とある魔女がすでに諦めている話
長く長くいがみ合っていた魔の国と人の国が、いよいよ和睦を結ぶらしい。めでたい知らせに、そこかしこどこでも浮ついた雰囲気が広がっている。いいことである。
戦争とまではいかない国境での小競り合いを100年近く経験している身としては、取り返しのつかない被害が出る前に歩み寄れるのならば多少の遺恨は目を瞑ろうと思える。
魔の国の住民は、人の国の住民よりも長寿で力が強く、繁殖力が少ない。人の国の住民は、魔の国の住民より賢く理性的で、命を繋ぐことが得意であった。種族の違いが軋轢を生み、あとわずかのところでお互いを滅ぼし合う未来を逃れたと言うのが現状である。
時代が良かったのだ。今の魔の国の王は、比較的穏やかな性格をしている。圧倒的な強者の立場でありながら、対話することを選択したのだ。穏やかな性格を例に挙げるとすると、例えば寝首をかこうとした反乱分子を側近に召し上げたり。貴重な薬を身内のためにと盗んだ使用人を不問としたり。100年以上も叶わぬ恋情を押し付ける部下を見限らないことなどが、魔の国の王を穏やかな性格と断言できる要素である。
砦から見下ろす国境の風景は、随分と賑やかになった。人の国から行商の一行がやってくるなど、かつては考えられなかったものだ。あわや戦の寸前だった国家間の緊張がほぐれたのは、人の国に奇跡を生む少女が産まれたことが始まりと言える。
少女はおそらく、この世界に愛されているに違いない。祈れば病を遠ざけ、傷を癒やし、枯れた大地に命が芽吹くのだという。そんな馬鹿なと鼻で笑えれば良かったが、少女は確かに奇跡をいくつも起こしたらしい。
その一つが、魔の国の住民の呪いを解いたことだ。魔術も医学も太刀打ちできないものを退けた。施しようもない状態だった惨状を、立ち所に解決して見せたのだという。
魔の国の住民は、生まれながらに呪われている。一定周期で訪れる衝動を、堪えきれない。大抵の個体は同胞の血を浴びたがる。理性がなくなって仕舞えばいいのに、意思と反して体は動く。しかしそれを悔いて死ぬこともしない。それこそ同胞の犠牲が無駄になるからだ。
もう永くながく、魔の国の住民は『そういう生き物』であった。きっと人の国でいう創造主だとか神だとかその辺りの存在が、設計図を書き上げるときに居眠りでもしていたのだろう。
とはいえ、何の手も打たずに来たわけではない。研究はされた。時間を無駄にしただけだったが。私たちの悲願は、少女が流した涙の一つに敵わなかった。
つまりおそらく、少女には祈りを願いを、具現化する力があるのだろう。実際に目にしていないので確証はないが。人の国には、時折そのような存在が現れる。奇跡の恩恵を得られるのは人の国の住民だけだと思っていたが、そうでもなかったらしい。奇跡を振るう少女は、哀れな魔の国の住民を見捨てられなかったのだろう。
少女の祈りの力か奇跡を生む力かは知らないが、魔の国の住民が何人も救われた。
役立たずであった私の魔術など、誰も覚えてすらいないのだ。
「ここ最近、なんだか人の出入りがおおいね?」
砦の縁から身を乗り出した小鬼が、足をばたつかせながら疑問を口にした。見張りとは思えない気の緩みっぷりだが、もうすっかりと平和になってしまったので、本来見張りなど必要がない。なので、見張りというのはまだ未熟な小鬼に仕事をやるために与えられた建前。
「人間は食事や寝床にも気を遣ってやらないと、簡単に死んでしまうもの」
「おれ、それ聞いたこと、ある!」
「あら。なんて聞いたの?」
「一本角のうまより繊細!」
ぐるりと振り返り、こちらを見上げる小鬼の一つ目が、パチリと瞬いた。
「……まあ、間違えてはいないかもしれないわね」
一本角のうまとは、清らかな水とそれで育てられた新芽以外を口にすると全身が爛れて死ぬ、人の国の伝説上の生き物のことだ。なんでも、清らかな心を持ったものの前にしか現れないとか。私は三度生まれ落ちても無理だろう。
「こちらの水も食事も合わないかもしれないから、先んじて準備をしているのでしょうね」
