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おともだち、よろしくね




 莉央が菜月と出会ってから1か月。

 あれから、特に変わったことはない。

 それはそうだ。莉央は客で菜月はウェイトレス。それ以外になにがあるというのだろう。


(まぁ…月城さんがあの子はノンケだからって言っていたし、手を出すつもりなんてこれっぽちもないんだけど…)


 一目惚れ。なんてまさか自分がするとは思わなかった。

 しかも、相手は同じ女性だ。


 篠原菜月。莉央が好きになった女性。今年23歳になる女の子。職がうまく見つからず、この喫茶店にひかれるようにして入社したらしい。


(今年23ってことは私の5つ下か…若くて可愛い子だし、恋人とかいんのかな。でも、ひとつ気になるんだよなー。もしかしてあの子…人に触れるのが苦手…?)


 この1か月。莉央が菜月を見て気づいたこと。

 極力、人に触れないようにしている。会話の受け答えはできているようだけれど、あまり人との接触を好んでいないようだった。


(接客業でそれって、少しまずいんじゃないの?)


 けれど仕事のことを部外者である自分が口を出すことはできない。

 今はとりあえず問題はないようだから、様子見。といったところだろうか。


「見すぎ」

「!」


 後ろから声をかけられて振り向くと、月城が呆れた顔をして莉央を見ていた。


「最近、うちの店に前にも増して来てくれるのは嬉しいんだけど、目的が明らかに篠原さんでしょ?」

「…まぁ、目の保養くらいには…でも、手を出そうとかなんてこれっぽちも思っていないから」

「…上條さん…」


 顔を顰めている月城には悪いと思っている。月城が菜月を妹のようにかわいがっているのは見ていてわかるし、そんな二人の仲が悪くなるようなことなんてしたくない。


 最初から分かっている。自分が好きになる相手は女性。

 そして、その思いは…叶わない。


「ごめん…見ているだけは許して」

「…本気になったら、辛いのはあなたよ?」

「多分…手遅れかなぁ」


 そう言って自嘲してみせたところで、月城にいらぬ不安や心配を与えていることは確かだ。


「月城さんには迷惑かけたくないし、篠原さんにだってそれは同じだよ。心配してくれてありがと。私は平気だから。慣れているしね」


 そう言って残りのコーヒーを飲み干し、莉央は店を出て行った。

 その様子を菜月が見ていたとは知りもせず。



*****



 その日の夜。

 残業で帰りが遅くなった莉央は、フラフラになりながら最寄駅から自宅へと向かっていた。


(最近、本当に忙しいなぁ…まぁ、時期的なものだし仕方ないか…明日は休みだし、昼には『しらゆき』にでも行こうかなぁ…何はともあれ、癒されたい…)


 そんなことを思いながら思い出すのは菜月の笑った顔。

 見ているだけで本当に癒される。


(だから、これ以上はむやみに声もかけられないんだよね)


 これ以上の接触はきっと危険だ。




「…、てくださいっ」

「ん?」


 住宅街の細い路地で、誰か女性の声が聞こえ足を止める。


「はなっしてっ」

「!この声…」


 聞き覚えのある声に、莉央は慌てて声のした方へ向かった。

 そこにいたのは小柄な女性と、スーツ姿の男性。

 そして莉央は、その女性に見覚えがあった。


「っ篠原さん!」

「!?上條さん?」


 小柄は女性は、やはり菜月だった。

 菜月は呼ばれて顔を上げ、莉央を視界に映すと泣きそうな顔をした。

 街灯の下でも、それははっきりとわかった。

 瞬時、腹の中がカッと熱くなるのを感じた。

 向ける視線は菜月の腕をつかんでいる男の方。

 睨みつけて近づくと、菜月の腕をつかんでいる手の方の手首をぎりっと握りあげた。


「っつ…なんだ君は!」

「それはこっちのセリフ。こんな薄暗い路地で女の子の腕つかみあげて何やってんの?」

「君には関係のないことだ。邪魔をするな」

「あーそう…」


 莉央は男の手首に圧を掛け、ギリッと握りしめた。


「っ!?」


 すると男は菜月の腕をつかんでいた手を放した。

 それを確認すると、莉央は菜月を自分の後ろに隠し、男から遠ざける。


「何か事情があるにしても、嫌がっているのに無理強いするのは男としてどうなの?悪いこと言わないから、出直してきな。それとも、警察でも呼ぶ?」

「っ」


 男は莉央を睨みつけ、莉央の後ろにいる菜月に視線を向けた。

 菜月は怯えた顔で男から視線をそらす。それを見た男は舌打ちをしてその場を去って行った。

 それを見送った莉央は一度ため息をついて、後ろにいた菜月の方を向いた。


「大丈夫?」

「あ、はい…すみません…ご迷惑をおかけして」


 菜月は弱々しく笑っているが、かえって心配になる。


「迷惑とか思ってないよ。家どこ?近くなら送っていくよ」

「え…でも…」

「いいから。私が心配なんだよ。篠原さん、顔が真っ青だし」

「…それじゃあ…お願いします」


 そうして二人は菜月のアパートへ向かった。

 その間、ずっと話すことはなくて、莉央は菜月の様子を伺っていたが声が掛けづらかった。



 アパートに着くと、莉央はそのアパートを見上げた。

 女の子が好きそうな感じのアパートだ。


(でも…防犯には随分と不向きだなぁ…)


