王立軍の王女様
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「隊長。敵の奴ら本気だね」 マリサ・トスティ曹長が双眼鏡を覗きながらつぶやく。
「そうだな。久しぶりに向こうはやる気だ。こちらの防衛線まで攻めて来る」
俺は霧島和也と言う。ここ異世界セレニーティスに駐留している陸上自衛隊 第2特別偵察隊の指揮官だ。階級は二等陸佐になる。
双眼鏡の狭い視界の中、1キロほど先に黒い影の群れが見える。あれが俺達の敵、ホドスだ。
ホドス――漆黒の闇を纏う人型の化け物ども。顔には口も目も鼻も無い。まるで空間を切り抜いて造った切り絵のように、身体の輪郭だけが浮かびあがる。残忍な侵略者どもだ。
俺は双眼鏡から目を離し、トスティ曹長の肩を軽く叩く。
「竜が3体。それに戦士タイプが100体以上だ。何か気がついた事はあるか?」
「北の藪が変だよ。あそこに魔術師が潜んでいると思う……どうする、隊長? 計画どおり攻撃するかい?」
俺はデジタル双眼鏡の解像度を上げ、彼女が示した場所を見る。そこは何の変哲も無いただの藪に見えた……だがよく見ると植相に違和感がある。光の透過も不自然だ。魔術による光学迷彩――おそらくは上級の魔術タイプが中に居る。
「お前の言うとおりらしい。よく見つけた」
「な~に、ダテに隊長のお供を3年もやってないさ」
マリサ・トスティ曹長は、この土地出身のセレニーティス人だ。初めて会ったとき、彼女の美しさにドギマギしたのは今でも内緒にしている。バレれば調子に乗るのがわかりきっているからだ。だが外面の美しさは、今の俺にとってもはやたいした意味を持っていない。もっと大事な事は、彼女は死線を共にくぐり抜けて来た信頼出来る部下と言う事だ。
俺の部隊、第2特別偵察隊には彼女のようなセレニーティス人と日本人の両方がいる。この特別偵察隊は外人部隊――と言うより異世界人部隊――の創設を目的とした準備部隊だ。近い将来、セレニーティス人だけの隊となって戦うことが期待されている。
「やむを得ない。威力偵察(強行偵察。攻撃して敵の反応を見ることで敵戦力の情報収集を行う)は止めにしよう」
丘の麓には87式偵察警戒車と、支援魔術師を乗せた装甲車を待機させている。
だがこの戦力で、アレの相手は難しい。
トスティ曹長は嬉しそうだ。
「じゃあ、後は後ろの戦車隊に任せて、隊のみんなで朝食にしようよ。な~に、あの程度なら10式戦車が出れば一撃さね。いつもこっちに危険な任務を押しつけてさ。本隊のやつらもたまには仕事しろってんだ」
「さすがにこれでは帰れん。もう少し情報を仕入れる。隠密偵察に切り替えだ」
「え~~。隊長は真面目すぎるよ。たまには楽しようよ」
「いいから腹が減ったのなら、戦闘糧食でも囓ってろ」
「冷たい食事はもう勘弁」
「なら任務を継続だ。お互い給料分は働かないとな」
「了解、了解だよ。ああ! 焼きたてのタスティ(この地のパンの一種)が食べたい~」
トスティ曹長はいつもこんな調子だ。
孤児だった曹長は盗賊団のお頭に養女として育てられ、その後は傭兵として生き延びてきた。だからと言うか彼女にとっての俺は、自衛隊の上官と言うより傭兵団の親玉に見えるらしい。だが俺はそれで構わなかった。自衛隊の流儀をそのままセレニーティス人たちに押しつけても、上手くいかないことを俺は苦い経験から学んでいた。
「ねえ隊長。帰ったら外で一緒に食事はどうだい? 街の飯屋でいいとこを見つけたのさ。基地食堂だけじゃ辛気くさいし」
「知ってるか? 無駄話は昇進に響くらしい」
「脅しは無しだよ。この前のエルク谷での防衛戦。あたい、あんなに活躍したじゃないか。次の昇進は絶対あたいで決まりだ」
「知らん。アレはもう半年も前だろうが」
マリサはしぶしぶ双眼鏡を構えて偵察を続ける。さらに5分ほど経っただろうか。彼女の緊張した声が響いた。
「隊長! あそこ見てっ! 2時の方向、距離400メートル。エルテ木の林の先!! 戦ってるよ!……王立軍の奴らだっ!」
「王立軍がここに? そんな話は聞いてないぞ!」
俺は曹長の言った方角に双眼鏡を向ける。
