脱皮編
例のドラマが放送されて数ヶ月――
奥耳透は、奇抜な演技派俳優として名を馳せていた。
ドラマや映画だけではない。
動画配信者時代に磨き上げたアドリブ力と、持ち前の独特の雰囲気が『個性』と捉えられ、バラエティ番組などにも度々顔を出すようになっていた。
そんな中、透と『神野越人』との対談の話が持ち上がる。
透が様々な番組で『尊敬する俳優は神野越人である』と公言していたため、局側が粋な計らいとして提案した企画だった。
透は内心、ほくそ笑む。
雲の上の存在である神野と、遂に相見える機会を手に入れたわけだ。
「対談のオファー、受けるって事でいいよな?」
副島の問いに、透は冷静を装いながら頷いた。
パイプ椅子の背もたれにもたれかかり、ぼーっと窓の外を眺める透。副島は不満そうな顔でPC画面を見つめてから、薄氷に石を投げつけるような大胆さで、透に尋ねた。
「透よぉ。お前、なんか企んでねえか?」
透の肩が小さく動く。顔は窓の外に向けたままだ。
「俺はよ、この業界長いから、それなりにいろんな奴らと関わってきた。野心家もいりゃ、ただなんとなくで俳優続けてる奴もいる。それと、後者のふりして、内心なんか企んでる奴もな――」
そこで小さくため息を吐き、デスクに置いたコーヒーを一口飲んだ。
「内心なにか企んでる奴には、共通点があんだよ。大事な場面じゃいつだって、俺と目を合わせねえんだ」
透は慌てる素振りもなく、副島を見る。
その普段通りの間の抜けた顔が、副島にはどこか嘘臭く感じた。
「わかってるとは思うが、今はお前にとって一番大切な時期だ。一度大きく燃え上がった火は、薪をくべ続けなきゃすぐ消えんだよ――」
そして燃え始めた焚き火を見つめるような優しい目を、透に向けた。
「今は、へんに空気を吹き込む時じゃねえ。神野越人――ありゃ、俺達からすりゃ雲の上の存在だ。あいつの演技がお前の芯になってるのは、お前の演技を見てりゃわかる。でもな、スキャンダルを起こして、雲の上から神風でも起こされた日にゃ――」
優しげな目が、途端に鋭くなる。
「お前、芸能界にいられなくなるぞ?」
* * *
対談の席で、多くの撮影スタッフを前にして、透は自分という息子の存在を神野に問い詰めるつもりだった。
他者の目がない楽屋挨拶のタイミングでそんな話を持ち出したところで、それが不都合な事実であれば、容易に口を閉ざすだろう。
無礼を理由に対談を却下されれば、もう二度と彼と相見える機会は訪れない。
だったら、何も言い逃れできない対談の場で、真実を問い詰めるてやろうと透は考えていた。
神野越人は今や芸能界の神だ。
その神話を崩そうとする不届きものは、神野の好むと好まざるとに関わらず、神を崇める民衆よって葬りさられるだろう。
でも、たとえ自分の役者生命が途絶えたとしても――
対談の話を受けてから、気持ちが落ち着かない日々が続いた。神野側のスケジュールの都合で対談は数ヶ月先の予定ではあったが、今から気もそぞろである。
そんな時、透は図書館へ向かう。
昆虫の本を読み漁り、その生態に想いを馳せていると、不思議と心が落ち着くのだ。
母がいない夜も、その母が死んだ後も、透はそうやって気持ちを落ち着かせてきた。
生物学の棚を端から端まで目を通し、目新しいハードカバーを見つけて手を伸ばす。
あ――
同時に手が触れた。
小さな、子供の手。
その手を辿ると、小学校低学年くらいの男の子が背伸びをしていた。
透はすかさず手を引っ込める。
褐色の肌をした活発そうな男の子は、その隙にハードカバーの背表紙をがっつり掴み、自分の胸に引き寄せた。
「こら、お兄さん方が先だったよ」
少し離れたところからかけられた声。図書館の静けさの中では、潜めた声も鮮明に通る。
「すみません。うちの子が強引で――ほら、お兄さんに返しなさい」
母親らしき女性が早歩きでやってきて、ペコペコと頭を下げた。
「やだ。俺の方が早かったし」
男の子は本を胸に抱えて離さない。
「いや、いいですよ俺――」
透はドギマギしてしまう。普段子供を相手にすることなんかないから、どう対応すればいいのかわからない。
「本当ですか? すみません――」
「おっさん、この本読みたけりゃ、外の公園で一緒に読もうぜ?」
「こら、なにその口の聞き方は! すみません、この子、初対面の人にも遠慮ってものがなくて――」
息子の頭を手のひらでグリグリ押しながら、女性――母親は困った顔で何度も頭を下げる。
「ほんと、この子ったら――あれ?」
母親の愛想笑いが固まった。
