黒白
飛翔。
石橋から離れて天高く昇り、空を埋め尽くす怪鳥たちと同じ土俵に上がる。
相対する奴等は、俺達を囲うようにし、口々に奇怪な鳴き声を浴びせてくる。それはそれだけアイルを警戒していると言うこと。気圧される必要はない、びびっているのは相手のほうだ。
「前だけ見てろ。残りは全部、俺が撃ち落としてやる」
両手に纏わせた深淵からマスケットを二丁造り、その銃口を怪鳥たちへと向ける。
明確な敵意を察知し、怪鳥たちは一斉にその羽根を散らす。
同時に、アイルも剛翼を羽ばたかせ、龍と鳥による壮絶な空中戦が幕を開けた。
周囲を囲まれた状況下、それを突破する手段は単純にして明快だ。
アイルはただ前方だけを見据えて攻撃に移る。龍の全身を駆け巡る魔力を口内に集結させ、それが臨界にまで達すると共に放たれる光の束。それは龍の息吹きとも、龍の咆哮とも称されるモノ。
ドラゴンが放つ、強力無比なフレアブレス。
眩い閃光となって放たれ、白い残光を引いて馳せる。それは怪鳥を貫くと共に爆ぜ、その周囲に存在する生命を丸ごと巻き込み、すべてを一切の慈悲なく灰燼と帰す。
白龍の一撃は、アイルの吐息は、ただそれだけで相対するモノを焼殺した。
「はっはー……こいつは負けてられないな」
アイルが放つブレスの威力に呆気に取られながらも、二丁のマスケットの引金を引く。
左右に放たれた銃弾は、狂いなく定めた対象へと向かい。その胴を、その頭蓋を、撃ち砕いて爆ぜる。続けざま、撃ち終わった二丁を破棄、新たなマスケットを二丁造り上げ、またあらゆる方面から迫る怪鳥を撃ち落としていく。
「おっと、ドッグファイトか」
当初の目的通り、殲滅よりも撹乱を優先した立ち回りで天空を駆ける。
すると、そのうち優秀な何匹かがアイルの背後についた。四方、敵だらけの状況ではアイルも全速力は出せない。奴等は数の理を生かして、徐々にであるが肉薄しつつ合った。
「だが残念、こっちの機銃は何処にでも向くんだよ」
アイルの背に立ち、二丁のマスケットの銃口を揃えて引金を引く。
二つの銃弾は黒の尾を引いて空を渡り、怪鳥に着弾する一歩手前で爆ぜる。意図的にそうした。爆風によって追尾不能に追い込むために。
目論見は見事に上手くいく。
爆風に晒されたことで生まれた乱れの隙をついてアイルが反転。目を覆いたくなるような光を帯びた白線が、怪鳥たちを纏めて焼き尽くした。
「――翼っ」
天を舞い、空を駆け、怪鳥たちを撹乱し続けていると、すぐ近くで名を呼ばれる。
そちらを見ると、使い魔である妖虎に跨がった伊吹が、こちらに駆け寄って来ていた。
「よう、無事みたいだな」
「うん、なんとか。私も加勢するよ。修理が終わるまで持ち堪えないと」
エレンの伝令が上手く機能しているようで、伊吹は現状の把握を終えていた。
伊吹の背後にある背景からも、その様子が窺える。車両からは、極彩色の魔法が四方に向けて放たれ、動かない対空砲の代わりに怪鳥を撃ち落としている。中には、俺達と同じように、使い魔の背に乗って空中戦に望もうとしている人達も見えた。
「いま、マーカスって人が指揮を取って迎撃に当たっているから、私達は私達の仕事をしよう」
マーカスが、か。
「よし、負けてらんないな」
伊吹を引き連れ、再び天空を舞う。
黒線が、白線が、牙が、爪が、剣が、槍が、斧が、鎚が、魔法が、使い魔が。襲い来る怪鳥を次々と撃墜する。
命尽きて力なく落下する亡骸は、遥か下に広がる湖へと落ちる。次々と絶え間なく沈んでいくそれは、その澄んだ青の水面を紅く穢していった。
だが、そうまでしても、一向に、天を覆う灰色は失せない。
「――まずいよ、倒しても倒しても切りがない」
「このままだと押し切られるのが関の山か」
現状、戦場を支配しているのは俺達だ。
何羽もの怪鳥を葬り、迎撃戦に移行してからは一羽たりとも車両に近づけてはいない。
だが、それも今だけだ。どう足掻いても覆しようのない、絶対的な数の理。それが敵にある以上、どれだけ善戦しても何時かは押し切られてしまう。
真綿で首を絞められるように、じわりじわりと死んでいく。
空中戦に望んでいる他の人達も、疲労の色が濃い。これ以上、交戦が長引くなら、いずれ何処かに穴が空く。そうなったら総崩れにも成りかねない。
脳裏を過ぎる最悪の未来に、俺は思わず懐に手をやった。
「おい、聞こえるか!」
取り出したのは、投げ渡された藍色の球体だ。
彼女に、ミシェルに呼びかけるように叫ぶ。
「はいはーい、なにー?」
すると、こっちの気も知らないで、相変わらず彼女は暢気な返事をした。
「修理はまだ終わらないのか! こっちはもう長くは持たないぞ!」
「長くは持たない? そっか、なら間に合ったってことだね」
間に合った?
