俺には女難の相がある
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怪しげなつれこみ宿の小部屋に守護魔術師と二人。魔術師は突っ立ったままだ。その種の用途で使い古された、掃除もされてないベッドに座るのに抵抗があるらしい。手提げ袋を俺に差し出す。
「木村班長からの伝言よ。“これであなたからの借りは無し”」
「そいつはこれから確かめさせてもらう」俺は受け取った袋の中から書類を取り出した。
この女の本職は、別班の木村班長を護る魔術的なボディガードだ。どうしてこんな連絡員みたいな半端仕事をしてまで出張って来ているのかは謎だ。
「我々の好意によりいくつかの情報を追加しておいた。感謝して欲しいものね」
俺はせせら嗤う。
「あんたらの好意で追加された――その部分は読み飛ばすことにした」
「嫌な男。人の好意を無にする人って最低よね」
「どうせ気になる情報をわざと見せて、自分達の仕事に巻き込むつもりだろうが……ところでベッドに腰掛けたらどうだ。ぼけっと立ってられると、こっちの気が散る。安心しろ。俺は別班の女を押し倒すほどトチ狂ってはいない」
「あら。押し倒してもいいのよ。焼き切ってあげるけど」
「強がりもいい加減にな。涙目で娼婦のまねごとしてたのはどこのどいつだ」
守護魔術師が恐る恐るベッドに腰掛けるのを横目に見ながら、俺は渡された書類を読み始めた。この書類は別班が調べたこの国の内情を彼らがまとめたもので、本国向けの報告書だ。それを借りたのは俺には調べたいことがあったからだ。俺にはエステ村の拉致事件が、よくある奴隷売買の為とは思えなかった。
村を襲っている野盗どもはホドスのテリトリー内にアジトを築いている。一言で言って異常な状況なのだ。はたしてこれは、俺の担当区だけで起こっていることなのか? 俺は似たような事件が他でも起こっているか確かめたかった。
だがこの種の内情調査は別班にとって本業では無く、余力でやってるサイドビジネスだ。たいして機能してない外務省系列の情報部の尻拭いをすることで、政府に貸しでもつくりたいのだろう。内容にあまり期待は出来ないが、これしか俺の使える情報が無い。
「……セレニーティスの王都周辺では治安の向上が見られるが、一部地方では貴族の内部抗争が激化している。特に人種的優越主義を標榜する“エシスト派”の動きが活発化しており注意が要する。彼ら“エシスト派”は代表的な反日勢力であり、我が国の影響の排除、特にこの地における自衛隊活動の制限を目指している……おい待てよ。一体これは何のつもりだ」
「お気に召さない?」
「俺が知りたいのはこんな内輪もめみたいな、お上品な奴じゃ無い。ごろつきどもが起こすエグい犯罪だ」
「その情報を出してあげたのは我々の好意なんだけど。あなたも“エシスト派”について知っておいた方がいい。第九王女の部隊に“エシスト派”が入り込んでいる可能性があるの」
「勘弁してくれ……まさかエルフィラが、そいつらに取り込まれてるとでも言いたいのか?」
「第九王女は違う。少なくとも今のところは。だけど部下達には気をつけて……エルフィラ本人も過度に信用しないほうがいいとは思うけどね。しょせん自己保身がお上手な王族よ。状況が不利になれば、あなた簡単に切られるわよ」
「王族に何か恨みでもあるようだな」
「そんなこと無いけど。あなた美人に甘いからちょっとした警告」
「美人だからって信用したことなんて無いね。だから、あんたのこともあんまり信用してない」
「そいつはどうも……でも私を口説こうとしても無駄よ。私の理想は木村班長みたいな人なの。あなたみたいなタイプは大嫌い」
「あんた医者に一度診て貰った方がいいぜ。頭の中身が重傷だ。俺より木村を選ぶとはな……ところで頼んでおいた情報の方は?」
