夏は避暑地で。
季節はもう、すっかり初夏だ。
じんわりと肌が汗ばむ陽気に、庭の花々も心なしか項垂れているように見える。
そして――。
「ねぇ、ルシアン。君、もう我が家に住所を移してるんじゃない? ってくらい入り浸ってるわよね。主に私のパーソナルスペースに」
朝食からお茶の時間まで、気づけば隣にいる。
もはや家族の肖像画の一部と化しているルシアン。
こんにちは、もはや「被験者」という役割が日常の一部になってしまったリナです。
「本当に、あれから熱も出てないし、元気いっぱいなの! だからその『元気ハツラツ魔導具』の実験、今日で終わりにしましょうよ!」
ルシアンは記録用のノートから顔を上げることなく、冷徹に言い放った。
「ダメだ。再発する可能性はゼロではない。……万が一、君の体調が悪化し始めたらどうする」
便利な言葉である、
「可能性」。ゼロでない限り、この観察は終わらないらしい。
そんなわちゃわちゃした日々を経て、夕食の席。
「そろそろ夏も本格的になる。今年も、避暑地へ行こうか」
父の言葉に、母がぱっと顔を輝かせた。
「そうね! リナと久しぶりに川遊びもしなくては。涼しい高原なら、リナの体調もより安定するでしょうし」
避暑地!
「お父様! 一緒に川釣りをしましょう! お母様も、採れたての魚を塩焼きにして……!」
思わず身を乗り出す。
涼しい高原、冷たい川、のんびりとした時間。
最高ではないか。
私はさっそくルシアンへも手紙を出した。
『しばらくの間、被験者はお休みします。ピクニック同様、お詫びに美味しいお土産と空気のお裾分けでも送るわね!』
準備を終え、私たちはのんびりと避暑地へ向かった。
緑溢れる高原に建つ瀟洒な洋館。白い壁に蔦が絡み、木々の影が揺れている。
空気はひんやりとしていて、深呼吸するだけで肺の奥まで洗われるようだ。
侍女たちが荷を解いている間、私はさっそく洋館の探検をすることにした。
隅々まで管理が行き届き、湿気も少なく、最高に過ごしやすい。
「リナ様。お足元にお気をつけください」
護衛の騎士が、そっと紳士的に手を差し出した。
「ああ、本当だ。少しぬかるんでるわね。ありがとう」
私は素直にその手に自分の手を添えた。
騎士はにこやかに微笑み、他愛のない世間話をしながら、私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。
ぬかるみは、数歩ですぐに越えた。
……それなのに。
手は、まだ、離れない。
「……もう大丈夫よ。そろそろ離してもらえる?」
問いかけると、騎士の完璧な笑みが一瞬だけ固まった。
「……っ、失礼いたしました。かしこまりました」
そう言いながらも、
離れ際、彼はきゅっと私の指先を
――壊れ物を掴むような強さで握り込んだ。
しん、と高原の空気が止まる。
「あの……?」
その瞬間。
逃げ場のない悪寒が、ナイフのように背筋を走り抜けた。
同時に、騎士が何かに弾かれたように目を見開く。
「申し訳ございません! 私は……っ、私は何を……!」
即座に手を離し、彼はまるで罪でも犯したかのように距離を取った。
何事もなかったかのように、涼しい風が吹き抜ける。
……ほんの一瞬の出来事。
けれど、私の指先に残ったわずかな熱が、なぜか妙に生々しく、粘りつくように感じられた。
(今のゾクッとしたのは……風? まさか、高原で風邪を引いちゃったとか!? せっかくの川釣りが中止になったら泣いちゃう、気を付けなくちゃ!)
私は自分の体調管理に気を引き締め直した。




