幼馴染の危機。
今のリナは、僕の知る「彼女」ではない。
かつてのリナからは想像もつかないような騒動を、彼女はまるで呼吸するように引き起こしていく。
あの日、神殿。
祝福の光が天から降り注ぎ、白い石床に光の粒子が舞い踊っていた。
その中心に佇む彼女は、残酷なまでに美しかった。
光が真珠のような肌に溶け込むたび、彼女の魔力が甘く、濃密に膨れ上がる。
淡い香りが大気を揺らし、僕の鼻腔をくすぐった。
その瞬間、僕の胸は物理的な衝撃を伴って、どくんと跳ねた。
君が笑うたび。
君が瞬きをするたび。
僕の網膜は、君という存在を焼き付けるために、他のすべてを拒絶する。
あの日を境に、彼女の周囲は目に見えて「害虫」が増えた。
だから僕は、本来なら興味のない茶会の日程をすべて把握し、欠かさず出席するようになった。
理由は、極めて単純かつ論理的だ。
「君を守りたい」
どこぞの騎士が、鉄面皮な顔で愛の告白にも似た誓いを立てる。
「お嬢様、こちらへ」
侍従が、不躾な距離まで踏み込み、その細い指先を差し出す。
……お前たちは、リナの家系に忠誠を誓っているわけではないだろう。
リナは困惑しながらも、器用にそれらをいなしていく。
その仕草は手慣れているようでいて、僕の目には薄氷を踏むような危うさに映った。
慣れているからこそ、いつか足元から崩れるのではないかという恐怖。
そして、事件は僕の目の前で起きた。
「髪に花びらが……」
軟派な青年が、甘ったるい声を出す。
どこにそんなものがある。
透けて見えるような嘘。
口実を並べ、彼女の髪に、肌に触れようとするその指先。
少し目を離せば、これだ。
「リナ! ここにいたのか。ほら、行くぞ。こっちだ」
僕は迷わず彼女の手を引いた。
彼女は僕の顔を見るなり、凍りついた表情を溶かし、心底ほっとした顔を見せた。
その素直さが、僕の独占欲を加速させる。
……可愛い。
半ば強引に、彼女を人気のいない休憩室へと連れ込み、重厚な扉を閉ざした。
ここなら、下俗な邪魔者は入らない。
世界から切り離された、僕らだけの二人の空間。
だが、閉ざされた部屋で二人きりになると、さっきの光景が毒のように脳裏を侵食する。
あの男の指。
リナの髪に、肩に、手に。
触れようとした、あの不浄な指先。
黒い霧のような感情が、肺の奥からせり上がってくる。
「これからは僕の目の届くところにいろ。いいな? 二度と、あんな男に触れさせるな」
自覚があるほど、声が険しく尖った。
けれどリナは、怯えるどころか、僕の言葉を優しく受け入れる。
「うん。本当に助かったわ。ありがとう、ルシアンくん」
……ああ、駄目だ。
こいつは、僕がいないと一瞬で誰かに奪われてしまう。
僕が守らなければ。
僕が「管理」しなければ。
高揚する感情を隠すように視線を逸らし、短く咳払いをする。
「……声を荒らげて悪かった」
沈黙が部屋を支配した、その瞬間。
――ぐうぅぅぅ。
最高にシリアスで、最高に甘美だったはずの室内に、盛大な腹の音が鳴り響いた。
「……」
張り詰めていた僕の肩から、一気に力が抜ける。
よりによって、このタイミングで。
「……ちょっと待ってろ」
込み上げる笑いを必死に押し殺し、僕は部屋を出た。
戻ってきた僕のトレイには、山盛りの軽食が乗っている。
前のリナなら見向きもしなかったであろう高カロリーで、
けれど“今のリナ”が何よりも愛してやまないジャンクな食べ物。
彼女は、宝石を見つけた子供のように目を輝かせた。
「ルシアンくん、できる男子だわ!」
無邪気に拍手をする彼女。
僕が選び、僕が用意し、僕が運び込んだものを、彼女は幸せそうに嚥下していく。
僕の管理下で、僕の色に染まっていく。
その光景は、リナを安心させただけでなく、僕の歪んだ心をも深く満たしていった。
だが。
幸福な時間は、あまりにも脆い。
帰路。
馬車乗り場で目にしたのは、半狂乱になったリナの母親の姿だった。
「リナが……リナが攫われたのよ!」
地面には、魔術で拘束された御者が転がっている。
「お嬢様が……危ない……」
血の気が引く。
心臓が、氷を飲み込んだように冷え切っていく。
騎士たちと共に、馬車が消えた方角へ全力で駆ける。
あの花びら男か。
それとも、彼女の輝きに当てられた別の有象無象か。
無事でいてくれ。
頼む。
祈るような思いの中で、胸の奥のどろどろとした感情が、はっきりとした「核」を持った。
守りたい、なんて生温いものではない。
失いたくない。
彼女は、僕の隣に、僕の視界の中に、僕の腕の中に固定されているべき存在だ。
誰にも、触れさせない。
僕の「リナ」に、その汚れた手を出すな。
この瞬間。
僕の中で、淑やかだった「幼馴染のリナ」の残像は、完全に消滅した。
今、僕のすべてを支配しているのは。
笑って、食べて、僕を頼る――今の彼女だけだ。




