5.疑い→落下
× × × ×
まあ、ものの見事に包囲された。
「あー……」
これは、いまいちよろしくない。
黒岬からの交換転校生の紹介と、今町を賑やかしている連続殺人事件に関する種々連絡事項が執り行われたHRが開けての放課後、教室を睥睨して俺は内心で嘆息した。
雰囲気が違う、沸き立ち方が違う。
いつもなら三々五々、午前も半ばで授業終了となれば散っていくはずんもクラスメイトが教室からなかなか出て行かない。そればかりか廊下にまで二年、一年、果ては三年から各種執行課に部活動がらみと見られる連中まで、廊下に詰め掛けている。戦場にも似たある種の緊張、抜け駆けを防止するための牽制や、きっかけを掴むための気配探査で作り上げられた拮抗は弥が上にも俺らの緊張感まで吊り上げる。
………まったく。
半ば萌木が来た時点で予想はできていたことだが、やはり人ごみは好きになれない。小学校時代は同じ孤児院で過ごしていたが、そのときもこんな感じだったとはいえ、立場が変わった今ではかなり人ごみが鬱陶しい。
ちなみにNAS養成科を正式な学科として保有できるのは中等教育後半、つまり高校過程からだが、その事前教育や一般的な護身として基礎的なNAS技術を教育する場合があるが、それらはすべて具体的な数値として成績化され、自分の実力を把握するのに役立っている。
そしてその成績を積み重ねここへ入学してきた、ということは一般人に比べはるかに自分の実力をよく把握しているということで、早い話、交換転校生に抜擢されるというのがどれほどの事態なのか、全員がよく理解している、ということでもある。
そして身内の贔屓目若干込みで言うが、萌木は美人だ。再会して驚いた俺が言うんだから間違いない。アレは雑誌の表表紙で見かけたとしても、別に不思議には思わない。
まあ、そんなこんなで。
お近づきになりたいなーと思う男子と、それを牽制する睨み。
お友達になりたいなーと考える女子と、それを躊躇う雰囲気。
お仲間に欲しいなーと画策する勧誘と、それを阻止する剣幕。
それに加え、交換転校生という話を聞きつけ、ただ見に来たもの。
それらの雑踏に一向に帰ろうとしないクラスの連中、帰ろうと思っても人ごみのせいで教室から出られない人間を加えると――
ほら、今の状況の出来上がりだ。
ちなみに俺は教室から出られない組。当たり前だ。百人近い規模にまで膨れ上がった、武器まで確実に持っている人ごみの中を何気なく歩けるほど、俺は肝が据わっていない。
で、その雑踏の元凶さんがどこにいるのかというと――――
「…………へぇ」
支給されたWIDAを前に、なにやら思案顔だった。
まあ、無理もない。
全国数十校数あるNAS養成科もちの学校の中で、WIDAなんて高級品を一人一人に配布するなんて酔狂な真似を、ここ以外の学院がやるわけがない。
ちなみに萌木の席は、何の因果か俺の正面だったりする。
どうしてそんな席が開いているのかはなはだ疑問だが、まあ、そこに関する追求はやめておこう。好奇心は往々にして猫を殺す。殺された猫を見る趣味はない。
「驚いた。学校からの支給品なんて期待してなかったけど、なかなか上等なWIDAじゃない」
らしいな。粗悪品のWIDA見たことないから全然わかんないけど。
「ねぇ、ナギ。これ、ほんとに使い潰してオッケーなの?」
「いいんじゃねーの。俺も使うときに容赦したことないし」
というかそこまで上物なのかこのWIDA。俺としては学生NASに支給するにはちょっとお高い装備程度の認識しかなかったが……
「へぇーへぇー、ここまで上物平然と……。さすが総本山。なかなかやるじゃない……」
妙な対抗意識を燃やすな面倒くさい。そこまで黒岬に帰属意識があるならどうしてこっち来た。
「ま、使いつぶしていいならそうさせてもらうわ。なんだかんだで武器って結構重いし」
俺の机の上にウェストポーチのようなものを置き、ってどうして俺の机の上でやる。
