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10.入会


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 翌日、校門のところで萌木に会った。

「………よう」

「………連絡、行ってるでしょう?」

「ああ」

「連れてくるよう言われてるの。付いてきて」


 どこか不機嫌そうな様子で腕を組んだ萌木に半ば強制される形で、俺はその背後に続いて校舎を歩く。授業開始前の学内、学生一人一人の気概に応じて訓練施設を自由施設できる特権のあるこの場においては、それなりの活気ある時間帯である。

「………言われたとおり伝えたわ。どういうことなの?」

「どうって?」

 管理施設棟、広大な敷地持つ硲学院の自治機関、職員室、その他の管理に必要な部屋が集う棟の階段前で、萌木は不満げな声を俺に向けた。

「命令、撤回されたわ。昨日は即刻処分命令だったのに、あなたからの伝言でいきなりね。しかもその後に今朝あなたを連れてくるように命令――――。これってどういうことなの?」

「そのままの意味。俺としても切りたくないカードではあったけどな」

「………つまり、あなたって最初から《委員会》のこと知ってたの?」

「いや、さすがにそこまでは知らない。知ってたのは生徒会長が一つの《集団》的に機能してるってこと、異繰先輩から『生徒会的な《集団》』に勧誘受けたってこと。で、昨日飲んでたときに小春がいろいろ聞いてたろ? あの時に推測した」

「………大した推測ね。つまり何? もしかしたらカードにならない可能性もあったってこと?」

 呆れたような目を向ける萌木に、いや、とわずかに首を振って答えた。導かれるままに階段に足をかけ、

「少なくとも異繰先輩の組織ってことで、ある程度の効果は予想してた」

 まあ正直なところ、ここまで思い描いた通りの効果が発生するとは予想外なところではあったが。しかしあの場での最善はこれ以外には存在せず、つまるところ、俺には現状を受諾する以外に選択肢は存在しないわけでもあるわけだ。

「でも……もうどうでもいいだろ、そんなこと」

「………そうね」

 不満そうに、しかしどこか納得したように、萌木は頷いた。

 無言のまま導かれるままに階段を上り、そのまま三階にたどり着く。立ち並ぶ各学生自治課の執務室を素通りし、最奥部を右折、その奥に唯一存在する、物々しい装飾のドアの前で、萌木は足を止めた。

『生徒会室』。

 その部屋のプレートには、そう書かれている。

 一般生徒であればそのドアの威容に気圧されるであろう状況。で、あるにも関わらず一切物怖じした様子を見せず、萌木は懐から電子生徒手帳を取り出すと、パネルを操作、側面からカードスロット用リーダーを展開すると、ドア横のキーロックに通した。

「《委員会》ナンバー15、時噤萌木。IDは『ホシノヨゾラヲオオウツキ』」

 ――――チャッ

 一見すれば重厚な作りであるドアからはおおよそ想像できない軽い音とともに、目の前の扉からカギが外れた。

 入って、と促す萌木の手によって、そのドアが開かれる………。


「………やあ、よく来たね穂村君。いやいや、実に一年ぶりの再会だ。感動を演出するにはいささか以上に情緒にかける場所ではあるが――――何、問題はあるまい。重要なのは僕が君との再会に感動を抱いているというこの事実。お互いNASなどという世界で最も苛烈な職業に身を窶しながらよくも一年間を生存できたと、健闘と幸運を称え合おうじゃないか」


 一教室程度はある広大な執務室、ドア正面に鎮座する重厚な樫材の執務机、そこに頬杖をついて座る、学帽の少年。ともすれば俺よりも年下に見える童顔でありながら決して油断を見せぬ眼光は、その人物が並々ならぬ修羅場を潜ってきた事実を、もっとも単純に見る者へと伝達する。

 この人物の名前は(コボレ)異操(イグル)

 国策学校第一位のNAS養成科を有する硲学院において務める役職は生徒会長、所属学科はNAS養成科。意味するところは国内最強クラスの学生NAS。

 一見すれば武闘に優れたようにも見えず、銃撃に長けた用にも見えぬその容姿の内側に秘める力は数多のNASを凌駕する暴力。静かに佇む獣の威容がその証左とでもいうように、静かに口元に笑みを湛えながら、学生NASの長は俺を睥睨する。

