第2話 【 歌わない少女(後編) 】
放課後、研究棟の小さな面談室。
問診の内容は、至って普通だった。睡眠時間、食欲、ストレス。研究員は丁寧に頷き、端末に入力する。
普通。
普通のふり。
最後に研究員は、何でもないように言った。
「神代さん。音楽は、好きですか?」
喉が固まる。指先が震える。
「……きらいです」
嘘だ。本当は聞くのも好きだし、歌うのも好き。
でも、少なくとも、好きだと言う資格は私には無い。
研究員はフッと笑った。目は笑っていない。
「そうですか。では――歌は、どうです?」
その質問は、針じゃない。
刃だ。
私は椅子の背を握りしめた。
視線を落とすと、机の下に小さな布片が置かれているのが見えた。白くて薄い、端に刺繍の入った布。
展示室に飾られていた布と同じ刺繍。
喉の奥が、冷たい水に沈む。
息が、できない。
「……何の、つもりですか」
声が震えなかったのが、自分でも意外だった。
震えない代わりに、世界が静かになっていく。展示室の無音が、ここにも広がる。
研究員は穏やかに言った。
「念のためです。あなたの安全のために」
安全。
その言葉ほど、この街で信用できないものは無い。
私は立ち上がった。
椅子の脚が床を擦って音を立てる。その音が、やけに大きい。
「帰ります」
「神代さん」
呼び止められても振り返らなかった。
ドアを開けて廊下に出る。冷たい光の中を歩く。走る。息が乱れる。
研究棟のゲートを抜けたところで、空が夕色に染まていた。
――帰らないと。早く、日常に戻らないと。
そのときだった。
遠くで、爆発音。
次に、悲鳴。
能力訓練の暴発にしては音が重い。
振り向いた先、校舎の方角で黒い煙が上がっている。
そして、煙の中から――聞こえた。
歌。
はっきりした旋律ではない。泣き声に近い、震える声。
それでも、確かに”歌”だった。
喉が熱くなる。
心臓が、その歌に合わせて早鐘を打つ。
私の体のどこかが、鍵穴に差し込まれた鍵みたいに回り始める。
その瞬間、桃の奥で、別の声が重なった。
――やめて!
私の声じゃない。
もっと幼い。もっと擦り切れている。
懇願するような声。
私は立ち尽くした。
背中に冷たい汗が滲む。
今のは、幻聴だ。
そう思おうとするのに、胸の奥が否定する。
――知っている。
――この感じを、私は知っている。
夕風が吹いた。
制服の袖が揺れる。
その布の感触が、さっき見た白い布を思い出させた。
音を封じる布。
歌う者の声を奪う布。
煙の中で、誰かがまた悲鳴を上げた。
悲鳴が、歌に飲み込まれていく。
私は喉を押さえる指を外した。
歌わない。
私は歌わない。そう決めたのだ。
なのに。
煙の向こうで、誰かが”歌わされている”。
私は一歩だけ、校舎へ向けて踏み出した。
その瞬間、スマホが震える。
知らない番号だ。
画面に表示されたメッセージには、
『第二の器が反応した。
次の巫女を確保せよ――オルフェウス』
夕焼けの中、私は立ち尽くした。
喉の奥で、声が生まれようとしている。
私のものではない”残響”が、私の内側で歌おうとしている。
その日、歌わない少女の平凡な日常が、静かに崩れ始めた。