「自分とこでやれ」
「いいじゃない別に。どうせすぐ終わるし」
ま、確かにそうだが。納得を待つまでもなく机の上のウェストポーチに腰から外した小振りな西洋剣、両脇から取り出した大型の自動拳銃と左右ともどもの予備弾倉、コーヒー缶程度のサイズの金属筒――たぶん閃光手榴弾と思われるものを四本、次々と収めていく。見た感じ全部オーダーメイドか改造品。拳銃は、へぇ、やっぱマグナムか。好きだね、相変わらず。しかしよく持ち歩いてたね、このまま。WIDA使わずに。
WIDA、言ってみればそれは小型大容量武器ケースである。小型で大容量なんて情報処理部品じゃあるまいし……なんと思うことなかれ、そもそも物体の有無でさえ、言ってみれば二次元的三次元的四次元的に存在する『情報』に過ぎない。
詳しい原理は俺も知らない。が、WIDAは三次元的に物体を補完するのではなく、四次元的な座標――一般的には周波数と呼ばれる物体の持つチャンネルのようなものを確立乱数的に要領内部で散らし、『そこにあるんだけどない』みたいな曖昧な状態にして、三次元的容積によらない大容量の補完を可能にしたんだとか。
欠点らしい欠点をあげると、周波数はそのまま時間経過とイコールなので劣化の早いもの、たとえば食い物なんかの補完には向かないこと。
あとは見かけによらず精密機械なので、NAS用のものはどうしてもちょっとは大型化することぐらいだろうか。
まあそもそもの名前がWIDA……Weapon Inside Dement ion of Anotherである。武装収納が前提なんで、結構ましな方ではあるらしい。
「これでよしっ……と」
全武装を収めきった物騒極まりない中身のWIDAをスカートの後方、腰のあたりに収める。
「……でも、いいのか?」
「何が?」
「こんな雑踏のど真ん中注目度満点のお前が全武器晒して、よ」
武装の情報は、言ってみればNASの生命線だ。学生といえどそのあたりは厳守するのが基本である。
「ああ、いいのよその辺は」
「そっか?」
「見られたところで対処できれば問題ないでしょ?」
ごもっとも。そんなセリフ出るのも、お前の腕が化け物級だからだが。まったくもって、自信家なとこもほとんど変わってないと見る。
「というかナギも大して問題ないじゃない。昔手合わせして私がナギに勝った時ってあった?」
「あった」
「……いつよ?」
「いつだったか台風で停電した時。風と暗闇にビビったお前が混浴強請して、入浴中に電力復旧した直後」
「あああぁぁああぁああれはノーカウント! ノーカウントだから!」
「えー、でもお前が俺昏倒させたのってそんときだけだろ?」
俺が風呂場で寝る羽目になったのもその時だけですが。まったくもっていいパンチだった。
「確かに攻撃したのは私だし、昏倒させたのも確かだけど、なかったことにしてって言ったじゃない!」
「そだっけ?」
「そうよ! 昏倒させたことも含めて見たもの全部忘れなさいっていったでしょ! そんなことまで覚えてないの?」
「ああ。あの時見た光景はあごの痛みと一緒にちらっと見えたなだらかな平野ごと忘れた」
「っっっ、昔の話よそれは!」
「どうだかね」
見たところ人並み程度に育ってはいるが、『一見してわかる程度』には至っていない様子。NASやってるってことはそれなりに筋肉質だろうから……はたしてどれほどの成長が見込まれたのやら。
真っ赤になって身を乗り出す萌木。激昂している様子。抜刀されてもおかしくない。
「まあ、落ちつけよ萌木。見られてるぞ」
「これが落ち着いて……って、見られてる?」
きょろきょろ、とあたりに眼をやる萌木。
教室内は相変わらずの人込み。雑談とわずかな熱気と半日で終了するという興奮、交換転校生の存在と転校生が仲良く言葉を交わす人間の存在とが混乱を生みだし、清濁混ぜて混濁となる。その中でも俺たちに目線をやる人間はそれほど多くなく――――