 向けられる無言の圧力に、小さなため息を俺は漏らした。

「………称え合うような仲でもないでしょう、先輩」

「堅苦しい敬語はやめたまえ穂村君。君と僕は同じ孤児院で育った仲だ。同じ釜の飯を食った人間は皆人殺しだが、中には相容れる人間もいる。そして君は相容れる人間に属し、さらには昔は敬語など使ってはいなかっただろう? 昨日は電話口であるが故に妥協はしたが、直接顔を会わせたときは敬語を使うのはよしたまえ」

「…………」

 呆れたような息を腹の奥から吐き出し、俺は学生NASの最奥へと足を踏み入れる。それと同時に背後で扉の閉まる音。振り返ってみれば、萌木がドアを閉ざしたらしい。

 ……なるほど。これで俺に逃げ場は残されていない、ってことか。

 内心で納得しながら、生徒会室をざっと見回す。おおよそ生徒会という響きには似つかわしくない調度品、足元に敷かれた毛足の長い絨毯、壁際に並べられた書類棚、窓はすべて高硬度防弾加工、壁際には他の役員の物と思われる執務机。

 そしてそこについて書類仕事に従事する、二人の人物の姿。

「…………異操」

「ああ、彼女たちか。君の懸念はもっともだが、それについては問題ない。彼女たちも、言ってみれば僕たちの同士だからね」

「………なるほど」

 咎めるような萌木の声、それに答える異繰の一声、そのやり取りに、改めて俺は自分の立場を自覚した。

習慣的にポケットへ手が収められ、背後で殺意にも似た気配が動く。同時に役員二名もわずかに顔をあげて俺の方へと目線を向ける。一瞥で見えたのは腰に手が伸びている事実、どれだけ遅くとも一秒後には、その手に銃器が握られていることだろう。

ふっ、と異繰が笑みを漏らした。

「状況は把握したかね、穂村君?」

「――――ああ。なるほど納得だ」

 降参、と示すように諸手を上へと差し上げる。向けられる気配がわずかに緩み、役員たちの目線がデスクの上へと帰る。

 ………この程度の実力なら、問題はない。向こうの銃弾が俺を打ち抜く前に、俺のナイフは向こうへ届いているだろう。

 ただ一人、眼前の会長の妙技がこちらへ届かなければ、の話であるが。

 俺の内心を知ってか知らずか、にやり、と異操は机を隔てた向こう側で笑った。

「賢明な判断だ。ここで下手にことを荒立てればどうなるか、わからぬ君ではないだろう?」

「当然。孤児院でいやって程に教わったからな」

 経験が最悪を予見させる。この場において下手に動こうものならばおそらく、俺が武器を抜くよりも早く異繰は俺を二十四の肉塊へと解体するだろう。

「ふむ、手抜きは覚えても、技能は忘れていなかったようだね。道理で時噤君が簡単に退けられるわけだ。……まあ、そうでなくては面白くもない。いや、歓迎できない、と言い換えようか、穂村君」

 醜悪な色が宿る目を学帽の淵ギリギリから覗かせながら、異操は剣呑に言い放った。

「さて、前置きはこのぐらいにして、本題に入ろうか」

「その前に教えてくれ異操」

「何かね?」

 これだけは聞いておかねばならぬ問い。ねめつける様に学帽から覗く眼光を見据えながら、俺は言い放つ。

「……どうして、俺なんだ。候補ならほかにいくらでもいるだろう? その中で、どうして俺に声をかけた」

「ふっ……はははっ!」

 こらえきれぬ、といった様子で、俺の言葉に異繰が哄笑する。嘲笑うような、呪うような声音の嗤い。不快感よりも恐怖感を逆なでされる声に、思わず身を固くした。

「は、ははは! それは本気で聞いているのか穂村君? では逆に聞こうか! どうして君は自分以外に《委員会》という大役が務まると考えるんだい? 少なくとも近接戦を主体とする学生NASにおいて、僕は君以上の逸材を知らないよ」

「そっちが知ってるのかどうかは関係ない。確かに俺はナイフには覚えがあるし、リバース持ちで孤児院育ちで、ついでに言うなら萌木もどうにかした。だけど、だからと言って殺人技能が優秀だってことにはならないだろ」