そう聞き返そうとした瞬間、耳を圧迫するような大きな音が鼓膜を震わせる。
それは聞き慣れた汽笛の音。修理の完了を告げる知らせだった。
「あっははー! たったいま終わったところだよーん」
球体越しにあっけらかんとした、吹けば飛ぶような軽い音声が響く。
しかし、今はその声が、とても心強く思えた。
破損した動力源が直ったなら、すぐにでも魔導列車は動き出せる。後は、怪鳥たちを撹乱していた俺達が戻れば、この窮地を脱出できる。
待ちに待った朗報に、胸の内にあった焦燥は吹き飛んだ。
「でかした! 後でアイルを撫でさせてやる」
「アイル? あぁー、ドラゴン。ふふん、それじゃー楽しみにしてるよー」
最後まで気の抜けるような声音のまま、通信は途切れる。
それを確認すると朗報を告げた魔道具を懐へとしまい、今度は伊吹へと向き直る。
「翼。さっきの汽笛って、そう言うことだよね?」
「あぁ、修理が終わった。俺達が戻ればすぐにでも出せる」
他のみんなも伊吹と同様の思考にいたり、徐々に戦線を引いて行く。
俺達も速いところ戻りたいものだが、このまま素直に戻るわけにはいかない。
「伊吹、先に戻ってろ。で、魔導列車を出発させておいてくれ」
「……どうする気?」
「奴等にデカいのを一発食らわせてやるんだ。なに、心配いらねーよ。アイルなら、走り出した車両にも追いつける。だろ?」
そう問うと、アイルは肯定するように低く唸る。
「だってよ」
「まったく、言い出したら聞かないんだから。わかった、そう伝えておくね」
流石は長い付き合いなだけあって、理解を示してくれた。
空中を駆けるように降りていく伊吹の後ろ姿をすこし眺め、視線を見据えるべき相手にへと移す。敵の、怪鳥の数は甚大にして膨大。魔導列車が動き始めたと知るや否や、形振り構わず奴等は突っ込んでくる。
故に、奴等には少しの間、怯んでいてもらう。
「さて、こいつが最後の大仕事だ」
アイルの背に立ち、この身に纏う深淵を以て一丁のマスケットを形作る。
狙い定めるは怪鳥の一群。天空を覆い尽くす灰の色。
銃身にありったけの淀みを、闇を、深淵を、そそぎこむ。纏い、帯び、乱れ、穢し、内包した淀みによって自壊するほどの負荷をかけ、その威力を無理矢理に高め続ける。
同時に、アイルも俺の意図を理解し、己の内側に魔力を集束させる。四肢の、尾の、翼膜の、双角の、すべての先端から魔力を集め、それは光の粒子となって集束した。
「いくぞ、アイル」
使い魔とは、アイルとは、精神の奥深くで繋がっている。
共鳴する二つの魂は互いに引かれ合い、結び付き、一つの形となって現世に顕現する。
「――黒白混淆」
残光を引いて馳せる、白と黒の二重螺旋。
互いに反発し、引かれ合い、幾度となく衝突を繰り返す。だが、微塵も衰えることなく天に昇り、灰色の空を突き貫く。瞬間、臨界に達した二つの力が互いを巻き込むようにして爆ぜ、光と闇の奔流が灰を呑む。
それは一瞬の出来事であり、瞬きの刹那に掻き消える。
灰色の空に残ったのは、ぽっかりと顔を覗かせた青い風穴だけだった。
「ふー……上出来だぜ。相棒」
もう長らく拝めていなかった青空を見据え、アイルを労う。
そうして再び、背に跨がるとアイルは喜びを体現するように、空中を滅茶苦茶に飛び回る。旋回したり、宙返りしたり、落下したり、急上昇したり、とてもとても嬉しそうにはしゃぎ始める。
「おあっ――ととっ、わかった。嬉しいのはわかったから落ち着けっての」
興奮するアイルに落ち着くように言い聞かせつつ、ふと思い出す。
アイルは、まだ孵化して間もなかったことを。
まだ子供、いや赤子も良い所だ。喜んで、はしゃぐのが当たり前か。
「よく頑張ったな」
そう声をかけて首元を撫でる。すると、嬉しそうにアイルはまたはしゃぎ始める。
それに苦笑いしつつ付き合っていると、俺達を急かすように汽笛の音が鳴り響く。はっとなって線路に目を向けると、煙を吐いて動き始めた魔導列車が目に映った。
そう言えば、先に行けと言っていたっけ。
「いまので大抵の奴は怯んだだろ。時間稼ぎには十分だ。戻ろう、アイル」
一仕事を終えたアイルは雄々しい咆哮を発し、魔導列車に追いつくべく羽ばたいた。