第75話 替え玉
風路兄ちゃんは、茶碗を置いて言った。
「俺も当時から家業は手伝っていたし、デジデジの親父とも面識があってな。俺がまだ若かったからか、よく世話を焼いてもらっていた。」
「俺たち『七代目黒崎組』は公安との取引が多い。デジデジの親父にも替え玉の死体の準備を頼まれることが何度かあった。それでそのときもうちに相談に来たんだろう。」
「替え玉って、すぐにばれたりしねぇのか?」
俺が聞くと、風路兄ちゃんが優しい声で教えてくれる。
「普通はすぐばれる。顔をわからなくしてもDNA鑑定や歯形鑑定が行われるからな。」
「だから公安は鑑定士も取り込んで偽証してる場合が多い。」
ゼロが「うわ」とでも言いたげに眉を寄せる。俺は思わず口を挟むのをやめた。聞いてるだけで胃が重い。
「だがこの件に関しては公安組織からの助力が得られなかった。それでデジデジの親父は組織上層部を通さず、個別に関係各所と調整を行って偽装を行おうとしていた。」
「結論から言うと、この作戦は失敗に終わった。」
風路兄ちゃんの声がほんの少し低くなる。
「協力を依頼した関係先から組織上層部に情報が漏れて、上層部から作戦実行役の公安スパイに対して圧力がかかったんだ。」
「圧力のかかった公安のスパイはデジデジの親父と取り決めていた作戦決行日よりも前に、若中たちを先導して『白波海洋研究員殺害』を実行しようとした。デジデジの親父には伝えずにな。」
ししゃも。が息を飲む音がした。俺も喉が乾く。
「で、前倒しされた殺し実行の当日になり異変に気付いたデジデジの親父は、状況を確認するために現場に向かった。」
「おそらく現場に到着した後に、若中の中にいたスパイから状況を聞き出したんだと思う。」
風路兄ちゃんは、ゆっくり言葉を選ぶみたいに続ける。
「デジデジの親父から俺のところに電話があった。俺の親父と連絡がつかなかったから、当時若頭だった俺に電話をかけてきたんだろう。」
「電話の内容は、公安上層部に替え玉作戦がバレて殺しが今から行われようとしていることを伝えるもの。それと、それに対する俺たちへの協力要請だった。」
「替え玉作戦を強行するから前倒しで替え玉用の死体を今すぐ持ってきてくれってな。」
「まったく、無茶な要求しやがると思ったが、幸運なことに俺たちの方での死体の手配はすでに完了していて、手を組んでいる病院に保管してあった。」
「俺たちは諸々の準備を済ませて白波海洋研究所に向かった。」
俺の背中に、嫌な汗が滲む。
「その途中でまた、デジデジの親父から電話があってな。」
「切羽詰まった声のようにも、覚悟を決めて落ち着いた声のようにも聞こえた。」
「何かあったことは明白だったが、時間がないってことで俺は黙ってアイツの話を聞くことにした。」
風路兄ちゃんは一瞬、目を閉じる。
「話の内容を端的に言うとこうだ。」
そして、まるで録音を再生するみたいに――淡々と、短く。
「『研究員たちはすでに殺されてしまった。』」
「『研究データを隠したから回収しに来てほしい。』」
「『この研究データは、松川会を壊滅させるのに役立つかもしれない。』」
「『研究データを活用するためには研究員リーダーの子どもの協力が必要になる。』」
「『その子が物事の分別がつく歳になったら、この研究データを渡してほしい。』」
「『もしその子が松川会の壊滅を望むのであれば、そのときはその子に協力してやって欲しい。』」
俺は思わず、ししゃも。の方を見た。
「研究員リーダーの子どもって・・・ししゃも。のことだよな?」
「あぁ。」
風路兄ちゃんが頷く。
ししゃも。は固まったまま、かすれる声を出した。
「・・・どういう...こと?」
「詳細まではわからない。ただ、それがデジデジの親父の最期の言葉だった。」
「最期って・・・」
言い終える前に、デジデジが小さく頷いた。
「うん。僕の父はそのときに殺されたんだよ。しゃもしゃもが見たっていうあの水槽の中で一緒にね。」
「うそ・・・・。」
ししゃも。の顔から血の気が引いていくのがわかる。俺まで息が苦しくなる。
「お前もあの光景を見たのか・・・。最悪だったよ、何もかもな。」
風路兄ちゃんの声が、少しだけ掠れる。
「なんと言ったか・・・あの人喰い魚...」
「カンディル...」
「そう、それだ。」
風路兄ちゃんは短く頷き、続ける。
「もともとそれは替え玉用の死体の身元をわからなくするために使う予定だった。」
「だが、俺たちが到着したころにはもう殺しも、その後処理もすべて完了した後だった。」
「水槽に投げ入れられたのは替え玉用の死体ではなく、助け出そうとした研究員やデジデジの親父たちだったがな...」
沈黙が落ちる。
ししゃも。も、デジデジも、言葉を失っていた。
俺も、喉の奥が詰まって、うまく息が吸えない。
「なぁ。デジデジの父ちゃんまでその・・・そこで殺されちまってたのはなんでなんだ?公安のスパイだってバレちまったのか?」
「あぁ。」
風路兄ちゃんは迷わず言った。
「デジデジの親父は今回の件で派手に動き過ぎた。それで松川会の奴らに気取られて細かく調べられちまったみたいだな。」
「あの日の前にはすでにデジデジの親父の正体は松川会にバレていて、あそこで一緒に殺す算段を立てられていたらしい。」
「若中の中に紛れてたスパイもデジデジの親父と一緒に殺されている。」
「・・・・最悪だ。」
俺の声が、自分でも驚くくらい低かった。
「俺は現場に到着した後、デジデジの親父に言われた通りに隠してあった研究データとペンダントを回収した。」
「その後はずっと俺のところで保管してたってわけだ。」
風路兄ちゃんはししゃも。を見る。
「ししゃも。、お前が18ぐらいになるときには渡そうと思っていたんだが・・・。まさかその前にお前の方から盗みに来るとは思わなかったよ。」
「・・・ごめんなさい。」
ししゃも。が小さく謝る。
「いや、もういい。状況は理解したからな。」