そして訝しむ顔に変わり、透の顔をマジマジと見つめ……。
「あの、すみません……」
「は、はい?」
「もしかして、『田中』さんじゃないですか……?」
「はあ」
「えっと、違う違う! おくみみ……奥耳透さんじゃないですか!? 俳優の!」
図書館全体に響く声。
「はい、えっと、そうですが……?」
「マジで!! うわー! あたしファンなんです! えーうそ! 信じらんない! サイン! サインもらっていいですか!?」
お母さんはカバンの中を漁り、何もなかったのか今度は子供が抱える図書館の本をひったくって、透の前に差し出す。
ひどい取り乱し様だ。
「あ、えっと、一旦外でましょうか」
館内がざわめき出したため、透は足早に本棚の迷路から離脱する。
この親にして、この子あり――
ドタバタと透を追いかけてくる母子を振り返りながら、透はそんな事を思った。
* * *
図書館近くの公園のベンチに座る。
男の子――健太くんは、花壇の柵に止まったトンボを追いかけて、走り回っている。
女性は名を保科真里(演者:倉木理亜奈)と言った。
透がメモ帳を切り取り『真里さんへ』と書いて渡すと、彼女は借りてきた本の隙間へと丁寧に挟めた。
褐色の肌と顔つきから、アフリカ系にルーツがある女性に見える。しかし日本語は達者で、気分が上がると早口で捲し立てるその言葉は、コミュニケーションが苦手なプライベートモードの透よりも全然端切れ良い。
年齢は、透とさほど変わらないだろう。
「この前のドラマ、観ましたよ。それで、勇気をもらって――」トンボを追いかける息子を見ながら、真里は言う。「ウチ、母子家庭だから、子供にちゃんと寄り添えてるか、いつも不安だったんです。でも、奥耳さんの演技で救われました。不安なのは、自分だけじゃないのかも……って」
「そんな――」身に余る言葉を全力で否定しようとして思い止まる「……ありがとうございます」
「それにほら、慶太くんと、ウチの健太――子供の名前も似てますしね!」
真里は白い歯を見せて笑った。その屈託のない笑みが、透の中にある母の思い出と重なる。
「でもほんと、奥耳さんの演じる田中さん、かなりのモンスターでしたけど……共感できましたよ。彼なりにちゃんと子供を想ってたんだな、って。奥耳さんのお父さんも、きっと子供思いの方なんでしょうね――」
その言葉の裏には『父親のいない子』にさせてしまった息子への、罪悪感のようなものが見えた。
似たような感情を、枕元の母親も時たま見せていた気がする。
「俺、父親いないんです」
そう返すと、真里は驚いた顔をした。そして少しだけ安心した表情を見せ、すぐにそれを諌めるように口元を引き締める。
そんなコロコロ変わる表情も、透は自分の母親と重ねてしまった。
「俺は、田中って人物の中に、自分の父親を投影してしまいました。俺に父親はいなかったけど、こう想っていて欲しかったって――そんな願いを込めて」そう言って自重自嘲気味に笑う。「作品に私情を持ち込むなんて、俳優にあるまじき行為ですよ」
「でも、私は救われました」被せ気味に真里は言う。「それにきっと、あの子も救われたと思います」
見つめる先には、トンボに逃げられて肩を落とす健太くんの姿があった。
「ねー! トンボ捕まえられないんだけど!」
「素手じゃ無理だって」
困った笑顔で真里は返す。
透は立ち上がると、花壇の柵に止まったアキアカネに背後から近づき、右手を振った。
瞬間――
その手の中には、トンボが包まれていた。
「すげー!」
透から渡されたトンボの羽を優しく摘み、健太くんは指先でトンボの脚に触れる。
「正面から向かってっちゃダメ。背後から近づいて、こう飛び上がった瞬間の位置を予想して、そこへ、優しく手を振るんだ」
「ええ、ムズイんだけど」
「トンボの気持ちになって――」
「ふーん」
それから何度かレクチャーしたが、幼い健太くんの小さな手では、簡単にトンボは捕まえられないようだった。
秋の日がゆっくりと落ちてゆく――
「トンボとり、また教えてよね」
帰宅に不満顔の健太くんだったが、母親に促されて渋々と手を振る。
「あたしたち、毎週この公園に来てますので……よろしかったら、また教えてあげて下さい」
夕日で頬を赤ながら、遠慮がちにそう言った真里の顔が、透の頭から離れなかった。
* * *
『お前、芸能界にいられなくなるぞ?』
副島が言った言葉が、いつまでも耳の奥で響く。
それで構わないと思っていた。
自分が演技を続けているのは、神野越人の目に留まり、彼と相見えるため。その願いが叶った今、芸能界などになんの未練もない。
