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孵化


 殻を叩く音がする。何度も何度も、力強く叩く音がする。

 ひび割れた卵殻は、音と共にその身を崩して役目を終えた。

 卵から孵ったモノは、自らの生誕を祝うかのよう、高らかに産声を上げる。


「――はっはー……こいつはたまげた」


 宝石の如き紺碧の瞳。雄々しき一対の双角。穢れなき純白の鱗を纏う小さな身体。それは幼き翼を目一杯に広げ、まだ見ぬ空に思いを馳せる。その脈動は生命の息吹を、たしかに感じさせた。


「まさか、ドラゴンとはな」


 目の前のドラゴンに対し、脳裏を過ぎるのは過去の出来事だった。

 あの日、魔法学園へと入学した際に、召喚の義にて賜った卵。それから三年の時を経て卒業を向かえ、ようやく孵った俺だけの使い魔。他の皆より孵るのが遅かったが、待たされた分だけ期待が大きくなっていた。

 そして、この幼龍はその期待以上の応えを見せてくれた。


「――っと、そうだ」


 卵が孵ってまずすべきことは、俺の情報を与えることだ。

 魔法学園での教えに従い、俺は手の平に魔力の塊を生成した。

 これを与えることで、使い魔は主人との契約を終える。契約はどちらかが死ぬまで続き、使い魔は決してそれを裏切らない。少なくとも、こちらが裏切らない限りは、永遠に良き友でいられる。


