逃げられない
◆(*作者注:ここから場面は元に戻り、一話の後につながります)
スコープを覗く俺の視界に、こちらを睨んでいる女指揮官の姿が見える。彼女は自分が見られていることに気がつくとフードをとった。柔らかそうな金髪がこぼれ落ちる。まだ若い。地球年齢で言えば20歳そこそこか。美しいのは認めるが気の強そうな娘だ。
脳内に声が響く。
『余計なお節介をしてくれたものね。正直、援護なんて不要だった』
こっちが援護しなかったらあんた危なかっただろうが。
この手のやたらプライドが高い王立軍指揮官がいるのは慣れていた。自衛官が平民出身と言う事で格下に見たがる貴族が一部にいる。
『そのまま話せば通じるわよ。それとも私の美しさに見取れてるのかしら?』
……プライドの高さに加えてナルシスト。今日は俺の厄日らしい。
だが、500メートルも離れたところから直接話かけてくる技量は認めなければならない。並の魔術師では無さそうだ。もっともさっきの戦い方から見るに戦闘には慣れて無い。彼女の部下はいい迷惑だろう。
『俺は陸上自衛隊 第二特別偵察隊の隊長で霧島と言う』
『あなたのこと知ってるわ、キリシマ カズヤ。でも、正直がっかりした。もっと二枚目だと思ってた……私はエルフィラ・ブランケ・ダ・セレニーティス。現在、王立軍“イフエールの剣”部隊を率いて作戦行動中である』
俺はマリサ・トスティ曹長が何か言いそうになったのを慌てて止める。彼女は生い立ちのせいもあって貴族が嫌いなのだ。
「止めないでよ! あいつ隊長を侮辱したっ! 隊長は二枚目だよ!! 」
そっちか。曹長は身内贔屓が大きすぎる。
しかしこの指揮官が俺のことを知っているとは意外だ。俺の名は庶民の間ではそこそこ知られているが、貴族の間ではそこまで有名では無い。ここの庶民は自衛隊に親近感を持つ者が多いのだ。逆に言えば貴族達はそれだけ反感を持たれている。
だが女指揮官の言葉を意外に感じたのは、俺を知ってるってことだけじゃない。彼女は自分の家名を“セレニーティス”と名乗った。国名と同じ家名を持つ者。そいつはつまりこう言うことだ。
『貴官は王族の人間か』
『そう。私は栄光あるセレニーティスの第九王女、エルフィラ・ブランケ・ダ・セレニーティス。いくら異世界人とは言え、私を知らないってのはちょっとどうかと思うわ。こちらの常識くらいは、わきまえておきなさい。自衛隊の軍人よ』
……悪いが知らん。
だいたいセレニーティス王室には王女が10人近くいるのだ。いちいち覚えていられない。俺が覚えているのは今は亡きシャルロッテ第一王女だけだ。
『今はそれどこじゃ無いだろう。撤退するんだ。敵本隊に竜が居る』
『余計なお世話。逃げたいなら勝手にお逃げなさい』
『本気で言ってるのか?……同盟軍指揮官として忠告させていただく。全滅するぞ』
『ではセレニーティス王国、第九王女の名において命じる。とっとと失せなさい。あなた礼儀知らずにもほどがある。後で覚えてらっしゃい。王室からあなたの上官に抗議させてもらうから。だいたい下位竜の一体くらい我々の敵では無い』
『……違う』
『何が違うのよ? ああ、抗議を取り下げて欲しいのね。頭を擦り付けて謝るなら謝罪を受け入れましょう。それがあなた方の流儀と……』
『違うっ! 敵竜は三体だ。それは先ほど伝えたはずだ』
俺は曹長を振り返った。彼女は慌ててうなずく。マリサはそれを確実に伝えたはずだ。曹長の態度は誤解を招くときもあるが、過酷な戦場を生き延びた古強者なのだ。
だが明らかに間違いが起こっている。第九王女の声音がそう物語っていた。
『……嘘よ』
『嘘なんか言って、こっちに何の得があるってんだ? 俺がこの目で確認している』
『そんな』
第九王女は明らかに動揺していた。
『撤退しろ。恥では無い」
『そうはいかない……聞いて。すぐそこにフェリル村がある。今から村人を逃がしても間に合わない』
