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3.出会い→再会

    × × × ×


 体育館入り口で銃器の登録を済ませ、体育館に並べられた新入生用のパイプ椅子に座る。

 時間的にはまだ余裕があるからなのか、至極一般的な構造の体育館内の、見える範囲に座っている新入生とその保護者の姿はない。

織瑚の父親あたりの姿があってもおかしくないと思っていたけど、どうも予想以上に早く着すぎていたらしい。

 織瑚は普通科、私はNAS養成科。

学科が違えば座るところも違うし、それに場所取りとかもそれなりに重要になる今じゃわざわざ近寄って話しかけるのも面倒だ。

 所在無く周りを見回してみても、席はまだ四分の一ほどしか埋まっていない。その埋まっている半分にしたところで、孤児や苦学生が多い養成科の人間がほとんど。他の学科や普通科、父兄なんかの数も、随分と少ない。

 ちらりと壁の時計で時間を見る。

 式の開始まで、あと二十五分。

 あれ……?

 そんなに時間、早かったっけ? もしかすると予定違い? 鞄からパンフレットとプリントを問いだす。

 プリントによると集合時間はさっき確認した自分の時計で、今から約十五分後。式の開始はその五分後。場所は体育館内、着席して待機すること。

 パンフレットによると、入学式の後には始業式も控えているらしい。

 ………あれ?

 覚えた時間に間違いはない。腕時計で確認した時間は十五分前で、着席待機ならそれなりの人間がいてもいいはず。なのに周囲はガラガラってことはもしかして――――

 思いながら自分の腕時計を見る。体育館の時計は基本的に電波管理式だからもしかして――――

「………あっちゃー」

 ずれていた。

 ものの見事に、十分も。

 なるほど、道理で人も少ない。式の開始まであと二十五分、一時間の半分近くも余裕がある。いくら余裕を見せて登校させる父兄が多いとはいってもせいぜいが十五分前。二十五分前は、さすがに早い。

 どうしよう。

いきなり時間がぽっかり空いた。十五分程度なら校則の確認でもしてれば時間つぶしになるけど、さすがに二十五分もの時間は広すぎる。

 携帯電話は……空中投光型だ。旧来のスクリーン、タッチパネル型ならこっそり使うこともできたかもしれないけど、投光型は目立ちすぎる。大体式典中は妨害電波ぐらい出してるかもしれないし、インターネット接続ができない以上、携帯電話なんてただの箱だ。

 ほんとにどうしよう。銃の点検でもしてようか。

 そんなことを考えながら妙に重いパイプ椅子に深く座りこみ、

「………――――っ」

「………?」

 誰かの声が、聞こえた。

 言い争うような声、揉めているかのような音。退屈してるいまでもないと気にも留めないような微小音声。左右を見回して発信源を探すと、半開きになった体育館の側面出入り口。

「――して! 離して――――!」

「だから――――と――いるだろう!」

「――――には、……でしょう! だから――」

「………しろ!」

 何を言っているのか詳しくはわからない。だけどなんだか空気が不穏で、しかもあまり収拾が着く雰囲気でもない。

 第三者が首を出してもいいものか、少しの間考えて。

「――――よし」

 なんとなく、ほんとになんとなくその場を立って側面のガラス戸から外へ出た。

 体育館正面のざわめきとは裏腹に、側面にはグランドを見下ろす芝生の斜面と並木道が静かに揺れているだけで特に大きなざわめきらしいざわめきは存在しない。だけどその空白ともいえるスペースには――――予想通り。言い争う男女の姿。

 片や黒のブレザーを纏った銀髪の少女。体育館の壁面に背を押しつけられる形で、何やら言い募られている。

 片やワイシャツに黒のスラックスを身に纏った紳士的な青年。優雅にほほ笑みでも浮かべていればそれだけで女性を虜にできるであろう容姿なのに、今その表情に浮かぶのは醜い憤怒ともいえる形相だった。

