第1話 【 歌わない少女(前編) 】
共鳴市は、いつも少しだけ騒がしい。
雑踏のざわめき、講義棟のチャイム、誰かが起こす小さな爆発音。
能力開発の副作用で火花が散るのも、風が巻くのも、ここでは日常の1ページだ。
その日常の中で、私――神代詩織は、静かに歩く。
歩きながら、右手の人差し指で自分の喉を軽く押さえる。
癖だ。声の出口を確かめるみたいに、無意識に触れてしまう。
歌わない。
”絶対に”歌わないと決めている。
別に、歌が嫌いだからというわけではない。むしろ好きな部類だ。
理由は、言葉にすると崩れる気がするからだ。だから、誰にも説明しないし、話さない。
ただ一つ、確かなのは――歌は、”武器”になってしまうということだ。
音律科学附属高等学校の校門をくぐると、いつもと同じ風景が私を迎えた。
制服の群れ、ホログラムの案内板、体育館の方から聞こえてくる歓声。能力訓練の授業だろうか。あの歓声は、才能を測る音だ。
私には才能が無い。
少なくとも、この街の基準では。
入学時の判定では、「レベル0」。無能力者。
そのレッテルは妙に居心地がいい。期待されないし、観察もされない。数値の外側にいるということは、誰の計算にも入らないということだ。
――だからこそ、私はここにいられる。
廊下を曲がって教室へ向かう途中、背後から声が追いついてきた。
「神代さん、ちょっと!」
振り返ると、クラス委員の春奈が手を振っていた。
彼女は発行系の能力者で、嬉しいときも怒るときも頬のあたりがわずかに光る。今日は困っているのか、光がチカチカと落ち着かない。
「研究棟の見学、出るよね? 担任が名簿、神代さんも入ってるって」
「……見学?」
「うん。進路指導の一環って。能力開発の設備を見せるって。今日の三限の後」
研究棟……か。
胸の奥が、針で刺されたみたいに細く痛んだ。
正直行きたくない。
でも、断る理由もない。レベル0の私は、何かの研究対象になることなんてないんだから。
「行く…よ」
そう答えると、春奈は安心したように頬の光を落ち着かせた。
「よかった。それで、集合時間は――」
説明を聞きながら、私は一度だけ喉に当てた指に力が入るのを感じた。
嫌な予感がするときだけ、こうなる。
――――――
三限が終わり、クラス全員が研究等へ向かった。
共鳴市の中心部にある研究棟は、学校というより企業の施設に近い。白い壁、厳重なゲート、空気が冷たい。
案内役の研究員は、眼鏡の奥で笑っているように見えた。
笑顔は誰でも作れる。でも、目が笑っていない。そういう大人を私は知っている。
「こちらが能力解析フロアです。個々のパーソナルリアリティー――まあ、あなた方が”能力”と呼ぶものの出力を数値化し、最適化します」
壁一面にグラフと数式が流れてくる。
クラスメイトが完成を上げる中で、私一人だけ音が遠くなるのを感じた。
数値の海。ここは、この街の心臓だ。
「次は、音律関連のラボです」
研究員が軽く手を叩くと、透明な扉が開いた。中は展示室のように整えられていて、いくつかのガラスケースが並んでいる。
腕輪、破片、金属片。用途のわからないものばかりだ。
――そしてその奥、
一番小さなケースの中に、それはあった。
白い布。
薄くて、長くて、端にわずかな刺繍。ただの布にしか見えないのに、そこだけ空気が違う。
周囲の音が、吸い込まれていく。
耳が悪くなったのかと思うほど、世界が静かになる。
風もないのに、布がわずかに揺れた。
揺れ方が――呼吸みたいだった。
胸が、ぎゅっと縮む。
喉が熱くなる。声が出口を探すみたいに疼く。
その瞬間、ありえない感覚が背骨を走った。
――ここに来たことがある
もちろん、来たことなんてない。そんな記憶、私には無い。
研究棟のこの区画に入るのは初めてだ。
だが、私の内側のどこかで「知っている」と囁く。
白い布。
声を奪うもの。
優しく触れて、決して外れない――
「……あれは?」
口にしてしまった。
自分の声が出たことに驚き、私は反射的に喉を押さえる。
研究員は、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。
その沈黙が答えだった。
「触らない方がいいですよ」
理由は教えてくれなかった。
クラスメイトも深く追求しない。きっと”危険な展示物”というだけで満足する。高校生なんて、そんなものだ。
でも私は、満足できなかった。
ケースのガラスに、自分の顔が映る。
その影が、二重に見えた気がした。
――私の影。
もう一つは、私じゃない誰かの輪郭。
まるで、そこに”前の誰か”が重なっているみたいに。
展示室を出る直前、研究員が名簿を確認するように視線を落とした。
その指が、私の名前のところで止まるのが見えた。
「……神代、詩織さん…ですね?」
呼ばれた。
心臓が一拍遅れてなった。
「……はい」
研究員は笑顔のまま言った。
「念のため、後で個別に簡単な問診を。数分で終わりますので。レベル0の方でも、健康管理の一環ですので」
レベル0の健康管理。
そんなもの聞いたことが無いし、研究員が自分から時間を割く理由なんか――
私は頷いた。頷くしか、なかった。




