高原で川釣り。
翌日、私は両親と共に念願の川釣りにやってきた。
高原の朝はひんやりと澄んでいて、
川面はきらきらと陽光を弾き、せせらぎの音はどこまでも心地いい。
……はずだった。
「……あれ? 私の知ってる川釣りとルールが違う気がする」
釣り竿を構えて、わずか数分。
ぽちゃん。びちびちびち!
ぽちゃん。びちびちびちびち!
気づけば、魚が面白いように集まってきていた。
というか、寄ってくるというより……もはや
「一刻も早くリナ様のバケツに入りたい!」と言わんばかりの猛烈な押し寄せ方である。
網を入れれば、
もはや「漁」ですらない「収穫」状態。
「……思っていた川釣りじゃないよね、これ」
しみじみ呟いた直後、背後の茂みがガサリと大きく揺れた。
ひょっこり現れたのは、
「山神」と言っても差し支えないサイズの巨大なワイルドボア(猪)だ。
「……でかい。そして、美味しそう」
私が呟くのと、父と騎士が動いたのは同時だった。
一瞬。本当に一瞬。
次の瞬間には、ワイルドボアは芸術的な手際で仕留められていた。
「リナ、お前がいると食卓が豪華になるな! はっはっは!」
「あなた! 素敵! さすが!」
「惚れ直したかい? ハニー♡」
高原に響き渡る、親バカとバカ夫婦のイチャイチャ会話。
(来年には、弟か妹ができたら嬉しいな……)
あまりの光景に、私は遠い目で現実逃避をしてみた。
「ね? 君もそう思うよね?」
肩に乗っているリスに話しかけてみる。
「きゅ!」
「……え、意思疎通できる? 右手上げてみて!」
「きゅ!」
……鳴くだけ。
「じゃあ、まわってみて?」
「きゅ!」
……鳴くだけ。
(ちっ、言葉の壁は厚いか……。一度はやってみたかったんだけどな、プリンセスごっこ)
そんな私の様子を、両親が微笑ましく見守っている。
「可愛いですね、リナ様」
「このもふもふ感が最高なのよ」
返事をした私を、騎士が笑顔のままじっと覗き込んできた。
その視線に、ほんのわずかに――熱に浮かされたような、粘つく違和感が混じる。
(あれ……?)
けれど、その違和感は侍女の声にかき消された。
「リナ様、そろそろお戻りになる時間です」
「はーい!」
大量の川魚と、巨大なワイルドボア。
洋館へ戻ると、留守番をしていた使用人たちは大興奮だった。
「これは宴ですね! さすがリナ様だ……!」
違う、私の功績じゃない。
全部動物たちが勝手に身を投げ出してきただけなの。
でも、避暑地最高。
楽しい。平和万歳!
――そう思っていた。
夕方。
夕食のボア料理が楽しみだな、とお腹を空かせていた時間帯。
高原の空気がひんやりと冷え込み、窓の外では夕陽が山の稜線を真っ赤に染め始めていた。
コンコン。
「ん? お母様かしら」
ガチャ、と扉を開ける。
「――俺を置いていくなんて、ひどい婚約者もいたもんだよね?」
バタン!!
私は無意識に、全速力で扉を閉めていた。
……やってしまった。手のひらに伝わる扉の感触が冷たい。
「今のは流石に傷つくぞ、リナ! 扉を開けてくれ。
……開けてくれないなら、魔法で鍵ごと消し飛ばしてもいいかな?」
扉の向こうから聞こえるのは、
穏やかで、けれど逃げ場を一切与えないルシアンの声。
なにこの、「きちゃった♡」みたいなノリ。
ここ、王都から馬車で数日の距離だよ? 徹夜で馬を飛ばしてきたの?
高原の静寂が、一瞬で「ルシアンの被験者」という名の重圧に塗りつぶされていく。
避暑地。平和。楽しい。
……の、はずだったのに。
私の「快適な夏休み」に、真っ黒な暗雲(婚約者)。
いや、逃げられない被験者の夏になったと思った瞬間だった。