 一見した印象は、一方的な意見の押し付け。

 もしくは、痴話喧嘩といったところだろうか。

「もう帰ってください! 私なんかより、うちで待ってるアイリスの面倒を見て差し上げたらいかがなの!」

 壁に押し付けられたまま気丈に叫ぶ少女に、覆いかぶさるように押し付ける青年は怒鳴り返した。

「そういうわけにはいかない! どうして僕に黙って養成科になんか入ったんだ? わかってるだろう! ここがどういうところなのか……」

「無関係なことです! もうお帰りになってください!」

「無関係なわけない、カノン! 僕はお前のことを考えて――――」

「そんな身勝手な考えがあるとお思いなんですか! 私のことなんていつも放っておく癖に、自分に都合が悪くなったらこんなことを――――いい加減にしてください!」

「うるさい! とにかく今日は帰るんだ!」

「あっ!」

 壁際に身を押し付けられた少女の腕を強引につかんで青年が歩き出す。こっちとはちょうど反対方向で姿は見えないけど、どうも様子が尋常じゃない。

 事情があるにしても、これはやりすぎな気がする。

 足元の段差を下って、男女の後ろに着いた。

「離して! 離してください!」

「うるさい! いい加減にしないと――――」

 ヒステリックに言い放つ青年の腕が腰に伸び、そこにある金属物――――あ、あれはまずい。


「あー、それちょっとやりすぎじゃないの、お兄さん」


 気づいた時には思わず声を出していた。

 ………やばっ。

 思った時にはもう遅い。半ば脅すような速さで青年が振り返り、その視界にあたしをとらえる。

 ヒステリックな目の色、荒い呼吸。体裁を取り繕うこともせず、青年は感情のままに言った。

「……何だ君は! これは僕たちの事情なんだ! 口を出さないでくれ!」

 感情的に目を剥き言い放つ青年。だめだ、この様子じゃこっちの話なんて聞く耳もないだろう。やれやれ、いきなり面倒な人に行き当たっちゃったかな。

 内心で思いながら、あえて挑発するような態度であたしは笑った。

「確かに、あたしもただの痴話喧嘩とか言い争いなら放っとくけどさ。でもさすがに『ただの喧嘩』で拳銃出すのはやりすぎじゃない?」

 ピクリ、と青年の肩が一瞬震えた。

 どうやら図星、そうあたりを着ける。実のところ分かっているのは腰に何か武器がある程度のことで、それが拳銃なのかナイフなのかそれとも他の何かなのかはわかってなかったりするのだが、まさかのドンピシャだったらしい。

「な、何の話だ! 僕は別に拳銃なんて………」

「ふーん……」

 何の気なしを装いながら、青年に腕を掴まれたままの少女の方へちらりと目をやった。

 縋るような眼、困惑した表情。統括する感情は怯え……ってとこか。

 やれやれ。まだ入学前だし、先輩とかに目ぇつけられたくないし、できることなら穏便に済ませたかったけど………いざとなれば強硬手段も覚悟しなきゃな。

「でもさ、これからあたし、入学式なんだよ。今まで中学生活で受験勉強とかも頑張って、環境変わるってウキウキしてるわけ」

「そ、それが僕と何の関係――――」

「だからさ、」

 とんっ、となるべく自分勝手な性格に見えるように表情を調整しながら一歩。青年へと間合いを詰める。ひらりとした挙動に青年の動きが一瞬、硬直し、

「そんな日の、ドキドキしながら時間待ってる時に横から変に言い争うのとか聞こえたら台無しなんだよ。あんた、わかる? 一生に一度しかない入学式のドキドキ、あんたのせいで全部台無しなんだよ?」

 硬直している青年の表情が、さらに強張った。

 我ながらなかなかに理不尽な言い方だ。威圧するように間合いを詰めながら問いかけると、じりじりと青年が後退する。

「しかも顔出してみたらわけのわからない一方的な言い合いってさ……。なんなの、これ? そんなに大事なことなわけ? 拳銃まで持ち出して? ばれたらみっともなく言い訳したりして?」

