湖畔でピクニック、いや…サファリパーク。
両親とピクニックなんて、前世で大人になってからは一度もなかった気がする。
……いや、待てよ。小学生の遠足以来か?
あ、でも会社のお花見はあった。
ブルーシートの上で、上司の説教を聞きながら冷めた唐揚げを食べるあれも、広義のピクニック……
いや、あれはただの修行だ。
ノーカウント。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私はそんな前世の世知辛い記憶を反芻していた。
湖畔へ向かう道は春の匂いで満ちている。
若草の青い香り、湿った土の匂い、遠くで揺れる名もなき白い花。
窓から吹き込む風が、頬をやわらかく撫でた。
「リナ、寒くないか?」
父が羽毛のように軽い最高級のブランケットを、さりげなく肩に掛けてくれる。
「大丈夫ですよ、お父様。今日はこんなにぽかぽかしてますから」
向かい側で母が安堵したように微笑む。
ほんの数日前まで、私が霧のように消えてしまうのではないかと本気で怯えていた顔だ。
やがて視界が開け、湖が見えてきた。
水面は巨大な鏡のように穏やかで、吸い込まれそうなほど澄んだ青を湛えている。
芝生の上には真っ白なクロスが敷かれ、侍女たちが手際よく籠から中身を取り出していく。
色鮮やかなサンドイッチ、宝石のような果物、香ばしい焼き菓子。
そして芸術的な湯気を立てる紅茶。
「わあ……」
前世ではコンビニのおにぎり片手にPCと格闘しながら残業していた私が、今や湖畔で貴族の令嬢として優雅にティータイム。
人生、どこでどう転んで階段ダイブするか分からない。
「リナ、あまり無理はするなよ」
父の声は柔らかいが、その視線は私の顔色を一秒たりとも見逃さない。
母も同じだ。私は二人の不安を払拭するよう、精一杯にっこり笑った。
「大丈夫です。ちゃんと、ここにいますから」
その言葉に、母の指が一瞬だけ砕けそうなほど強く私の手を握る。
風が吹き、湖面がきらりと光を弾いた。
平和だ。
あまりにも平和で、かえって少しだけ怖くなる。
この温かくて美味しい時間が、ずっと続けばいいのに。
その時だった。
『クルッポー』
『チュンチュン』
『キューイ!』
「わあ、可愛い! お母様、お父様、見てください! 鳥やリスたちがこんなに集まってきてます!」
私の足元に、小鳥が数羽舞い降りる。
気づけば十数羽に増え、リスが肩に乗り、
さらに茂みの奥から立派な角を持った鹿までが「失礼します」と言わんばかりに顔を出した。
最初は微笑ましく眺めていた両親の視線が、徐々に別の方向へ向かう。
「ほう。あの鹿、いい具合に身が締まっているな。リナ、今日の夕飯のメインにどうだ?」
「まあ、あなた! リナの前でなんて野蛮なことを……! でも、あちらの鴨の方がスープの出汁としては優秀かしら?」
……え? そこ!?
「リナちゃんは動物に好かれるのね、不思議だわ」じゃないの!? 命の査定が始まってるけど!?
「待って、二人ともステイ! 鹿さんも鴨さんも食べませんからね!?」
もはやピクニックというよりサファリパークである。
私の「魂」から漏れている何かが、マタタビ的な効果を発揮しているのだろうか。
「なにこれ……どうなってるの……?」
困惑する私と、食材候補を吟味し始める両親。
その賑やかな喧騒から少し離れた、深い木陰。
そこに、ひとつの影があった。
瞬きすら拒むように、粘りつく視線でこちらを見つめる「彼」。
楽しさと困惑の渦中にいた私は、その存在に、まだ微塵も気づいていなかった。