「見らずにいられるかってこの野郎!」
その中でも一番目立つ茶髪の軽薄。
さっきから見てた主だった奴は、こいつと、その隣の野郎だけだ。
「板橋よ、そう熱くなるな。急いては事をし損ずる、先人の言葉にもあるではないか」
「お前は気にならねぇってのかよ隆生寺! さあ穂村洗いざらい話してもらおうか! 現在話題の転校生と一体どんな関係なのか、具体的にはどこまで行ったのか! さあ吐け!」
「……本人に聞け」
詰め寄る板橋を軽くあしらう。前から困惑の声が上がるが、まあ無視だ無視。
「お前な! 今日転校してきたばっかりの転校生、それも超絶な美少女たる時噤萌木嬢にいきなりお声をかけろと? そんな恐れ多いことを俺にやれと言ってるのか!」
「本人の前で言うな」
「大体、その、だな。そんなセクハラじみた発言が、女子に好まれる男ランキング第一位を志すこの俺にできると思うのか! いーや、できない。断言してやろう!」
いや、できるとかできないとか以前にそもそもその発言自体がセクハラじみてるぞ。
まったく。ため息と同時に助けを求めるように板橋の背後、小春の方へと目をやる。と、
「………さあ、どう出る修羅崎澪図書委員所属よ…」
「………うぅぅぅぅ」
………何をやってる隆生寺手芸部員。何クラスメイトを泣かせてるんだ。しかもその泣かしてる相手は我がクラスの小動物こと修羅崎澪じゃないか。昔馴染みなんだから容赦しろよ。可愛いけどさ。
「………はぁ」
面倒くさい。何ゆえこの状況に巻き込まれねばならんのだ。
「断言しなくてもいい。というか勘違いするな。萌木とはただの幼馴染」
「幼馴染だと?」
よるな、暑苦しい。あとお前の同胞の目線が痛い。ついでに廊下の雑踏の連中も。
「ああ、詳しくは本人か小春に聞いてくれ。あいつなら……間違いなく知ってるだろ」
「そりゃまあ事情通だし俺らに情報売ったのもあいつだし知ってたとしても不思議はないけどよ――――」
「と、いうか待ちなさい。このクラスって小春までいたの?」
「ふえっ?」
素っ頓狂な声を上げる板橋を無視し、うなずく。
「ああ、あそこにいるだろ。ついでに小春にいじられてるのは澪で、クラス委員長は都子、隣のクラスには孤実と七鳴がいるし、うちには名織、技術小屋まで行けば要がいるな」
「嘘。時計塔のメンツほとんどそろってるじゃない」
そりゃ驚くだろう。俺も驚いた。いくらあそこの連中がNASになりやすいからって、何も同期の連中がほとんどここに集わなくてもいいだろうと、最初は思ったもんだ。
「と、言うことは同期の中で黒岬に行ったのは私だけ、ってこと?」
思案顔でなにやら回想していた萌木が思いついたように呟いた一言に、俺は首肯する。
「そうなるな。なぜだかは……知らねーけど」
まあ、名織みたいな例外中の例外除いて全員がNAS志望というのも驚きといえば驚きではある。
「おいおい何なんだよ。俺以外みんなわかっちゃってるーって空気漂わせて……ってもしかしてこのメンツで事情把握してないの俺だけか?」
「ふぅむ、今更だなわが友板橋よ。ナギの話を聞いていなかったと見えるな」
「え? ってことは………マジ?」
全員が返した言葉は、無言。時に無言は下手な言葉よりも事実を語る、という。おお、なるほど。確かにこの場において無言ほど明確明瞭な回答は存在しないと言っていい。
「……マジで?」
「無言から読み取りたまえよ板橋。無論、大マジだ」
「……穂村、」
「さっきから言ってるだろ」
「修羅崎、」
「………うん」
「……転校生さん?」
「ここまで明確なのに気付かないって、逆に感心するわね……」
「……………すみません」
助けを求めるように方々に向けていた目線を落とし、盛大なため息をつく板橋。哀れな男め、もう少し行間を読む能力を鍛えるがいい。
「ま、とにかくそういうわけだよ。俺と萌木はただの幼馴染。同じ孤児院で、同期ってだけだ」