「そ、そそ、それ、は…………」

 先ほどまでの剣幕はどこへやら、青年の顔色が一気に色を失う。

 いくら拳銃が大衆化したとは言え、発砲も特に制限されていないとは言え、さすがに誰かを脅迫する目的で使おうとしたことを知られると菊の御紋が黙っていない。最悪の場合殺意があったと認識されればNASが動いてもおかしくないのだ。

 ついでに言えばここはNAS教育の総本山の中の、入学式直前の体育館の、横。場所として都合が悪いことこの上ない。

 そしてとどめと言わんばかりに、あたしは制服から見てわかるとおり新入生と言えども学生NAS。どれだけの実力、権限があるか、あたしにもわからないのに、完全に部外者である青年に理解できるわけもないだろう。

 内心の昂揚を抑え、極力そっけない態度を装いながら、あたしは言い放つ。

「言い訳はいいよ、さっさと消えて。別に今時拳銃なんて珍しくも何ともないし、あたしとしては不快な音が消えたらそれで満足なわけ。別にそれ以上頓着するつもりもないし、そんな時間もないからさ」

「あ、ああ……。そうする。おいカノン――――」

「あとさ」

 少女の手を引いて立ち去ろうとした青年が、再び止まる。

「あたし、自分のクラスメイト一人も減らしたくないんだよ。これから入学式だし、中学のころも何人か減っちゃったし――せめて高校ぐらいはって思ってるんだけどね。そこでお兄さんが連れてっちゃったら台無しになるんだけど――――」

 少女の表情に困惑が浮かぶ。

 ちらり、とその眼に青年にわからない程度の微笑みを返すと、青年の表情には葛藤が見て取れた。

「……っ、それはうちの事情だ! そっちの事情じゃないだろ! カノン――この子だって僕がちゃんと話せばわかってくれるはず――」

「あーもう、ごちゃごちゃうっさいな」

 あからさまに苛立った声を出す。青年の身がぎくりと背後に下がり、かき集めてきたであろうなけなしの勇気をへし折った。

「いい? あたしは別にそっちの事情なんて知ったこっちゃないの。別にその子が病弱で養成科に耐えられないとしても、家庭の事情で学費とかいろいろ大変だったとしても、単にお兄さんが個人的にNAS嫌ってるだけだったとしてもさ、」

 なるだけ酷薄に見えるような表情を心掛けながら、青年の顔を覗き込む。

「あたし、そんなの知ったこっちゃないわけよ。さっきから言ってるでしょ? あたしは、あたしが気に入らないからここにいて、あたしが気に入らないからやめろ、って言ってるの。わかる? わかるかな? ……わかるよね?」

「あ、う……、それ、は――――」

 尻すぼみに青年の声から覇気が消えていく。

 何度か同じ手段を使ったからわかる。おそらく、今の青年の心中は葛藤の渦だ。この子を連れ戻したい、だけど一番まずい瞬間を見られた人間が連れ戻すなと言っている。だけどここで自分も引き下がるわけにはいかず、だからと言ってこの場で強硬に主張したとして、自分の身が危うくなる――――。

 是か、非か。どちらを選んでもリスクを払うことになるその選択肢に、青年は、

「っ、………わ、わかった……」

 がっくりとうなだれたまま、握りしめた少女の手を離す。

 あれだけ言い募ったのに、結局とった選択肢は自分の保身。身勝手な行動に辟易しつつ、しかし表情だけは無感動を装って一歩、青年から距離をとった。

「だけど! 僕は諦めたわけじゃないからな! 僕はこんな学校にお前が入学するのは認めない! 絶対だ!」

「…………そう、ですか」

 ポツリつぶやく少女を残し、ぼやくように捨て台詞を残し、青年が体育館裏から駆け出していく。

 残されたのはがっかりと項垂れる銀髪の少女と、あまりの潔さに呆然としているあたしの二人。

 そのまま何もしないというのも何だったので、少女の顔を盗み見た。

 きれいな顔だ。日本人離れした、完全に西洋人であろう顔立ち。やや伏せられた目は碧眼、背に流れる長髪は月光の銀。肌は抜けるような白さで、体格もすらっとして恰好よく、そのくせ出るべきところは出てるので――――何というか。

