ホドス日本襲来
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話は五年前、日本での出来事にさかのぼる。
令和4年2月5日、日本はホドスの侵略を受けた。
正体不明の黒い影のようなものが千葉房総半島の九十九里浜に出現し住民を襲ったのだ。
110番への救援依頼が殺到する。当初、政府は国内の反社会的勢力による大規模テロと判断した。
中国やロシアの上陸作戦である可能性は低かった。そんな大規模作戦が実施されて気がつかないほど、自衛隊は無能では無い。
だがそれはテロでは無かったのだ。時間の経過と共に状況の異常さが明らかになる。
間もなく現地から全ての通信が途絶する。房総半島の上空を飛んでいた航空機は民間も自衛隊機もレーダースクリーンから消えた。乗り捨てられた車が道に溢れ幹線道路はその機能を失う。命からがら逃げてきた住人は正気を失っていた。状況はすでに警察の対処能力を超えていた。政府は災害派遣を名目に自衛隊を急遽派遣する。だが送り出された空自、陸自の偵察隊との連絡はすぐに途絶えた。
情報収集衛星だけが、3つの大きな影と随伴する無数の小さな影を捉えることに成功した。今ならそれが何だか分かる。ホドスの希少竜“ゲートクリエイター”が三体。それに随伴する剣士・魔道士タイプの群れだ。
国家非常事態が宣言され、内閣総理大臣命により陸上自衛隊に治安出動が命じられる。これにより第33即応機動連隊が東京湾アクアラインを通って敵の迎撃に向かった。俺もその中の一員だった。だが16式機動戦闘車を主力とする先遣隊は壊滅状態に陥る。
敵の操る精神魔法が、自衛官の恐怖を増幅し正気を失わせたのだ。戦闘車の分厚い装甲は乗員を守る鎧では無く、閉じ込める檻と成った。自衛隊は魔法に対して無力だった。何とか車外に逃げた仲間は魔法で焼き殺された。もしくは、あらぬ言葉をつぶやきながら動かなくなった。
魔法なんて存在するはずの無いものだった。対処なんて出来ない。
……はずだった。
俺は独りで戦った。
どうして俺だけ正気を失わないのか? どうして、俺だけ黒焦げにならないのか? 仲間を助けようと車外に出た時、二度全身を焼かれた。愚かな行為だ。戦闘中に外に出るなんて。だが俺はそれでも死ななかった。
気がつくと俺の身体は回復していた。焼け爛れた皮膚も元通りになっている。
さっきから女の子の泣き声が耳から離れない。子供なんてそばにいない。見えるのは死体か、さもなくば正気を失った部下だけだ……俺は狂ったのだ。それともこれは悪夢か。それとも俺はもう死んでいて、ここは地獄の入り口なのか?
戦闘車の主砲で竜を撃った。105mmライフル砲から放たれたAPFSDS弾の直撃は、化け物を一撃で崩壊させた。人型の群れは車載機銃で撃った。撃ち続けた。その間、敵の魔法を何発も受けた。だが仲間を狂わせ焼き殺した敵の怪しい術は、俺に対してだけその効果を発揮しない。2体の竜を消滅させた。そこまでは覚えている。
突然、俺は左目に焼けるような熱さを感じた。眼球をえぐられるような痛みに俺はのけぞった。我慢しきれず叫び声をあげる。そこで意識は消し飛んだ。
気がついた時……俺は病院のベッドの中にいた。
俺が生き残れたのは、大河原涼と言う空自の戦闘機乗りのおかげだった。一匹残してしまった最後の竜を,奴は空からF2戦闘機のバルカンで破壊した。
大河原は情勢を探りに来たロシア偵察機を追い払った後、帰投命令を無視してそのまま千葉に飛んで来たのだ。
奴にも敵の魔法は効かなかった。だから墜落しなかった。
結局、その戦闘で生き残れたのは俺と大河原の二人だけだった。病院に担ぎ込まれた他の隊員達は間もなく昏睡状態に陥り、俺以外は二度と目を覚まさなかった。
仲間の弔いも終わった頃、俺は大河原の自宅を訪ねた。一つ確認したいことがあったからだ。自宅まで出向いたのは大河原が謹慎中で基地に行っても会えなかったせいで、奴は帰投命令を無視したおかげで懲戒免職になっていてもおかしく無かった。だが謹慎で済んだのは竜を倒した功績が認められたからだ。確かに“ゲートクリエイター”種の竜を一匹でも残せば被害は千葉だけで済まなかった。東京、埼玉――いや関東一円の壊滅で済めば運がいいほうだったろう。
世論も奴に味方した。もっとも俳優ばりの甘いマスクのせいで、味方したのは主に女性が多かったらしいが。
その大河原は、俺に言った。
「あんたには特別に教えてやる。基地に帰投しようとしたら、女の子の泣き声が聞こえた。俺しかいないコクピットの中でだ。断っておくが無線じゃ無い。頭の中で泣いていた。その子が助けを求めてきた。そのまま精神病院に行かなかった俺に貴官は感謝していい」
「やはりそうか……あんたにもアレが聞こえたんだな?」
「と言うと、あんたもか」
政府は俺たちに魔法が効かない原因を学者に調べさせたが、結局何も分からなかった。泣いていた女の子に関して言えば、極度の緊張状態における幻聴と言うことで処理された。小さな女の子と言うのは、男にとって守らなければいけないものを象徴する潜在意識からの投影なんだそうだ。もっとも俺たちはそんなことは信じていない。明らかに彼女は実在しておりホドスの魔法から俺たちを守ったのだ。