「へえ〜! たくさん人間が来るの?」
「そうね。しばらく退屈はしないんじゃないかしら」
「何しにくるの? あそびに?」
「交流会はいくらか開かれるでしょうね。本命の前に幾つかは」
「本命?」
「和平の調印を交わす……それくらいはお前も学んでおきなさい。だから鬼は力仕事ばかりの愚か者って思われるのよ」
小鬼が、うヘア、と間抜けな声をあげた。この小鬼はまだ賢い方だ。他の鬼だったら馬鹿にしたなとつかみかかってくるかもしれない。
「魔女が教えてくれるから、いいじゃん」
「……私はお前より早く死ぬのよ。それは聞いたことがない?」
「あ。そうだった」
今思い出した、というように小鬼が跳ねる。ぶら下がっていた縁から飛び降りたのだ。小鬼の一つ目が私を見て、どこぞへ流れて、また私を見る。
「……魔女、本当に死んじゃうの?」
「寿命ばかりはどうにもならないわね」
私の答えに、小鬼はしょんぼりと肩を落とした。
この小鬼は岩の鬼だから。何もなければ800年は生きるだろう。生まれて10年も経っていなかったので、私に対しての嫌悪が少ないのだ。可愛いままでいてもらいたいが、そろそろ周囲からあの身の程知らずの魔女とは関わるなとでも吹き込まれるだろうか。
「……魔女、優しいのに。みんなと仲直り、できない?」
なるほど。もう吹き込まれたあとらしい。
魔の国の住民は知性も理性も持ち合わせている。私に対する態度は彼らの秩序において、私の振る舞いが我慢ならなかったから。
「魔の国の王に対する不敬は、もう取り返しがつかないでしょうね」
100年以上も求愛を続けた。寿命も身分も違う相手に繰り返し。それでも貴重な魔術を使えるからと見逃されたのは最初の20年ほどだっただろうか。そのうち王が私の振る舞いを空気のように扱い始めたから、この首と胴体は繋がっているようなものだ。
名ばかりの見張りの役目を与えられているのだって、仮にも100年程度仕えていた部下を粗末に扱わなかった。それだけ。
「で、でも。王様、怒ってないんでしょ?」
小鬼はそこに希望を見出した。私もそうありたかったが、そこまで図太くしていられなかった。
「怒っていないのではなくて、どうでもいいからよ。お前だって虫にまとわりつかれても、すぐ忘れるでしょう」
ほとんど全ての生き物よりも長寿である魔の国の王にとって、せいぜい300年生きるかどうかの私など、目障りにすらなれなかったのでしょう。気付けば消えている命なんて、彼の方の興味すら惹かない。
「……魔女のこと、虫なんて思ってないよ」
「そう? お前はやさしい子ね」
小鬼の頭を撫でてやる。硬い岩の肌は暖かい。けれどあまり頓着せずに触れていると、私の肌は引き裂かれてしまうほどに硬い。
「……魔女だって、やさしいよ」
一つ目が潤んだ。私と普通に話をして、この小鬼は爪弾きにされていないのだろうか。今更ながらに申し訳なく思う。せめてあと20年ほど前に、諦めがついていれば良かったのに。
「……泣くんじゃないよ。まるで私が、かわいそうみたいじゃないの」
「だ、って……、」
「いい加減、身の程をわきまえただけよ。残りの余生は、おだやかに過ごしたいだけなの」
「ディディエート」
「……お前、私の名前なんて知っていたのね」
魔女、魔女って。そう呼ぶものだから。この小鬼が私の名を知っているなんて知らなかった。そういえば名を呼ばれるなんて、何年ぶりだろうか。王に求愛を始める前まではそれなりに呼ばれていたと思うのだけど、今となっては私の名を呼ぶものなんていなくなってしまった。
「魔女の名前は、呼んじゃいけないって、みんなが……」
「呼んだら呪われるとでも思っているのかしら」
「わ、わかんな、い……っ」
「そうね。悪かったわ」
なきだした小鬼を見下ろして、もう一度頭を撫でてやりたかったなと思う。身体中に突き刺さる視線さえなければそうしていた。いじめてなんていないのに。
彼の人は、私の名を呼ぶことなんてなかった。まだ会話をしてくれていたころ、それが当たり前だった。けれども、奇跡を生む人間の娘の名を覚えているらしい。ただ、それだけ。まあつまり、そういうことだろう。