 ………羨ましい通り越して憧れちゃいそう……。

 羨ましいとか、妬ましいとか、そういう身近で手が届きそうだからこそ抱く感情を超越したような何か。口調も立ち姿もどこか品があって、印象的には『綺麗な人』というよりは彫像とか、絵画とかの印象――ちょうど『人じゃない何か』の印象に近い。

 ちらり、と腕時計を確認する。

 あれから、五分ちょっと。入学式まではあと二十分弱の時間がある。

 そろそろ体育館も、込んでくるころだろうか。

「………あのさ」

「…はい?」

 おずおずとかけたあたしの声に、少女が顔をあげた。

 うわ、眩しい。表情はなんだか暗い感じで、吹けば飛ぶような儚さがあって、でもそのバランスが幽玄の美って感じで綺麗で――よくわからないけど、一瞬気圧された。

「入学式、出るんだったらそろそろ体育館入ったほうがいいよ。そろそろ席も込んでくるころだろうし、知り合いとかいるんだったら席取っとかないと変なとこに座る羽目になるし」

「あ――――もう、そんな時間ですか……」

 ―――― どうしよう。

 蚊の鳴くような声で、少女が呟いた声音。どこか寂しそうで、どこか辛そうで、どこか諦めがたい。そんな感情を孕んだ、聞こえるか聞こえないか程度の呟き。

 なんとなく放っておくのも悪いので、少女の手を引いた。

「あっ……何を……」

 慌てふためく少女をそのままに、体育館側面から正面へと回る。

 体育館正面は……あたしが入った時とは違い、ちょっとした規模の列ができていた。行列と呼ぶほどではないけど、用がない限りはまず並びたくない程度の列。どうやら予想以上に入学式というものは早めに集合するべきものであったようだ。

 列の後端に半ば押し込むように、困惑した表情の少女を並ばせた。

「………あ」

 その時点でようやく自分がどこに連れて行かれたのかを理解したのか、少女の表情の中に混乱が混じった。

「あの、私は――――」

「あんた、ちゃんとこの学校自分で選んだんでしょ?」

「え?」

「だからさ、あれだけ反対する人がいるのに自分でここに来たいって思って、受験とか武器とか制服とか、色々揃えたんでしょ?」

「え、あの――はい………」

「だったら胸張りなよ。あれだけ反対されてんのに自分で行きたいって思った将来の道決められたんだからさ。あの人がどういう人かは知らないけど、大事な人なんでしょ? 反対されるってわかってながらそこまでやるって、すごいじゃない」

 きょとん、とした表情で、少女がこちらを見つめ返してくる。澄んだ眼、捻くれるでも怨むでも、ましてや憎むでもない純粋な色の目。なんだか、織瑚によく似ている。

「そこまでやったんだから、別にあの人の意思ぐらい無視したっていいと思うよ。将来なんてもともと自分のなんだし、他人にとやかく言われたって変えなくてもさ」

「………そう、でしょうか…」

 その問いかけはどっちに向いてるんでしょーねー。内心で思いながら、うなずいた。

「そーそー。ま、他人の事情知らずに色々勝手言ってるだけだから失礼なこと言ってるかもだけど、ま、話半分に聞いといてちょうだい」

 言いながらちらりと再び時計を確認する――うわ。そろそろ戻んないと席が本格的に確保できなくなってくるかも。一応鞄はおい説いたけど、できることなら混む前に座っときたい。

「じゃあ、あたしはそろそろ入学式に戻るからさ。ここまで言っといてなんだけど、最後は自分で決めて貰うしかないわけだし……あとは自分でどうにか考えてよ」

 ま、ここまで連れてきたら実質選択肢は一つしかないわけなんだけど。あたしもなかなか(ワル)だったってわけだ。感情と半分があたしにそう告げる。

 列に背を向け、体育館側面の出入り口へと足を向ける。今気づいたけど、足元が上履きだ。入る前にざっと磨いとかないと、入学式前に教師陣に目をつけられかねな――――

「あ、あの!」

 い、と急ごうとしたところで背後から呼び止められた。

 やっぱり、迷惑だったのだろうか。あの人とどういう関係にあるかは知らないけど、それにしたって第三者が説得に関連するのは筋違いだったかもしれない。

 やっちゃったかな、そう思いながら振り返り、

「もし……その、中で会えたら…お友達になっていただけますか?」

 …………はい?

