婚約者ができました。
「婚約者が決まった」
……へ?
先日、誘拐されかけて絶賛トラウマ引きずり中のリナです。こんにちは。
あまりに唐突な発表に、口に含んだ紅茶を本気で吹き出しそうになった。
父は、かつてないほど真面目な顔で言葉を継ぐ。
「未遂とはいえ、あのような事態を招いたのは私の不徳だ。……今後のリナを、物理的にも社会的にも守る必要がある」
なるほど。
「乙女の証明」がなされたとはいえ、ああいう“強引に既成事実を作れば勝ち”みたいな不届き者が、今後も現れないとは限らない。
だから婚約者。
名実ともに“この娘には既に守り手がいる”という、不可侵の盾を立てるわけだ。
私を守るため、か。
「ありがとうございます、お父様。ぜひ、そのお話を進めてください」
自分でも驚くほど、素直に頷いていた。
正直、あの拉致未遂は怖かった。
この快適な“異世界お嬢様ライフ”を守るためなら、盾の一枚や二枚、喜んで受け入れようじゃない。
コンコン、と控えめなノック。
「お客様が到着されました」
父が立ち上がり、私へ大きな手を差し出す。
エスコートされるまま、私はまだ見ぬ“盾”――もとい婚約者殿に会うため、応接室の扉をくぐった。
そこにいたのは。
ひまわりが咲いたような満面の笑みを浮かべた、ルシアンだった。
あ。
なるほど。
ルシアンの両親が、春の陽だまりのように穏やかに微笑む。
「昨日は本当に心配しましたよ。ご無事で何よりです、リナさん」
「いえ、ルシアンのおかげで無事に済みました。本当に感謝しております」
母がそっと背中を押す。
「リナ。これからはルシアンから離れてはいけませんよ?」
あ、そういう流れ。
え? 本当に?
昨日の今日で、幼馴染が婚約者にジョブチェンジするって、そんなにトントン拍子でいいの?
「一生涯、君を守ってあげる!」
ルシアンは私の手を両手で包み込み、迷いのない宣言を放った。
その瞳は、馬車の扉を蹴破った時と同じ熱を宿している。
私は深く頷いた。
「わかった。じゃあ、私が独り立ちできるその日まで、よろしくお願いします!」
――ぴしり。
室内の空気が凍りついた。
父が咳払いをし、
母が「あらあら」と目を伏せ、
ルシアンの両親が微妙な顔でこちらを見る。
あれ?
何か間違えた?
それでも話は驚くほどスムーズに進み、
私たちは「幼馴染」から「婚約者」へと進化した。
その日を境に、私は彼を呼び捨てにするようになった。
「ルシアン!」
振り向いた彼の頬を、指先でつん、と突く。
前世のドラマで見て、ずっとやってみたかったやつ。
ルシアンの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「な、なんだよ、いきなり」
「ほっぺにツン。婚約者の特権だよ」
「その特権の使い道が根本的におかしいだろ……」
数日後。
「リナ!」
「なぁーに?」
今度は彼が、照れながら指を伸ばしてくる。
つん。
「ぷはっ……引っかかった……!」
子供みたいに嬉しそうに笑うルシアン。
“一生守る”なんて大見得を切ったくせに、
こういう些細ないたずらであっさり崩れるところが、彼らしくて可笑しい。
私たちは、以前よりずっと近くなった。
このまま穏やかな婚約期間が続くのだと、疑いもしなかった。
けれど。
数か月後。
私の誕生日を目前に控えたある日。
私は突然、逃げ場のない高熱に襲われた。
意識が熱に溶ける。
視界が歪む。
遠くで、両親の声が重なる。
「身体の成長と、魂の定着が……」
「まだ安定していないのか……このままでは、また……!」
母が、冷えた私の手を握り締める。
「大丈夫よ、リナ。愛しているわ。さあ、これ、飲める?」
いつものポーション。
喉を焼く苦味。
ごく、ごく、と飲み干す。
安心するはずの味なのに、
どこか遠い。
滲む視界の向こう。
ルシアンが、私の枕元へ膝をついた。
「僕が、リナを……今の君を、絶対に守る」
それは宣言ではない。
誓いでもない。
対象を逃がさないと決めた者の、静かな決意だった。
私は、そのまま深い闇へと沈んだ。
……目を覚ました時。
私は、本物の“リナ”の誕生日を越えていたらしい。
まるで。
誰かが見えない糸で、私の魂をこの身体に縫い止めたかのような。
奇妙な違和感を残したまま。




