初陣
草原を、石橋を、森林を、街々を、斬り裂くように伸びた線路。
遠くの都会にまで伸びたその上を、寄り道なく突き進むのは魔の力で動く魔導列車だ。
「――もしかして、二人とも表の世界出身なの!?」
その車両内に木霊したのは、そんな驚愕を孕んだ声音だった。
「あぁ。日本って国から、こっちの世界に来たんだ」
「日本! 日本って言った? あのニンジャとサムライの!?」
「そうだけど……」
いまらんらんと目を輝かせているのは、先ほど知り合った少年だ。
名前は、エレン・ロークエン。彼は、一目見ただけでは性別を判断しかねる見た目をしている。声音も、顔付きも、身長も、身体付きも、どちらとも断定しかねる曖昧さだ。けれど、自己紹介と共にみずから男だと言うあたり、過去の色々を想像させられた。
しかし、本当に外国人――異世界人も、忍者と侍が好きなんだな。
「へぇー! すごいな、憧れちゃうなぁ。極東の狭い島国でつい数百年前まで昼と夜となく、殺したり殺されたりを延々と続けてきた国なんでしょ? 日本って。魔物もいないのに!」
日本をどんな国だと思っているんだ? このエレンは。
やはり世界を隔てると、いろいろと誤解が生じていそうだ。
「あ。二人も、もしかして」
「残念ながら、俺は違うよ。忍者でも侍でもない。そこの伊吹と違ってな」
「ちょっと、翼ッ」
隣に座っている伊吹に足を抓られた。
「いででッ、ホントのことだろ? 昔に親父さんに稽古をつけてもらったことも――」
もらったこともあった。
そう言おうとしたが、その先はこの身を激しく揺らした振動と衝撃によって阻まれた。
耐え難いほどの衝撃の奔流。抵抗も虚しくなるようなそれに加え、ほぼ同時に金属を引き裂いたような鼓膜を劈く甲高い音が車両内に響き渡った。
「おいおい、何事だ? こりゃ」
無意識的に目を向けた車窓には、石橋の上で停止した魔導列車が映る。
遥か下にある湖の水面に、その様子が小さくだが窺えた。
道理で、先の衝撃を境に心地のいい揺れがなくなった訳だ。
「――おい、やばいぞ……みんな窓際から離れろ!」
そう不意に誰かが言ったかと思えば、次の瞬間にまたしても激しい衝撃に襲われる。
宙を舞う硝子の破片。歪に壊された座席。車両に食い込む巨大な爪。その鉤爪は車両の外壁を握り潰すように折り畳まれる。
鈍い音を立てて引き千切られていく壁や天井に、乗客達は悲鳴を上げて逃げ惑う。
この車両からだけじゃあない。いたる所から反響するように聞こえてくる。
「どどどどど、どうしよう!? こ、これって魔物の襲撃じゃあ」
「みたいだな。と、なると、俺達がやるべきことは一つだ」
狼狽えるエレンを横目にしつつ、今まさに天井を引き裂いた魔物を見据える。
眼界に映り込むは、灰色の羽根を身に纏う怪鳥だ。
鳥類とは思えない巨躯と脚力にモノを言わせ、怪鳥は更に天井を引き剥がす。そして俺達に狙いを定めると、啄むようにその鋭利な嘴を振り下ろした。
「正当防衛だ、恨むなよ」
迫り来る嘴に対して、その対抗策を差し向ける。
己が意思に従い、この手に淀みの結晶が集う。
深くて暗い闇として現れたそれは、思い描いた通りの姿へと変貌する。
その形状は細く長く、無骨で単純。一瞬にして、瞬く間に、それは完成した。
滑腔式歩兵銃、マスケットとして。
「――深淵纏い」
名を呼び、存在を固定し、引金を引く。開戦の火蓋を切る。
発砲音と共に撃ち放たれた弾丸は、嘴のことごとくを打ち砕き、頭蓋を貫いて脳髄へといたる。銃声と入れ替わるように響き渡るは、痛みと恐怖が入り交じった生への渇望を色濃く残した悲鳴。
だが、それも直ぐに断末魔に変わる。脳髄に至った弾丸が、爆ぜることで。
「伊吹、いくぞ」
「うん」
首から先が失せた巨躯が、ゆらりと揺れて崩れゆくのを確認し、伊吹の名前を呼んで外へと向かう。
「え? あ、二人とも!」
引き裂かれた天井を抜けて車両の上に立つ。
そうして、まず目に入ったのは灰色の群れだった。