「あの、ありがとうございました」

「ん?ああ、いいって。それじゃあ、私は帰るね。戸締まり、ちゃんとするんだよ?」


 そう言って踵を返して帰ろうとすると、


「ま、待って!」

「!?」


 くんっと腕を引かれ、足を止めた。振り返ると、菜月が莉央の手を掴んでいた。

 突然のことに、莉央もさすがに驚いた顔をする。


「篠原さん?」

「あ、あの…お茶、飲んでいきませんか?さっきのお礼がしたいし」

「え…」

「あ、いや…その…迷惑じゃなかったら…」


 さっきとは違って、顔を赤くして俯いている菜月を見て、『断る』という選択肢は莉央の中に生まれなかった。


「…じゃあ…お言葉に甘えて」


 そして二人は菜月のアパートの部屋へと向かった。






 菜月の部屋の中は、予想していたものとはまったく違っていた。

 女の子らしい部屋かと思いきや、シンプルすぎるほど必要最低限のものしか置いていないのだ。

 そのどれもがセピア調な感じで、ピンク色を想像していた莉央は驚きのあまりに立ち尽くしていた。

 けれど、ふと、部屋の隅においてある棚に目がいく。たくさんのスケッチブックと画材が綺麗に置かれていた。


(画材?…あんなに種類が多いって…まさか、篠原さんって美大卒?)

「あまり女の子らしくない部屋で驚きましたか?」

「え?」


 コーヒーのカップを持ちながら苦笑している菜月に声を掛けられて我に返った莉央は、つられるように苦笑した。


「あ、ごめん。ちょっと驚いた」

「いいんですよ。あ、適当に座っていて下さい」


 菜月にそういわれ、シンプルなソファーに腰を下ろす。

 しばらくして、コーヒーが入ったカップを二つ持った菜月が、一つを莉央の前に置き、カーペットの上に腰を下ろした。


「どうぞ」

「うん。ありがとう」


 莉央はコーヒーを一口飲んで息を着いた。


「さっきの人…知り合い?」

「え?…」

「ただのナンパって感じじゃなかったから」


 菜月は俯いてギュッと手を握りしめた。


「…彼は…元恋人…だったんです…学生の時に付き合っていて…でも、私がもう付き合えないって言って…別れたんです」


 『元』恋人。

 その言葉に莉央は少しだけ顔をしかめた。

 なんとなく、そんな気はしていたけれど。やはり、いい気分はしない。


「だけど、彼は復縁を求めた…」

「はい……彼は江幡雅史えばた まさしと言って…彼から告白されて…でも、私は最初は断ったんです。江幡くんのことは嫌いじゃないし、さっきはあんな感じでしたけど、すごくいい人で…でも、好きかといわれたら…そうは思えなくて」

「でも、付き合うことにしたんだ?」

「付き合っていれば、好きになるかもしれないって…そう思って…江幡くんも、それでいいって言ってくれて」

「…無理でしょ」

「え?」


 莉央がキッパリと言うと、菜月は顔をあげて莉央を見た。

 莉央は小さく笑って菜月を見ていた。


「責めているわけじゃないよ。ただ…篠原さんはさ、人と接触するの苦手なんじゃない?」

「!どうして…」

「…見ていれば分かるよ…でも、分からないこともある。なんで、そんな状態で接客業をしようと思ったのかなって」

「…それは…」


 菜月は再び俯いてしまい、しばらく黙り込んでしまった。


「まぁ、無理に話したくなければ、話さなくてもいいよ」


 そう言って、コーヒーをもう一口飲んだ。





 どれくらい経っただろうか。

 菜月は、ゆっくりと口を開いて話しはじめた。


「わ、たし…子供のころ…いじめにあったんです。私の家、母子家庭で…父が外に女の人を作って出ていってしまって…近所でそういう噂が流れて…それが原因でいじめられるようになったんです…」

「まぁ…子供って親が話しているのを聞いて、それをネタにすることがよくあるしね」

「私には三つ下の弟がいて、弟もいじめにあって…母親は、私たちのために引っ越すことを決めてくれました。転校先ではいじめられることはなかったけれど、いじめを受けた時のことを思い出して、人と接触することが怖くなったんです」


 菜月はその時のことを思い出しているのか、泣きそうな顔をしている。


「いじめをしてきた子の中には、友達もいました。数日前までは一緒に遊んで、仲もよかったのに…それで、人を信じることが出来なくなって…」

「そんな状態で、誰かを好きになろうっていうのは…無理すぎだと思うけど…」

「…それでも、子供の頃に比べたらマシになったほうなんです。普通に話しも出来るし…」

「だからって好きでもない相手と付き合うっていうのは、篠原さんにはハードルが高すぎる。どうしてそこまでして…」


 込み入った話しに首を突っ込みすぎるのはよくないと思っている。でも、理由が知りたかった。何がそこまで菜月を追い詰めているのか…


「母親を…安心させたかったんです。母親は私がこんな状態になったのは自分のせいだと責めました。私は、いじめにあったことも、それによって人間不信になったことも、母親のせいだとは思っていないんです」

