る声で陣形指示を出した。
「中隊!方陣隊形!」
すると十二ポンド砲を中心に囲むようにして、数百名の兵士が四角形の方陣を形成する。
「お嬢ちゃん!射撃は鎖弾てヤツで行うんだよな?情けねぇ事に俺はその弾種を扱ったことないんだが、どんな弾なんだ!?」
アーノルドがドシンドシンと足音を立てながらエリザベスの元に走り寄ってきた。
「文字通り、二つの丸弾を鎖で繋げたものよ。普段は帆船の帆を切り裂く為なんかに使われる弾種だから、陸の砲兵が知らなくても無理ないわ」
弾薬箱に積まれた鎖弾を指差しながら説明するエリザベス。
「帆を切り裂く為の弾が、騎兵に対しても有用なのか?」
「ええ、特に騎兵との距離がある程度離れている時なんかは、すぐ拡散しちゃう散弾よりもずっと効果的よ!それに鎖弾は回転して飛んで――」
「敵騎兵接近!射撃用意!」
中隊長の射撃号令が二人の会話を引き裂く。
「――来たッ!!」
ドロドロと腹に響く地鳴りを鳴らしながら、白銀色の鎧を纏った有翼騎兵大隊が迫ってくる。
幸い、早歩程度の速さで迫ってきているため、射撃にはまだ余裕がある。
「撃てェッ!」
戦列が射撃を開始したが案の定、数騎が倒れるのみで、敵の衝力を削ぐには至らない。
小銃射撃の効果なしと判断した中隊長が、エリザベス達を見る。
「砲兵!頼んだぞ!」
「「了解!!」」
エリザベスとアーノルドの声が重なる。
「鎖弾発射用意!火砲指向先の歩兵達!伏せてくれ!」
アーノルドの声で、砲の射線を遮っていたオーランド兵士達が一斉に地面に突っ伏せる。
「「撃てェッ!」」
爆音とともに十二ポンド砲から鎖弾が発射される。
発射された鎖弾は、地面に伏せたオーランド兵達の頭上を飛び越え、ヒステリックに回転しながら有翼騎兵へと迫る。
「ッ!?敵砲兵の直射!各騎ち――」
有翼騎兵の一人に鎖弾が命中し、肩口と脇腹が千切れ飛ぶ。
二つの丸弾が高速で回転する鎖弾は、通常の丸弾に比べて加害範囲が圧倒的に広い。それも騎兵のような大型の目標には更に効果的となる。
加えて着弾する度にピンボールのようにその軌道を変えながら敵集団の中を暴れ回る為、密集している敵への被害は甚大なものとなる。
鎖弾が落ち着きを取り戻し、地面に転がる頃には、十数騎の有翼騎兵の死骸が辺りに散らばっていた。
「……歩兵の影に火砲を隠していたとはな。中々、どうして、やるではないか」
歩みは止めずに、自身の回りに散らばる戦友の亡骸を一瞥するオルジフ。
「だが……」
オルジフが手を挙げる。
「これだけでは、止まらんよ」
方陣に向かって手を下ろす。
「――突撃!」
その号令に合わせ、有翼騎兵達は一気に部隊の速度を襲歩まで上げると、長槍を揃え、方陣へと猛進を始めた。
「敵有翼騎兵、更に加速!突撃体制を崩しません!」
「次弾装填急いで!砲身内部の清掃手順を省略していいわ!今は兎に角射撃よ!」
「おう!任せろ!」
エリザベスが再照準を行い、アーノルドが装填を行う。
次弾の射撃準備が整う頃には有翼騎兵は五十メートルの所まで迫っていた。
「中隊長さん!これが鎖弾の最終射撃よ!これ撃ったら散弾に切り替えてゼロ距離射撃するわよ!いいわねっ!?」
フレデリカから貰ったホイールロックピストルを懐から取り出しながら、中隊長に尋ねる。
「了解した!援護感謝する!貴殿の助力に報いて、死んでも左翼は守り抜いてみせよう!」
「良い答えじゃないっ!鎖弾発射用意!」
前射と同じ様にオーランド兵士達が一斉に地面に突っ伏せる。
「撃てェッ!」
先程よりも敵が接近していた事もあり、今度は二十騎程度が鎖弾の餌食になる。
ただそれでも有翼騎兵の突撃は止まらない。
「対騎兵防御!総員着剣!パルマ歩兵の根性見せてみろ!」
三列で形成された方陣は、第一列と第二列が膝立ちで銃剣を構え、第三列が立射で対応する。これが今、歩兵が出来る最大限の対騎兵防御姿勢である。
「白兵戦――用意!」
中隊長の号令と同時に、有翼騎兵の先鋒が方陣第一列に襲いかかる。
敵の衝力を少しでも弱める為、自ら進んで長槍に胸を貫かれ、直剣に胴を切り裂かれに行く第一列。