「ほら」


 魔力の塊を摘まみ上げ、幼龍のもとへと運ぶ。

 それを受けて幼龍は口を大きく空け、それをバリバリと頬張った。


「くあー!」


 すべて平らげると、幼龍は一鳴きして机上を、よたよたと歩き始める。

 ふらつく幼龍に手を差し伸べると、そのまま腕を伝って肩にまで登った。そうすると幼龍は、達成感に溢れたような楽しげな声を上げる。

 それは「くあー! くあー!」と何度も続き、親に会えた子供のようだった。


「よしよし、よく出来たなー」

「くあー!」


 下顎を掻くように撫でると、更に感情のこもった鳴き声を発した。


「そうだ。お前に名前を付けないとな」


 幼龍を抱き上げて正面にもってくる。


「くあー?」

「そうだな……いろいろ考えてはいたんだが」


 幾つかの候補の中から、もっとも相応しい名前を決める。


「――よし、決めた。お前の名前はアイルにする。俺と同じ意味の名前だ。気に入ったか?」

「くあー! くあー!」

「そうかそうか。そいつはよかった」


 よほど気に入ったのか、翼をばたばたを羽ばたかせている。

 その様子に機嫌をよくしていると、自室の扉からコンコンとノックの音がする。


「――つばさ? もう起きているの?」


 その声音は、とても憂いを帯びていた。


「あのね? 翼。卵が孵らないからって、そんなに思い詰めることはないのよ? お父さんだって貴方と似たような経験をしたんだから」


 慰めるような、言い聞かせるような、そんな言葉が後には続く。

 母さんにはどうやら、気を病んだ俺が可笑しくなったように聞こえたらしい。自室の扉越しに言う母さんの言葉を聞いて、俺はアイルと顔を見合わせる。

 そして、互いににやりと笑うと、アイルを連れたまま自室の扉を開け放った。


「孵ったよ、卵なら」

「くあー!」


 差し出すように目の前に見せ付け、アイルが一鳴きすると母さんは目を丸くした。


「……は、え? どら……ごん?」


 その後、この十八年間で聞いたこともないような絶叫が家中にこだました。



「はっはー、まさかうちの息子がドラゴンを使い魔にするとはなー」

「笑い事じゃありませんよ。ホントにびっくりしたんだから」


 食卓に並ぶ朝食を口にしつつ、父さんと母さんは、だがすこし嬉しそうに話す。

 今朝は以前と比べて、とても明るい食事となった。なにせ、一人だけ孵らない卵を抱えていたことで、父さんと母さんにも心配をかけっぱなしだった。

 けれど、こうして卵が孵ったことで、ドラゴンを使い魔にしたことで、憂いは晴れた。

 会話も声音も弾んでしまうし、何時もの朝食も一段と美味しく感じる。俺の側でミルクを舐めているアイルも、どこか嬉しそうに映った。


「と、言うことはだ。いよいよ、翼もこの街を出て都会に行くのか」

「あぁ。都会に行って、ギルドに入って、憧れのその日暮らしだ」

「はっはー、男の浪漫だな」


 そう、父さんは自分のことのように笑う。


「いつ出発するの?」

「この後すぐに街を出るよ。先に行ったあいつらに早く追いつきたいんだ」


 俺の同級生はみんな一足早く、この街を出ている。正確には、約一日ほど前にだ。

 今から追っても合流は難しいだろうが、それでも逸る気持ちを抑えることは出来ない。この心は、この身体は、前に進むことを望んでいる。

 早く早くと急かすように、胸のぞわぞわが止まらない。


「仕度は出来ているのか?」

「大丈夫。いつ孵ってもいいように済ませてあったんだ。こいつを食べたらすぐにでも出発できる」

「そうか。なら、味わって食えよ。母さんのご飯は、もうしばらく食えなくなるんだからな」

「言われなくてもそうしてる」


 街を出たら、しばらくは会えなくなる。

 そのことに少し寂しさを覚えつつ、口に運んだ朝食の味を噛み締める。

 楽しい朝食は、最後の食卓は、あっという間に終わってしまう。

 とうとう、いよいよ、出発の時がきた。


「寂しくなるわね」

「あぁ、だが誇らしくもある。そうだろう?」

「えぇ」


 別れの場所は、最寄りの公園にした。

 早朝ということもあって人気はなく、出発を妨げる余計な憂いのない、最適な場所だ。

 父さんと母さんに見守られながら、ゆっくりと公園の中心地へと向かう。一歩を刻むたび、思い出が蘇るようだった。普段は思い出しもしないことが、たくさん思い浮かんだ。

 そんな暖かな思い出に包まれながら、足を止める。


「アイル」

「くあー!」


 使い魔は、必要に応じてその姿を変えられる。

 時には懐に収まるほど小さく、時には見上げるほど大きくなれる。

 幼いながらも力強く羽ばたいたアイルは、その姿を一回りも二回りも大きくし、幼体から成体へと成長する。その逞しい剛翼から放たれる風圧を伴い、その巨躯は目の前に舞い降りた。


「それじゃあ、行ってくる」

「えぇ、行ってらっしゃい」

「しっかりやれよ。翼」

「あぁ!」


 アイルの背に跨がり、両親に別れを告げて飛翔する。

 舞い上がり、飛び上がり、目まぐるしく変わる世界。

 眼下に並ぶは、所狭しと敷き詰められた煉瓦の屋根。雲が何よりも近くなり、地上が何よりも遠くなる。遥か上空、空の世界へと、俺達は吸い込まれた。


「絶景だな」


 天空に至り、眼界に広がる景色は筆舌に尽くしがたいほど美しい。


「いくぞ、相棒。まずは先にいったあいつ等に追いつく。出来るだろ?」


 その問いに成体となったアイルは雄々しい声音を放ち、逞しい剛翼を以て空を掻く。

 瞬間、分厚い空気の壁と衝突したかのような衝撃が全身を撫でた。そうと錯覚するほどの急加速が、アイルによって行われたからだ。口を開けるのも、息をするのも、楽ではない速度。だが、それが逆に俺の心を更に昂揚させた。


「はっはー! 良い返事だ」


 感傷や孤独を置き去りにするよう、アイルは誰よりも速く天を翔る。

 気高き龍の背に乗り、この胸に宿るのは、学生のころに修めた知識の一つだった。

 竜騎兵ドラグーン

 かつて騎馬に跨がり、マスケット銃を撃っていた兵士。地上を駆け抜けた彼等はいつしか龍に騎乗し魔法を放つ、空の覇者になったと言う。

 今現在においては形骸化して久しい名だが、その威光は未だに衰えてはいない。


「……そいつを目指すのも悪くないかもな」


 アイルが、その可能性を与えてくれた。

 夢、だと口にするのは憚られるが、まだそれほど強く志せはしないが、一つの方向性として頭の片隅に止めておこう。密かに思うだけなら、焦がれるだけなら、誰に咎められることもない。

