馬車の外は戦場?
馬車の外が、やけに騒がしい。
怒号。
金属がぶつかり合う鈍い音。
馬の嘶き。
……これ、もしかしなくても戦場?
私、平和な世界に転生したはずじゃなかった?
腕を掴まれたまま、車内で完全に硬直していた、その時――。
「リナ! 無事か!?」
聞き慣れた声が、雷鳴のように車内へ轟いた。
次の瞬間。
バァン! と鼓膜が震えるような音を立てて扉が開かれる。
そこに立っていたのは、肩で激しく息をするルシアンだった。
乱れた銀髪が額に張り付き、
紫の瞳は、見たこともないほど焦燥と怒りに染まっている。
そして彼の視線が、私の上に覆いかぶさり、腕を強引に押さえていた“花びら青年”を射抜いた。
「今すぐ、その手を離せ」
低く、地を這うような声音。
それは“お願い”ではない。
逆らえば即座に塵にされると理解させる、命令だった。
青年は、面白くなさそうに肩をすくめる。
「無粋な男だ。いいところだったのに」
「この馬車は既に騎士団が完全包囲している。
大人しく投降しろ。
……それとも、今ここで僕に細切れにされたいか?」
ルシアンの周囲の空気が、ひび割れるような魔力の圧を放つ。
青年はゆっくりと、私へ視線を落とした。
ぞくり、と背筋が凍る。
「リナ嬢。また後ほど」
いや、後ほどとか本当に要らないから! 間に合ってます!
青年は、案外あっさりと馬車を降りていった。
入れ替わるように、ルシアンが乗り込んでくる。
そして次の瞬間。
私は骨が軋むほど、強く抱きしめられた。
「よかった……本当に……無事で……っ」
震えているのは、私ではなく彼の声だった。
あんなに強引に扉を蹴破ったのに。
私を抱く腕は、壊れ物を扱うように繊細で、熱い。
「ルシアン……ありがとう。助かったわ」
本当に、危なかった。
彼の腕の温もりに触れて、ようやく理解する。
もし、彼が来てくれなかったら――。
安心できる場所だなんて、思ってもみなかった。
けれど、ルシアンの腕の中は驚くほど静かで、温かかった。
その後。
颯爽と現れた騎士団により、花びら青年は拘束――
ではなく。
厳重注意。
……えっ。誘拐未遂だよ?
どうやらあちらも高位貴族の息子らしく、“政治的配慮”とやらが働いたらしい。
貴族社会のコンプライアンス、どうなっているの。
私たちは重苦しい沈黙のまま帰路についた。
けれど、握られた手だけは、屋敷に着くまで一度も離れなかった。
「リナ! よくぞ……無事で……!」
邸へ戻ると、泣き腫らした母に壊れる勢いで抱きしめられた。
「心配した。もう大丈夫だ。先方には、我が家の名にかけて徹底的に抗議した」
父の声は静かだが、その奥で怒りが煮え滾っている。
「ルシアンが、私を守ってくれたんです」
振り向くと。
ルシアンは、かつてないほど険しい顔をしていた。
「ルシアン。娘を救ってくれて、心から感謝する」
「……いえ。当然のことをしたまでです」
短く、硬い返答。
父とルシアンは、真剣な面持ちのまま執務室へと向かっていった。
……あの空気。
何か、大きな決断が下されそうな気がする。
私は母に連れられて治療室へ。
腕には、はっきりと指の形をした打撲痕が残っていた。
治癒師と医務官による厳格な確認。
怪我の有無。
魔力汚染の痕跡。
そして――。
「……問題ございません。リナ様は清らかなままでいらっしゃいます」
乙女の確認。
この世界の貴族子女にとって、重要な事項らしい。
何もなかったのは当然だけれど。
「結果、乙女」と太鼓判を押されるのは、
前世の感覚だとちょっと……かなり、恥ずかしい。
「怖かったわね。今日は温かいお湯に浸かって、ゆっくり休みましょう」
「はい、お母さま」
侍女に手伝われながら湯船へ沈む。
温かい湯が、強張った身体をゆるめていく。
けれど。
ふかふかのベッドに潜り込んだ瞬間。
遅れて、恐怖が押し寄せた。
もし、ルシアンが来てくれなかったら。
私は知らない男の妻にされ、自由も、尊厳も、
この甘やかされ生活も、全部奪われていたかもしれない。
……こんな美少女を拉致監禁(未遂)とか、本気で許せない。
恐怖と怒りが混ざり合い、心臓の音がやけにうるさい。
なかなか眠れない。
「あ……」
そういえば。
ルシアンに、ちゃんと別れの挨拶もできていない。
あんなに震えて、必死に私を助けてくれたのに。
明日も、きっと来てくれる。
その時は、ちゃんと目を見て「ありがとう」と言おう。
そう思いながら。
私はようやく、深い意識の底へと落ちていった。




