4.先輩
× × × ×
「カノン?」
「はい。名前はカノン、姓はクレスウェル、スペルはCanon=Cresswellでイングランド生まれの、人種的にはイギリス人になりますね」
「へぇ………」
………日本人離れしてると思ったら、ほんとに外国人だったんだ。
内心で嘆息し、改めて銀髪の少女、カノンの体型を見てみる。
言われてみれば確かに納得。銀髪碧眼なんて日本人じゃまずあり得ないし、あったとしてもアルビノみたいな先天的な病気。肌も白いとはいっても、死人みたいな病的な色じゃなく奇麗な生き生きとした感じで、病気とは無縁に思える。
ついでに言えば、女性の象徴的な『その』部分も――――人種の壁を感じさせた。
ため息一つ、廊下を歩きながら自分の、その………あんまり凹凸のない体型を見下ろした。
間違いなく勝てない。比べるまでもない、というか比べたくない。そう、相手はアフロディテ。敗北することに責任はないでも、へこむことは避けられるまい。
入学式とそれに続く始業式もつつがなく終わり、生徒手帳の受け取りに向かう最中、なんとなしに理不尽を感じながら、廊下へと意識を戻した。
本日の予定、終了。
できることならすぐにでも織瑚と合流して家に戻りたいところだけど、今日はこの後学生証の配布がある。
この学校の生徒手帳は完全電子制御の情報端末で、手帳というよりは超小型端末の仕様。学内外を問わないサーバーへの接続機能に各個人情報補完機能、公社から回される依頼の受諾など、もはや一個人で持つ端末の域を逸脱しているかのような代物らしく、入手にはそれなりの手続きを踏まなければならない。
一応、入学式が終了した今であればどこの学生窓口でも受け取りはできるらしい。
が、あたしはまだ校内の詳しい構図を知らないし、学内の間取り図も配布される生徒手帳の中、入学式のパンフレットに記されているのはHR教室までの道順のみで、受付はHR教室でも受け付けている。
つまるところ学校側が用意した必然に乗る以外、あたしたちには最初から選択肢が用意されていなかったわけだ。
「そういや、カノンって何組なの?」
いくら国策学校、色々と普通の学校と違うとは言ってもこの辺は普通だ。実技授業、団体演習、順列競争の原理。そのあたりを加味してのクラス分けらしいけど、こっちからすれば同じだ。
「えっと、確かA組だったと思います」
「あ、じゃああたしと同じじゃん」
あら? とカノンが可憐にほほ笑んだ。
「では、一年間同じクラスになるわけですね。改めましてよろしくお願いします。せっかくなれたお友達なんですから、お互い頑張りましょう」
いや、そこまで丁寧に言わなくてもいいって。
内心でのつぶやきを苦笑に代えて、あたしは曖昧に頷きを返した。
「こちらこそ……ってね。あ、そういえばカノン、放課後に何か、用事ってある?」
「放課後、ですか? いいえ、特にありませんわね」
「おっけ。だったら、あたしらでどっか出かけない? 普通科に友達いるんだけど、その子も一緒に」
「普通科の、お友達……ですか?」
「うん。昔からの幼馴染みたいなもんで――――」
まあ、出会い方は色々と普通じゃなかったけど。
いまいち感覚の薄い左手を、頭の後ろで組む。
「――――人見知りとか全然しない、いい子だよ」
「まあ……。信頼し合ってらして、うらやましい限りですわね」
上品に口元に手を当て、カノンはほほ笑む。
「でしたら、僭越ながら私もご一緒させていただいてよろしいでしょうか? 家の者も、御学友とご一緒となると苦言は出さないでしょうし」
家の者ってことはやっぱりそれなりにお金持ちなのね…。織瑚の家も体外だったけど。
「いいよー。あたしも織瑚も大歓迎! 向こうも友達ぐらいできてるだろうから、にぎやかになるかもね」
「ふふふ、お二人とも社交的でいらっしゃるのですね」
そう? と身をひるがえして階段をのぼりながら、どこか羨ましそうな笑みを返すカノンを見下ろす。
階段の上はHR教室の立ち並ぶ一角だ。
すでに多数の新入生がいるのか廊下はかなりごった返しているらしく、階段下からでも音だけでかなりの雑踏になっていることが容易に想像できる。慌てて階段を駆け上ってみれば――――
「あっちゃー……。ゆっくり来すぎたかな」
「混んでますか?」
「雨後の雨露ぐらいにはね」
