本物のリナと私。
春の光が、カーテン越しに柔らかく差し込む。
「リナ。大好きよ。愛しているわ。お母さまにその顔をよく見せて?」
母の声は、今日も優しい。
私は微笑み、そっと頬をその手に寄せた。
「ああ……リナ。私の愛しい子」
ぎゅっと抱きしめられる。
温かい。
少し強くて、でも壊さないように気遣われている抱擁。
私は、ためらいながらも腕を回した。
これは。
本物のリナに向けての抱擁なのだろうな、と。
胸に触れる鼓動。
逃げ場のない、真っ直ぐな愛情。
私はそっと顔を上げる。
この顔は、本物のリナのものだ。
柔らかな頬。
長い睫毛。
透き通るような肌。
鏡を見るたび、思う。
きれいだなあ、と。
そして同時に。
私は、この子じゃない。
母の指先が、私の頬を撫でる。
壊れ物を扱うように、慎重に。
「少し痩せたわね。でも……よかった。本当によかった」
声が震えている。
私は笑った。
「心配かけてごめんなさい」
嘘じゃない。
本物のリナじゃなくても。
心配をかけたのは、事実だ。
母は、何度も私を抱きしめる。
香水と花の香り。
守られているという感覚。
胸の奥が、きゅっと締まる。
(これ、返せないよなあ……)
借り物の身体。
借り物の人生。
でも。
向けられる愛は、本物だ。
「記憶がなくても、変わってしまっても。あなたは私の娘よ」
優しすぎる。
私はぎゅっと目を閉じた。
本物のリナ。
どこかにいるなら。
怒ってるかな。
それとも、安心してるかな。
「……お母さま」
声が、わずかに揺れる。
「今の私でも、いいですか?」
小さな問い。
でも、重い。
母は迷わなかった。
「ええ。今のあなた“も”大好きよ」
“も”。
その一文字に、救われる。
胸の奥が、じんわりと温まった。
その時。
「リナ! お前が欲しがっていたクマのぬいぐるみだ!」
父の豪快な声が部屋に響く。
次の瞬間、私は軽々と抱き上げられていた。
「うわっ」
頬ずり。
父の顎のひげがちくちくする。
クマのぬいぐるみが差し出される。
……私、一度も欲しいなんて言ってない。
でも父は、
「あれを欲しがっていただろう?」と
ぬいぐるみやお菓子、リボンや絵本を惜しみなく持ってくる。
私は笑顔を作る。
「ありがとう、お父さま」
本物のリナが喜んだであろう気持ちを、精一杯込めて。
父は豪快に笑う。
「ああ。今のリナも欲しいものがあれば遠慮なく言いなさい」
“今のリナも”。
その言葉に、胸が少し熱くなる。
この世界に来てできた両親は。
本物のリナも。
偽物の私も。
ちゃんと見ようとしてくれている。
ときどき、父は私の身体に魔力を通して確認する。
手のひらが額に触れる。
じわりと温かい感覚。
「……大丈夫だ。安定している」
母が小瓶を差し出す。
「念のため、ポーションを飲みましょうね?」
きゅぽん、と軽い音。
私は一気に飲み干す。
安心したような両親の表情。
きっと。
言えない何かがあるのだろう。
正直、怖い。
でも、聞く勇気はまだない。
そんな日々の中。
「リナ! 君が好きだったケーキを持ってきたよ!」
ルシアンが、今日も当然のように現れる。
銀髪が陽射しに溶ける。
「どう? なにか思い出せた?」
真剣な目。
ごめん。
まっったくと言っていいほど、何も。
好きだった味も。
苦手だった食べ物も。
身体に染み付いた癖も。
出てこない。
昼食でピーマンをもぐもぐしていると。
ルシアンが、固まった。
「……え?」
なに。
ピーマンに何かある?
どうやら本物のリナは嫌いだったらしい。
知らない。
そんなの知らない。
木登りに誘われた日。
山猿の異名を持つ前世の私が覚醒。
「よいしょー!」
気づけば、ルシアンを置き去りにして最上段。
「……え?」
下から見上げる紫の瞳。
あははは!
こんなに全力で遊ぶの、子どもの時以来だ!
残業もない。
納期もない。
睡眠時間は十分。
ご飯はおいしい。
幼馴染は優しくて、遊びにも誘ってくれる。
充実している。
――はずなのに。
時々。
庭師見習いに呼び止められ、じっと瞳を見つめられたあと、唇に花びらを押し当てられたり。
邸を警護する騎士に跪かれ、手の甲に口づけされ、そのまま頬へと導かれたり。
あ、これ。
ちょっと距離、取った方がいいやつだ。
肌が理解する。
でも。
誰にも相談できないのが困りものだ。
まあ、今のところ実害はないし。
いつものようにスルーしよう。
……ホイホイ能力、異世界でも健在。
どうしてなの。