「……資料の最後に添付がある。ご要望のものはそちらの方に」
俺はページをめくり望みのものを見つけた。王国内のいくつかの街で発生している犯罪をまとめた資料だ。
その資料は、殺人、強盗などの凶悪犯罪は都市部で減少していることを示していた。だが、ホドスのテリトリーに近い地方においては増加傾向を示している。だがこれだけでは何ともいえない。前線に近い方が荒れるのは当然だ。人目の少ない地方の方が凶悪犯罪が起こりやすいというだけだけかも知れない……だが俺の目はあるページで止まった。そこにはエステ村のようなホドス勢力圏に近い街で、失踪した若い男女が数日後、死体で発見されたことが記されていた。
「脳と内臓、眼球がくり抜かれた死体……か」
「他にも同じようなのが二例ほどあるわ。みんな国境周辺ね。それにしても、あなたが首を突っ込むのはいつも楽しそうな案件で羨ましい。どんな情報をおみやげに持って来てくれるか……愉しみにしてる」守護魔術師はそう言って微笑んだ。
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口ばかり達者な守護魔術師を宿場街まで送った俺は(彼女は歓楽街を一人で帰るのを嫌がった。本人曰く、“男どものギラギラとした欲望に晒されるのが苦手”とのこと。その変装じゃ誰もお前なんか見ないし、ついでに言えば俺は男じゃ無いのか?)そのままいったん自分の宿舎まで戻る。そして翌日の午後、俺はエルフィラ王女が所有する私邸へと向かった。
そこで俺たちはアジトを急襲する作戦のすり合わせを行う予定だ。
部屋の中央に置かれた大きなテーブルには、俺とエルフィラ、俺と仲が良くないエルフィラの副官、スタンホープ子爵、そして急遽作戦に加わる事になった二人の新顔の貴族が席に着いていた。
新顔の二人のうちの一人、がっしりとした体格の男は自分のことをエルム・デル・ポンピドールと名乗った。爵位は侯爵になる。もう一人の男はアニェス・ド・イヴレールと名乗る。爵位は伯爵だ。しかし伯爵と言っても、独立性が高い地方に本拠地を構える辺境伯だ。辺境伯には大きな権限が与えられており、通常の伯爵よりかなり格上になる。そしてこの男は、どうやらエルフィラと幼なじみらしい。
この二人の貴族は自分の私兵を率いて今回の作戦に参加する。なんでこのタイミングで急に参加することになったのかの説明は無かった。王立軍の運用として私兵との混成に成ることはままあるが、まるで割り込むように参加してきたことに俺は違和感を覚えていた。
会議の進行はエルフィラが務める。何と言ってもこの作戦の主役は彼女の部隊なのだから。
「では早速、作戦概要についてお話しします」エルフィラが口火を切る。
「ちょっと待って欲しい」 新顔のポンピドール侯がいきなり割り込む。引き締まった身体に精悍な顔のこの男は貴族と言うより、戦い慣れた軍人のように見える。
「そもそも、この作戦に自衛隊が同行する理由が良く分かりませんな。野盗の討伐など我が王国自身の内政問題でしょう。彼らが出張ってくる話では無いと思うが」
エルフィラは露骨に嫌そうな顔を見せた。まあ当然だろう。いきなり共同作戦の根幹に疑問を呈されたのだから。ちなみに苛ついたのは俺も同じだ。
「自衛隊の参加は必須です。それに彼らが出張って来たわけではありません。私が要請した結果です」
侯爵はジロリと俺を睨む。エルフィラは言葉を続けた。
「野盗の拠点はホドスの支配域内部にあり絶対防衛線から10キロほど奥にあります。我々のみで行うなら少人数部隊による侵入作戦しか道はない。ですがそんな少数戦力でアジトを襲うのは危険です。返り討ちにあう可能性が高いですから。と言って大部隊を動かせば今度はホドスに見つかってしまう」