対談の日を迎え、『なぜ自分達を捨ててまで、芸能の世界にこだわるのか――』その疑問の答えを彼の口から聞けさえすれば、もうそれで満足だ。
また動画配信者に戻って細々生きてもいいし、なんなら、母親のいるところに行く事だって、やぶさかじゃない。
そのはずなのに――
「奥耳さん、火曜のドラマの演技、すっごく良かったですよ!」
日曜の午後、透は性懲りもなくあの公園に向かい、あの母子と一緒の時間を過ごしていた。
「ああいうコミカルな役も合いますよね。二人で笑っちゃいました。健太なんか、学校で奥耳さんの真似をしたら、大ウケだったらしくて……」
ベンチに座り、いつものようにトンボを追いかけている健太くんを眺めながら、真里は言った。
初めて会った頃より、真里は笑顔が増えた気がする。殊勝な事に、透の出演する作品を余すところなくチェックしては、その感想を逐一伝えてくれる。
「奥耳さんのいちファンとして、当然でしょ」
透はその会話がなんだかくすぐったかった。
胸の中に熱く広がる正体不明な感情が、心の表面を引っ掻いている。それがどんな類のものなのか、透にはわからないが。
「それであの、実はお願いがあって――」
ぼーっとしていた透は真里のその言葉を聞き逃しそうになり、慌てて意識を目の前の女性へと向ける。
「今度、健太の学校で学芸会があるんです。でも健太のやつ、ちょっと演技に悩んでるみたいで……」
もったいぶった、イタズラっぽい物言いだ。
「何の役なんですか?」
透は尋ねる。そこまで頭を悩ませているのなら、さぞかし重要な役を任されたのだろう。
「それが……木なんですって」
「きー……?」
「木です。森に生えてる、樹木」
「え、木?!」
思わず吹き出しそうになり、慌てて自らを窘める。それってモブキャラって事だろう。
しかし、木の演技に悩む健太くんの姿が、虫の真似事を繰り返していた過去の自分と重なった。
「セリフもちょっとしかないんですけど、健太のやつ張り切っちゃって。最近あたしと一緒に奥耳さんの作品を観てるからなのか、演技の世界にどっぷりハマってるみたいなの」
「なるほど」
透は、木に全力を尽くす健太くんがとてもいじらしく意地らしく感じた。
「それでね、『こんなんじゃダメだ! 奥耳さんなら、もっと上手く演じるはずだ!!』って、毎晩言ってる」
呆れたような苦笑い。しかし、そんな息子のやる気と向上心を、心の奥では誇っているようにも見える。
「それで、お願いってのは?」
「あ、前置きが長くなっちゃいましたね。あの……プロの方にこんなお願い、恐れ多いのですが――」そう言って真里は深く深く頭を下げる。「息子に、いっちょ演技指導してやっていただけないでしょうか」
「あ、えっと……」
透は戸惑う。
自分は、他人に演技を教えられるような器じゃない。目的の為なら、それを捨ててもいいとさえ思っている半端者だ。
演技への向き合い方なら、健太くんの方がよっぽど真摯だろう。
そんな自分が何を指導できるというのか……。
滲み広がるネガティブな感情。
しかしそれと同時に、自分の心の隅っこにある歪んだ塊の切れ目に、爪の先が引っかかるような感覚があった。
もう少し力を入れれば、自分でも知らなかった感情が、薄皮の中かから顔を出しそうな。
演技、か……。
自分は何のために、演技をしているのだろう。
それは、少し前までは明確な答えを持っていたはずの問いだ。
しかし、今は――わからない。
「――いいですよ」
口が勝手にそう答えていて、透は驚く。
しかし、真里の嬉しそうな顔を見ると、なぜか『これでいいのかもしれない』と感じた。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます(*´Д`*)
奥耳母子の鏡として、保科母子が登場しました。この出会いで透の『演技』に対するスタンスが、少しずつ変わっていきます。
次回、最終話です(*´Д`*)
【楽屋裏】
古本都紙魚「ふへへ……倉木さん、素晴らしい演技でした……」
倉木理亜奈「古本さん、ありがとうございます」
古本「あの『碧-aoi-』『Shall we dance』も、素敵な演技でしたよ(にちゃあ)」
倉木「観てくれたんですか? 嬉しいです!」
古本「コーヒーのCMも、バラエティ番組の雛壇も、ワイドショーでの番宣も、あれもこれも、素敵でした……(にちゃにちゃ)」
倉木「へ、へえ……(めっちゃ観てくれてるんだ……)」
倉木「うーん……不器用で、色々と間違ってるけど、悪い人ではないっぽいんだよねぇ」