戦いは400メートルほど先で起こっていた。セレニーティス王立軍の小部隊が敵と鉢合わせしたらしい。
「何てこった……王立軍も来てたのか。そしてドジを踏んで敵を引っかけた」
「最悪だね」
「最悪だ」
その部隊は斥候隊のようだった。戦いは明らかに劣勢。ましてや敵の本隊がすぐそばだ。すぐに増援がやって来る。あいつら、とっとと逃げないと全滅する。
それにしても何でこんなとこをうろついている? 自衛隊が信用出来ないとでも言うのか。
だが見殺しには出来ない。
「狙撃で支援する」
「ごめん隊長。あたしゃ、この距離だと自信無い」
「いい。俺がやる。マリサは偵察車に連絡。いつでも出せるよう準備させておけ」
「了解だよ」
俺は傍らに置いておいた64式小銃を構える。64式は二世代も前の銃だが、口径が大きい分、現行の20式や89式と違って狙撃にも使える。マークスマン・ライフル目的で本国から取り寄せたが、実際の所は俺専用だ。けなす奴は多いが俺はこの旧式銃が結構気に入っていた。
スコープを覗く。
距離450。秒速4mの風が右から左。気温補正の必要は無い。
この銃のゼロインは300だ。450だと銃弾は80cmほど下に落ち、50cm左に流され、右へ6cm偏流する。ターゲットの未来予測位置がレティクルの一角を占めた時、指は自然にトリガーを引いていた。
着弾まで0.9秒。
命中。ターゲットの姿勢が崩れる。次の瞬間、霧と成って消散した。俺みたいな狙撃手もどきとしては上出来だろう。
相手は銃弾用の防御結界を張っていない。王立軍と戦うのにその必要は無いからだ。
もう一体を狙う。また命中だ。
敵は狙撃に気がつく。木の陰に隠れようとする剣士タイプに、慌てて防御結界の呪文を唱える魔術タイプ。魔術師タイプを狙う。命中。今日の俺は絶好調だ。
立て続けに敵三体が無力化されて、王立軍も支援されていることにようやく気がついたようだ。
狙撃手は存在するだけで敵の動きを強く拘束する。意識すればするほど身動きがとれない。とりあえずこれでいいだろう。
念のため俺たちは別の藪の中へ移動した。敵のカウンターを避けるためだ。
マリサが言う。
「どこでその狙撃の術を身に着けたのさ。隊長は機甲部隊の出身だろ? そんな暇は無かったろうに」
「秘密だ。人に自慢出来る話じゃ無い……あそこの王立軍指揮官にメッセージを送りたい。一番奥のローブ姿の女だ」
「この距離だと遠話の魔法だね。伝える内容は?」
「これで頼む。“交戦中の王立軍指揮官に告ぐ。こちらは陸上自衛隊の霧島二佐だ。貴部隊の南東2キロ先に竜三体を含む敵部隊を発見した。撤退を推奨する”以上」
「了解」
トスティ曹長は精神集中の為に目をつぶり、呪文を唱え始めた。
正直、王立軍の勝手な行動のために任務を邪魔されて迷惑だった。しかし見捨てる訳にもいかず援護しながら一緒に撤退するしかあるまい。俺は双眼鏡をのぞいた……まだ王立軍側に動きは無い。
「どうした? 曹長」
「応答が無いんだよっ! 聞こえてるはずなのに」
こちらを疑っているのだろうか?
「こっちの隊長は、あの有名な“不死身の解放者”だって何度も言ったんだ。それなのにガン無視されてる」
「勝手に有名にするな。だいたい、そのふざけた通り名は何のつもりだ?」
「気に入らないかい? じゃあ“魔眼の守護者”とか?」
俺は曹長を無視し再び双眼鏡を覗く。そしてギョッとした。王立軍の女指揮官と目が合ったからだ。彼女はフードを跳ね上げ400メートル先の遠方からこちらをじっと見つめていた。その顔は、美しく気品があった。王立軍の指揮官だからもちろん貴族だろうが、美形揃いのセレニーティス貴族の中でも群を抜いた美人だ。並の爵位持ちには見えない。
その女指揮官は400メートルの彼方から挑むような目で俺を睨んだ。
脳内に声が響いた。
『こちらは、栄えあるセレニーティス王立部隊“イフエールの剣”指揮官エルフィラ・ブランケ。日本の指揮官へ告ぐ』
こんな遠距離から俺の脳に直接呼びかける……並の技量の持ち主じゃ無い。まごついていると再び声が響いた。
『援護なんて不要だわ。余計なお世話よ』