【参考資料】この章は、飛ばしてもらって結構です。
◇
ここで少しだけ、“本編”の冒頭を参考として添えておきます。
(※読まなくても全体の流れには影響しません。
興味がある方だけ、覗いてみてください)
『異能戦線トーキョー・クロスリンク』
――◇――
プロローグ ――アビスの星と、開かれた亀裂
その星は――地球ではない。
三つの月が浮かび、夜空は深く紫に染まり続けている。
ここは、異能文明が栄える星――〈アビス・セクトル〉。
◇
近未来的な巨大ショッピングモール、その最上階。
透明な天井から、三つの月が重なり合う、冷たい光が降り注ぐ。
この星に太陽はない。
永遠に昼は訪れない。
フロアの片隅、小さなカードゲームスペース。
テーブルを囲み、三人の少年が夢中になってカードを繰っていた。
「いくぜっ! 俺のターン、モンスター召喚!
《ゴルドン・ハウンド》、パワー二百三〇っ!」
カードの上に光の円陣が浮かぶ。
次の瞬間――犬型の魔獣が、立体映像のように跳び出した。
電子粒子が集まり、毛並みが走り、咆哮とともに床を蹴る。
もう誰も“遊び”だとは思えなかった。
「はっ、弱っ! 俺の《レッド・オーガ》四百五〇っ! で粉砕だ!」
赤い光が噴き出し、炎の巨人が出現する。
拳を振りかぶり、ホログラム同士がぶつかり合った。
炎がテーブルを走り、電子の火花が散る。
――その瞬間、敗れたハウンドが少年を見た。
悲しげに尾を垂らし、光の粒となって消えていく。
カードの表面には、淡い蒼光が残った。
「はいっ、撃破ぁ!」
「くっそ、また負けた!」
笑い声。
ホログラムの光がその顔を照らす。
まるで、小さな戦場だった。
カードの種類は二つ――
“魔族”と、“異能警察機構”。
出したカードの数値が大きい方が勝つ。
ただ、それだけの単純なゲーム。
この世界では――敗者のカードは、勝者が貰う。
◇
「見てろよ……これで終わりだ!」
少年がにやりと笑い、手札を叩きつけた。
カードが起動し、光の渦が天井まで伸びる。
「《暴食の法獣グラトニア》――パワー、二万一千!!」
地が鳴った。
円陣から現れたのは、三十センチを超える巨獣。
黒青の身体がデータの光で構成され、咆哮が空気を震わせる。
「うおぉぉぉ!」
少年たちの歓声。
咆哮の衝撃波で周囲のホログラムが乱れる。
「お前らのカード、全滅な!」
「くっそぉ……じゃあ、俺のターン!」
反対側の少年が唇を吊り上げた。
テーブルの上に光の紋章が展開される。
「異能警察機構・隊長――パワー三万六千!」
青い稲妻が走り、銀鎧の男が出現。
腕を組み、指先を鳴らすと、背後に部下の幻影が整列した。
「なにっ!? 公認隊長だって!」
「勝った! 俺の勝ち――!」
剣が閃く。
赤い巨人を一刀両断。
炎の粒子が弾け、敗者のカードが静かに沈む。
その姿は、どこか哀しかった。
カードの上に漂う淡い光の霧が、吸い込まれるように沈む。
◇
そして、――これが最後の勝負。
片方の少年が、ゆっくりとカードを持ち上げた。
その瞳が、異様に光っている。
「フフ……俺の切り札、見せてやるよ」
カードを場に置く。
黒い稲妻が奔り、円陣が闇に染まった。
「――《異能犯罪者ドグラマギス》。パワー八万七千!!」
空間が歪む。
漆黒の鎖をまとった男が現れ、巨大な大剣を構えた。
その刃が閃くたび、光が逃げるように消えていく。
「これで、お前らの警察機構なんざ――終わりだ!」
勝利を確信した瞬間、対面の少年が一枚のカードを掲げた。
「……残念。こっちは九万三千」
「はっ? そんな無敵カード、存在す――」
閃光が弾けた。
「《皇羅クラリス》――異能警察機構、至高のトップ執行官!」
純白の光が爆ぜる。
双剣を携えた女戦士が降臨した。
光の翼が展開し、音もなくドグラマギスへ突撃。
大剣と双剣が交差し、世界が白く弾けた。
「クラリス、勝利」
女戦士の翼がゆっくりとたたまれる。
ドグラマギスは、静かに笑っていた。
怒りでも憎しみでもない――
敗北を受け入れた者の、穏やかな笑み。
彼は鎖をほどき、淡い光の粒子となって崩れていく。
――我が敗れたのか。
残されたのは、漆黒のカード。
その表面に、一瞬だけ赤い瞳が浮かんだ。
◇
勝者の笑み。
そして、負けたカードに手を伸ばした、その瞬間――
――ドゴゴゴォォォン!!