 予想に反した要望、それも随分とかわいらしいそれに、思わず硬直した。

「いや……友達も何も、これだけ縁作っといて友達も何もないと思うけど……違うの?」

「あ、はい!」

 その一言に、少女の表情が一気に華やぐ。

 思わず苦笑し、あたしはその少女に向かって軽く手を挙げた。

「じゃあ、中であったら友達ってことで。縁があったら、また会お」

 つい、と手を振って体育館の側面出入り口へと軽く駈け出す。だいぶ混んできたし、式の時間も近付いてきた。もしかすると、もう側面の出入り口を閉められたかもしれない。

 ちらり、と背後を振り返る。

 遠目からも目立つ銀髪は、列から離れていなかった。


     × × × ×


 武器の登録が終わり、先に待ってた小春と合流して教室に向かう。

 新入生は、そろそろ入学式のために体育館に入場しているころ。在校生の俺たちは一度HRで連絡事項その他を伝達してから始業式に向かうことになっている。

 当然のことながら、HRに欠席すれば始業式も欠席扱い。

 そしてこの学院における無断欠席は、軍律破りと同じ程度の重さを持っている。

 そんなわけで、たとえ始業式だけしかない今日とは言えど欠席者は一人もなく、むしろ刑罰を避けたい俺のようなサボり組の法が率先して登校するという構図が完成し、俺たちが武器登録を終えて教室に入ったころにはすでに半分ほどの席が埋まっていた。

 席順は特に決まっていないらしく、埋まり方はてんでバラバラ。

 適当に窓際の席に腰を下ろして俺に気付いた去年から続投のクラスメイトを適当にあしらうと、もはや定位置といわんばかりに小春が隣の石へと腰を下ろしてくる。

「ふむ……。どうやらクラスのメンバーに大きな違いはないらしいな」

「そうかぁ?」

 言われてざっと見回してみる。半分ほど埋まった席にバラバラに座り談笑に興じるクラスメイト。確かに顔ぶれは去年も一緒だった連中が多いような気がするが――――

「よくわからん」

 俺のその一言に、小春が呆れたようなため息をつく。

「そんなところだから常に情報で遅れを取って今朝のようなことになるのだ。いかんなぁ、ナギよ。常に事情に通じておらぬようではこの先生き残ることは困難を極めるぞ」

「………今朝のことは別だろ」

 それ以外特に否定はしない。と、言うかなんとなく気分で足向けた廃ビルで殺人事件なんて誰が予想できるんだ。

「そのあたりも含めて、だ。危機管理能力がなっていないようだな、わが友よ。……どうだこの際。いっそのこと我らが手芸部に入部し、諜報技術や先見の明を鍛えるというのは――」

「遠慮」

 なぜ手芸部で先見の明はともかく、諜報技術が鍛えられるんだ、という突っ込みはスルーする。この男のことだ、ただの手芸部を諜報機関に改造していたとしてもおかしくはない。

「ふむ、それは残念」

 全然残念そうじゃないにこやかな笑顔で、小春はゆるゆると首を振る。

「では、もうすぐ判明するであろう交換転校生の話はオフレコ、ということにしておこうか。何、焦らずとも始業式後にわかる情報だ。特に気にする必要もなかろう」

 それは挑発のつもりか? 心中で小春に問いかける。

 言っとくが、俺は転校生なんぞに興味はない。どうせ来たとしても俺みたいな普通組じゃなく、生徒会メンバーやら学院代表生やらのエリート組。関わり合いになることもまずないだろう。