新入生だけにしては妙に多いし騒がしい……と思ったら、どうも在校生が部活勧誘だとか色々に動いているらしい。生徒手帳確保に来た新入生の中に在校生が混じって、さらにはあっちこっちで勧誘やってるから余計に雑踏が拡大してるらしい。
まあ、のんびりした時間は嫌いじゃないし、人込みは嫌いでもなんでもない。せっかくの入学式の雰囲気だ、全身で味わうとしよう。
「わわわわ……暦さん、人が、すごいです……」
「ははは、こっちこっち。かき分けてくよ」
人込みの前でおろおろしてたカノンの手を引き、廊下を半ば以上ふさいでいる人込みへ突貫する。
「『剣術部』―部員募集中です! 精神鍛錬実用兼用――――」
「音楽大好きな人―、『吹奏楽部』募集中でーす」
「学生《集団》、『多摩浜学芸団』と一緒に働きませんかー! 只今体験入団期間なので――――」
「さあさよってらっしゃいみてらっしゃい! 我らが『手芸部』は新入生の来訪を歓迎するっ!」
「柔よく剛を制す。『合気道』こそ次代のNASに必要な技術だ! 護身を尊ぶ新入生諸君――――」
人と騒音、張り上げる声と足を止める人間、先を急ぐ人とのんびり行く人。雑踏とはすなわち混沌、そこにいる人間が混沌としていれば雑踏は自然と生じ、混沌が加速すればさらに大きくなる。
カノンの手を引いたまま雑踏を強引にかき分け、教室前へと歩をすすむ。あたし個人でならもう突破できてるのに、やはりというか重いのはカノンだ。
「あ、そこの銀髪さん! 演劇部! どうですか!」
「え、あの、私は――――」
「いやいや、ここは舞踏部! 気品あるし美人だし、どう!」
「あ、私踊りとかちょっと――――」
「ぬ、そこの御仁! 護身のために合気を極めては――」
「いえ、護身術は私もう――――」
四方八方からかけられる声、半ば押し付けられるような勧誘用のビラ。手をひかれることも足を止められることも二度や三度ではない。まるで重りを引いてる気分だ。人込みの中、手中の荷物は重すぎる。
そんなわけでよたよたと強引に人込みをかき分けながら到着したA組の教室内に着いて、あたしたちが最初にやったことは、とりあえず大きく息をつくことだった。
「………凄かったね」
「……はい。これ、どうしましょう」
「……捨てちゃって、いいんじゃない?」
手元を完全にふさぐほどの量のビラ。配る方も新入生の中に見つけた白金を逃すまいと必死だったようだ。
やや乱れた髪を適当に直し、教室の中へと目をやる。
NAS養成科とはいっても、教室の造りはそれほど大きく違わないらしい。教室にやってくるのがやはり一番の多数派なのか、教室のあちこちに所在なく雑談などに勤しむ生徒の姿がちらほらと見える。
やはりというか、初対面の人間が多いらしくそれほど話は弾んでいる様子はない。
NASになるような人間は基本的に何かわけありの人間が多く、僅かなわけなしの人間は大抵の場合わけありが多いという事前情報のせいで距離感を感じ、結果として学科全体で湯人グループが成立するのが遅い傾向がある。
今日が初対面、HRすら存在せず、自己紹介すらない邂逅。
距離感が生じるのは、当然だ。このご時世、以前なら容易に乗り越えられた人と人の境界を乗り越えるのは容易ではない。けん制し合うような警戒心、思惑の裏を読もうとしているかのような猜疑心が、教室内でせめぎ合っている。
どことなくピリピリした空気の中、空気に飲まれるように困惑が脳内を支配する。
「………なんか…お見合い会場みたいだね……」
「と、言うよりは開始直前の試験会場のようですね――」
確かに言えてる。合格だと確定するまで競争相手かどうか警戒してる構図なんて、そっくりだ。
………ピリピリした新学期になりそう……。
これから始まるであろう新学期の構図を予想し、思わず気が滅入った。もともとそれほどクラスには期待してなかったとは言え、これはさすがに予想外。
「ところで…学生証の受付はまだなんでしょうか?」
「ん~?」
言われてみれば確かに学生証の配布が行われている様子はない。てっきり各教室の前で配布手続きを行っているものとばかり思っていたけど、教室の様子を見る限りそれもない。ならほかの教室で……と思ったけど廊下のあの喧騒の中にそれらしい個所はなかったし、そもそもあの場に教員が存在したのなら、あの騒ぎを事前に止めているだろう。
念のため、再びパンフレットを確認してみる。