モール全体が揺れた。
床が波打ち、天井の光が点滅する。
少年たちは息を呑み、カードを落とす。
「な、なに!? 地震か!?」
外から、雷鳴のような轟音。
窓の外が赤く光っている。
ふと気づけば、周囲の席はすべて空席だった。
大人も子供も、全員が西の窓際に立ち、外を見ている。
「……なにが、起きてるんだ?」
三人も慌てて走り出し、西の大窓から外を覗いた。
遠く、地平の向こう。
黒い煙が天を突き抜けていた。
「……あれ、もしかして――収容所が燃えてる!?」
その場所は、誰もが知っている。
この星最大の――重罪者収容所。
燃え上がる東棟――そこは異能犯罪者の“終身牢獄”。
最も危険な者たちが封じられた特別区画だった。
◇
【重罪者収容所・東棟前】
炎と灰が舞う瓦礫の中、
異能警察機構・隊長が立っていた。
「何が起きた……報告しろ!」
「分かりません! 時空の亀裂が発生、東棟が崩壊!
ドグラマギスがそこへ――逃げました!」
「なにっ――!?」
空が裂けた。
紫電が走り、時空そのものが悲鳴を上げている。
そこへ光をまとった女が飛び込んできた。
銀髪。
白銀の軽鎧。
双剣を腰に携えた――皇羅クラリス。
「ダズリン隊長! 被害状況は!?」
「ドグラマギスが、亀裂を通って別の世界へ逃げた!
このままでは――!」
空の裂け目は、すでに縮まり始めていた。
空気が震え、時間が歪む。
クラリスの瞳が鋭く光る。
「ドグラマギスが行った先は……どこだ!?」
「識別番号――0879997。……“地球”という星です!」
クラリス(愛称:ノーラ)は双剣を構え、迷わず駆け出した。
「ノーラ、何をする気だ!?」
「行く! このまま放置すれば――その星が滅ぶ!」
「待て、ノーラ!!」
叫びも届かぬまま、
クラリスは閉じかけた亀裂へ飛び込む。
光の残滓が消え、空は再び静寂を取り戻した。
「隊長! 報告です!
ドグラマギスは――囚人四人も全員連れて行ったようです!」
「なに……!? まさか、あの金瞳の少女までか……!」
「はい!」
ダズリンは唇を噛みしめる。
風に焼けた灰が舞い上がった。
「科学者たちを呼べ!
閉じた時空を再展開し、ノーラを戻す方法を探せ!」
「了解っ!」
焦げた鉄骨の中、
かすかに残る“鎖”の音が、まだ響いていた。
――そして次の瞬間、
彼女は、地球の夜空を貫いて墜ちていった。
――◇――
▼第1章 少年ジャンプと爆発音、そして異能戦争(参考)
夏の夜。
蝉の声も遠くなり、蒸し暑いアスファルトに街灯が滲んでいた。
――俺の人生が“少年漫画みたいになる日”が来るなんて、思ってもいなかった。
相沢 蓮、十八歳の高校生。
両親と妹は父の仕事でアメリカ在住。
高校卒業後に渡米予定だが、いまは東京でひとり暮らしをしている。
この夜も、いつものコンビニで――
いつものように「少年ジャンプ」を手に取り、
温めてもらっている弁当をぼんやりと見つめていた。
――そのとき。
ドゴォォォンッ!!