「自衛隊と一緒に動けば、見つかるどころの騒ぎでは無いでしょう。ホドスの竜どもが反応してしまう。彼らが馬鹿の一つ覚えで機甲部隊を繰り出せば、一気に戦線が拡大するでしょう。第九王女はホドスとの平衡状態を壊すおつもりか? 彼らを刺激するのは絶対に避けるべきだ。完全なやぶ蛇になる」
エルフィラの副官、スタンホープ子爵がため息をついた。
「私からもお諫めしたのですが。聞いてくださらないのです」
「情けないぞ、スタンホープ子爵。王女が道を踏み外さないよう、導くのが貴殿の責務だろうが。そもそも野盗どもに手を出す必要があるのか? ネズミを殺そうとして獅子を起こすのは馬鹿げている。ホドスが活性化すれば、我々は再び混沌の渦に投げ込まれるのだぞ」
俺は内心うめいた……こいつ明らかに作戦を潰しにかかっている。もしかすると別班の言うように、日本を嫌う“エシスト派”からの差し金かもしれない。
「待ってください。ポンピドール侯」
それまで黙って聞いていたもう一人の貴族――イヴレール辺境伯――が話しに割り込んで来た。
「王女は、村人の窮状を看過できない優しい御方。その意向を一方的に否定するのはいくら貴殿とは言えいかがなものでしょうか」
イヴレール辺境伯は端的に言って美男子だ。それも最上級の。西洋のファンタジー映画から抜け出したような金髪、碧眼。セレニーティス貴族の中でも群を抜くその美貌は、エルフィラのそれに匹敵する。
「余計な口出しは遠慮してもらおう、辺境伯」
「止める気は無いですよ。私がここにいる理由は王女殿下の意思を支える為です。そして貴殿は王女の意思を砕こうとしている」
「情けない男だ。そこまでして第九王女の気を惹きたいのか? 貴殿の魂胆は分かっているぞ」
「気を惹く? ご冗談でしょう」 その辺境伯は自身ありげに微笑んだ。「私は当然のことをしているだけですよ。殿下の恋人……いや未来の夫として」
え? そうなのか……思わずエルフィラを見る。彼女は困ったように首を横に振った。
「……こいつはお笑いだ。殿下にその気は無いようですぞ」侯爵があざ笑った。
「エルフィラは照れ屋ですので。小さい時からずっとそうでした」
「幼なじみ自慢か。ならばもう少し早く動くべきだったな。地方でぼけっとしているから、どこの馬の骨とも分からん男に女を持って行かれる。貴殿のやってることはもはや道化だ」
「どういう意味でしょうか?」
「王女が懸想している相手は別に居るということだ……スタンホープ子爵。そうであろうが?」
副官の目が宙を泳ぐ。
「何のことを仰ってるのか、私には分かりかねます」
「しらばっくれるな。お前が私に教えたのだろうが……いいだろう。ここで言うつもりは無かったが、どうせ同じ事だ……エルフィラ・ブランケ・ダ・セレニーティス殿下。目を覚まされよ。異界の男にたらしこまれ、誇りを忘れた第九王女よ。貴殿は内政に他国を招き入れようとしている。それがどんな危険な事かも分からぬのか? それとも、それすら分からぬほどこの男に身も心も捧げているのか?」
“こんな男”そう言って侯爵が指さす男は、何を隠そう……俺だった。
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「戯言は止めろ。あんた気は確かか? 俺は王女とそんな関係には無い」さすがの俺も口調が激しくなる。
「戯言……か?」 侯爵は嗤う。「王女を慰み者にした下衆が何をほざく? 王女の身体は柔らかかったか? いい匂いがしたか?」
「……自分が何を言ってるのか理解してるのか?」
「ああ、もちろん分かっているさ。なあ副官。そうであろう?」
副官の目が宙を泳いだ。
「わ、私は何も見ておりません」
「情けない。今更、覚悟も出来ぬのか……いいだろう。では私から教えてやる。キリシマ。貴様、エルフィラ王女と抱き合っていたな。ザクセン公と乱闘騒ぎを起こした、あの晩だ。パーティから王女と一緒に逃げ出したあの夜だ」