『フェリルは現在無人だ。そう聞いている』
『居るわよっ!300人は超えてる! 子連れの夫婦や赤ん坊だって多いの。私が逃げたら……村が全滅する』
なんてことだ……王立軍は我々に嘘をついていた。
『あ~~隊長。お取り込む中悪いんだがな。敵竜どもが動き始めた』
ヴァレリオ・スカッビア三等陸尉の声が脳内に響く。彼は魔術支援小隊の小隊長で丘の麓で待機中だ。
強力な魔術師で、その距離でも俺の考えを読み取ってくれる。
『20分後にはフェリル村を通る。第九王女の言っていることは正しいだろう。村人が居るのなら逃がす暇は無さそうだ』スカッビア三尉はやけに冷静に断言した。
さてどうする? 俺は唇を噛んだ。
◆
第九王女の声が脳内に響く。
『分かった。了解よ。貴部隊との共闘を要請する。王室から日本政府への直接要請と考えてもらっていいわ。一緒に村を守るのよ。光栄に思いなさい』
マリサのどなり声が聞こえた。
『何、勝手なこと言ってんだよ!』
『止せ曹長。だが第九王女、貴官の要請には応えられない。こちらは対竜装備を持っていない』
『そしてあなたは逃げて村は全滅する……それが英雄と呼ばれた男のやる事なの?』
『隊長のせいにすんなっ!! あんたらの責任だろうが!! あんたらが村人を最前線に押しこんだんだろうがっ!』
『マリサ、やめろ。命令だ』
『……マリサさんと言うのね。それは誤解よ。王室はそんなことしてない。彼らがどれだけ土地に愛着があるのか、あなた分かって無い。確かに王室は彼らが戻るのを看過した。だからその責任はとると言っている』
どうする。
共闘しても戦力不足は埋められない
だが……この状況を招いた責任は我々に無い。住民の安全確保は王立軍の仕事だ。こっちのやるべきことは決まっている。俺たちだけで撤退だ。しかし逃げれば住人は恐らく全滅する……本当にそれでいいのか?
くそっ。うだうだ考えている時間は無い……俺は腹を決めた。
リスクは俺が引き受ける。あの子の泣き声が聞こえる人間は俺しかいない。俺が何とかするしかない。
そして王立軍の尻ぬぐいで俺の部下を犠牲にはしない。
「エルフィラ第九王女。協力しよう。但し条件がある」
「条件?」
「俺が竜の一匹を奇襲で倒す。そして敵の注意を惹きつける。あんたの部隊は可能な限り住人を連れて逃げること。それが協力の条件だ」
「何言ってるの? そんなこと出来ない。私たちも行く。一緒に倒すの」
「……邪魔だ」
「何ですって?」
「邪魔だと言った。貴官は魔術師として優れているのだろうが、戦場に慣れていない。さっきの戦い方を見れば分かる。経験不足でこちらと連携がとれず、同士討ちになるのが関の山だ」
「それは侮辱……私に対する侮辱だわ」
「侮辱などしていない」
「そんな条件のめるわけ無いでしょうっ!!!」
「なら協力の話は無しになる。他に選択肢は無いと思うがね……ヴァレリオ、部隊の指揮を任せる。俺が失敗したらすぐに撤退しろ。いいか? 俺が失敗したら、村のことは第九王女に任せてすぐに撤退するんだ。部隊に損害を出すのは許さん。奇襲がうまくいったら残りを一緒に頼む」
『了解した。だが、あんたが失敗とか悪い冗談だぜ』
『だといいがな。パンツァーファウストは置いていってくれ。マリサはヴァレリオと合流、指揮下に入れ』
「あたいは隊長と行くからね。止めたって無駄さ。雑魚の相手はまかせな」
「命令に従わない奴は嫌いでね。昇進も無しだ」
「どーぞご自由に。でもあたしゃ隊長が大好きでね。勝手にさせてもらうよ」
マリサ・トスティ曹長は手を空にかざし愛用の魔剣、ケールを召喚した。
「除隊するぞ。脅しじゃあない」
「止められると思ってんのかい? あの日から死ぬときは一緒だって決めてんだ」
俺はため息をついた。曹長の昇進はもう少し先に伸ばした方が良さそうだ。
今回は俺に女の子の泣き声は聞こえるだろうか? こんな博打を打つから、俺は上から嫌われるのだ。