7.対峙
× × × ×
なんだかんだで飲み続け、『エテュディアン』を出たころには夜になっていた。
硲市の夜の街路は暗い。
光と影は表裏一体。表通りに集中させた光が裏側の道をより暗くし、より深く夜の輪郭を浮かび上がらせる。
深く刻まれた夜の爪は、誘蛾灯のように脛に傷持つ獣を呼び寄せ、獣はまた別の獣を呼び、獣を狩る狩人たちが集い、そして――――血の匂いが立ち込め、また新たな獣を呼ぶ。
循環する連鎖が、硲の夜を作る。
この町の夜は安全だ。徘徊する行使するべき力を得た若人、それを監督し導き守り育てる先人、蠢く超常。そういった人間が、夜の密度を薄くする。転がる屍は日常ではなくままある非日常で、発砲される銃弾は日常の一コマでなく厄介ごとの幕開けの合図。
一昔前であれば無国家地帯でのみ展開されていたような光景が、今の世界の裏通りの日常だ。
「っあー……飲みすぎた」
「ああ、俺も驚きだよ。お前はオアシスのラクダか」
人気のない路地に、間の抜けた声が木霊する。
あのまま小春と板橋の二人と別れ、流れで送っていくこととなった帰りの夜道。萌木の家は俺の家路とは正反対、学生向けマンションが立ち並ぶ地区の端っこにあるらしい。あの辺りに立ち並ぶ建造物はほとんどが殺人公社の息がかかったものばかりで、安全性は保障付き。交換転校生第一号を叩き込むにはいい場所である。
しかし、行ったところでその道程は安全ではない。
夜の暗がりは獣の狩場だ。硲の夜はよその町と比較して破格に安全な場所であるとは言え、それは絶対的な安全を保障されているわけではない。NASが殺人者を狩るのと同様に、殺人者が私怨や利益、理念や信念といった種々の思惑で、NASを狩るときだってままある。
「いいのよ、別に……。ようやく硲まで来られたんだから、これぐらいの羽目外してもいいでしょ」
「まあそりゃそうだが、それにしたって限度を考えろ。まったく……おかげで軍資金の半分がとんだ」
実に恐ろしきはラクダのごとき。この細い肉体のどこに入るのだと衆人に思慮させるほど、このエリートはよく飲んだ。ノンアルコールであったのが救いである。アルコール飲料であれば、間違いなくこいつは死んでいる。
「あら、存外貧乏なのね、アンタって」
「うっせ。エリート組と一緒にすんな。底辺組はたいてい懐具合が乏しいんだよ」
学生NASの実習過程において、公社から回される依頼を履修することは可能だ。が、そこはやはり完全実力勝負の世界、受けられる依頼は成績順位やNASのランクによって増減する。となると連動して上下するのが報酬の価格で、つまりどれだけ頑張っても、底辺組がエリート組に追いつくのは難しいのである。
「ああ、そういえばアンタって今底辺級なんだっけ……。悪いわね、時計塔での癖が抜けてないみたいで」
「別に、底辺って言ったって並ぐらいはあるぞ。板橋だって、ああ見えて近接戦じゃ強い」
「へぇ、さすがに『剣の板橋』ってとこ? の、割には補助刀剣がお粗末だったみたいだけど、彼放蕩でもしてたの?」
「いや、単純に趣味の問題。『拳銃あんのに剣術なんて、いまどきナンセンス』だとさ」
「随分とわかりやすい理由ね……。何、つまりは趣味の問題ってこと?」
「どうやらそうらしい。ったく、何考えてんだか」
「ふふ、確かにそうよね。まあ、実用性があるだけまだまし、か……」
花開くように明るく、儚げに萌木が笑った。
「でも、考えてみたら武装を趣味で選ぶ人って多いわよね。日本刀だけ、とか実用性考えてないロマン仕様の銃、とか人によってはチェーンガン抱えてたりとか……」
「いたのかよそんなやつ……」
しかしチェーンガンさておいて、NASの中にはそういった理由から武器を選ぶ人間が多いのも事実である。実用以上に愛着で武器を選択し、そのドクトリンを会得することにつながったとしても、NASとしては不思議ではない。
そして、中にはどう考えても実用には不向きな実用選択武器も、存在する。
――――今朝の黒服を思い出した。
俺と同い年、口につきこまれた銃口。怯えの情にためらった様子を見せず、引き金を引き絞った黒い意匠のひとりの女。
使用銃器、AMオートマグⅠ。
萌木の銃と、同じ。
「…………」
あの人物にどんな思惑があったにせよ、俺自身、ひいてはその近隣にいる人間を殺しにかかることぐらいはあり得る。殺人とはすなわち事故。人の思想が万時流浪の代物であるというのであれば、そこから生じる全ての行為もまた同じ。そして最後に突き付けられる選択肢も、常に同じだ。