うん、間違いない。『学生証の配布は学生課、および職員室、購買部、総務課学生係において行うものの、入学式当日のみHR教室においても配布手続きを受け付ける』。パンフレットにも確かに書いている。
でもこの有様を見る限り到底配布は行われている様子はない。
だとしたら時間がまだなのか、あるいはもう終わってしまったのか、そのどちらかだと思うんだけど――――
「カノン、なんか聞いてない?」
「え、っと。先輩の話だと、確かにHR教室でやってるらしい、です…けど…」
「先輩?」
「はい、昔からお世話になっている方が先輩にいらっしゃるんですよ。その方にも先程連絡してみたんですけど……」
ゆるゆる、とカノンは首を振った。
うん、だとしたら奇妙なことになった。一体学生証はどこで手に入るんだろ………。
と、
「ふふふふふふ……。やっぱりね。例年通り、ずいぶんな数が罠にかかってるわ」
「っ!」
ひどく楽しそうに笑む、猫のような甘い声。
突然横からかけられたその声に、思わずその場から飛び退く。後先考えずに飛んだせいで机に激突、意外と重くてなぎ倒さずにちょっとずらして床に倒れた。
「あ、暦さん! 大丈夫ですか?」
「あら、確かに驚かそうと思って声かけたのはわたしだけど、そこまで露骨に飛び退くほどだったかしら……? だとしたら、ねぇ、カノン、どっちだと思う? わたしの気配が薄いのか、それともこの子の感覚が鈍いのか。わたし的には――ふふ、どっちでも楽しそうね」
にやにやと、チェシャ猫を思わせる笑みで、その少女は笑んだ。
「な……、あんた、誰――――」
びっくりした。本気でびっくりした。
いきなり真横、それも気配感じずに。それなりに気配探知に自信あったけど、あの距離に一切気配なく詰め寄られたら、ここまで心臓って跳ねるんだ――――。
「ふふ、はじめまして、ね」
立てる? とその人物があたしへと優雅に手を差し伸べた。
白猫。
初めて視界に収めたその人物の印象が、それ。
カノンの健康的な白さとは根底から異なる、死人のような不吉な白。いっそ青白いと表現した方がいいような、そこに生命の息吹を感じさせない亡者の肌の色。髪は当然のごとく骨のような白髪で、低身長は見上げる赤い目を不吉に見せるばかり。微笑んでいれば愛嬌に満ちているであろう顔立ちも、その病的さの中では不吉さを煽るばかりだった。
歩いている死人、もしくは毛を白に染め上げられた黒猫。
不吉そのものを体現したようなその小さな人物の差し伸べられた手をつかみ、あたしは立ち上がる。骨を思わせる細身で冷たいその指は、しかし体躯から想像できるか弱さとは無縁なほど力強く、思わず前によろめいた。
「っと………」
「……意外と軽いのね、あなた」
むっ、失礼な。服装変えたら幼女にしか見えないような人に言われる筋合いはない。
「カノンのお友達……かしら? じゃあはじめましてね。それとも、どこかで会ってたりする? もしそうだとしたらごめんなさいね。合縁奇縁悲喜交々、いちいち覚えていられるのはよほど幸せな人だけ。そんな人なんて、今のご時世にいるわけないでしょう?」
口の端を歪め笑んだまま、不可思議に骨のようなその人は言った。
「え、あたし初対面だ、けど――――」
「あら。じゃあはじめましてでよかったのね。カノンのお友達、っていうのも?」
「入学式から、って条件付きならそう――――」
「と、いうことはわたしの後輩ね。ふふふ……いきなりカノンのお友達と出会えるなんて、幸先はよさそうね――」
ふわり、と猫のような身の軽さで、骨のような少女は身を翻し腰を折った。
長めに改造された制服のスカートの裾を摘み、言う。
「初めまして、新入生さん。わたしは夜陵孤実。学内《集団》『アリギエーリ第五環』代表の二年生。カノンとは――まあ、家がらみの長い付き合いね。以後、お見知りおきを」
態度とは裏腹の妙にフランクな語り口調でその人物、夜陵孤実は言った。
「えっと、夜陵――先輩?」
「孤実でいいわ。むしろ、そっちで呼んでくれないと困るわね」
「……どうしてです?」
「あら、名字を忌避するのに所属している家が嫌い以上の理由がどこかにあるのかしら?」
当然でしょう? と言わんばかりに、孤実先輩が得意げな表情を浮かべた。ごもっともである。
「じゃあ…孤実先輩。さっきの話の流れから、カノンの知り合いってことはなんとなくわかるんですけど、その先輩がどうしてこんなとこまで来てるんです?」
