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⑼『思想家の、快適と憂鬱』
⑼『思想家の、快適と憂鬱』
㈠
思想家が、どんな場合でも、臨機応変に思想を生み出せれば、それに越したことはない。しかし、現実の困難にぶち当たると、どうにも視界は広くは見えまい。悩みや葛藤、どうだろう、ただ、そう言ったものの中から、思想は出てきやしまいか。
㈡
思想家が、憂鬱になる時、決まって問題は、深淵に遊泳しているように思われる。それを、魚を釣る様に、的確に取ってこそ、有効思想があるというものだ。その、的確とは、言葉、の問題であると思われるし、良い言葉を選べたなら、思想家も快適であるだろう。
㈢
難しいのは、魚が的確に釣れなかった場合である。勿論、思想家が憂鬱になるのは、当たり前だが、群衆もまた、その憂鬱を払拭して、思想家が、思想家足りえる、快適な状態へと、動いてくれることを期待することが、果ては、的確に魚を釣り上げるところを、凝視していたいのである。