「ついでに隆生寺も澪も都子も名織も孤実も七鳴も零も夜倉もね」
単純な同郷の友、ただしその年季も縁故も半端じゃないだけ。何しろ全員がそれぞれの道を志す中学ごろまで、はっきり言って俺たちは家族同然だった。
血は水より濃い。先人の言葉である。
つまるところ縁故なんていうものは水よりも命にダイレクトコネクトされてるもので、水なんかに浸すとあっという間に溶けちまうような半端なもんだってことだ。まあ後ろ半分は冗談として置いておくにしても、縁故が大事っていうのは間違いじゃない。
「しかし三年ぶりの再開を語るにしてはいささか以上に混雑過ぎではないかね? しかも我らの関係に聞き耳を立てられるのも……無粋ではないか?」
「お前にしちゃ妥当な提案だな」
確かに好奇の目の最中で自分の過去丸裸にするような露出趣味はない。現在を構成するのは過去、過去を知られればおのずと現在もわかるものだ。
それに……今朝の追跡者。
体格、所持武装、行動。第三者的に判断できる要素を統合すれば、あの人物が学院生である可能性は零ではなく、むしろ高いぐらいだ。
脳天ずどん、ってのは、ごめんである。
「はっはっはっ、そう褒めるな」
「別に褒めてねえよ」
判断力があるってのは認めるが。まったく、これだからこいつとの付き合いはやめられない。
そういえば『あいつ』の銃……
俺の目が正しければ、あの銃は萌木の持ってる奴と同じ、AMのオートマグ、それもオートジャムの汚名を引っ被ったⅠ型だったはずだが何か関係――――そう、例えば入手先が同じとか、そういう関係、あったりするんだろうか。
AMオートマグⅠ、名前からも創造できるようにデザートイーグルなどと同じ、オートマチックのマグナムハンドガンであるが、大きく違うのはその性能。薬室の閉鎖機構をなんとライフル並みの複雑さにしたせいで装填不良の発生率が以上に高まり、付いたあだ名が『オートジャム』。もはやネタの領域である。
はっきり言って、実用には向かない銃。
そんな銃をわざわざ使い続けるには、それ相応の理由が必要だ。
NAS、ひいては護身用に所持する一般人にとって、銃は命を預ける存在である。いざというときに装填不良を乱発するような銃を好んで持つ人間は早々いない。少なくとも実用に用いている人間が複数人存在した時点で、そこに何かしらの関係を疑える程度には、少人数である。
「はっはっはっ、そう照れるな」
小春から目配せ会話。一瞬だけ眼の色がちらつく。『念頭には入れておけ、ただし過度な疑いは禁物』。わかってるよ。
考え込むように腕を組んだ小春から眼をそらし、疑いを頭から振り払う。
「確か……時噤は昔から禁酒法時代でも嗜めるアルコール類を好んでいたな」
つまるところノンアルコール飲料の類ですが。ちなみにソフトドリンクじゃない。ここ、重要ね。
「あら、覚えてたのね」
「ふふふ、この俺を誰だと心得る。情報と名のつくもので俺が忘れたことなどありはしない」
「相変わらずね……ほんと」
「はっはっはっ」
呆れたような萌木、鼻高々な小春。
ちなみにこのやり取りも、孤児院時代から延々リピートである。ホント、どれだけ変わってないんだか。
「ところでナギよ、このあたりでノンアルコールといえば、やはり『ヒラサカ』当たりかね?」
言われて若干思考、現在の懐具合、込み具合、メニューラインナップ、安全性その他。それに紛れて目配せ再び。『探りを入れてみるべきか?』。小さく頷いた。
懐具合、問題なし。春休み中の仕事の甲斐あり、多少の奢りでもびくともしない程度はある。込み具合、マイナーな店故それほど問題なし。メニュー、実に萌木好みなラインナップ。安全性、メンバー次第。メンバーは………
「大丈夫、だな」
俺と小春と萌木、最低でもこの三人がいれば問題なし。安全面でも彩り的にも、これならバランスがいい。
「決まりだな」
猫のような含み笑い、その裏にどことなく楽しそうな感情をたたえ、小春は満足そうに身をひるがえした。