「だけど、お母さんは自分を責めた。それで篠原さんは、少しでもお母さんを安心させようと思って、好きでもない相手と付き合うことにしたんだ?」

「…今、思えば…馬鹿なことをしたと思います……結局、江幡くんも傷つけてしまって…」

「なるほどね…」


 莉央はコーヒーを飲んでテーブルにカップを置き、ソファーの背もたれに寄り掛かった。


「彼と別れた後も、篠原さんはどうにかして人間不信を少しでも克服しようとしたわけだ?それで、選んだのが接客業」

「はい…」

「で、ちょうどみつけたのが『しらゆき』?」

「っ…い、いいえ…その…」

「?」


 急に言葉を濁す菜月を見ると、何故か顔を赤くして俯いている。

 莉央は菜月の様子に首を傾げて顔を覗いた。


「篠原さん?」

「『しらゆき』に勤めようと思ったのは、他に理由があります」

「そうなの…?」


 菜月は頷いてそのまま何か言い澱んでいる。


「か、上條さん…」

「何?」

「怒らないで、聞いてもらえますか?」

「?いいよ」


 莉央から了承を得ると、菜月は一度息を着いて口を開いた。


「『しらゆき』に勤めようと思った理由は…上條さんなんです」

「え?私?」


 思いも寄らない理由に、莉央は目を見開いた。


「私…就職がなかなか決まらなくて、たまたま『しらゆき』の前を通ったんです。その時に、上條さんを見かけて…その…男の人だと思っていたから…」


 そういえば、初めて会ったときも勘違いしていたと言っていたことを思い出す。


「…一目惚れ…だったんです」

「………え?」


 菜月の言葉に莉央はキョトンとしてしまった。

 菜月はといえば、顔を真っ赤にして縮こまってしまっている。


「…好き…というよりは、憧れに近かったんです。誰も好きになることができない私にとって、それはとても衝撃的で…」

「私も色んな意味で衝撃的なんだけど…」

「ご、ごめんなさいっ」

「あ、いや…謝らなくてもいいんだけどさ…」


 男性と間違えられることはしょっちゅうだ。ごくたまに、惚れられることもある。

 が、菜月にまで惚れられるとは思いも寄らなかった。


「…だから、初めて会ったときに顔を赤くしてたんだ」

「…っ」

「えと…なんだか、ごめんね。よく間違えられることなんだけど、篠原さんみたいな子もたまにいてさ…申し訳ないなとは思うよ」

「でも、それは上條さんのせいじゃないですよ」


 でも、莉央は少なからず嬉しかった。菜月にほんのわずかでも好意をもってもらっているということはある意味、奇跡だ。


(あー…でも、それはあくまで私が『男』だったらの話しだよな。篠原さんはノーマルなわけだし…)


 でも、今こうして菜月の部屋にいるという事実は、人間不信である菜月に少しだけでも心を許してもらえているということなのかもしれない。


「ねぇ、篠原さん」

「はい」

「私と、友達にならない?」

「え?」


 菜月に対して友達以上の思いを抱いていながら、友達になろうだなんて、我ながら狡いなと思う。


「篠原さんにとって、私はどのくらい近くにいることを許されている?」

「え?…えと…」

「少なくとも、この部屋にあげてもらえるくらいは、許されているって思ってもいい?」


 その問いに、菜月の瞳の奥が揺らめいた。


「いいんですか?私が、上條さんの友達で…」

「聞いているのは、私だよ?」


 やんわりと笑みをこぼしながら聞き返せば、菜月が安堵の笑みをこぼした。


「はい。よろしくお願いします」

「こちらこそ。じゃあ、今度から私のことは『莉央』って呼んでね?私は『菜月』って呼ばせてもらうから」

「莉央さん?」

「『さん』はいらないよ。あと敬語もなしね」

「え、ええっ?」


 莉央からのお願いに、菜月は困惑してしまっていた。


「あの…でも…かみ、…莉央、さんの方が年上、ですよね…」

「うん。私、今年で28だから」

「だ、だったら無理ですよっ年上の人を呼び捨てとか、タメ口とか…」

「私がいいって言っても?」


 首を傾げながら問うと、菜月はしどろもどろになってしまう。

 その様子があまりにも可愛くて莉央は小さく笑った。


「冗談だよ。でも、今は『さん』付けで敬語でもいいけど、なるべく慣れるようにしてね」

「う…は、い」


 困惑しながらも頷いてくれたことに、莉央は喜びを感じていた。


「それじゃ、これからもよろしくね。菜月」

「はい、莉央さん…よろしくお願いします」


 こうして友となった二人は笑みを交わした。


 その少し歪な友情は、それでも確かに二人の心を繋いでいた。








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