「と、言うと?」

「入れたはいいが、いざってときには殺せない。そんな腑抜けた殺人者に俺がなってたらどうするって話だ」

 殺人の重みを知ったが故にそれを辟易し、殺人を忌避する。あるいは殺人の重圧を理解感得し、それ以上の行為に踏み込めなくなる。NASの世界、特に学生時期には多くみられる状況だ。この状況に陥った場合、多くの人物は転科という形でNASの世界からドロップアウトする場合が多い。

 成績の低迷、依頼への非積極性、萌木を殺さなかった事実。

 状況だけ並べ立てれば、俺もこの状況である可能性は否定できない。

 が、

「いやいやいや、何を言い出すかと思えば、それはあり得ない。ほかの何がありえたとしてもその事実だけは決して存在しえない」

 完全にそうでないことを確信している口調で、異操は俺がまだ人殺しを行いうると、断定した。

「確かに君の成績、受諾依頼内容を確認すれば、そう見えてもおかしくない状況であるというのは否定しない。CQCのみが平均から突出し、狙撃、射撃、学力、運転、そのどれもが――僕の知る君ではありえないとしか言いようがないのだが――かろうじて平均といった程度。受諾依頼はポイント35の物が三つ。昨年度の進級評定ラインが100であることを考えると、随分とぎりぎりの難易度だ。殺人忌避の気があると見ても問題はない」

「だったら――――」

「が、君は他ならぬ自らの所業において、この疑惑を完全に払拭しているのだよ。緋鹿君、あれを」

 ――――緋鹿?

 疑問符を浮かべる暇もなく、はい、と役員執務机から鈴を転がすような軽やかな声が上がり、一人の少女が立ち上がる。銀縁眼鏡、立ち上がっても見下ろすほどの小柄な体躯、秀麗とも呼べる動作。手にバインダーを抱え、異操の元へとファイルを差し出すその姿はどこからどう見ても………

「……七鳴?」

「はい。渚さん、おはようございます」

 にっこりと優雅に笑む七鳴。あまりにも場違いな雰囲気を醸し出す彼女の存在に困惑を覚え、そしてその困惑のあまりにしばし、呆然となる。

「大変なことになっているみたいですけど……頑張ってくださいね」

「あ、ああ――――」

 呆然としたまま、席へと戻る七鳴を見送る。

 その様子を見、異操は喜悦の混じった声音を俺へと向けた。

「彼女の存在が意外かね? 緋鹿君は我が生徒会の会計だ、この部屋にいることも、そして《委員会》に準ずるだけの実力を有していることも不思議ではないだろう?」

「………」

 言われてみれば、確かにそうだ。緋鹿七鳴、国策学校第一位、硲学院において知る者のいない狙撃手。優秀であることを第一に任ぜられる《委員会》においてその存在がないことなど、考えられる由もない。

「納得をいただけたところで、話を続けようか。――――さて、ここにあるのは君が昨年度、殺人公社より受諾した依頼の全データだ。その数はわずかに三件。達成評定はどれもが『可』、報酬の増額金はなし、その出来は表面をなぞれば、いかにも凡庸に見える」

 言いながらバインダーを開き、数枚の紙片を机の上へと並べ立てた。

「一件目、少人数犯罪グループ討伐。対象は四名、武装は拳銃及び短機関銃。推奨討伐法は遠距離狙撃、なれども担当者――これは君だが――近接格闘にて討伐。負傷なし、使用弾丸数三十四発。特記事項なし。……なるほど確かに凡庸な出来だ。四人の拳銃、短機関銃装備者に格闘戦闘、それも発砲弾丸が三十を数える。出来としては、いささか以上に凡庸だ。

 だけど――――この中にはわずかながらに紛れ込んだ致死毒が存在する。それこそ情報そのものの価値までをも歪めてしまいかねないほどの猛毒が、ね」

 言って、書類の裏側、そこに印刷された詳細報告を読み上げる。

「『尚、遂行中の障害として別組織殺人者の存在を確認、これを排除す。非特記対象、細部報告は省略す』……これは君の報告だが、いささか以上に表現が検挙ではないかね? なにしろ……君がこの依頼において仕留めた人間は決して非特記対象ではなく、殺人公社によって数百万の賞金が懸けられた人間で、しかも一発の銃弾を使うこともなく討伐されているのだから」

「………っ!」

 背後で萌木が息を飲む。意に介した様子もなく、異操は満足げな表情のまま書類をめくり続ける。心中を覗き込まれるような居心地の悪さと不快感、歯噛みしながらも見ていることしかできず、もどかしさに心中で打ち震えた。