「ではさっそく向かうとしよう。途中で少しばかり寄り道すれば、歓談するにもいい時間だ」
「だな。昼飯にすっか。どこ行く?」
「『ネノクニ屋』あたりが適当だろう。我らが再会の祝宴にしては、申し分ないはずだ」
「『ネノクニ屋』? ちょっと高すぎないか?」
「何、普段の質素な感性で計らなければさしたる額ではない」
「確かにそうだけどよ、でも……なんだかな」
こう……つい普段の食費に換算して何日分になるとか、これを他所に回せば何になるか、とか、そういう所帯じみた計算が出てしまうのだ。羽目を外す際には邪魔以外の何者でもないが、染み付いてしまったものはしょーがない。
「貧乏性め」
「何とでも言え。行くぞ」
「あの~、申し訳ないんですけど、俺もご一緒してもよろしいですか?」
どうした板橋おどおどして。普段のあっけらかんとした態度はどうした。
「無論だとも。わが友を見捨てるほど、俺は薄情ではないつもりだ」
「マジか!」
「萌木が良ければ、だけどな」
確かに俺も友人見捨てるほど腐っちゃいないが、主賓の意向を平然と無視するほど厚顔無恥でもない。ちらりと横目で萌木の表情をうかがう。と、
「友の友は友…ってね。こっちの話とか聞きたいと思ってたし、ご一緒してくれるかしら?」
「喜んで!」
犬か貴様は。
ったく。
内心でため息、しかし口には出さず、小春の後に続いた。
――――選択肢の失敗、その二。
後でわかっても、後悔は先に立たないものなのだ。
× × × ×
学生への諸注意事項本年度第一
現在硲市内に置いて活動中の二件の通り魔事件、通称『フェイスクラッシャー』と『肝吸い』事件についての連絡事項に関して
・フェイスクラッシャー
犠牲者数二十二名、学生、およびその近親者を対象とし、週に一名程度のペースで活動を行う殺人者。犠牲者は共通点として全員頭部が鈍器のようなもので強烈に陥没、もしくは頭皮が地面に張り付くほどの力で叩き付けられており、その無残に顔面が破壊された様から、当社では該当通り魔を『フェイスクラッシャー』と呼称、注意を呼び掛けるものとする。
被害者の所有する銃器の類に一切の発砲がなく、保有している武器が展開された様子すらなかったことから、抗戦することなく一方的に殺害されたものと判断、対象との抗戦の際には奇襲に注意すること。なお遺体の状況から判断し、打撃武器を武器として使用している可能性が示唆されているため、防弾レベルは低いものが対処することを推奨する。
登場地域・硲市全域
・肝吸い
犠牲者数四十三名。男女年齢問わず殺害を行う残虐非道な殺人者。ペースはまちまちであり、被害者は殺害一週間ほど前から行方不明となることが特徴である。
特徴的なのはその殺害方法で、被害者は眼球、各種臓器と体液のほとんどを抜き取られ、空っぽの肉塊となって発見されるのが特徴である。切り口は鋭利であり、また行方不明となるという特徴から組織的な殺害行為である可能性が示唆される。
組織的殺害行為、凄惨な殺害方法から硲市県内において最も懸念される殺人者であり、全学生に対し注意、および早期対処を勧告する。
登場地域・硲市外周スラム、倉庫街
× × × ×
駅前ロータリーで、NAS養成科の姿は埋没できない。
国立硲学院、特徴的なのはその制服で、学科ごとに違う色を用いているためにどの学科なのかは町に居を構えるものであれば一目瞭然であり、その色、重厚さ、纏うものの雰囲気が、日常の中への埋没を許さないためだ。
人を殺す覚悟を固めた者、いつ殺されてもおかしくない者。単純ながらにして深刻、『死が近い』という要素はそれだけで世間との隔絶を巨大にし、一般というくくりの中から自然とその存在を浮き彫りにする。
浮き彫りになった人間が同じ服装ともなればなおさら。この物騒なご時世、防弾効果の高い制服を悪戯に脱ぐのは得策ではなく、自然と養成科は制服のまま出かけることが多くなる。