さすがに上級生の予定まで完全に把握はしていないが、確か今日は全日程終了済みでクラブ勧誘やら何やらで仕事のない人間が残っていることも考えにくいはずだ。
「もちろん、カノンに挨拶にね。この子のうちは…ちょっとね、人に言い難いようなこと、いろいろあるから」
「……あ、孤実先輩……」
おずおずと、わきから見守るばかりだったカノンが声を上げる。それを嗜めるように、孤実先輩はゆるゆると首を振った。
「わかってるわ、ごめんなさいねカノン」
「いえ……」
申し訳なさそうに、カノンがこちらに目を向けた。もとから人のうちのことなんてそれほど知りたいとは思わない性質なのでそれほど気にしてはいないけど、こんな風な態度をとられるとなんとなく居心地が悪い。
「改めて入学おめでとう。よくあのカリギュラ並みに問題アリの兄を説得できたわね」
「ありがとうございます。でも、別に説得できたわけじゃないんですよ」
「あら? ということは強硬策使ったの? よく切り抜けられたわね――」
「実を言うと、ちょっと危なかったんです。入学式前にちょっと連れ戻されそうになって、そこを暦さんに……」
なるほど。誰なのか微妙に気になっていたあの男、兄だったのね。道理で親しげで自分たちの世界展開してたわけだ。
「ふふふ……良縁ね。よかったじゃない、カノン。新学期早々お友達なんて、この学院じゃ望むべくもないことよ」
うふふふ、と。楽しげに、心から楽しげに、孤実先輩は骸骨のように笑った。
思わず恐怖を覚えてしまいそうになるほどの違和感、強制的に煽りたてられる不安感。どうして湧きあがるのか不明瞭な感覚に飲まれないように、あたしは思わず当たりへと目をやる。
やや人の増えた教室、雰囲気は先程より退屈そう。時間経過に従って人は増えるが、一向に学生証配布の始まる様子はない。
どうしたことだろう。疑問符を頭に浮かべながら周囲を見回していると、
「どうかしたの?」
「あ、いえ別になんでも――――」
………そういえば、さっきカノンが先輩に連絡をとってた。
「――――あります」
「あら、何?」
変な日本語になってしまった。動じないでいてくれた先輩がありがたい。
「あの、学生証の配布なんですけど、パンフレットじゃHR教室ってなってるのに全然始まってなくて……。先輩も去年入学したんですよね? だったら、去年がどうだったのか、教えてくれませんか?」
あたしのその問いかけに、
「………ふっ、ふふふふふふふっっ」
……なぜか孤実先輩は、笑い出した。
おかしくて仕方がない、といったような忍び笑い、いや、隠すつもりがないのをそういうのかはわからないけど、とにかく押し殺そうと頑張ってるかのような笑い。
神経を逆なでされるはずのその音に、あたしは逆に妙な安心感を覚えた。
「あの……何、か……?」
「ふふふふふ――――っ……、ごめんなさいね、っ。でも、ここまで見事に騙されてるのを見るのって、むしろ滑稽ね」
「騙す……とは、どういうことなんでしょうか、孤実さん」
詰め寄るように、カノン。
「そのままの意味よ。はい、これ」
言いながら孤実先輩が制服の内ポケットから取り出したのは……二枚の、厚手のカードのようなものだった。
一見した厚み、約一センチ半。大きさ的にはちょっと大きめのキャッシュカードぐらいで、色は電源の入っていない液晶パネルのような沈んだ黒。接続端子のようなものが端から伸びているのを見るに、何かの電子端末だろうか。
「あの、これ、は――?」
「HR教室で配布されてた電子生徒手帳よ。まだブランクだから、適当な学内端末からホストサーバーに接続してダウンロードしなさい」
受け取ったそれは、存外軽い。大体拳銃の、半分ぐらいだろうか。この重量の中に宣言通りのスペックが詰め込まれているのだとしたら、なるほど大した技術だ。WIDAを個人単位で支給できるほどの財力がある国策学校らしい学生証である。
ってそうじゃなくて。
「………これ、どこで――?」
「ふふ、恒例の新入生騙しよ。『HR』はHome RoomじゃなくてHost server Room、ただポツンと表記してるから、絶対わからないでしょう? うちの学院こういう騙し結構やるから、気をつけなさいね」
「……………」
え、と。つまり、あたしたちは学院側の情報操作に見事に引っ掛かってた、ってこと?
