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交戦

 慎重に慎重に、細心の注意を払いつつ川を上る。


「川がこうなった理由はなんなんだろう」


 流れていく黒い水を見つめ、エレンはそう呟く。


「さぁな。土砂って訳でもなさそうだが……まぁ、このまま進めば見えてくるさ」


 この先に何があるのか。あらゆる憶測が頭に浮かんでは消えていく。

 だが、結局は納得のいく結論が出ることはなく、この足は行き詰まった思考と反して滞りなく足跡を刻む。

 そうして川を辿るようにして幾ばくかの時が経ち、俺達の接近に反応したかの如く、黒い川に異変が起こる。


「――なッ!?」


 水を染めていた黒い何かが、流れに逆らうように消えていく。

 川を覆っていた暗幕が巻き取られていくかのような不可解な現象。だが、その現実について思考する暇などない。


「不味い、急ぐぞッ」


 急速に元の透明な水質に戻っていく川から逃れるように、黒い何かを追いかける。

 これが人為的なものだと仮定して、俺達の接近に勘付かれたのか。それとも偶然の産物か。どちらにしても手掛かりを見失う前に原因を突き止めなければならない。

 川沿いを全速力で駆け抜け、一息に川を上り切る。

 そうして、川から黒い何かが失われるよりも速く、俺達は辿り着く。

 川を黒く染めていた、原因に。


「――ここで何をしている!」


 見付けたのは川の水面に立つ、黒衣を身に纏った人間だった。

 川を染めていた黒は、奴の足下から広がっているように見えた。いや、今はその逆だ。黒い何かは川を上り、戻ろうとしている。奴の足下に――奴が左手にもった盃に。

 あの盃が川を黒く染め上げていた原因か。


「……おや、見付かってしまったか」


 フードを深く被った顔の見えない奴は、ゆったりとした動作でこちらを見やる。

 人相は確認できないが、体付きと声音、口調から男だろう。


「まぁ、いい。遅かれ速かれ、知れることだ」


 黒衣の男は質問に答える素振りを見せない。

 それどころか、水中から一振りの剣を浮かび上がらせ、その柄を握った。


「ところで、私を逃がしてくれる気はあるかね?」


 腰に差した刀に手を掛ける。


「そうか。残念だ」


 瞬間、地面を蹴って距離を詰める。

 全身に魔膜を纏い、黒い水面を踏み締める。決して沈むことのない足場から、更に加速して前進。刀身を抜き放ち、真っ正面から抉るように剣閃を飛ばす。


「珍しい得物だな」


 しかし、それは黒い刀身をした剣に遮られる。

 初撃を止められた。その事実を認識し、脳と身体は経験に基づいて瞬時に次ぎの動作を決行する。相手の手が読めないうちは、攻撃よりも回避に専念する。何をされても良いよう、水面を蹴って距離を取った。


「ふむ、無理に攻めはしないか。そして、背後には三人の仲間。なかなかどうして、劣勢だな」


 ただ敵だけを見据え、刀の柄を握り直す。

 背後では、伊吹たちも得物を構えていることだろう。状況的に見れば、俺達の優位は明らかだ。だが、なぜ奴はあんなにも軽く構えていられる。無駄なしゃべりも多い。そのくせ、俺の一撃を受け止められるだけの技量はある。