その数はもはや、両手両足の指では足りない。すでに何匹かは車両に取り付いて人を襲っているし、見上げた空には埋め尽くすほどの灰色が旋回している。
「……対空砲が動いてないね。手入れもされてないみだいし……」
「これだからクソ田舎は……とにかく、車両に貼り付いてる奴等を引き剥がすぞ」
俺は先頭に向かい、伊吹は最後尾へと向かう。
二手に別れて車両の上を駆け抜け、取り付いている怪鳥を引き剥がしに掛かる。
「さて、忙しくなるぞ」
この身体から溢れ出る深淵に形を与え、マスケットを形作ると直ぐに照準を合わせて引金を引く。撃ち放たれた弾丸は、駆ける俺よりもはやく怪鳥に辿り着き、その身を裂いて爆ぜる。
内側からの爆破により、夥しい量の血を吐いて怪鳥の片翼が落ちた。
だが、完全に仕留めてはいない。もう決して空を飛ぶこと叶わない灰色に止めを刺すべく、最初のマスケットは破棄して新しいもう一丁を形作る。
「――おっと」
しかし、その照準は別方向へと向かう。空からべつの怪鳥が急襲してきたからだ。
デカい図体で滑空するから、風を斬る音ですぐわかる。素早く射線を斜め上へと向け、躊躇なく引金を引く。直後、弾丸は怪鳥の胴を捉え、大きな風穴をこじ開けた。
「さて……と? ありゃ、取られちまったな」
視線を正面へと戻すと、片翼の怪鳥はすでに息絶えていた。良く見れば、車両に横たわる怪鳥の頭部が陥没している。
マスケットを捨て去るように無に帰し、横たわる怪鳥のもとに駆け寄る。すると、止めを刺したと思われる人物が、ちょうど車両から飛び出てきた。
両手に鈍色の手甲を纏う、褐色の肌をした背の高い青年だ。
「よう、やったのはあんたか?」
「あぁ。と、言うことは、さっきのはキミか。助かったよ、危うく餌になる所だった」
「そうならなくて何よりだな」
バケモノ鳥の餌になるなんて酷い死に方は、そうそう無い。
ともあれ、助けになったのなら良かった。
「状況はどうなってるんだい?」
「さぁな。わかっているのは、足下のこいつが鶏小屋の餌箱になってることくらいだ。一応、俺ともう一人で車両に取り付いた奴等を引き剥がしてる。見ての通り、対空砲が仕事してないんでな」
「なるほど……なら、自分もそれに参加するとしよう。……でも、妙だな」
迎撃戦への参加と協力の意思を示した彼は、しかし訝しげな表情を造る。
その視線の先にあるのは、足下の亡骸だ。彼は怪鳥の死体を眺めつつ、顎に手を当てて何かを思案していた。
「妙って?」
「この魔物だよ。本来なら滅多に人を襲わない大人しい奴なんだ。それに個体の大きさも……」
何かしらの異常なことが起こっているってことか。
「まぁ、今は気にしてもしようがないさ。とにかく、俺は先頭車両にまで行って車掌に会ってくる。こいつはまだ動くのか、とか。色々と聞きたいこともあるしな」
「わかった。なら、自分は魔物の迎撃に移るよ。幸運を。えーっと」
「翼だ」
「自分はマーカス。じゃあ、また会おう」
マーカスにしばしの別れを告げ、ふたたび車両の上を駆け抜ける。
先頭車両に辿り着くまでの間にも、何羽もの怪鳥を撃ち抜きつつ、この足は車両の途切れにまで到達する。そうしてすぐ車両の上から飛び降りて運転室の前に降り立つと、その扉を開け放った。
「車掌さん! まだこいつは動かないのか!?」
「キミは? いや、それはいい。キミ、速く何処かへ避難しなさい! 魔物が突っ込んできた所為で動力源がイカれちまった。もうこの魔導列車は動かない!」
「なんだと……逃げろったって、此処は石橋の上だぞ。逃げ道なんて……」
事態は思っていたよりも深刻だ。
暢気に石橋の上を移動なんてしたら良い的だ。かと言って、下の湖までは距離があり過ぎる。飛び降りようものなら、水面の上にばらばらの死体を晒すことになる。
交戦……も、現実的じゃあない。とにかく数が多すぎる。一体ずつなら何とかなるが、切りがなさすぎる。
それにいま奴等の多くが旋回したまま襲ってこないのは、獲物を食う順番で小競り合いをしているからだ。それが収まったが最後、奴等は容赦なく数で襲いかかってくる。