結果、今日のような日、祝い事でありながら一日が半分で終わってしまうような日においては、
「………浮いてるなぁ…」
ロータリー前の植え込みに座り込んで町を眺めながら、感慨にふけるほど、ものの見事にNAS養成科生が目立っていた。
その様まるで疎水性分子。同じもの同士でまとまってエネルギー的な無駄を防ごうとしているあたりもそっくり。何の話だ、と心中で突っ込みを入れる。
ちらほらと見える硲学院の制服、寄り集まって歓談、もしくは遊興にいそしむ、NAS養成科の黒。夜間迷彩の役割を果たすその色は、人の密度がかなり高い今ここでもよく目立つ。あの一人一人が懐に拳銃をしのばせ、WIDAにはもっと強力な火器を忍ばせているのだ。下手を打てばこの場でズドン。擁護派の皆様にとっては、動きづらいことこの上ない一日になりそうだ。
まあ、だからこそあたしみたいなのにとっては動きやすい一日になるんだけど。
思いながら手元の電子生徒手帳をタッチ、画面隅の時計を表示させる。
学生NAS向けの諸注意事項が表示された画面に映し出された時間、それによると織瑚との待ち合わせまであと数分、天候悪化の心配はなく、風速は弱め、狙撃行動への影響『微』、視界は良好ながらも太陽光に気をつけること。
「………」
周到すぎる情報の羅列に辟易しながらウィンドウを閉じた。操作中に何度も思ったが、この端末いろいろ詰め込みすぎてる。
電子生徒手帳の電源を落とし、まったりとロータリーを見回した。
それなりの人ごみ。制服が無改造である辺りから考えて一年生。上級生もちらほらと。両手をふさぐこともせず体幹にブレを生むこともしない。年季の違い、覚悟の違いという奴だ。
人ごみがあれば千差万別の世界を生む、世界が違えば価値観が違う、行動が違う、思想が違う。根底にある罪悪感という物差しも理性というブレーキも、今を生きるすべてが違う。
誰が思うだろう。こうして日々を穏やかにすごす人々の中に、人殺しという異分子がすでに紛れていることを。
人殺しなんて突発的に起こるもの。予想はできても予測はできず、誰がそれへと変わるか推測すらできない。道端に落ちている石に躓くような、たまたま落ちている硬貨を拾うような、拾った硬貨から喧嘩に発展するような、そんな日常で起こる何気ないことのように漫然と見えても確定して見ることはできない。
この場にいる人間が突発的に人を殺しだすことを予想はできても、予測できない。だからこそ学生NASはいつ何時発生するかわからない人殺しのために、神経を尖らせる。
のんびりとして見えるこの風景も、一皮向けば立派な戦地だ。
いつ何時たりとも、NASにとって戦地足り得ない場所はない。人が存在すればそこはどこであろうともNASにとっては戦場足りうる場所、血で血を洗い肉で肉を拭い骨で骨を拭うような、凄惨な惨劇の種だ。
―――― ずくん。
左肩の骨が軋む。
内側から毀れるような生きるとは真逆の痛覚。骨を直接握り締められるような不快な痛覚。過去からの重みは自覚となって脳裏に浮かぶ情景を排除し、現実へと思考を回帰させる。
「っあー……」
沈みかけていた不愉快な思考から現実へ意識を引っ張り上げる。時刻確認、残り二分。そろそろ着てもおかしくないころ。織瑚の性格ならちょっと遅めの時間帯だ。
そういえば織瑚にも気をつけるように言っとかないと。できる限りくっついて移動するようにはするけど、四六時中一緒ってわけには行かない。自衛は自分でしっかりと、これ、現代社会の基本ね。銃は持ってるらしいけど授業以上の練習はしてないから下手なはずだし――と噂をすれば、だ。
ポケットの中で震動。携帯電話を取り出し投光パネル展開。
表示確認『着信 オリコ』。
通話アイコンクリック、上下に展開されたマイクを昔ながらに耳元へ。
「もしもし織瑚? どうかした?」
『オ友達ハ来レナクナッタソウダ』
………はい?
なに……これ?