「これに端を発し、君が昨年度受諾した依頼の詳細を他のデータベースと比較し参照した結果――――面白いことが分かった」

 手元から複数の書類を机上に並べ、それぞれを指し示す。

 二件目、発見された指名手配殺人者討伐。使用弾丸十七発、特記事項なし、一部追記として建造物内に居を構えた殺人者を討伐――――その殺人者、総勢四十名からなる武装組織。

 三件目、闘争誘拐犯追走戦。使用弾丸五十一発、特記事項なし、一部追記として追跡中に発生した強姦殺人事件犯人を討伐――――その犯人、過去百数名を殺害した重要手配犯。

 逃れようのない真実、まぎれもない事実。たまたま発見し関わってしまった、『凡庸』の中には決して収めることのできない所業の数々が、眼前へと公開されていく。

 言葉は、なかった。

 否定することはできない、それはすべて過去の俺が行った事実の記録。ここで言い逃れのための言葉を並べ立てたとしても、異操は幾千の情報を持って俺の言葉を覆すだろう。

「どうかね? 穂村君。これでも君は自らが凡夫であると言い張るつもりか? ――――ああ、使用弾丸も絡繰りは見えている。本当は戦闘において発砲などしていないのだろう? 隠しても無駄だ。登録銃器ベレッタPx4、装弾数は十七発。過去の事例の発砲数はすべてこの倍数だ。大方スコアを誤魔化すため、凡夫を演じるようにきっちり弾倉分撃っていたのだろう?」

「…………………」

 反論は、できなかった。

 その沈黙を、異操は正しく理解する。沈黙は肯定、反論は否定。この場における下手な反論は沈黙以上の肯定となり得、それ故に俺は沈黙するしかない。

 その状況で――――異操は笑む。

「そういうわけだ。僕が君を選択した所以、君が殺人を忌避してなどはいないという証明――――これでQED、証明完了だ」

 ひどく満足げな様子で机の上に散乱した書類に手を伸ばし、元通り整え、バインダーに収める。まるですべてが完了したかのようなその仕草に、ようやく、俺は声を発した。

「……それでも…」

 ――――無駄だと、理解しながら。

「俺が、《委員会》に入る理由には、ならない」

 最後の反論。自分でも理解できるほど苦し紛れの言い訳。

 論破をためらう異操では、ない。

「そんなことは関係ない。《委員会》はNASという存在を絶対的な正義足らしめるために用意された、言ってみればシステムそのもの。故にそのシステムは、自らの内側に望む者を引き入れるための制度を内側に確立している。そしてそこに――――推薦された本人の意思は関係ない」

「……そういうことよ、ナギ」

 背後、今まで沈黙を保っていた萌木が、口を開く。憐れむような諭すような声音。ゆらりと動く気配は俺へと迫る。

「言ったでしょう? 私は逃がすつもりはないって。あなたには《委員会》になってもらう。そうでないと困るのよ。私にとっても、学校にとっても、他の誰にとってもね」

「……どういう意味だ」

「それをあなたが尋ねるの? 殺人公社から逃げ続けてきたあなたが? 人殺しから逃れようとし続けてきたあなたが? そんなこと、もう許さない。だから、言うわ。――――《委員会》ナンバー15、《The Devil》時噤萌木、他ならぬ自らの意志において、穂村渚を《委員会》へと推薦する」

「っ!」

 裏切りにも似た、感触だった。

 驚愕の表情に歪んだ俺、その表情にゆったりと頬杖を突き、異操は満足げに目線を和らげる。

「――――そうだ、それでいい時噤君。いいかね、穂村君。《委員会》は内側に有能な人材を引き入れるシステムを有している。具体的には現役《委員会》五名以上の推薦を持って、その人物の意志とは無関係にその人物は《委員会》の仲間となる。今時噤君の宣言が一つ、そして――――」

「《委員会》ナンバー17、《The Star》緋鹿七鳴、他意なき絶対の自意識を持って、穂村渚を《委員会》へと推薦します」

「《委員会》ナンバー9、《The Hermit》夜倉音色、自らの意識を確たるものとし、穂村渚を《委員会》へと推薦する」

 傍らから上がった、二人の役員の声。

 にやりと、異操が笑みを濃くした。

「………これで、三名だ。そして、続けて宣言しよう。《委員会》ナンバー14、《Temperance》零異操、絶対たる自らの導きにしがたい、穂村渚を《委員会》へと推薦するものである」