 自信からくる慢心か? それとも。


「では、対抗策を講じるとしよう。数を、味方を、増やすとしよう」


 黒衣の男がそう述べた直後、背後の緑から獣の遠吠えが轟いた。

 あの声は、あの音は、仲間を呼び寄せるためのモノ。

 獲物を見付けたと、狩りの時間だと、そう告げるための号令だ。


「てめぇ、魔物を呼び寄せやがったな」

「ご名答。さぁ、これで後ろの三人は魔物の対処に回らねばなるまい」


 戦況は一気に劣勢へと覆される。

 数の理を失い、一対一を余儀なくされた。


「翼ッ! 魔物は私達でなんとかする! なるべく速く処理するから! それまで逃がさないで!」

「……やるしかねぇか」


 いいように転がされている。事がすべて奴の良いように流れるよう、操られている。

 だが、それでも引き下がる訳にはいかない。


「さぁ、来たまえ。勇猛なる少年よ」

「上等、吠え面かかせてやる」


 水面を蹴って肉薄。間合いに踏み込むと共に、後方に配した剣先を薙ぐ。

 半円を描いて馳せた刃は、しかし剣に妨げられ虚空を裂く。けれど、直ぐ様、振り抜いた刀身を翻し、間髪入れずに奴の左側面に斬り返す。

 息つく暇もなく繰り出す、剣閃の連打。

 しかしそれを奴は的確にいなし、防いでいく。

 けれど、奴は以前として左にある盃を手放そうとはしない。斬り合いの最中も、右手だけで戦っている。そんな状態で何時までも俺の太刀筋を捌ける道理はない。

 一瞬の遅れが更なる遅れとなり、積み重なれば秒にまで肥大化する。

 遅れは隙を生み、それを見計らって下方に配した剣先を振り上げた。

 反応は遅れている、反射でも追いつけない。至近距離から駆け上る刀身は、たしかに奴の胴を捉える。


「――チィッ」


 あとすこしと言う所で、この刃は黒衣の男ではないモノを斬る。

 それは足下の黒い水面から飛沫を上げて飛び出した、魚の魔物。勝敗を決めるはずだった一撃は、魚鱗を断つに終わり、奴の元にまで届かない。

 断たれた魔物の断面から、大量の鮮血が噴き出す。それが目眩ましとなり、そしてそれを突き破るように黒い剣閃がこの身に迫る。


「くそッ」


 攻撃を、戦闘の流れを、見事に崩された。

 このまま戦闘を続行するのは危険だと判断し、黒の剣閃から逃れるよう退避する。

 その場から跳び退いて、改めて黒衣の男の姿を収める。奴は、やはり悠然と構えているだけで、こちらを脅威ともなんとも思っていないようだ。


「いまのは惜しかったぞ、少年」


 奴の軽口を聞き流しつつ、息を整えるように深く吐く。

 ペースを乱されるな。奴の態度や言動に惑わされるな。攻めているのはこちらのほうだ。奴に目立った攻撃はさせていない。防御に徹するように仕向けられている。

 このまま行けば、伊吹達が魔物を処理しきるまで時間を――


「……時間?」


 奴はなぜ、悠然と構えている。逃げようともせず、かと言って積極的に攻めようともしない。ただ攻撃に晒され、それを防いでいるだけ。

 まるで時間を稼いでいるかのように。

 奴の目的はなんだ? なにを待っている?

 そう思考が巡った瞬間、視野が一気に広がった。今まで黒衣の男にしか向かっていなかった注目が、べつのモノにまで及ぶ。

 水面を染める黒い何か。

 それが、その規模が、以前よりも縮小していることに気が付く。


「――まさか」


 斬り合いの最中でさえ、手放さなかった奇妙な盃。

 あれが汲み上げている黒い液体。

 奴は、あれを回収しきるまで、この場を離れられないんじゃあないか? だから、無駄とも思えるしゃべりをする。防御に徹して時間を稼いでいる。

 奴の目的は回収だ。

 この川に融け込んだ黒い液体の回収。それが完了するまでの時間稼ぎ。

 奴は元から俺とまともに戦う気などさらさらない。


「なら――」


 奴がその気なら、それに付き合ってやる義理はない。

 深く深く息を吸って吐く。そして、三度、黒衣の男へと肉薄した。

 繰り出す刀と、繰り出される剣。二つが交わり、幾度となく音が響く、火花を散らす。

 交戦の最中、振り下ろした剣先が、黒い剣を弾いて水面に沈む。瞬間、低い姿勢から懐へと潜り込み、跳ね上がるように跳躍。剣先で掬い上げるように斬り付ける。


「惜しいな」


 それでも軌道は読まれ、躱される。

 身体は水面を離れて上空へ。

 そう、俺達の世界に。


「――ほう」


 黒衣の男を覆うは、影。成体化したアイルの影だ。

 その背を、白鱗を足場とし、空中にて方向転換。加速した推進力を刀身に乗せ、身体を捻ることで遠心力を加算し、回避不可な速度で一刀を叩き付ける。

 衝撃と共に凄まじい音がなり、天高く水飛沫が舞う。

 手応えはあった。

 衝撃によって降る飛沫の雨に打たれながら、刀身から滴り落ちる鮮血に確信を得る。


「――危うく死ぬところだったよ、少年」


 それでも命にまでは届かない。

 飛沫の雨が失せたころに響く、奴の声。

 視界が晴れると共に姿を現した黒衣の男は、深い傷を負いながらも生きていた。水面の上に立っていた。


「しかし、身体を張った甲斐があったと言うものだ」


 盃が、すべての黒を汲み終わる。

 川にはすでに黒がなく、澄み渡る透明だけが満ちている。

 奴に深手を与えはしたが、目的を果たされてしまった。


「……その傷で逃げられると思うな」

「逃げてみせるさ。命ある限り、傷は癒えるものだ」


 再び、刀の柄を握り直した時、その言葉の真意を知る。

 刻み付けた傷が、深手が、癒えていく。目に見える異常な速度で、瞬く間に、跡形もなく、あんなにあっさりと。


「それでは少年、機会があればまた会おう」

「ま――」


 静止の言葉を投げ掛けようとし、水面を蹴る。

 しかし、その追撃は水面から現れた巨大魚によって、丸呑みにされることで、あえなく失敗に終わる。


「――くそッ」


 黒い何かは、もうない。


「深淵纏いッ」


 魔膜を突き破り、這い出た深淵を以て一振りの刀を形作る。

 鉄と深淵で造られた二刀を振るい、巨大魚の腹を裂く。文字通り、道を切り拓いて脱出し、川底から這い上がるも、その時にはすでに黒衣の男の姿はなかった。


「逃がしたか……」


 あと一歩だったのに、取り逃がした。


「――翼ッ、怪我は!?」


 水面に手をついて這い上がると、近くにまで伊吹たちがやってくる。


「ない、平気だ。でも悪い、取り逃がした」

「謝るのは後だ。今すぐこのことをギルドに知らせないと」

「あぁ……そうだな」


 気を落としている暇はない。

 俺達はサンプル採取を途中で斬り上げ、街へと、ギルドへと急いだ。

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