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⑺『思想家の、快適と憂鬱』
⑺『思想家の、快適と憂鬱』
㈠
思想的快適というものが、より実情に根差している時に、時折天位を司る運命論者が、思想家の快適と憂鬱を指し示すことが、あると思われる。勿論、我々には、物事を判断することが、可能であるからして、思想家の状態を判断することも、可能ではあろう。
㈡
しかし、我々の実生活と、思想家の思想が、酷似していればしているほど、快適は事細かく遣ってくるのであって、我々はその意味を、実感するのだろうと思われる。勿論、思想家は、時には憂鬱になるだろう、それも分かるが、物事の本質は、中々、霧中に入って、分からないことも多い。
㈢
分からないこと、の場合において、やはり思想家は、憂鬱になるだろうか。しかし、憂鬱から生じる思想というものも、現にあるのである。その自然というものは、やがて荒野を潤し、自然界の調和を保つことから、思想家にとっても、有意義な時間になるのである。