 並べ立てられる《委員会》からの推薦文句。より深き殺人の場へと駆り立てる悪魔の囁きが、俺の前へと並べ立てられる。死神の執行書、逃れられない絶対の宣言が、俺から逃げ場を奪っていく。

 時噤萌木は何も言わない。冷然とした表情のまま無言の目線を俺へと向け、ただ残る一人の言葉を待つ。

 緋鹿七鳴は何も言わない。その表情は穏やかな笑み。自らの義務を果たしたその少女は、ただ笑みながら残る一人の言葉を待つ。

 夜倉音色は何も言わない。表情ですら何も語らず少年はただ座り込み、無言で言葉の続きを待つ。

 そして――――零異操は言葉を続ける。

「どうかね、これで四人だ。《委員会》への推薦はいかに僕が絶対的であろうともそこには確たる自己意志の存在が必用となる。すなわち現在この部屋に存在する、僕以外の三名も君が《委員会》に存在しうるだけの実力があると認定しているのだ。現状この場に集められた推薦票は四票、残り一票が君の手の中に落ちてくるのも、時間の問題だろう。今はとりあえず、この名誉ある四票を持って教室に戻りたまえ。次に連絡するときは君が《委員会》になったその瞬間――――」

 そこでぴたり、と異操は言葉を止め、

「………誰かね?」


 ――――カチャッ


 生徒会室内に、第三者の来訪を告げる開錠音が響いた。

 内部の状況を全く考慮しない無遠慮ともいえるタイミング、しかしどこか悪魔的な不吉さを感じさせる調子で、ドアが開く。

「異操、いるかしら? R号絡みの情報訂正を依頼したいのだけど―――」

 開かれたドアの向こう、そこにいたのは二人の少女だった。片方は知らないが片方は覚えがある。骨を思わせる白、爛々と輝く不吉な紅、一見すれば小学生と見間違えんばかりの低身長に、ゴシックドレス風の改造が施されたその制服は間違いなく俺の友人であるところの………

「……孤実、か?」

「あら、ナギじゃない。珍しいところで会うわね、うふふ……」

 優雅に笑みながら背後の少女を部屋へと招き入れ、ドアを閉ざす。

「おや、夜陵女史。随分と奇妙な時間にご来訪じゃないか。一般生徒は現在受講中のはずの時間だが――――まあ、君のような人物に一般性を期待するのも、もとより筋違いというわけか。そして君はもとより同士。時間の束縛すらそもそもが無意味な人間だ、いつ来訪しようとも、不思議はないか」

「ふふ、そういってもらえて光栄だわ。それに、あなたとしてもR号絡みは聞き逃せる話題じゃないでしょうし、直接来た方がいいんじゃなくて?」

「まったくもってその通り。気が利くじゃないか、夜陵女史」

「…………」

 目の前でもってまわった言葉を交わす二人を横目に、俺は腑に落ちない疑問を抱えていた。

 どうして孤実がここへ来る必要がある? R号が何であるのか俺は知らない。が、生徒会室への連絡手段など学内サーバーからの秘匿回線(プライベートチャンネル)で済ませればそれで済む話だ、わざわざこんな奇々怪々な時間に、生徒会室まで出向く所以はない。夜陵孤実、《集団》『アリギエーリ第五環』トップ、協力極まりないリバースとナイフ投擲の優秀な腕を持つことで有名な少女。

『優秀な』、『腕を持つ』ことで、『有名』な、少女。

 ………まさか。

 嫌な予感が、心中に去来した。

 俺の抱いた不安、それを代弁するかのように、孤実の背後に連れ立った少女が口を開く。

「あの………孤実先輩、ここは?」

「まあ、少しお待ちなさいな。えっと………異操、これってどういう状況なの?」

 孤実の言葉に所在なく目線を彷徨わせる少女。ちらり、と視界がかち合う。

その瞬間、ぎょっ、と少女の表情が一気に驚愕に変化、そのまま一気に沸騰、さらにはばっ、と目を反らされた。

 ………なんなんだ、この新鮮な反応は。

 疑問と驚愕と歓喜、さらにはよくわからない何かプラス方向の感情をないまぜにして飾り立てたファミレスパフェのような感情を表情に浮かべたまま、ぐるぐると眼球の向く先がさ迷い歩いている。しかも反らしたはずの目線はちらちらとこっちへと時折向けられている。