 とにかく、無視だ無視。新学期早々、余計な情報耳に入れて棒に振るつもりなんてさらさらない。

 と、思っていたのに。

「おぉ? さっすが隆生寺! 俺らじゃ手に入らないようなマル秘情報、さっそく手に入れてきましたってか!」

 軽薄でやけにハイテンションな声がいきなり教室内に響き渡った。

 耳に覚えがある、どころじゃない声。その声の主を探るべく教室内を一瞥――――

するまでもなかった。

「……板橋(イタバシ)…………」

「よう、穂村、隆生寺! 久しぶりだな!」

 小春の背後、俺の隣。ちょうど机の列一つはさんで向こう側。そこに立った軽薄そうな印象の男子生徒。声の発信源は間違いなくそいつ。俺にとってよろしくないタイミングで話しかけてきたのもそいつ。校門前で笑ってやがったのもこいつ。

「あ、そういや穂村お前校門前でずいぶん委員長に絞られてたよな! 新学期早々ついてねアダッ!」

「おっと、悪ぃ。つい手が滑った」

「そんな手の滑り方があるかっての! てか手じゃなくてさっきの足じゃね?」

「うるさいなぁ……。手だろうが足だろうが打撃もらったのは変わねぇだろ」

「打撃ってとこは認めるんですねグハッ!」

 やかましかったのでもう一回蹴りをお見舞いした。

 きれいに鳩尾に決まったらしく、悶絶する板橋。

「……ナギよ、相変わらずのロングレンジキック、見事だな」

 首を僅かに傾けて俺の蹴りをきれいによけた小春が呟くように言う。

「お褒めにあずかり光栄……ってか?」

 ゆるーっと板橋の鳩尾から足を引っこ抜く。ぐふっ、と重い吐息を漏らし、直撃した鳩尾を摩る板橋。

「ぐっ………春休み中にまた蹴りのキレあげやがったなこの野郎……っ、まあ、それは置いといて、だ」

 ちっ、回復の早い奴だ。

 身を起こした板橋がダメージを感じさせない様子で、笑みを浮かべる。

「どうなんだ、隆生寺。お前ンとこのネットワークから流れてきた情報によりゃあ、どうも来るらしいじゃねぇか」

「何が」

「何がってお前――話の流れからして転校生のことに決まってるだろ!」

 いちいち大声を出すな。目立ってるぞ。

 満足そうに、隆生寺は含みある笑みを浮かべる。

「我がネットワークの情報制度が確たるもの、と仮定した場合、おそらく来るだろうが――――、さてさて、詳細はどうなっていることやら」

「なんだよ~隆生寺。教えてくれたっていいだろ~? 別にあと十五分ちょいでわかるようなことなんだしさ、隠しとく必要なんてないだろ~?」

 くねくねするな、気持ち悪い。

「ふむ……板橋よ、情報というのは鮮度が物を言う。たとえ十分後にわかるような事実だからといって、その事象の情報的な価値が低下するものではない。我らの職場を見るがいい。十分後にわかる情報で命を落とした人間がどれだけの数存在するか……」

「えー、いーじゃんよー別にー。せっかく春休みあけて生きて再会できたんだろー? その記念ってことでロハでいいじゃんかー」

 いいわけがない。小春の性格のことだ、情報の有用性は云々の哲学で暴利をふんだくるに決まってる

「ふむ、確かにな。それもいいかもしれん」

 ……わけでもないらしい。

「やたっ! で? で? どうなんだ隆生寺。どんな人? 男? 女? ひょっとして美人だったりする?」

「まあまあ、そう急くな。さて――――どこだったかな」

 懐から取り出した手帳をぱらぱらとめくる小春。生徒手帳ですら電子化されているこのご時世に、なんとアナログな。紙媒体の手帳はもはや滅びたかと思っていたが、そうでもなかったらしい。