寿命の問題はあるが、伴侶として迎えるとその相手は同じくらいの年月を生きる存在になるはずだ。人間相手でもそうなるかはなんとも言えないが。
例えば。仮の話だが、もし人間の娘が望んだらどうなるだろう。彼の人と同じだけの時を共に過ごしたいと、そう願ったら。きっと奇跡は起こるのだろう。もし仮に、人間の娘が彼の人と共にありたいと願えば。
なるほどある話ではないだろうか。二つの国の架け橋。ありがちだがよくある話だ。きっかけも悪くない。
「和平が為されれば、今よりもっと平和になるでしょうね。そうしたら、生まれ故郷でのんびりしたいのよねえ。花でも育てて」
「うゔ……っ! っ、お、おれ、魔女と、話せなくなるの、やだよぉ……っ」
小鬼がついに声を上げて泣き出した。太い指で目をこすりながら、小鬼は必死で言葉を続けた。
「そうねえ。またおしゃべりできると思うわよ」
あと100年もすれば、可能ではある。この身体はあとは老いて枯れ果てるばかりだ。若さと能力の盛りはとっくに終えてしまっているので、多種族との繁殖も望めない。種子を育てて、それと同化する。そうして、自分の分身としてまた生まれてくる。それまでにだいたい100年かかる。
その時に、今の私と同等の魔女として生まれて来れるかは微妙なところだ。気候も環境も400年前とは全く別物になってしまったので。うまく生育できなかった場合、記憶もあまり残らない。
ぐずぐずと泣いている小鬼を見下ろすと、名残惜しい気持ちも確かにある。
「…………うっかり伴侶にしてもらえたらなあ。寿命の問題は解決するのにねえ」
「王様の? それはないと思う」
「あらあ。泣いてるくせにそこはきっちり言うの」
正気にかえったとばかりに涙まで止まっている。全く素直で可愛い小鬼だ。
かつての自分が死ぬ前の記憶を反芻する。一番強く残っているのは、可愛い小鬼との最後の会話。あの小鬼も、きっとすっかりと成体の鬼となっているだろう。あの種族はからだが大きく力が強いものが多いので、見張り番から門番や国境の警備などに役割は変わっているだろうか。
今の私なら、見上げてもまだ足りないほどの巨体になっているだろうか。今の私は、あの頃と比べてもひどく貧相な体つきになってしまったから、あの小鬼は私に気づかないかもしれない。
あの頃は出入りにいちいち身分を証明するものを必要としていた砦は、ただの観光地になってしまっている。当時の面影の残る広場には露店が並び、訓練場は子どもたち向けの体験場になっていた。
人の国のものも、魔の国のものも和気藹々と言った様子だ。お互いへ向けていた負の感情は、少なくとも一見してわかるようなあからさまなものではなくなったのだろう。
ぼんやりとその様子を見ていると、スカートの端を子供が掠めて駆けていった。拍子に捲れそうになった裾を押さえた。するとさらに後ろから大きな声が飛んできた。
「こら! ……お嬢さん、ごめんなさいね」
「いえ。気にしないでください」
申し訳なさそうに頭を下げた母親らしき女性は、慌てたように子を追っていった。
「お嬢さん、ね」
かつて鉄格子がはまっていた場所は、見栄えのためか大きな硝子が嵌め込まれていた。そこに反射する自分の姿は痩せっぽっちの小娘だ。昔はもう少し女らしい体つきをしていたと言うのに、顔立ち以外はまるで別人のようだ。
鏡ほどではないがきちんと姿を見ることくらいはできる。まじまじと見ても、現実は変わらない。
髪や目の色、顔の造形はほとんど変わっていないはずだが。どうにも貧相な印象なのは艶もない伸ばしっぱなしの髪のせいか。あるいは凹凸の少ない棒切れのような体のせいか。服が粗末なのは、仕方がない。
砦からさらに先へ進めば、いわゆる城下街に辿り着く。古巣——この体では初めて訪れるが——にやってきたのは、理由がある。
金がない。地方にだって仕事はあるが、私のような魔女には世知辛い世の中になってしまっていた。かつて魔女といえば『人間と変わらない貧弱さ。挙句姑息で狡賢く、人の国では揉め事を起こすばかりの厄介者』だったはずなのに。今や魔女といえば。