何が起こってる? 現実が、脳内に追いつかない。いや脳内が現実に追いつかない。耳元の電話から聞こえるざらついた機械音声、おそらくは変声機。肉声を残しながらも機械的に個人の判別を不可能とした、仮面を被った人間の声。
『柵内暦……硲学院NAS養成科一年。新入リカ。フン、入学ノ空気ニ酔イ、学外デ待チ合ワセルナドトイウ愚行ニ走ルトハ、コレダカラ新人ハ狙イヤスイ……。コノ少女モ、トテモ簡単ダッタ』
「あんた……誰。織瑚に何したの!」
『何モシテイナイ。ソンナ回答ガ在リ得ルトデモ? フン、予想以上ニ愚カダナ』
くっ……。
内心で歯噛みしながら言い聞かせる。落ち着け、冷静さを失うな零細に考えろ。細かく細かく、相手の意図を探れ。
電話口に聞こえぬよう、ちいさく深く深呼吸。脳に回った酸素があたしの温度を下げる。冷静に、ゆっくりと近づける。
「……だけど、殺したわけじゃない」
………そうじゃない可能性、殺されている可能性が、一瞬脳裏をよぎる。
「――――そうでしょう?」
確認するような、祈るような問いかけに、
『ホウ、ソノ程度ニハ利口ト言ウワケカ』
電話口の仮面の声は、楽しげに笑った。
第一問、正解。殺したのならあたしに連絡を取る意図がない。目的はおそらくあたし、織瑚は、そのついでだ。
『ソウ。モウ予想ハツイテイルダロウ? 目的ハオ前ダ。逆ニ言エバ、オ前サエココニクレバコノ少女ニハ用ハナイ」
「あたしが目的? どうして?」
『身代金ト言エバ納得カ? 口封ジト言エバ理解デキルノカ? 違ウ、違ウダロウ柵内暦。オ前ハモウ理解シテイルハズダ。殺人行為ニサシタル理由ハイラナイ。コレハ、タダノ確立ノ問題ダ』
「ぐっ……」
つまるところ、これは偶然。たまたま不幸があたしと織瑚の上に落ちてきたという、ただそれだけの理由。殺人行為に大きな理由は要らない、確かにそのとおり。だけどこれは、これは行く欄でも納得がいかなさ過ぎる。
どうして、あたしが。
どうして、織瑚が。
当に決めたはずの覚悟が瓦解し、脆弱な地盤が顔を覗かせる。
死ぬかもしれない、殺すかもしれない可能性。逃げ出したくなる臆病な心。すべてを圧殺しながら、さらにあたしは言葉を連ねる。
「……条件は?」
『商業区会堂通リ、「エテュディアン」ト言ウ喫茶店ガアル』
「そこまで来い、ってこと?」
『ソノ通リダ。十五分以内ニ来イ。サモナクバコノ少女ノ命ハ保障シナイ』
「身代金その他は?」
『不要ダ。ソモソモ孤児デアル貴様カラ身代金ナド取レルハズガナカロウ』
もっともだ。おじさんはあたしにいろいろよくしてくれるけど、あたし自身は学生で、目的はそもそもあたし自身だ。どうしてあたしを狙うのかは知らないけど、可能性として愉快犯が真っ先に上げられる以上、金銭を目的にしていることは考えにくい。
『ソノ身一ツ、ソノ命一ツデコイ。連絡ハ行ウナ。理解シテイルダロウガ、私ノ眼ハ貴様ノスグソバニアル。
――――連絡ハ以上ダ。急グガイイ』
―――― プツッ。
一方的に叩ききられた電話。リダイヤルする。が、あの仮面の声の主はもう電話をつなげるつもりがないらしい。理解の追いつかない頭、おかげでうまく考えがまとまらない。条件反射的に唇をわずかに噛み切り、その場から立ち上がって走り出した。
× × × ×
無料の市営バスに乗り込み五分、そこから走り抜けて、約十分。満ち行く先に人はなく、バスすら待つことなくさらりと乗り込めしかも中はガラガラだった。タイミングのよさに辟易、誰か頼れる人に連絡しようかとも思ったが、監視があると言われた以上うかつな行動を取るわけにも行かず、そもそもNAS関連の知り合いと言えば孤実先輩とカノンしかおらずしかも連絡先を知らないことに思い至り歯噛みする。法定速度を遵守する市営バスがもどかしい、弾む呼吸がはねる心臓が脈動する血管が酸素を求める脳がもどかしい。体が重い、重さが邪魔だ。どうして邪魔をする、どうして、どうして、どうして――――!