――――与えるか、奪うか。
無限の選択肢が帰結する一つの結論。
感情や思想とは無関係に突き付けられる無情にして絶対の選択肢。
逃げ出すことは与えること。殺すことは、奪うこと。それは単純な二者択一。自らを与えるか自らが奪うか。殺すか殺されるかの単純な分岐点だ。
「………ナギ?」
考えるな、と自分に言い聞かせる。それ以上は危険だ。思考の渦に深入りするな。ただ現在だけを見つめ、過去の自分を屠殺しろ。
「あ、悪い。なんだ?」
「いえ、何ってことはないんだけど……どうしたの?」
「いや別に。ただ今朝の奴が俺狙いだとしたら、今って結構狙い時だろうな、って思ってな」
誤魔化すように呟き、緩んでいた歩調をもとに戻す。
偶然に失う危険は軽くとも、必然に襲われる危険は大きい。この道は狙われる者にとって、虎の巣も同然だ。
「あ、そういわれてみればそうかも」
あたりを軽く見回し、ここがどういう道であるのかを遅蒔きながらも理解した萌木。無意識なのか手は腰のWIDAに伸びているあたり、警戒はしているようだ。
「だったら……いっか」
独り言のように萌木は言い放ち、こちらに背を向けて数歩、つまり今までやってきた方向へ戻るように、歩を進めた。
「……? どうした萌木。忘れ物でもしたか?」
「まさか。忘れ物するほど物持ちは良くないわよ」
くるり、とその場で踊るように踵を返す。そのままゆっくりと一歩、一歩。まるで距離を確かめながら歩いているような優雅な歩調で、萌木が俺から離れていく。
「ねぇ、ナギ。一つ聞きたいんだけど……」
「――――なんだ」
いつも通りに言いながらも、内側にはいく先の未知への警戒が募る。離れていく萌木。それはさながら生じた時間。絆という不朽の幻想に穿たれた間隙。
――――その間隙に不吉を覚える。
じわじわと身の内側に広がっていく対峙の感触。再開した友人と談話にいそしむ感覚ではありえない、意図を意志を意思を内心を心境を測ろうとするそれは、まぎれもない戦争の感触。
その感触を助長するように、萌木は両者五メートルの距離で足を止める。
五メートルの間合い、それは孤児院時代、萌木が最も得意とした近距離格闘戦の間合い。
殺意があれば必殺を放てるその間合いで、萌木は口元をわずかにほころばせながら、言った。
「――――あなたが手を抜いてる理由って、なんなの?」
いきなり。
あまりにも、いきなりなタイミングで。
課題を忘れた時の理由を問うような当たり前の口調で。
萌木は、その疑問を口にした。
強烈な意志のうかがえる断定口調、言い訳も言い逃れも、すべてを遮断するかのような確信を持った目。
それらが、それの中から逃げ道をそぎ落としていく。
「……どうしてそんなことをする必要がある?」
苦し紛れのような語調。その言葉を、意志と確信の刃は両断する。
「知らないわ。少なくとも、私にはそんな必要があるようには思えない」
「だったら――――」
「だから、聞いてるの」
盾を叩きつけるような苛烈な口調だった。
言い逃れは不可能、その予測が現実に追いついた。端的な事実はただの現象として俺の脳裏に浸透し、一つの警鐘をかき鳴らす。
………隠し通せない。
そして、守り通せない。心中に抱いた一つの決意も、過去に置き去りにしたその由縁も、意志と確信とで武装したその言葉の前で白日へと晒される。
「ただの実力不足、なんて戯言は聞かないわ。そんな事実、ありえないってことは私が一番よく知ってるもの。第一、半端な実力しかないっていうなら、今朝私から逃げおおせたことに説明がつかない」
「……っ! やっぱり、今朝のは……」
断言するが更なる刃となって、隠匿の鎧をはぎ取っていく。『委員会』、『リバース』、追跡者。いくつかの断片的な単語が脳裏を旋回。隠匿の鎧が内側の矛盾を露見させていく。
意志の刃の担い手は、鼻白むようにこちらを睥睨した。
「白々しい。あれだけ小春に探り入れさせといて、気付いてないわけないでしょ。だけど――――わかるわよね? この状況」
今朝俺を追ってきた人間が萌木であり、そして今朝の黒服は俺を殺したがっている。加えて先程の問い、黒幕には手の内をある程度見せてある。あたりに目撃者はなく、邪魔が入る要素もない。