「――つまりー、動力源を直しちゃえば良いってことでしょ?」
どれだけ思案しても良い案が浮かばず、万事休すかと思われた、その時。不意に背後から、あっけらかんとした軽い口調の声が響く。
「誰だ? あんた」
「ミシェル・ランスリーン。救世主ってところかなー」
そう名乗ったミシェルは、何処か大人びた雰囲気のある少女だった。
藍色の瞳か。赤みがかった黒の頭髪か。その端正な顔立ちか。そんな印象を抱かせる彼女は、緩いウェーブがかかった長い髪を指先で弄びながら、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
「直せるのか? 動力源を」
「うん。昔に資料で読んだことあるから、大体の構造は頭に入ってる。この魔導列車は型が古いし、機構が一新されているってこともなさそうだしねー。動力源の損傷具合にもよるけれど……ま、そんなに時間は掛からないと思うよーん」
それは願ってもない言葉だった。
「是非、お願いする。動力源はこっちだ、付いてきてくれ」
「はいはーい」
そう軽く返事をして、ミシェルは俺の隣を擦り抜けていく。
いつ空から怪鳥が降ってくるかも知れない状況下で、あれほどのほほんとしてられるとはな。大した肝っ玉だ。
「あ、そうだ」
くるりと、ミシェルは振り返って俺と目を合わせた。
かと思えば、不意に何かを投げ渡してくる。
受け取ったものを確認するため、握り込んだ手の平を開く。そこには彼女の瞳と同じ色をした球体があった。
「これは?」
「私が開発した魔導具。それで私とだけ連絡が取れるようになるの。盗聴の心配のない貴重な連絡手段なのだー」
得意気にそう言い、ミシェルは続けざまに口を開く。
「私が修理している間、空の魔物が降ってこないように撹乱しておいてよ。キミなら出来るでしょ? 空、飛べるんだし」
「あぁ、それはいいが……なんで知ってるんだ?」
アイルはいま懐の中だ。
彼女に使い魔を見せた覚えはない。
「さっき、あれだけ見せ付けておいてよく言うよ。滅多にお目にかかれないドラゴン。あとで観察させてね」
いたずらな笑みを浮かべて、ミシェルは今度こそ車掌さんの後に続く。
鼻歌交じりに、遠足にでもいくように。
「まったく、食えない奴だな。ま、ともかくだ。行くぞ、アイル」
「くあー!」
懐の中で元気よく鳴いたアイルを連れて、運転室を後にする。
外へと飛び出すと、石橋の上はすでに幾つもの蠢く影に浸食されていた。若干の薄暗さすらも感じるほど、空には怪鳥が犇めいている。
「この数を撹乱か。腕がなるな、まったく」
そう、誰に言うでもなく呟く。
すると、時を同じくして、まるで返事をするかのように頭上から声がかかった。
「や、やっと追いついた……」
「エレン。追ってきてたのか」
頭上を見やると、車両の上にエレンの姿があった。
両膝に手を付いて肩で息をしているあたり、相当急いで来たみたいだ。
「僕にも何か、出来ることはないかな? なにかしたいんだ、キミ達みたいに」
「なら、一つ頼まれてくれるか?」
「もちろん!」
息の荒さも吹き飛ばすような良い返事で、エレンは答えた。
「いまこのポンコツ列車の動力源を修理している。もう時期に動き出すはずだ。だが、車両が揺れるたびに作業が遅れる。一刻も早く青空を拝みたいなら――」
「みんなで協力して魔物を迎撃しなくちゃいけないってことだね」
「あぁ、頼んだぞ」
「任せて。すぐに伝えるから!」
エレンはすぐに踵を返して、来た道を駆け抜けていく。
その様を見届けると、俺も役割を果たすために行動を開始する。
「アイル」
俺の呼びかけに応えるよう、アイルは懐から飛び出て成体にまで成長した。
気高き白龍の背に跨がり、遥か上空を旋回する怪鳥の一群を一瞥する。その数足るや甚大にして膨大。だが、この白く逞しい背に跨がっていると、不思議と負ける気がしない。
「俺達の初陣だ。気合い入れろよ、相棒!」
その鼓舞に応えるよう、アイルは雄々しき咆哮を放つ。
それは天空へと昇り、地表を駆け抜け、生きとし生けるモノ全てに轟いた。