 そのおかげで気付いたが、この少女。目の色が左右で違う。右目は日本人的な漆黒なのに、左目は猫のような金色、それも見る方向によって印象が変わる朝日のような金色だ。

 さらによく見れば、左目の周辺がごくわずかに肌色が薄い。

 全体的見れば健康的な美少女、とも見えなくもない造形なだけに、何かの傷跡を思わせるその痕跡は、NAS的な観点から外れた感性に痛ましさを感じさせた。

「見たままの状況だよ、夜陵女史。とうとう僕の歓喜がかなうときがやってきた、というわけだ」

 仰々しい動作で腕を振り上げ告げる異操に、孤実は冷笑でもって答えた。

「ふふふ、相変わらずの仰々しい話し方ね……まあ、私も人のことを言えるような人間ではないのだけれど。えっと……七鳴と音色と…あら、萌木。久しぶりね。それに異操、さらにはナギで、昨日会ったあの連絡――――」

 考え込むように、孤実は小さな腕を組み、

「ああ、そういうこと」

 納得したように、ぽん、と手を打った。

 不吉が胸中に去来する。不吉そのものを体現したような骨の肌、血の瞳の中に、言いようのない合致を痛感する。そして、それが間違いでなかったことを証明された。

「大方ナギを《委員会》に引き入れる公算がついたから、人数が揃うのを待たず推薦を始めて、とりあえず四人分出させたはいいけど、次どうやって《委員会》の前に引っ張り出そうか考えながらも状況を崩さないために返そうとしてる。そんなところ?」

「………なっ」

「えっ………」

 驚愕は俺と孤実の背後の二人分。声を詰まらせた俺たちの背後で、異操はやれやれ、と首を振る。

「――――相変わらずの鋭さだ、夜陵女史。韋駄天の如しだ、話が早いのは実に助かる」

「ふふふ……お褒めに預かり光栄よ、《委員長》。だったら、私がここでどうするのかも大体想像つくんじゃない?」

「その通りだよ、夜陵女史。と、言うが僕には君の選択が白黒であるということまでは理解できるが、その白黒が碁石にはなってくれない。僕には現状がオセロに見える。とはいうが、いかに僕が絶対と言え、ルールから外れた挙動を持ってオセロをひっくり返すことはできないのでね………。ここでの君の行為は誰が咎めるものでもない、好きにするといい」

「ええ――、そうするわ」

 くるり、と。

 優雅なフリルスカートを翻し、孤実が俺へと向き直った。

 骸骨の中で燃える炎が、俺の眼を射抜く。楽しむような、それでいながらも狡猾に思案を巡らせるような目。見つめられること数秒、その末に、孤実は、

「………そうね。この方が、面白いかしら」

 つぶやき、そして。


「《委員会》ナンバー16、《The Tower》夜陵孤実。他に左右されぬ自意識の体現を持って、穂村渚を《委員会》へと推薦するわ」


「―――――」

 衝撃は、思ったよりも少なかったと思う。

 あるいはもう、諦めていたのだろうか。俺が《委員会》となることに関して、俺は。

 半ば呆然とした表情をしていたであろう俺に向かって、優雅そのものの笑みでもって、孤実は悠然と頭を垂れた。

「……悪いわね、ナギ。でも、これが私の選択なの。これからしばらく、よろしくね?」

 うふふふふふふ、と孤実が笑む。

 ああ、上出来だ、と異操が笑む。

「さて、穂村君。これで現職《委員》の前で君に対する推薦が五名分、得られたことになる。これで君に、もはや選択肢は残されていない」

「…………」

「さあ、これで確定だ。

 ――――《委員会》へようこそ、穂村渚君。

 当代《委員会》が長、《Temperance》が零異操が、君の就任を歓迎する」

 宣言された最後通牒、机越しに差し出されたその手を、俺は。


「…………っ、その歓迎を……受諾する」


 苦々しさを抱えた心中を隠さぬ声音で。

 怨嗟そのものを絞り出したかのような、酷薄な目で。

 諦めと諦観を抱えた、達観した心中で。

 厳かに、握りしめた。


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