隠匿の鎧のその兜、隙間につきこまれた刃が、自白を促す。いざとなれば刃が振るわれ、力づくでも内側が白日のもとへと晒されてしまうことだろう。
猫に追われる窮鼠を幻視する。もはや、逃げ場はなかった。
「……っ」
意志と意思とが研磨する見えざる火花の中、ポケットに手をやる。
握りしめるのは金属柄。バタフライナイフの硬質な感触。ロックを外したその凶器は、時に拳銃よりも確実に他者の命を略奪する。
だが……それは相手も同じ。
腰に回った右の腕、その先にはWIDA、自らの装備すべてを格納した武器庫が存在する。WIDAの展開、それに要する時間はわずかに0.2秒。それだけの速度を持って、異空に広げた腸をその箱は吐き出すだろう。待っているのは致死の弾丸。音を超えぬ人の身には知覚不能、防具を貫く死神の矢だ。
一触即発、常時戦闘。生殺与奪は両者の手の内。毒を孕んだ風船をつくような濃密な殺意が、二人の間を巡っていく。
その最中で――――萌木は、笑っていた。
「……そう。それでいいの、違うのは遅いか早いかだけ。どの道、私はあんたを殺さなきゃならない。そういう仕事なのよ、《委員会》は」
《委員会》は目撃者を決して逃さない。幻想は幻想であるが故に現実を律する力を持つ。幻想はどこにもないが故にどこでもない場所を律する力を持つ。それは見えぬ全体を縛り上げる見えない力。縛る箇所が不明であるが故に、それは全体を恐怖という名の縄でがんじがらめに縛り上げる。
故に――――幻想を暴いた人間は。
自らを締め上げる縄の全景を見てしまった人間は、幻想の手によって幻想が幻想のままであるがために、抹殺されなければならない。
「だから――――仕事の前に答えて」
幻想の執行者は、決意を秘めた瞳で、幻想の簒奪者に問いかける。
「――どうしてあんた、手抜きなんてしてるの? ちょっと期待したのよ、私? 硲にあんたがいるって零から聞いて、《委員会》に勧誘されたときに、あんたもそこにいるって。また一緒に戦えるって。――――なのに、底辺なんて、何の冗談なの?」
「はっ、冗談のつもりはないんだけどな」
「なら真剣なの? ……違うでしょ。ええ、あなたほどの人間が真剣になって、今程度であるはずがないの」
「買い被りだ」
「いいえ、買い被りなんかじゃない。少なくとも今朝、あなたは自分でそのことを証明した。私の撃った弾丸を避けて殺害可能な間隙を作成し、その後に逃げ出した。他ならない――――あなたがあの《町》で手に入れた《リバース》を使って」
「……っ」
鎧は、剥がされた。
隠されていた真実は幻想の執行者の振るう意志の剣の元、隠匿の鎧の外側へとはじき出された。
鎧をなくした戦士の末路は一つ。武器を手にした者の前に無防備な自らを晒すことは、すなわち死ぬことに等しい。
「戦いなさい、ナギ。もう逃げられない。ううん、逃がさない。あなた自身の実力からも……私からも。さもないと――――私は、あなたを殺すわ」
一寸の躊躇も、一拍の容赦もなく、幻想の執行者は宣言する。
かつて幼馴染であった人間であろうと殺すと。
お前の過去全ての関係を棄却し、今ここに敵として障害として弊害として、その存在を排斥すると。
――――遠い街を幻視する。
見える色は赤、赤、赤、赤。手に滑る感触も腕に重い輪郭も肩に響く衝撃も胴に届く温水も腰へめり込む重量も足へ沈む重量も、すべて無意味と流れ去った数多。幾度も要求されるのは願望と代価。
死にたくない、と幾度も願う。
殺すしかない、と幾度も分る。
命の願いは命の代価。奪う誰かから奪わなければ、自らのすべてを与奪される。
それでも、願うのなら――――
「………まったく」
ポケットの中に手を突っ込んだその姿勢から動くことなく、呟くように心中のわだかまりを吐き出す。
「やるしか、ないってわけか――――」
内側に籠る熱。切り替わる脳裏。眼前の人物を見据える。敵対者、武装は既知、戦術は既知なるも未知の要素を含有、未知への対処を推奨。今時ともって眼前の人物を『再会した幼馴染』ではなく『幻想の執行者』へと認識を変換、殺人行動の執行を行う。
機械的に行われる認識の切り替え。警戒によってクリアになった視界に移る《委員会》の執行者をとらえ、俺は深々と、身を沈めた。
「………いいぜ。やるってんならやってやる。だけど――――」
執行者が腰のWIDAに指を伸ばす。その刹那、
「――――死んでも、後悔するんじゃねぇぞ」
俺は、全身の全瞬発力を持って駆けだした。




