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EARWIG  作者: 幕田卓馬
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成熟編

挿絵(By みてみん)


本作はいでっち51号様との共同企画『推しが子project』参加作品です。

いでっちさんの作品『推しが子』はこちら→ https://ncode.syosetu.com/n3855lq/


挿絵(By みてみん)

 玄関のドアを開けた瞬間。

 その一瞬だけ、母の顔にはヒビ割れた泥のような疲れの跡が残る。

 透は、その事に気が付いていた。


 ある寒い冬の夜。

 玄関を開けた母は、部屋の中央で妙なポーズをとっている透を見て破顔した。透は両手をまっすぐ上に伸ばし、奇妙なガニ股で突っ立っている。


「ちょっとぉ! 何そのポーズ!」


「エダナナフシのマネ!」


 そう言って、透は虫の演技を続ける。ゆらゆらと、脚の先で地面を確かめるようにしながら、部屋の中を一回り。


「とおる〜」


 椅子にへたり込んだ母は、込み上げてくる笑いを抑えようと、何度も短い息を吐く。


「あ、美味しそうな葉っぱだ、むしゃむしゃむしゃ」


「あー、もー、透は天才だよ……。将来は演技の道に進むべきだなぁ……」


 蕾が花開くような、母の笑顔が好きだった。

 そんな小さな頃の記憶など、今の今まで忘れていた――



   *   *   *



 もはや『いつもの場所』となった公園。


 健太くんへの演技指導の合間に、一瞬だけ見せた真里の顔には、ヒビ割れた泥のような疲れが見えた。

 ベンチにもたれて、今にも眠りにつきそうな半開きの目。透はその顔で、幼い頃のどうでもいい記憶を思い出していた。


「ねえ透! よそ見してないで俺の『木』を見てよ!」


「ああ、ごめん」


「えー……『ここは、しんせいなもりである! たびのものよ、いますぐたちさるのじゃ!』……どう?」


 健太くんは両手を空に掲げた。秋の夕暮れは、幾つものアキアカネが空を舞っている。

 

「もう少し抑揚をつけて。あと『立ち去るのじゃ』のところでは、こんなふうに枝を揺すってみるのはどう?」


「おお! いいじゃん! さすが透!」


 はしゃぐ健太くんに苦笑いを見せる透。

 その隣に、いつの間にか真里が立っていた。さっきまでこびりついていた泥は、笑顔の膜で覆い隠されている。


「本番、今度の日曜なんです。奥耳さんも応援に来てもらえますか?」


 真里は女性にしては背が高く、透とたいして変わらない。そんな彼女がやや上目がちに透を見ている。


「いや、部外者が行っちゃマズイでしょ」


「え、バレないですよ?」


「いやいや、ママ友さん達にバレたら、噂が広まりますし……」


「ママ友、いないですし。あたし()()()()だから、他のお母さん達から敬遠されてて」


 ()()()()と言うのは、黒人とのハーフであるこの容姿の事なのだろうか。

 自分が思うよりもずっと、真里は孤独な日々を送っているのかもしれない。誰にも頼れず、子育ての苦難を誰とも分かち合えず――


 透は彼女の願いを聞き入れる事にした。

 単なる哀れみではない。これはきっと、共感だ。


「ありがとうございます! 健太、奥耳さん観に来てくれるって!!」


「おお! 透、サンキュー!」


 手を取り合って跳ねる二人。

 透はなぜか、三人目としてこの家族の中に存在する自分の姿を想像してしまい……、その無遠慮さを慌てて振り払った。



   *   *   *



 薄暗い体育館は、木材とニスの懐かしい匂いがした。


『この森は〜、不思議な森だ〜。鳥が騒いでいる〜』


 主人公の男の子が舞台袖から顔を出し、大袈裟に首を傾げる。


『旅人さん! 早く逃げて! 森が怒ってる!』


 小鳥の衣装を着た女の子が数人、旅人の周りを走り回りながら、口々にそう叫ぶ。しかし旅人はそれを振り切って、更に森の奥へと足を進めた。旅人には森の宝を持ち帰るという目的がある。


 旅人がその場で歩く演技をすると、背景の方が舞台袖に流れていく。

 そして、木の格好をした3人の男の子が現れた。


「あ、健太だ」


 真里が透の肩を叩く。


 透は小さく頷きながら、不思議な感覚に囚われていた。

 

 今まで自分は『見せる側』として振る舞ってきた。しかし立場が『見る側』に回ると、演技というものはこんなにも感情を揺れ動かすものだと気付く。

 

 期待、不安、喜び、悲しみ――目の前で繰り広げられる演者達の躍動に、自分の感情が揺り動かされている。

 まるで温かな波に揺られる様な。

 それは、久しぶりに感じた心地良さだった。


 初めて神野(じんの)越人(えつひと)の演技に触れた時も、こんなふうに心が揺れ動いた。そんな事を透は思い出す。

 彼の演技に触れて作品の世界に飲まれている間だけは、父だとか、目的だとか、そんなノイズを抜きにして純粋に感動だけを貪る事ができた。

 