大地を突き上げるような衝撃波。
天井の蛍光灯が揺れ、商品棚からペットボトルが次々と落ちる。
「……地震? いや……爆発?」
店員の声が震えた。
次の瞬間、外から悲鳴と爆音が混ざり合って押し寄せる。
蓮は反射的に、頭を庇いながら外へ飛び出した。
そして、息を呑む。
――見慣れた街が、燃えていた。
ビルが怪獣に握り潰されたかのように崩れ落ち、
黒煙が夜空を裂く。
火の粉とコンクリート片が雨のように降り注ぐ中、
その中心で――“異形”が咆哮した。
十メートルを超える巨体。
全身を覆う黒青の体毛。
虎と鬼を掛け合わせたような獣面に、血のように赤く燃える双眸。
熊のような巨体がうねるたび、街灯がへし折れ、車が宙を舞った。
胸に掛かる巨大な数珠が、
カラン……カラン……と鳴り、
そのたびに街が低く唸る。
吐息は血と腐臭の混じった悪風。
ただ立っているだけで、世界の空気が淀む。
「……な、なんだよこれ……現実かよ……?」
蓮はコンビニ前で立ち尽くし、
目の前の地獄をただ、呆然と見上げていた。
◆
街は、即座にパニックに陥った。
――逃げ惑う人々。
近くの交番から警官たちが飛び出し、拡声器で叫ぶ。
「避難してください! 速やかに退避を!」
銃声が連射されるが、怪物の分厚い体毛に弾かれ、火花を散らすだけだった。
鉤爪が一閃し、地面に深い亀裂が走る。
「だ、だめだ! 効かない!」
「警察じゃ止められねぇぞ!」
十分も経たず、上空にヘリが現れる。
国の危機対策機関が動き出したのだろう。
だが――この首都の中心で、
百万を超える市民が暮らす街に、重火器を撃ち込めるわけがない。
怪物――“グラトニア”は、
逆関節の脚を踏み鳴らし、
地面を割って咆哮した。
「グォォォォオオオオオ――!!!」
衝撃波が街を薙ぎ、ビルの窓ガラスが一斉に砕け散る。
その音は、まるで“世界の終わり”の合図のようだった。
胸の数珠が、不気味に鳴る。
――カラン。カラン。
だが、その咆哮の後。
怪物の背から黒い触手のような管が伸び、街の電線に絡みついた。
ビリビリと火花が散り、
街灯、信号、ビルの明かりが次々と消えていく。
「な……停電……?」
周囲の人間がざわめく間にも、怪物の体表が淡く赤く光り始めた。
吸い上げた電力が体内で脈動している。
変電所のトランスが爆ぜ、
ビルの配管を伝って蒸気が吹き出すと、グラトニアはそれを吸い込んだ。
まるで“熱”そのものを喰らっているかのように。
「……もっと……熱を……命を……」
呻きとも呟きともつかぬ声が漏れ、
次の瞬間、近くに逃げ遅れた人間を掴み上げた。
鉤爪が閃き、
生気が吸い取られたかのように、男はしおれるように崩れ落ちた。
電力、熱、生命力。
この世界に魔素がないため、グラトニアはそれらを代わりに吸い上げていた。
まるで街そのものを“燃料”にしているようだった。
「……嘘だろ……」
膝が震えるのを感じながら、
燃え上がる街を見上げることしかできなかった。
◆
「記録的猛暑、異常豪雨、突発的な竜巻……。
科学者たちはこれまで“地球温暖化の影響”と説明してきました。
しかし一部では、“時空そのものがゆがみ始めている”という説も出ています。
――そして今、その結果が、この“怪物”の出現なのでしょうか!?」
新宿アルタの大型ビジョンに映るキャスターが、必死に叫ぶ。
背後では燃え上がるビル群と、逃げ惑う人々の姿が同時中継され、
夜の街を照らす赤い炎が、画面越しにまで伝わってくるようだった。
「……視聴者の皆さん! いま新宿が――、信じられません! この巨大な……っ! ああっ、ビルが――!」
ノイズが混じり、キャスターの声が途切れた。
街頭に取り残された人々は、誰も言葉を発せない。
ただ、映像の中の光景を呆然と見上げていた。
――なぜ、あの怪物が“東京”に現れたのか。
科学も、常識も、まるで追いつけなかった。
◆
――その頃、上空。
黒煙を切り裂き、数機の攻撃ヘリが旋回していた。
警報音と通信ノイズが、コックピット内を満たしている。
「目標、座標α-03! 射程内に入ります!」
副操縦席の若い隊員――安斎 拓真が叫んだ。
額には汗。指が震えている。
操縦桿を握る男が短く答える。
「……見えてる」
防衛航空隊・現場指揮官――東条 鷹真。
四十手前の叩き上げ。戦場を何度も潜り抜けてきた男だ。
無線が割れた。
『こちら本部、防衛部長・吉良だ。――全機、攻撃を許可する!