「……ふむ、あったぞ」

「どうなんだ?」

 身を乗り出して小春の肩越しに板橋が手帳を覗き込む。

 その動作を、小春は手を振ってさえぎった。

「おっとそれはいただけないなぁ、板橋よ。俺の手中にある手帳の内部には普通であれば歯牙にも掛けぬような瑣末ごとから公社の上層部しか知りえぬような秘匿事項まで種々多用、迂闊に第三者の目に触れさせていいような代物ではないのだよ」

「ちぇー」

「まあそれはともかく我らがリークした情報を読み上げると、だ。

すでに存在だけは噂になっている転校生、名は時噤(トキツグミ)萌木(モエギ)、国立黒岬学院NAS養成科より登録の公社公式認定Aランク学生NAS。年齢は我らと同い年で身長は154、体格は平均値よりもやや細身だな。戦闘スタイルは近中距離での戦闘に特化した攻め手タイプ、協調性勉学実践成績とすべて文句なしのいわゆるステレオタイプな優等生、ただしタイプは委員長とは真逆で融通も利く、と………。今回の転校は黒岬側からの招聘のようだ。一言で言うなればエリート、ただし本人に優等生意識は希薄であり、そのため周囲からの人望も高く、状況判断能力にも一角のものがあり、それ故リーダーとしての素養に恵まれる……」

「で? 肝心の性別は?」

 まじめ腐った顔で聞くような事か?

「お前にとってはうれしいことに―――女のようだな」

「ぃよっしゃ!」

 跳ね上げるようなガッツポーズ。遠巻きに眺めている男子連中からも結構な歓声が上がり、にわかに教室が沸き立った。

 満足げな笑みを小春は四方の男子へと向け、

「………ご満足いただけたようだな、板橋よ」

「ああ! 転校生! エリート! それも気取ったとこのない女の子! 最高じゃねぇか!」

「どの辺がだよ……」

 と、いうかそもそもその転校生にしたって、うちのクラスに入ってくるとは限らないだろうが。ここまで喜んでいざ来たら隣のクラス、なんて糠喜びもはなはだしいぞ。

「安心したまえよ、ナギ。その杞憂は杞憂のままに終わる。配属先は間違いなくこのクラス、本日付で登録箇所が正式に黒岬から間へと移譲される」

「頭の中覗いたみたいな解説ありがとう」

 ちなみに登録箇所の移譲、という言葉は間違いでも誇張でもなく、正式な呼称、学生NASはそれぞれのNAS養成科に籍を置く学生であると同時に国家承認殺害者統括公社……通称殺人公社に登録されているNASでもあるため、こういう言い方になるらしい。

「で? 具体的にはどんな奴なんだよ。お前のことだ、顔写真ぐらい手に入れてるんだろ」

 よくぞ言ってくれた! と騒ぐ板橋は無視した。

「ふむ、気にならないのではなかったのかね、ナギよ」

「うっせ。ここまで聞いて顔だけ知らん、ってのも変だろ」

 どうせもう乗りかかった船みたいなもんだ。最後の最後まで知っといたほうが向こうと折り合いつける意味でもいいだろ。

 内心を悟ったのか悟らなかったのか、やれやれと小春は首を振った。

「律儀なものだな、わが友。まあ、それでこそわが友足り得るのだが」

「嫌みは結構だ。で結局あるのかないのか」

「嫌みのつもりはなかったのだがな………。まあいい。わが友よ、友人価格として特別の情報を教えよう」

 ちょいちょい、と手招きする小春に従い、顔を寄せる。と、小春は手帳を閉じ、耳元へ顔を。

「顔をあげてすぐ、黒板をゼロとして右方向に四十五度だ。とびっきりの情報がお前を待っている」

「……?」

 なんだそりゃ。

 疑問符を解消する暇すら与えられず、小春は早々に俺から離れ、再び手帳を開く。

「おいおい、小春! まさかもう顔写真まで入手してんのか!」

「もちろんだとも。……どうかね板橋。この特級のネタを一本でどうだ?」

「ぐっ……。一個なら即答で拒否するところだが一本……っ、一本だと……?」

「フハハハハ! どうするかね板橋および聞き耳を立てている学友諸君! なーに、現在ここに集っている学生の人数は延べ二十八人、頭割すれば一本も0.035本に早変わりだ! さぁ……どうする?」