 研ぎ澄まされた憧れだけが存在していた。

 人を惹きつける、彼の演技に――


 体育館の舞台では、三人の『木』が、口々にセリフを述べる。


 まだタドタドしい、子供らしい声と振る舞い……。


 しかしその姿からは本気の想いが溢れ出ていた。


『ここは神聖な森である! 旅の者よ――今すぐ立ち去るのじゃ!!』


 健太くんは、今日まで積み重ねてきた努力を全て、このたった一言の台詞にぶつけてる。

 

 それは観る人によっては、凡庸な演技に見えるかもしれない。端役の度を超えた、凸凹な演技なのかもしれない。

 

 しかし――


 透は隣に座る真里を見た。


 そこには、両手で口を多い、息子の演技に心を震われる母親の姿があった。


 見た事がある。


 この顔を――


 自分が『なんのために演技をするのか』


 透はまだ幼い健太くんの演技の中に、その答えを見つけたような気がした。


 それはとても単純な気持ち。

 

 自分の演技で、誰かを幸せにしたい――

 


   *   *   *



 学芸会の数日後、神野越人との対談が某局内のスタジオにて収録された。


 薄暗く調整された照明と、青を基調に揃えられた背景と小物。そして画角に対して斜めの角度で、青いソファーに座った二人の俳優。


 奥耳透。


 そして――神野越人。


 薄暗いセットの向こう側では、より暗い世界の中で複数のスタッフ達が蠢いている。


 簡単な挨拶を交わした2人は、会話の進行を大まかに記した台本に目を通す。

 しかし、この台本にはそこまでこだわらなくてもいいと説明があった。アドリブに限りなく近い会話が生む臨場感が、この番組の醍醐味らしい。


「奥耳くん――今日はよろしく」


 神野越人は目下の透に対して深々と頭を下げた。大物俳優とは思えない腰の低さだった。


「よろしくお願いします」


 透もまた頭を下げる。

 下げながらも、上目で薄闇にぼんやりと浮かぶ神野の顔を覗き見た。


 初めて目の当たりにした神野からは、洗練された俳優のみが放つ後光のようなオーラを感じた。

 どんな過去を持っていたにせよ、今目の前にいるこの大物俳優は、確かに視聴者を魅了する天性の輝きを背負っていた。


『お前は、俺の、父親なのか?』


 そんな呟きが脳内を掠める。


 そして――撮影が始まった。


 神野は穏やかな口調で、透に俳優になった経緯についての説明を促す。

 

 透は語った。

 自分には父親がいない事。

 母が身籠った事すら知らず、父は母の元を去った事。

 そして、未成年だった母は、貧しい生活の中で、自分を必死に育ててくれた事――


 神野はその話に興味深く頷き、時に同情の言葉を述べた。その表情にはなんの曇りも見えない。


『お前は、俺の、父親なのか?』


 再び頭の中で声がする。


「もしかしたら、君の父親も……君の活躍を、息子と知らずとも、どこかで応援しているかもしれないね」


「そう、でしょうか……?」


「親子とは、心で通じ合うものだよ」


 その言葉で、透の思考が白く染まっていく。


 唇が自分のものではないように重くなり、小さく震えはじめる。


 言うべきなのか?


 言うべきだろう。


 今ここで――


『お前が、俺の、父親なんだろう?』と……。


 重たい唇が、ゆっくりと動く。


 心臓の鼓動がうるさい。


 この一言で、巨岩のような疑念の氷塊が、溶け始めるかもしれない。


 芸能界という、煌びやかな世界からの『追放』と引き換えに……。

 この、長年の呪縛から……。

 

 その刹那――


 光の向こうから突然現れた保科真里の手が、光に背を向ける透の手を掴んだ。


『行かないで――』

 

 温かな手だった。

 

『だって、あなたの演技に、あたし達は救われたんですから』


 やわらかな声。


 心臓の音が、徐々に小さくなっていく。


「父親――」透は静かに語り出した。「私は、ずっと父親の影を追っていました」


 その言葉にただならぬものを感じ、神野は眉を上げる。


「父親との再会が、自分の中で最も大事な目的でした。父に会い、母の死を伝え、自分の存在を突きつける……それが、自分の生きる意味でもありました」


 透は細く長い息を吐く。


 神野は小さく頷く。


「でも、今はそうじゃない。僕はどうやら、この『演技』の世界の深みに、嵌ってしまったらしい」


 膝の前で硬く握った両手を震わせる。


「自分の演技で、救われた人がいる。勇気をもらえた人がいる。父親がいない、今じゃ母親もいない、こんな孤独な僕の演技でも、救える人がいる」


 そして、真っ直ぐな目で、神野越人を見た。


「目的はなんであれ……神野越人さん、貴方を見続け、貴方に憧れ続けた結果――僕はその場所に辿り着くことが出来たんだと思います」


 あなたが父親であろうと、なかろうと、もはや自分には関係ない。

 なぜなら、あなたを抜けたその先にあるものに、自分は気づく事が出来たから。


 神野は一瞬だけ眉を寄せる。


 しかし透の視線を受け止め、再び小さく頷いた。


「ひとつ、聞いてもいいかな?」


「はい」


「君にとって、『演技』とは、何かな?」


 その答えは、揺れ動く水面のようなものだった。

 