「ちなみに入手までの手続きっていうのも半分嘘ね。確かに手続きはあるけど、重要なのは『誰が持っていった筺体に誰のデータが入ってるか』だから本来意味ないのよ。二枚持ってきたのはなんとなくね。でも……無駄にならなくてよかったじゃない」
ふふふふ、と再び猫のように孤実先輩は笑んだ。
でも考え見れば不自然だったように思う。在校生の銃器登録は校門前で一気にやってるのにそれよりもはるかに高価で重要なもののはずの学生証がクラス単位での配布、それもHRがない条件下で、だ。恣意的にやっているにしては、学院の意図がちぐはぐすぎる。
「ありがとうございます……」
「あ、ありがとう――」
今更ながら告げられた礼の言葉に、孤実先輩はただ目を細めただけだった。
「ふふふふ、貸し一つね」
どう返してもらおうかしら。
「………」
新学期早々、なんだか嫌な予感のする貸しを作ってしまった瞬間だった。
「さて………じゃあ本題に移りましょうか」
え、本題なんてあったの?
「カノン、放課後の時間、外せない用事で何か埋まってるかしら?」
「え、放課後……ですか?」
ええ、とあたしの内心を察した様子もなく孤実先輩はうなずく。
「ちょっとばっかり面倒な案件が入っちゃって……そのお手伝いを頼みたいのよ。わたしとしてもこんな面倒事はご免こうむりたいのだけど……『上』からの指示じゃね。まったく、面倒なものよ」
やれやれ、と首を振る孤実先輩。
対するカノンは、葛藤するかのように表情を歪めていた。理由は明白、あたしとの約束だ。これだけの時間しか話してないけどわかる。カノンは、とにかく義理堅い。一度結んだ約束を無下にできるほどの人間じゃない。
ちらりちらりと視線を向けてくるカノンへ、あたしはほほ笑みを返した。
「いいよ、今日のは別に」
「でも………」
「いいっていいって。今までお世話になった先輩なんでしょ?」
「それは、そうですけど――」
「あたしの方はただの遊びだし、孤実先輩のは用事でしょ?」
「……そう、ですわね」
つぶやくように言い、カノンは先輩に向き直った。
「わかりました。放課後……どちらに?」
「そうね………、生徒会室に、お願いできるかしら」
「と、言うことは零さんからでしょうか?」
「ええ。あの邪気眼男、新学期早々仕事に精出して……イカれてるわね」
「ははは、は……」
コメントし辛そうに、カノンは曖昧に笑った。
「じゃあ仕事、昼食後によろしくね。あと、《集団》の話。考えといてくれるわよね?」
じゃあ、これからちょっと仕事だから。
そういって孤実先輩は軽快に身を翻し、教室のドアから廊下へと消えた。
入ったときと同様、気配を感じさせない、猫のような去り方。
古い表現だけど、なんだか化かされた、という言い方がしっくりくるような先輩だった。
「――――なんだか、変わった先輩だね」
正直な感想、それに対し、カノンはただ、曖昧に笑っただけだった。