第十五話・消え失せた力
まだ幼い感じの風が
凛の足元に出来た。
凛がすぅーっと息を吸うと、それにつられて
風が少しずつ大きくなっていく。
そして、風は消えた。
その瞬間、凛の額から赤黒い血が流れ落ちた。
毒々しいほどのそれは、凛の頬を伝い
床にぽたぽたと音もなく垂れた。
「凛様!」
悲鳴にならないような悲鳴を上げて、
千代が凛の元へ駆け寄る。
「大丈夫。だってこれが定めなんだもん」
息を切らしながら、凛は笑って見せた。
血に混じって落ちる、透き通った涙が
千代をますます不安にさせた。
柊は、それをただ見守るしかなかった。
「柊・・」
声をかけられてびくっと体が跳ねる。
何故か、怖い。
「あんたの・・力が・・開花したはずよ」
確かに。
自分の周りにだけ、風があるように
着物の裾がはたはたと揺れる。
昔の着物はやけに裾がながい。
「あたしは、あんたが現れるまでの器だったの。
力を封じ込めておくためのね・・・」
柊は、瞳孔が開いたのが自分でも分かった。
手が震える。
凛は、俺の力を封じ込めるための器だった・・・・?
「そんな馬鹿な話があってたまるかよ!」
自分でも驚くほどの大声だった。
でも、構わず叫ぶ。
「そんなんなら・・・
俺が現れないほうが良かったじゃないか!
そしたら、凛は今までどおりで傷つかなくてすむし
千代だって不安にならなくてすんだじゃねぇか!」
今すぐ千代に掴みかかって
なんで俺を呼んだ、と問いただしそうになった。
でも、それができなかったのは
麻貴が、柊の腕を強く握っていたからだ。
だめだよ・・だめだよ・・と
必死で柊に訴えていたからだ。
「それはちょっと違うのよ。柊」
はっと柊が顔を上げる。
暖かい眼差しが、柊を見ていた。
狐の面は、消えている。
「あたしは柊がこなければ遅かれ早かれ死んでいたわ。
この力を封じ込めておくには限界がある。
あたしの身体は、もって一年だった」
そこで凛は一息ついた。
「でも、柊が来てくれた。
正確に言うと千代が見つけてきてくれた、かな。
だからあたしは、後遺症があっても、
これから生きていけるのよ・・・」
そう言い終わった時、凛の体ががくりと傾き
床にどさりと倒れた。
額から出ているおびただしいほどの鮮血が床を汚した。
「凛様ーーーーーーーーー!!!」
千代の悲鳴が、今度ははっきりと木霊した。
何時の間にか、朝だった空が夜に変わったように
凛の額に巻かれた白い包帯は、赤黒く変色していた。
一向に、凛は目を覚まそうとしない。
いたたまれなくなった柊は、部屋から出てバルコニーにいた。
遥か下のほうでは、雲が漂っている。
そしてそのさらに下には、日本列島がくっきりと映っていた。
帰りたい。
何も無かったかのように。
此処からいなくなりたい。
何故凛は俺の力の器になったのだろうか。
一生現れないかもしれない、俺の。
俺がいなければよかったのに。
俺がこの世界に存在しなければよかったのに。
俺が・・・
「なーにしけた面しとんのじゃ」
いきなり降ってきた声に導かれるように
柊は振り返った。
泣きはらした千代が浮いていた。
千代が動くたび頭の簪が右へ左へしゃらしゃら音をたてて揺れる。
「凛様の力は無くなった。今度はお前が、頑張らなければいけないのじゃ」
紅い目はもっと赤く腫れて、それを擦るたびもっともっと赤くなる。
「・・・・・なぁ、千代。俺なんで、存在してんのかなぁ・・」
泣きたい気持ちをぐっとこらえて、千代に言う。
ほんとは今すぐ泣きたいのだけれど
恥ずかしいのと、情けないのが入り混じって
なんとか堪えていた。
「俺がいなきゃ、凛だって、こんな思いしないんだぜ?」
そう、俺さえいなきゃ。
すべてうまくいったかもしれない。
「馬鹿!」
ぱしん
乾いた音が響いた。
それは、千代が柊の頬を叩いた音だった。
驚きを隠せない柊の頬を、もう一発叩いた。
「馬鹿ーーーっっ!」
千代の気のおさまるまで、柊は叩かれてやった。
「そんな事言うな!
自分がいなきゃよかった、なんて言うなっ!!」
「あーぁ!女の子泣かしちゃったぁー!柊サイテー」
その声を辿ると、咲、麻貴、音魁が窓にもたれかかっていた。
そして咲の言った事をよく考えて千代を見ると
うぇっくうぇっくと泣いていた。
「え!?あ・・あの・・千代?ぉぃ・・わ・・悪かったよ」
「柊くん。千代ちゃんはね、さっきから元気がなかった
柊くんをいっちばん心配してたんだよ」
ちょっぴり泣きそうな顔で麻貴が笑う。
「で、一番柊に期待してたのも、千代なんじゃねーの?」
さめた顔で、音魁が呟く。
「だからお前は、それに応えてやれよ。凛の分も」
その言葉に合わせて、千代はこくこくと頷いた。
千代がこんなに柊を思っていたのには、訳があった。