 時に凪ぎ、時に乱れ、時に何かを映し出す。


 しかし今なら、言える言葉は、一つだけだ。

 

「大切な人を、幸せに出来るものです」



   *   *   *



 日曜日の午後。


 前日のドラマ撮影が深夜に及んだ透は、眠気がたっぷりと染み込んだ重たい頭をガシガシと掻いて、洗面所の前で簡単な身支度をする。


 売れはじめの俳優とはいえ、オフの日はただのだらしない独り身男性だ。

 歯を磨いて、インスタントコーヒーで喉を潤す。炊飯器に残ったご飯をレンジで温め、納豆をかけて平らげる。


 服を着替えて外に出ると、秋は既に冬へと傾きかけていた。再び部屋に戻って、厚手のカーディガンを羽織ってから外に出た。


 図書館に返却する本を入れたトートバッグが、歩調に合わせてゆらゆらと揺れる。


 坂道を下り、今度は上り坂に入った。


 日の当たる坂道は暖かく、透はカーディガンの重さを実感し、着てきた事を後悔する。


 もう少しだ。


 この坂を上りきれば――


「透ー! 何へばってんだよ!」


 公園から響く、甲高い男の子の声。


()()()、がんばれー!」


 励ますような、少し揶揄うような、女性の声。


 透はその二つの声に苦笑いで返し、もはやただの重りでしかなくなったカーディガンを脱いで、小脇に抱える。


 暗い石の下で蠢いていたハサミムシは、日の光に向かって歩き出した。



   【完】

【あとがき】


最後までお読みいただき、ありがとうございました(*´Д`*)

書いたことのない『芸能界』『演技』のお話で、ちょくちょく調べながら書きましたが、変なところあるかも……。気になるところありましたら、すみません。


透の演技に対する考え方。

父親に会う為の単なる手段から、演技を始めた理由に気付き、自分なりのやり甲斐に気付き、父親への執着と決別する。その辺の変化が上手く描写出来てたら嬉しいです(^◇^;)


どんな分野の仕事でも、長く続けられる原動力は、自分以外の『誰か』に対しての価値を感じられるからなのかなと思います。幕田のようなリーマンも、芸能人も、そこは一緒なのかなーって思って書きました。


いでっち51号さんの『推しが子』と合わせて読むと、古本都紙魚くんがなぜこのような脚本を書いたのか、より深く感じられるかな? と思います。


まあ、そんな感じです……(*´Д`*)



【舞台裏】


倉木「お疲れ様でした」

古本「うへへ……お疲れ様です」

倉木「あのー、一つ気になったんですけど」

古本「うへ?」

倉木「野田さんがスタジオ入りした日、何かありました? 野田さん、なんか涙ぐんでたから……」

古本「いえ、なにも」

倉木「うーんその顔、怪しいなぁ……」

古本「ふへへ」


スタッフ「古本さん、倉木さん! ロケバス出ますよ!」


倉木「……行きますか」

古本「はい……。あ、あの!」

倉木「うん?」

古本「今日の打ち上げの後、その……僕、スズムシが綺麗に鳴く場所、知ってて……それで……その……」

倉木「えっと、あのー……古本さん? それで、の先もしっかり言ってくださいよ」

古本「それで……その、一緒に、聴きに行きませんか……?」

倉木「……」

古本「倉木さん?」

倉木「……まあまあ、及第点ってところですね。その、仕方ないから行ってあげます」

古木「ふへぇ……。あれ? 倉木さん、なんで急に早足になるんですか?」

倉木「えっとその……バスに遅れるからです! 早くしないと乗り遅れますよ!」

古木「うへぇ」


真っ赤な顔の倉木と、困った顔の古本を乗せて、バスは走り出す。

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― 新着の感想 ―
いやぁ圧巻でした。素晴らしい。雰囲気が幕田卓馬さん式の「推しの子」っていう感じがありまして。そこからドップリとその空間にハマらさせて貰った感触です。いやぁ凄い。 ラジオでも話したとおり、最近は北野…
感動しました! 幕田作品の中でも最高ランクに入ると思います。 構成もよく、エピソードに過不足がなく、そして何よりラストのはっきり書かない表現が秀逸でした! 大好きです。こういうの。 3人は家族になりそ…
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