 そう、将来の展望に分不相応な絵を描きつつ、時間を忘れて過ぎていく景色を眺め続ける。そうすること幾ばくかして、太陽が一番高い位置を少々過ぎたころ。俺達は速くも目的地である、次の街の外観をこの目に映した。


「街が見えたってことは……アイル、ちょっと止まってくれ」


 その言葉に反応して、アイルは移動を止めてその場で滞空する。


「まだあいつらの乗った魔導四輪を見てないってことは」


 街の外観に目をこらして見ると、検問と思しき場所に魔導四輪が停車しているのが見えた。朧気だがそこから何人かが下車している様子も確認できる。

 それを見るに、どうやらたったいま到着したようだった。


「こいつはいい。行こう、アイル。速度を少し落としてな」


 再び白き剛翼は空を掻く。だが、以前よりも緩やかな速度で滑空する。

 頬を撫でていく緩やかな風を感じつつ、懐に手をやって一つの魔導具を取り出す。四角形の透明な硝子箱とも見えるこれに、自身の魔力を流し込んでその効果を発動させる。

 立ち上り、白く色付くのは、煙だ。

 自身の存在と無害を伝えるための狼煙。

 それを天に立ち上らせながら、いらぬ警戒心を抱かせることなく、検問所の付近にまで辿り着く。


「ゆっくり、ゆっくりだぞ」


 アイルは指示通りにゆっくりと高度を落とし、地に足を下ろして体勢を安定させる。

 そして揺れがなくなると共に、背から飛び降りるとすぐにアイルの目先にまで歩み寄った。


「上出来だ、アイル。よくやった」


 アイルのお陰で無理だと思っていた合流が出来た。

 褒めて下顎を掻くように撫でると、アイルは気持ちよさそうに目を細め、元の幼体へと姿を戻した。


「――つ、翼? 翼なの?」


 アイルに労いの言葉をかけ、視線を検問所へと移そうとしたところ。時を同じくして、俺の名前をしどろもどろになりながら呼ぶ声がした。

 そちらに目を向けると栗色の髪を揺らして駆け寄る、よく見知った幼馴染みの姿が映った。


「よう、伊吹いぶき。追いついたぜ」

 一日ほど期間を空けただけなのに、随分と長い間あっていなかったような気さえする。それくらい、別れ際の心境が暗いものだったからだろう。

 伊吹は何も変わっていない。

 溌剌とした声音も、まだあどけなさの残る、すこし幼い顔付きも。

 俺が、それだけ変わったんだ。アイルのお陰で。


「追いついたぜって、それは見ればわかるけど」


 そう言いつつ、伊吹の目線は俺から、俺の頭上に移る。

 冬場の猫の如く、丸くなったアイルへと。


「ドラゴン……だよね。本物なの?」

「あぁ。今朝、孵ったんだ」

「今朝? じゃあ、その短時間であの街から……ここに?」

「あぁ、すげーだろ? うちのアイルは」

「すげーって言うか。びっくりって言うか……ふぁー」


 伊吹は目を白黒させつつ、幾分か知能指数が下がったような言葉を漏らす。

 その気持ちはわかる。俺も孵ったのがドラゴンだと知った瞬間、呆けたような言葉しか出てこなかった。人は衝撃的な事実を目の当たりにすると、ほんの僅かにだが頭が幼児退行するらしい。


「と、とにかく、合流できてよかったよ。それと、おめでとう」

「あぁ、ありがとな」


 祝いの言葉と共に突き出された拳に、こちらも拳を合わせて応える。

 そうして伊吹と共に検問所へ向かおうとした、その直後。


「――そいつは本物なのか!?」「どうやって使い魔にしたの!?」「ドラゴンなんて初めて見た!」「乗り心地はどうだった?」「白くて小さくて可愛い」「撫でさせてー!」「もう一度、飛んで見せてくれないか?」「見たい、見たい!」「写真! 写真撮らせて!」「羽根を! 翼膜を触らせてくれー!」


 同級生達や、そうでない人達からの質問攻めに見舞われたのだった。

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