チラリ、と子ども向けの体験場に視線を向ける。そこかしこで小さな少女たちが、ローブや箒、使い魔などといったそれらしいアイテムを手にしている。
私の知らぬ間に、どこぞの魔女がとんでもない功績を立てたのだ。なんと、魔の国と人の国の間で起きた戦争を収めてしまったのだという。戦争自体が起きたのはおそらく私の死後なので、顔見知りの魔女の誰かだろうが、余計なことをしてくれた。魔女として生きることを躊躇う程度に、世間の魔女に対する期待値が、尋常じゃないほどに上がっている。
今の私は、かつての魔力も、財も失った。何故かといえば簡単である。かつての私が危惧した通りのことが起きた。記憶のほとんどがなくなってしまったので、ほとんど何もできなくなってしまったのだ。
ため息をついて、城下町を目指す。歩いて移動なんて、昔はしなかったのに。おかげで体力だけはあの頃よりはきっとあるだろう。
全くもって、例の魔女は余計なことをしてくれた。戦争なんてないに越したことはないが、それもいずれは終わるのだから、放っておけばよかったのに。ずいぶんな人格者だったらしい。
そういえば、魔の国の王の覚えもめでたいだとか。かつての私であればそれだけでさぞ羨んだことだろう。呪いの一つでも贈ったかもしれない。相手が魔女ならばそれなりに対応されてしまうから、挨拶みたいなものだけど。
魔女は雌型の魔術を扱う生き物の総称で、成り立ちに違いがある。
元は人だった魔女は割と歴史が浅く、そもそも普通に人よりも長生き程度で死ぬのであまり会ったことがない。
私は割と古いタイプの発生方法で、木の股から生まれる。植物に宿った意思のある魂のようなものが、手近な生き物の形を真似て肉体を得て、年月を経て魔力を持つようになった、と言うような存在だ。
最初の私のことはぼんやりと覚えている限り、小さな村を見下ろす位置にあった古木だったはずだ。そのあたりのネズミや鳥などではなく人の形を選んだのは、何か理由があっただろうか。
一度人の形を真似してからそれが定着してしまって。今回も当たり前のように人の形を選んだけれど。記憶の多くがなくなってしまった私は、たとえば件の、戦争を終結させた魔女のような苛烈な能力など全く扱うことができない。
人の形になってしまうと、まずは棲家がいる。衣服がいる。食事はまあ取らなくても死なないが、魔力を作る元は必要だ。何かと言えば、つまり金が必要だった。
その辺の穴蔵で過ごしていれば親切な人々にあれこれと声をかけられたり、よくない連中に連れ去られそうになり。人里で仕事を探してみれば、魔女と発覚すると期待を持たれ、落胆され。大した仕事は回されなくなる。つまり手当は少なくなる。
魔女であることを隠して生きるとして、やはり人が多い場所の方が隠れ住むにはいいだろうと判断した。ついでに、何かきっかけがあれば記憶かかつての魔力が戻るかもしれない。
そうしたら、今より少しだけ楽に生きることができるだろう。
ただそう思っただけ。流石にかつての私を知っている誰かに会えるか、なんてことは期待していなかった。本当だ。
通りのどこにも花が植えてある。生育がほとんど一定なので、人の手が加えられているのは明らかだ。花の手入れにまで手をつけるようになったとは、生活に余裕が出てきた証拠だろう。
いちいち立ち止まっては、辺りを見渡してしまう。物珍しいと感じるのは、やはり私の記憶があまりにも残っていないせいだろう。文字がほとんど掠れてしまった日記のようなものを何度繰り返し読み返したところで、何も得られない。それと同じ。
建物は、地方のそれよりも造りが洗練されている気がする。
「……それにしても。随分と、花飾りが多い……」
思わず口をついて出てきた。壁にも花、通りにも花。若い娘の髪飾りも花。魔の国の住民たちは、そんなに花が好きだっただろうか。しかもどれも生花だ。維持にどれだけの人手を割いているのだろう。
花の世話係くらいなら、もしかしたら空きがあるかもしれない。手持ちの金を使い切る前に、できれば職を見つけたい。