その仇を取らんとする為に、咆吼を上げながら銃剣突撃を敢行する第二列。
第一列と第二列が時間を稼いでいる隙に、必死の形相で射撃を継続する第三列。
その鬼気迫る姿を目の当たりにしたエリザベスは、余りの気迫にしばし棒立ちしていた。
「お嬢ちゃん!歩兵達が時間稼いでる間に再照準だ!急げ!」
アーノルドに心を引き戻され、慌てて再照準を行う。
「散弾!発射用意――っ!前の兵隊さん達!伏せて!」
「構わん!俺達ごと撃ってくれ!」
信じられない言葉に思わず胸が詰まる。
「な、何言ってるのよ!?馬鹿な事言わないで!」
「大真面目だよ!俺達が身体張って騎兵の動き止めてる今がチャンスだ!」
振り返る素振りすら見せず、高らかに叫ぶ射線上のオーランド兵達。
「俺達十数人と引き換えに、有翼騎兵を撃退出来るんだから儲けもんだろ!?」
出陣前にイーデンへ投げかけた言葉が、そっくりそのまま自分に帰ってくる。
「俺達のパルマを、頼む!」
「……あぁもう!」
敵を殺す覚悟なら、とうの昔に出来ていた。
「これじゃ、クリス隊長と一緒じゃないっ……!」
出来ていなかったのは、味方を殺す覚悟だった。
「撃てェッ!」
刹那の逡巡の後、導火線に火を移す。自分の躊躇いとは裏腹に、寸志の迷いもなく、火花が点火口へと吸い込まれていく。
不発であってほしい。
何の救いにもならぬ気持ちが、己の中で鎌首をもたげた。
自分の業から目を背ける様に、遠くを見つめる。
その時、砲身照準線の彼方に見えたオルジフと、確かに目が合ったのだ。
「貴様が、例の小娘か」
声など聞こえよう筈も無かったが、何故か、そう言っている様に思えた。
耳鳴り故か、放心故か。散弾の発射音は酷く小さく聞こえた。
発射された散弾は、眼前のオーランド兵と、有翼騎兵とを、平等に薙ぎ倒していく。
砲身内部の清掃を省略していた為、散弾に続いて今度はドス黒い煤が砲口から吐き出された。
「くっ、来るなら来てみなさいっ!」
煤で出来た黒いカーテンに向かって銃を構えるエリザベス。だが一向に有翼騎兵が突撃してくる気配がない。
「お嬢ちゃん!やったぞ!」
「えっ!?」
慌ててアーノルドが指差す方向を見つめるエリザベス。そこには、無数の風穴が空いた両軍兵士達の死体と、敵陣地へと退却していく有翼騎兵の姿があった。
「な、なんで?あのまま突っ込まれたらホントにヤバかったのに……」
そのエリザベスの疑問はすぐに晴れた。
「カロネード嬢!生きてるか!?先日の恩を返しに来たぞー!」
振り向くと、猛スピードで接近してくる群青色の肋骨服に身を包んだ騎兵達が居た。
「……は、軽騎兵!?」
右翼で敵重騎兵と戦闘中だった筈のパルマ軽騎兵が現れ、一気に混乱するエリザベス。
「ちょ、ちょっと!右翼の重騎兵はどうしたのよ!?」
「そんなもん、とっくの昔に蹴散らしてやったぞ!」
そう言うと、一人の騎兵が制帽を脱ぎながら自分の元に駆け寄ってきた。よく見ると、彼は頭に包帯を巻いている。いや、彼らだけではない。援護に来てくれた騎兵達は皆、全て体の何処かに包帯を巻いていた。
「俺達を運んでくれて有難うな。大尉に無理言って、隊を分割してもらったんだ」
その言葉でやっと、彼らは昨日自分が馬車で運んだ負傷兵達だと気づいた。
「あなた達、昨日馬車で運んだ……傷は大丈夫なの?」
「おう!ノール重騎兵を吹っ飛ばせるくらいには回復したぜ!敵の有翼騎兵もついでに吹っ飛ばしたかったが、そうも行かねぇみたいだな」
騎兵が目をやった先には、既に数百メートル先の地点まで退却している有翼騎兵の姿があった。
ようやく状況が飲み込めたエリザベスは、ポツリと一言呟いた。
「私達、守り切れたの……?」
その呟きに応えるかのように、歩兵中隊長がエリザベスに向かって敬礼した。
「あぁ、よくぞ守り抜いてくれた。左翼戦線は我が軍の勝利だ」
「やったぞ!有翼騎兵相手に勝ったぞ!」
「パルマ歩兵の粘り強さを思い知ったか!」
「砲兵さん達ありがとうな!お陰で全滅せずに済んだぜ!」
