第84話 僕はいいやつなんかじゃないよ
「よう、デジデジ」
声をかけると、薄暗い空き部屋の隅で、デジデジがゆっくり顔を上げた。
夕飯の席で、デジデジはずっとどこか上の空だった。無理に笑ってるのが見えた気がして、胸の奥が引っかかっていた。
「燈真君……」
その返事だけで、だいたい察してしまう。
俺は戸口のままじゃ落ち着かなくて、デジデジが座るベッドの隣に腰掛けた。
「爺ちゃんのところで、なんかあったのか?」
デジデジは視線を落とし、短く息を吐いた。
「……いや……うん。そうだね」
「なにがあったんだ?」
問い詰めるつもりはなかった。
でも、放っておけなかった。
「詳しいことは、後でみんな集まったときに話すよ」
そう言ってから、デジデジは言葉を飲み込んだ。
その“続き”が喉につかえているみたいに、唇が小さく震える。
「……あっ、でも……」
「なんだ?」
「みんながいたら話せないこともあるかも……」
俺は少し身構える。
デジデジは、ゆっくり言った。
「さっき祖父に話を聞きにいったとき……しゃもしゃものことは殺したくないってことも伝えたんだ」
「……うん」
言えたのか。
あの爺さん相手に。
それだけで、どれだけ勇気が必要だったか、俺にだって想像がつく。
「でもダメだった……命令は変わらないって。もし僕が殺せなくても、代わりに別の奴に頼むだけだって」
胸の奥が、ぐっと痛んだ。
「そんな……!」
「だからとりあえず……僕が殺すってことで出てきた」
デジデジは、自分の指をぎゅっと握りしめる。
「他の人に刺客を送り込まれるよりは……とりあえず時間は稼げるし」
時間稼ぎ。
その言葉が、やけに生々しい。
「でももし健人を助け出せても……僕がしゃもしゃもを殺さなくても……しゃもしゃもはまた誰かに命を狙われる」
デジデジは小さく首を振った。
「こんなこと、しゃもしゃもには言えない。なんて言えばいいのかわからない……」
「……そうだな」
俺は拳を握った。爪が掌に食い込む。
「……クソ! なんとかできないのかよ……!」
「……無理だよ」
デジデジは、乾いた声で言った。
「え?」
「松川会の団員数は四千八百人。ここらへんじゃ二番目に大きい組だよ。そんな大人数相手に、僕たちが何かできるわけない」
「お前、何弱気になってんだよ!」
俺は思わず声を荒げた。
「大丈夫だ! たぶん何かいい方法があるはずだ! だからっ――」
「怖いんだ!」
その一言が、部屋の空気を切り裂いた。
俺の言葉が、喉の奥で止まる。
「……怖い?」
デジデジは、目を逸らしたまま、絞り出すように続ける。
「怖いんだ……昔から祖父は、僕が家業をうまくこなせないとき、いつも叩いたり怒鳴ったりしてきた」
「祖父を前にすると足がすくむ。また殴られんじゃないかって怖くて。だからずっと祖父に従って……人に言えないような悪いことも、たくさんしてきた」
俺の頭に血が上る。
「なんだよそのクソジジィ! 最悪じゃねぇかよ!」
怒りが先に出て、言葉が止まらない。
「そんなの怖くて当たり前だろ! デジデジは悪くねぇよ!」
「違う……」
「……違うって、何が?」
デジデジは唇を噛み、目を伏せた。
「さっき、祖父のところで『しゃもしゃもを殺したくない』って言ったとき……すごい剣幕で怒鳴られた。杖で何度も殴られたよ」
「やっぱりジジィ最低じゃないかよ!!」
「……最低なのは、僕なんだよ」
「え?」
デジデジは、震える声で告げた。
「僕……さっき祖父に殴られてるとき……やっぱり、しゃもしゃものこと殺さなきゃって……思っちゃった」
言葉が、俺の体温を一気に奪った。
「デジデジ……?」
「もちろんすぐに、そんなのダメだって思い直したよ。でも……ほんの一瞬、思っちゃったんだ。しゃもしゃもを殺せば、この苦しみから逃れられるのかなって」
俺は、何も言えなかった。
胸の奥に、重たい沈黙が落ちる。
デジデジは、言葉を続ける。
「最低なのは僕も一緒なんだよ……自分が助かりたいがために、人を殺そうとしてたんだ」
「もし僕が跡取りとしてちゃんと家業をこなせなかったら……もし僕が使い物にならないって祖父が判断したら……」
「祖父は今度は、弟の健人の方に目を付けるかもしれない。兄が死んで、僕に白羽の矢が立った時みたいに」
デジデジは、苦しそうに息を吸った。
「だから僕は、『汚いことも嫌なことも全部やらなきゃいけないんだ』『健人を守るためにやらなきゃいけないんだ』って思って、辛いことにも耐えてきた」
「……って、思い込みたかった。でもたぶん本当は違うんだ」
「本当は自分が助かりたかっただけ。言われた通りにしないとまた殴られるから、それが怖くて従ってきただけ……」
そしてデジデジは、目を潤ませたまま、俺を見た。
「燈真君、昨日交番に行く途中とかにさ……僕のこと、いいやつだって言ってくれたでしょ?」
「……うん」
「僕はいいやつなんかじゃないよ。ただ人と揉めるのが嫌なだけ。揉めて自分が傷つくのが嫌なだけ」
「だから相手に近づき過ぎないように、適度な距離感を保って、当たり障りのいいことだけ言って、体裁を保ってるんだ」
「……僕はただ、臆病で卑怯なだけだよ。いいやつなんかじゃない」
自分を切り刻むみたいな言い方だった。
「……ごめんね。君は僕と違って真っすぐな人だから。たぶん“いいやつ”って言うのは、君みたいな人のことを言うんだよ」
「……僕みたいなのは、君のそばにいるべきじゃない」
――瞬間、胸の奥が、ぐしゃっと潰れた。
「……ふざけんなよ」
「え?」
「ふざけんなよ! そばにいない方がいいとかっ!」
俺は声を震わせながら、吐き出した。