安い宿が第一だろうか。そこの主人がまともそうだったら、日雇いの仕事の斡旋先でも聞いて。
できるだけ条件に合いそうな宿を求めてフラフラと歩いていると、人通りの多い区画に迷い込んでしまった。喧騒とは無縁の場所で生活をしていたから、どうにも居心地が悪くなってきた。ゆっくりとすみの方へと進んで、ほんのわずか身をよせられそうな空間に滑り込む。
ふ、と息を吐き出して背中を壁に預けた。流れていく生き物のほとんどが見覚えがある種族ばかりだ。獣型の種族はいちいちこちらを馬鹿にしてくるので面倒だった。背中に翼のある種族は見た目に反して好戦的な性格のものが多かった。
そのあたりの記憶は残っているが、特定の誰かを思い出そうとすると弱い。私に残っているのは、記憶と言うよりは知識が近いので。
「ん……花で塞ぐか……」
ふと足の先に違和感があった。見下すと、靴のつま先に穴が空いてしまっていた。買い換えるほどでもなし、指先に魔力を宿して靴の先に花を咲かせた。この近辺では花で飾り立てることが当たり前だろうから、悪目立ちもしないだろう。
さて今後はどうしよう。人の流れに逆らわずに、今度こそ今夜の宿を探さなければ。
背後で、空気が揺れる。空間を引き裂いたときの、特有の揺らぎを感じる。誰か大物が転移でもしてきたのか、悲鳴じみた声すら上がった。次いで何事かの叫び声。ううん、治安がいいと思っていたが、この辺りはあまり変わっていないか。
「へえ。魔王さまが」
無事手頃な価格で泊まれる宿で一夜を過ごし、その翌日はその話題で持ちきりだった。宿の一階は酒場になっていて、隅のカウンター席で籠を編みながらその話を聞く。出来が良ければこう言うものは買い取ってくれるのだ。
「突然大通りに降ってきて、周囲を威圧して回ったらしい」
カウンターの向こうで皿を洗う男が、世間話のように仕掛けてきた言葉はあまりにも物騒だ。
「……威圧?」
「そうそう。全員その場に平伏させて」
あの穏やかな優男が? 強い力があるから戦闘能力は高かったと言うのに、あまりそれを好んでいなかったはずだ。性格も穏健で、他人を悪戯に脅かす真似をするなど想像がつかない。
咄嗟に頭の中で反論する自分がおかしい。人となりなんてほとんど覚えていなかったが、急に思い出してきた。そうだ、穏やかで基本的におとなしい男だった。そういう男が、私が近づくと困った顔をするのが、たまらなく——、
「魔女を一人一人確認していたようだよ。そのうちおふれが出るかもなあ」
「……魔女を? それはまた、どうして」
「さあなあ。なんかやっちまったのかもなあ」
魔の国の王相手に、何かをしでかす。そんな不敬を働いていた魔女など、一人しか心当たりがない。私だ。
残っている記憶を辿ってみても、今更探されるほどのことだったかといえば、そうだな。投獄はされてもおかしくない程度は。
「へえー。私、人間でよかったなあ。魔王様、怖そうだもん」
「はは。無関係なら大丈夫だろ。そういや、人手が足りねえって工場があるから。紹介するか?」
おや。工場といえば、城下から外れた箇所にあった集落あたりだろうか。給金が少ないことは目に見えているが、ひとまず新しい服を一揃えできる程度に金を貯めておきたい。
「私でもできる内容かなあ」
おのぼりの小娘のように不安そうにして見せると、男は目尻を下げた。下心のない、純朴そうな笑顔だ。まあ、この見た目じゃあ男は釣れないだろうが。
「不安なら、明日にでも一緒についていってやろう。俺の遠縁ってことにしておこう」
「ええ! いいの、ありがとう!」
大袈裟に手を叩いて喜んだ。男も頼られて満更でもない様子で「任せておけ」と歯を見せて笑った。
ともかく今は目先の生活だ。どうせ搾りかすのような魔力は、これからなるべく使わないから察知もされないに違いない。ある程度金を蓄えたら別の街にでも行けばいい。人間のフリができるのがあと10年ほどだから、それまでにはどうとでもなるだろう。
こんな始まりでそのうちかつての思い人に捕まるような話が好きなので書きました