即時発射せよ!!』
拓真が息を呑む。
「で、ですが! 地上にはまだ民間人が残っています!」
『構うな! 国家防衛が最優先だ! 繰り返す――発射せよ!』
鷹真の拳が、操縦桿を握りしめる音を立てた。
燃え上がる街の下――炎の中を逃げ惑う人影が見える。
母親が子を抱き、青年が倒れた男を引きずっている。
「……撃てるか、拓真」
拓真は唇を噛み、声を震わせた。
「……撃てません」
「だろうな」
短い沈黙。
次の瞬間、本部の声が怒号に変わる。
『東条隊長! 何をしている! 命令違反だぞ! 今すぐ発射しろ!』
鷹真は深く息を吐き、マイクを握り直した。
「こちらアルファ零三――東条鷹真。
命令を拒否する。民間人を巻き込む攻撃は……俺の職務じゃない」
『なに……!? おい、東条! 回線を切るな――!』
「――もう切ってる」
通信が途絶え、警報だけが残った。
拓真が怯えたように問う。
「隊長……本部、怒りますよ……!」
「怒らせとけ。風の音より静かだ」
その時、炎の向こう、夜空に――蒼い光が滲んでいた。
「……あれは?」
拓真が目を凝らす。
まるで月の雫が、空から滴り落ちてくるように。
「……なんだ……あれは……?」
東条が息を呑む。
◇
混乱のただ中――、
高層ビルの屋上に、淡い光が浮かび上がった。
崩れ落ち、炎と黒煙に包まれたビル群の只中で、
まるで夜空から滴り落ちた月光のように。
蒼い光は空中で幾何学的な紋を描き、
粒子が右回転に舞う。
その中心に――ひとりの女が姿を現した。
銀髪を夜風になびかせ、両手には双剣。
中世の女戦士のような白銀色の軽鎧を纏い、
鍛え上げられた太ももには、鋼鉄のグリーヴが食い込む。
その輝きは戦場の神話を思わせた。
皇羅 クラリス――異能警察機構のトップエリート、23歳の女執行官。
彼女は最重罪犯・異能犯罪者ドグラマギスを追い、
時空を越えて転移してきたばかりだった。
だが、目の前にいるのは、巨大な怪物。
「……なんだ、あれは? ――グラトニア!!
――放置はできない!」
静かに空を見上げる。
その時――背から光の翼が展開した。
彼女は翼をはためかせ、屋上から光の軌跡を描き、一気に夜空を翔けた。
月を背に、巨大な翼の影。
急降下――速い!
双剣が閃き、怪物の左肩口を貫いた。
ズバァァァンッ!
黒青い体毛が飛び散り、剥き出しの耳を斬り裂き、赤黒い血が弧を描く。
グラトニアは獣じみた咆哮を上げ、鉤爪を振り抜いた。
――ガギィィィンッ!
双剣と爪が衝突し、激しい火花が夜空に散る。
火花が散った瞬間、近くのビルの外壁が波打つように歪み、
窓ガラスが一斉に粉砕された。
「なっ――!?」
クラリスの腕が弾き飛ばされ、双剣が大きく軌道を逸れる。
想像以上の質量と膂力――まるで山とぶつかり合ったかのような衝撃だった。
彼女はすぐに違和感に気づく。
空気が重い。
肺に入る酸素の質が違う。
世界そのものが、私を拒んでいる――。
異世界に来たのは、はじめてだった。
「……ち、力が出ない。……三割程度か!?」
彼女は苦笑した。
だが、その瞳に迷いはなかった。
「この世界では制約が――だが問題はない!」
翼を広げ、夜空で旋回する。
上昇気流を切り裂き、光の尾を引いて急降下。
翼が唸り、空気の層を裂く。
雷鳴のような衝撃波が、街全体を震わせた。
双剣が稲妻の軌跡を描き、
連撃がグラトニアの巨体を追い詰めていく。
「ぐっ……! 速い……!」
グラトニアの眼がかすかに見開かれた。
怪物ですら、彼女の速度に焦りを感じ始めていた。
斬撃が空を裂き、火花が尾を引く。
そのたびに夜空の煙が一瞬だけ晴れ、
銀光が、月よりも鋭くきらめいた。
◇
「……なんなんだよ、あれは……!」
蓮は路地の陰に隠れながら、その戦いを凝視していた。
心臓が爆音のように打ち、
足は逃げろと叫んでいるのに――
視線だけは、離せなかった。
◇
「み、見ろ……あれは天使か? あの怪物と戦ってるぞ!」
逃げ惑う群衆の一人が、振り返って絶叫する。
別の声が続いた。
「翼がある……! 人間じゃない……あんな速さは……!」
上空を旋回する報道ヘリの中で、キャスターが声を震わせる。
「信じられません……現在、東京中心部で発生している異常事態です!