 ……あほらし。

 あと十分ちょっとで否応がなしに突きつけられる現実、それをどうして金出してまで早めに知ろうとするのかね。

 理解不能、その言葉を脳裏に、教室の騒ぎから顔を背け黒板に目をやる。片手間に視線を動かす。黒板ゼロ度、そのまま右に、四十五度。

 教室を覗き込んでいた女子生徒と目が合った。

「え………っ?」

 ――――瞬間、

 時間が――――

 ――――凍りついたかのような

 異様で――――

 ――――異常な

 感覚の中に――――

 ――――放り込まれたような

 感覚(さっかく)のような――――

 ――――錯覚(かんかく)の中に

 放り込まれた――――。


 藍色みがかった黒のセミロングヘア、端正な顔立ち。ポニーテール気味に纏められた髪をさらりと揺らし、いたずらっぽく微笑むその顔にかつての過去を幻視する。鳴り響く古めかしい時計塔の鐘の音、快活に遊びまわったその後の夕日、あどけない笑顔に無邪気な横顔、夕日に照らされた日々の中、最後の記憶は曇天。二人一緒に門から出て、そのままずっと離れ離れ。約束も言葉も何もなくただ別れたその少女、名前は――――


「……っ」

 椅子を蹴倒さんばかりの勢いで席を立ち、廊下へと駆ける。

「あ、おい穂村――――」

 背後で何か板橋が言っている。が、今は気にしている暇はない。今の顔、間違いない。思い出した。数年前孤児院で別れてそのまま会うこともなかった幼馴染。快活でしっかり者でなんでもできると見せかけて陰で努力してて、でもメンタル弱くて隠れてよく泣いてたあいつ。

 あいつが、ここにいる。

 その事実が遠慮も容赦もなく体を突き動かす。もうすぐ会えるとか、そんなことは関係ない。今、今俺は思い出した。だから確かめる。それだけのこと。

 教室のドアを開け放つ。廊下へと身を躍らせる。

 すでにHR間際の廊下、遅れてやってきたもの、廊下でよそのクラスメイトと雑談に勤しむもの、真面目な顔で手に入れたばかりの銃器をひけらかしているもの、さまざまな人間がそこにいる。

 その中、廊下の窓際に――――

 ………いた。

 凭れかかって、ただ漫然と時間をつぶすように。

 あるいは、何かを待っているように。

 ぼんやりと、あるいは真摯に天井を見上げる、その姿。

 硲の制服、成長した見た目、それでも間違えるわけがない。この気配、あのプロフィール、間違いなくこいつはこいつで、数年の時が経った今でもこいつはこいつ以外じゃなく―――

「………よう」

 ためらいなく声をかけた俺に、そいつが顔を上げる。

「……久しぶりだな」

 覚えているか否か、多分覚えているだろう。出なきゃ、あんなことするわけがない。

 俺の呼び掛けに顔をあげた転校生のその少女はゆっくりと顔をあげ、

「………ふふ」

 そして上品に、微笑んだ。

「久しぶり――――。そうね、だいたい三年ぶり、ってとこかしら?」

 壁から身を軽く跳ね上げ、こちらに歩み寄る転校生。

「ホント、久しぶりね――ナギ」

 俺はそいつの、転校生の少女の、かつての幼馴染の、時噤(トキツグミ)萌木(モエギ)の投げかけたその声に、

「……ああ」

 ゆっくりと、うなずいた。


 ――――これが、始まり。

 殺すまいと思っていた俺が飛行の末に巻き込まれ、のちにもっと面倒なことに巻き込まれざるを得なくなる予兆。

 後になってから、俺は思う。

 このとき幼馴染を追ったりなんかしなければ、

 もっと、ここから先の出来事は変わったんだろう、ってな。


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