くそっ……何てことだ。
俺は唇を噛んだ。
用心したつもりだったが見られていた。エルフィラを横目で伺うと真っ青になっている。
これではしらを切るのは無理だ。だが俺は反論しようとして言葉に詰まる。王女が弱気になって慰めていた……なんて言えない。彼女は部隊の指揮官なのだ。面目を失わせてしまう……それに、あの事件でエルフィラはザクセン公に弱みを握られていた。下手に説明しだすとそこを突かれる恐れもあった。
「どうした? 貴様は王女を手に入れた。そして王国に干渉する為に手駒にした。違うか? 結局、貴様たちが目指しているのは日本による王国の支配だ」
「違う」
「何が違う? お前達が抱き合っていたのは厳然とした事実だ」
“エシスト派”の侯爵がエルフィラごと俺を排除しようとしているなら――王女のスキャンダルに成るのは避けられない。下手すれば、日本と裏で通じていたとしてエルフィラは国家反逆罪で糾弾されかねない。
最悪でも彼女は護らなければ……その為にはスキャンダルを俺でとどめる必要がある……俺は覚悟し口を開こうとした。
だが予想外のことが起こった。
侯爵の喉もとに突き出される漆黒の剣先。
「イヴレール辺境伯……何のつもりだ」
美形だが気の良さそうなお坊ちゃん、さっきそう感じた印象は今は消えた。無表情な顔に隠された強い怒り。俺にはそれが分かった。
「ポンピドール侯。いくらあなたでも王女に対する侮辱は許さない。謝罪して欲しい」
「気でも狂ったか?……侮辱では無い。事実の指摘だ……出来るならやってみろ。貴様にその覚悟は無い」
「……そうでしょうか?」
辺境伯の黒い刃が無造作に侯爵の喉に食い込む。血が迸った。
「イヴレール。やり過ぎよっ!」 エルフィラの叫び声。
侯爵があわてて自分の剣に手をかける。だがもう遅い。漆黒の剣の一閃で侯爵の右腕が吹き飛んだ。
ポンピドール侯は驚愕の表情を浮かべながら、床に崩れ落ちる。辺境伯は返す刀で副官をなぎ払った。
「さて、霧島二佐。最後にあなたの番だ。よくも私の居ない間に好き勝手やってくれましたね。王女は私のものなのに」
イヴレール辺境伯はテーブルに飛び乗り、対面の俺に向かって剣を構えた。
「あんたは誤解している。俺と王女はそういう仲じゃ無い。なんなら、ひい爺さんの名誉にかけて誓ってもいい」
「あなたの名誉じゃ無いんですか。往生際が悪いですよ……彼女を奪った罪は万死に値します」
「違うと言ってるだろうが」
「往生際が悪いですよ……さあ覚悟はよろしいか?」
「そんなもん出来てるわけ無いだろう」
「問答無用」
俺は思いっきり後ろに飛んだ。漆黒の刃が俺の居た場所をはらう。
うまく避けた……と思った刹那、右肩に鋭い痛みを感じた。見るとざっくり切られている。
「避けた……はずだ」
「この剣“ノートゥング”は特別製の魔法剣でして。剣を振るう前から結果が確定しています。防御は不可能です」
人間が使える魔剣程度で俺は傷つかない……はずだ。なのに。
「止めて!」エルフィラが俺の前に飛び出す。両手を広げ俺をかばう。
「無駄ですよ、エルフィラ。そんなことしても“ノートゥング”は防げない……そしてこの男に、君が護るほどの価値は無い」
利き腕の右腕は、もはや動かない。左手で拳銃を抜く余裕は無い。
だが次の瞬間、俺は息をのんだ。切られたのでは無い。
聞こえるはずの無い泣き声が頭の中に聞こえたのだ。女の子の泣き声が俺の頭の中に響いている。
何が起こった?……この子はホドスにしか反応しない。どう見たってこの貴族は人間じゃないか。ホドスじゃ無い。
嫌な予感がする。俺は拳銃を抜く。女の子の加護のもと、切られた右腕は化け物じみた早さで修復されていた。