生き残った歩兵達からも歓声が上がる。
「まだ安心するのは早い。敵歩兵は未だ健在だ、戦列を組み直せ!」
中隊長の号令と共に、いそいそと横隊を組み直す歩兵達。
エリザベスは勝利の実感が湧いてくるまで、暫くの間、ぼーっと只立ち尽くしていた。
その後、有翼騎兵と重騎兵を失ったノール軍は、残存歩兵による突撃を敢行した。
一部戦線でオーランド戦列を突破するなど、孤軍奮闘を見せたノール歩兵であったが、最終的には臨時カノン砲兵団の集中砲撃により士気崩壊を起こし、潰走した。
すぐさまパルマ軽騎兵中隊が掃討作戦を実施したが、残存する有翼騎兵に追撃を阻まれ続け、ついに掃討作戦は有効な戦果を上げられないまま終了した。
◆
【第二次パルマ会戦:戦果】
―オーランド連邦軍―
パルマ駐屯戦列歩兵連隊 541名→221名
リヴァン駐屯戦列歩兵連隊 1300名→864名
パルマ軽騎兵中隊 65騎→55騎
臨時カノン砲兵団 5門→5門
死傷者数:766名
―ノール帝国軍―
ノール戦列歩兵連隊 1348名→596名
ノール重装騎兵大隊 88騎→4騎
有翼騎兵大隊 100騎→61騎
死傷者数:875名
◆
「……勝ったのね」
「おう、損害的に大勝利とまでは行かないが、パルマを奪還できたから戦略的には勝ちだな」
夕日に照らされた戦場で、エリザベスとイーデンが砲兵の撤収作業を見つめながら話していた。
「正直、甘かったわ」
「あ、何がだよ?」
ぐいーっ、と伸びをするエリザベス。
「全部よ全部。戦闘に対しても、兵士に対しても、戦術に対しても、何もかもよ。私の覚悟が甘かったわ」
紺のペティコートは煤と灰の斑模様に変わり果て、銀髪も煤けた灰色になったエリザベスを見つめるイーデン。
「そうか……まぁ、大分らしい格好にはなったと思うけどよ」
イーデンの言葉には反応せず、代わりに自分の髪をくるくると指で弄るエリザベス。
俺達ごと撃ってくれと叫んだ兵士は、どんな表情をしていたのだろうか。
怒っていたのだろうか、それとも泣いていたのだろうか。
「パルマを頼む、ね……」
ラーダ人の自分にそんな事を頼まれても困る。ただ、彼らの文字通り一生一度のお願いを無下にする訳にも行かない。そして何より、彼らを殺したのは他でもない自分自身だ。
死人に寄り添った所で、答えが出て来る筈も無かったが、あれこれと考えられずにはいられなかった。
有翼騎兵の突撃をもう少し早く感知出来ていたら。
もう少し、早く装填が完了していたら。
一門でなく、二門の大砲を持ち出していたなら。
「……イーデン」
「な、なんだよ?」
「正式にパルマ軍に士官候補として入隊するにはどうしたら良いの?」
「どうしたらって、そりゃあ……パルマ領主様に士官候補として直接登用してもらうか、さもなくばオズワルドみてぇに連邦士官学校に入学して、パルマ地方への配属希望を出すかだな」
「どうしたらパルマ領主様に認められる?」
「おいおい、急にどうしたんだよ?やけに直球に聞いて――」
「カロネードご令嬢殿!パルマ辺境伯閣下より召喚令状が発布されましたぞ!」
オズワルドが封蝋付きの手紙を掲げながら走り込んできた。いい加減この煩さにも慣れてきたイーデンは、へいへいと手紙を受け取り、内容を黙読する。
「どうしたらパルマ領主様に認められるか、だったか?」
そう言うとイーデンは手紙をエリザベスに手渡す。
「何よこれ?」
言われるがままに手紙の内容に目を通すエリザベス。そこには、パルマ領主の名に於いて、カロネード姉妹に褒賞を与える旨の記述が認められていた。
「これって……」
イーデンの顔を見つめるエリザベス。
「良かったな、既に認められてるじゃねぇか」
そう言うとイーデンは、久しぶりに甲高い咳のような笑い声を漏らした。
「……ふふん!望むところよ!領主様とやらのツラを拝んでやろうじゃない!」
エリザベスは受け取った手紙を振り回しながら、砲清掃中のエレンの元へ駆けていった。
パルマの街が、夕陽に沈んでいく。
これにて1章完結になります
次回より新章開幕となります