映像をご覧ください――銀髪の女性が空を飛び、あの巨獣と互角に戦っています!」
国会議事堂地下、危機対策機関のモニター室。
無数のモニターが赤く点滅し、電子音が鳴り止まない。
「なんだあれは!?」
「なんで攻撃をしないんだ!」
「まだ、民間人が」
「ですが、このままでは数時間で都心が壊滅……」
「静かにしろ!!」
オペレーターたちが絶叫する中、
防衛部長・吉良 宗一郎が赤い顔で机を叩いた。
モニターには、
炎と光の中を翔ける一人の女――クラリスの姿が映っていた。
クラリスが双剣を突き出し、決めに行く。
だがその瞬間――グラトニアの巨大な鉤爪が唸りを上げた。
「ッ――!」
咄嗟に身をひねったクラリスの髪がかすめ取られ、
背後の車が粉々に砕け散る。
獣のような動きと、巨体の圧力。
まともに食らえば即死の一撃。
クラリスはすぐさま反撃に転じ、
双剣を交差させ、巨体の懐へ飛び込んだ。
狙いは心臓。急所を突き破る一撃――。
ズガァンッ!!
跳躍し、刃先が胸部の分厚い毛並みに突き刺さる。
だが、硬質化した体毛が鎧のように絡み合い、
剣は肉へ届かない。
「通らない……!」
歯噛みする間にも、再び鉤爪が迫る。
クラリスは宙で二回転、
電柱を蹴って高く跳び上がった。
鋭い目で怪物を睨み据え、次の一撃に狙いを定める。
「ならば――」
双剣を逆手に構え、一直線にグラトニアの眼へ突進。
だがその刹那、
グラトニアの鉤爪が大きく薙ぎ払い、火花を散らして剣を弾き飛ばした。
「ッく……!」
衝撃で身体が空中に舞う。
しかし同時に――グラトニアの体勢も崩れていた。
片足がひしゃげたアスファルトに取られ、
巨体が大きく傾ぐ。
ドォォォォンッ!!
隣接するビルを巻き込みながら、
尻もちを着くようにグラトニアが轟音と共に倒れ込む。
爆風が街を薙ぎ、窓ガラスが一斉に砕け散った。
その隙を逃さず、クラリスは跳躍。
仰向けに倒れた巨体の腹を踏み、
そのまま頭部へ向かって駆け上がる。
「もらう――眼球!」
双剣の刃が、夜の光を反射しながら煌めいた。
あと一撃で――勝負は決まるはずだった。
◆
だが。
――その瞬間、空気が凍りつき、
クラリスの前方に霧状の影が現れる。
「……甘いな、クラリス」
声が響いた。
低く、嘲るような男の声。
夜気が歪み、耳鳴りが都市の喧騒を塗り潰した。
漆黒の鎖が霧の中で蠢き、
ガチャリ――と金属音が鳴る。
そして――異形の大剣が音もなく振り抜かれた。
一閃。
走るクラリスの背を、冷たい刃が切り裂いた。
「ぐっ……!」
赤い雫が宙に舞い、彼女の身体が前へとつんのめる。
夜風が血の匂いを運んだ。
低く笑う声。
「ククク……会いたかったぞ」
影がゆっくりと人の形を取り、
夜の闇から――一人の巨躯が歩み出た。
足音はしない。
代わりに、鎖が擦れる鈍い響きだけが、街の残骸に反響する。
全身に魔鎖の残滓をまとい、
右手には禍々しい大剣。
漆黒の髪。
鋭い眼光。
その瞳は、血と支配欲で爛々と光り、
見る者の心を縛りつけた。
最重罪人・異能犯罪者――ドグラマギス。
異能警察機構が最も恐れた“支配の哲学者”。
そして、クラリスの最凶の宿敵。
彼女は血を吐き、体勢を崩したまま、
グラトニアの腹から真っ逆さまに転げ落ちる。
視界が揺れ、赤い光の線が流れる。
その落下地点に――相沢 蓮がいた。
熱と硝煙の中、銀の閃光が降ってくる。
次の瞬間、彼の運命は、現実を離陸した。