到着した商業区画、会堂通りは硲市商業区画のはずれ、夕方から夜間にかけてにぎわう店舗が軒を連ねる裏通りだ。
煙にけぶったような荒廃感、終末めいた翳りを孕んだ空気。日中であろうとも闇が多いこの通りは、いわば商業区という硲市の表の裏に一番近い場所。
通りの中ほどに、目指す喫茶店、『エテュディアン』はあった。
周りとの調和を裏切らないくすんだ外壁、眩んだ白色。寂れた通りの中にあってなお賑わいを予感させるようないわば『休息』の雰囲気を持つ、この通りでは比較的まともな店。
誰もいない通りの中、暗い店内が闇を湛えて虎口を広げて獲物を待つ。
耳を圧迫する静寂は、さながら無数の気配だ。
人影はなく、気配すら存在しない。ただ唯一店の前にぶら下がった『OpEN』の札だけが他者の存在を物語る。
指定されたのは、この店。
織瑚がいるとしたら、店内だろう。
肉食獣の顎、深淵の淵、地獄の門。連想されるそれらを振り切るように、店のマットを踏む。
「………?」
ポケットに震動。携帯電話だ。取り出して展開、表示、『着信 オリコ』。
「もしもし」
『店ノ前ニ立テ』
「………どうして?」
『ソノ位置デハ貴様ガ見エナイカラダ』
見えない、つまり上から。奴は上からあたしを見ている。
『オット、見上ゲテモ無駄ダ。貴様カラハ見エナイ』
余裕の声音。つまりは確信。可能性、ライフルなどによるスコープ狙撃。
「殺すつもりなの?」
『心外ダナ。タダ確認スルダケダ。貴様ガ本当ニ一人ナノカ』
「…………」
『従ワナケレバ少女ヲ殺ス』
「……………」
無言のまま、店の前の屋根の下から通りへと一歩を踏み出す。
どこから見ているのかわからない、ただ『見られている』と言う実感だけが残る数秒。緊張と警戒、寿命を縮める数秒間。
いきなり、あたしの体が宙へと上昇した。
…………え?
何……? これ。
強引に背中のあたりから天空へ放り出される感覚。圧迫を逆流させられたかのような不穏な違和感。ありえるはずのない節理への逆行、紐なし床なし、逆バンジー。
店が箱に、通りが棒になる。
空気の温度が、肌でわかるほど冷たくなる。
落下ではないその身一つの上昇。見上げるばかりの蒼穹の一部となる実感なき体感なき錯覚のような感覚。峻険な断崖は眼を見張る絶景、眺めるだけなら美しい。蒼穹もまた同じで、遠くにあるから綺麗なんだ。
混ざれば終わる、近づけば死ぬ。それは快楽ながらにして破滅。それは麻薬。命を侵し魂を犯す、破滅と自滅の自慰行為。
見上げれば、おそらくあたしは点だ。くしくも場所は天。何の洒落だ。面白くない。
―――― 唐突に、上昇は終わりを告げる。
物理学者でなくても理解できる命題にもならない命題。高みにあるものは落ちる。盛者必衰の理。理の中に生きるものである以上柵内暦という個人は必然を持って理に絡め取られ、結果内臓が取り残されるような奇怪な浮遊感を持って、あたしの体は重力に誘われ地表へと特攻する。
肌を叩く風は気体でなく液体のようで、
はためく服は、ぬれたような重さを宙へと残留し、
反転した姿勢の中を、肉の重みに従って落ちていく。
堕ちて行く、墜ちていく。
困惑以前の、無理解。回答は目の前に見えている、導出過程にも間違いはない、ただ『これで正解なのかが理解できない』違和感。
あたしは、落ちている。
抗う手段はない。
この二つから導出された答えは、一つ。
このままじゃ、死ぬ。
絶対に死ぬ、確実に死ぬ。
頭を潰されて、死ぬ。
唐突に理解する。仮面の声が何者か。つい先程眼を通した注意事項その一。あいつが、あいつこそがこの町を賑やかす連続通り魔、『フェイスクラッシャー』。
このありえない事象を起こした原因が何か、そんなことに興味はない。これからあたしは死ぬ。死ぬことが確定した人間はもはや死人と同義だ。
だから、一言。
地表にぶつかるその前に、奇跡的に手放さなかった携帯に、問う。
「あなた、名前は?」
無意味な問い、散るだけの答えしか持ちえぬもの。それに対して、仮面の声は、
『――――「ウタタネ」』
一言だけ、名乗り、
『サラバダ』
告げ、
もはや眼前に迫った地面の前に、その先の思考は圧殺され、
そしてあたしの頭の左半分が、質量と言う兵器の餌食となった。
あたしは、死んだ。