プロローグ 【 神話はまだ、歌っている 】
その歌は、記録に残らなかった。
音として保存しようとした瞬間、ノイズに変わる。
数値に変換しようとすれば、誤差が暴走する。
意味を持たせようとした言葉は、すべて途中で途切れた。
だから人々は、それを“事故”と呼んだ。
あるいは”災害”。
若しくは――存在しなかったことにした。
地下十一階。
共鳴市中央研究タワー・封鎖区画。
白い円形の部屋の中央で、一人の少女が膝をついている。
年齢、名前ともに不詳。
能力レベルは測定不能。
彼女の喉元には、白い布がかけられていた。
薄く、やわらかく、声を奪うための布。
それはやさしく触れているようで、決して外れない。
少女は歌っていた。
――否、歌わされていた。
音程は崩れ、旋律は断片的。
それでも、世界は応えた。
壁に走る亀裂。
床に刻まれる、古代文字に似た紋様。
計測装置の針が、一斉に振り切れる。
「共鳴率、限界点突破――!」
「抑えろ! 歌を止めろ!」
「む、無理です、これは……!」
研究員たちの叫びは、途中から聞こえなくなった。
音が消えたのではない。
”意味が消えた”のだ。
少女の影が、床に落ちる。
その影は、二つあった。
一つは少女自身。
もう一つは――人ではない、何か。
それが目を覚ました瞬間、
世界はほんの一拍だけ、神話に戻った。
次の瞬間、すべては終わった。
部屋は崩壊し、記録は消失。
少女の存在は公式文書から抹消された。
残ったのは、白い布だけ。
それはガラスケースに収められ、『危険性未確定の展示物』として分類される。
だが、ある研究者は小さく呟いた。
「……この子が。この子こそが!」
誰に聞かせるでもなく、ただ、恐怖を確かめるように。
「巫女なんだ!」
その言葉は、記録されなかった。
けれど、神話は沈黙しなかった。
歌は”まだ”、続いている。




