第99話 鉄工所と街道の声を伝える荷役
鉄匙亭の朝は、いつも通りパンの匂いがしていた。
焼きたてとまではいかないが、それなりに温かいパン。
薄い塩味のスープ。
椅子の軋む音と、客たちの話し声。
その中に、相変わらず「勇者」の二文字が混ざっている。
「鉄工所の火事だってよ」
「ああ、勇者の祟りだろ」
「今度は道が崩れたんだと」
「それも勇者のせいさ」
肝心なところは、だいたい一緒だ。
「……祟った覚えはねぇっての」
小さく漏らしたつもりだったが、目の前のリオナにしっかり聞かれていた。
「はい、そこで一人ツッコミを入れない」
「今のは心の声のつもりだったんだけどな」
「口から出てたわよ」
ため息混じりにスープをすするリオナの横で、エルナが苦笑する。
「でも、昨日より“祟り”って言葉が増えてる気がします」
「街道の方の噂が、街中まで来てんだろうな」
パンをちぎりながら、俺は頭の中で整理を始めた。
「確認だ。まずは鉄工所」
「はい、復習ですね」
エルナがスプーンを置いて、指を折る。
「古い炉。増産指示。詰まった煙突。若い職人さんの、急ぎすぎた判断」
「それが全部重なって、屋根まで火が走った」
リオナが続ける。
「親方さんの言葉は、“こっちは祟られてなんかいねぇ。ただ無理してるだけだ”」
「あとは“祟りのせいにしときゃ、軍の人間も楽だ”だな」
俺は、焦げた梁と歪んだ鉄枠を思い出す。
「では、鉄の街道」
「荷の量が増えた。道は古いまま。人も材料も足りない」
エルナが、静かに言葉を並べる。
「“今だけ無理してくれ”って言われ続けて、荷馬車の軸が折れたり、車輪がはまってひっくり返ったり」
「ロシュさんの台詞は?」
リオナがエルナに振る。
「“遅れてるのはここで転がってる車輪と、無茶させてる指示だ”です」
「あと、“勇者の祟りで上書きされるのは我慢ならねぇ”もだな」
俺も一つ付け足す。
「どっちも、“祟り”の前に人間の判断があるって話だ」
「まとめるとそうね」
リオナはパンをかじり、少しだけ目を細める。
「鉄工所も街道も、“勇者のせい”って言われてるけど、実際に危ないのはそこで働いてる人と、通ってる人」
「勇者の噂は、責任の押しつけ先になってるってことですね」
エルナがそう言うと、卓の端から声が飛んできた。
「そりゃそうだろうよ」
バルツだ。
半分食べかけの芋を突き差しながら、こっちを見ている。
「噂ってのはな、誰かを楽にするために形を変える。今回の場合は、上にいる連中と、何も考えたくねぇ連中にとって都合のいい形だ」
「じゃあ、俺たちは?」
「見てきたもんを、そのまま伝える役目だ」
バルツはパンの欠片を指で弾いた。
「鉄工所の親方と、街道のロシュ。あいつらの本音は、“祟り”なんかじゃねぇ“無理してるだけだ”だったろ」
「ああ」
「机の上で物語を組み立てるのは、エルステンの仕事だ。お前らはその机の上に“現場の声”を放り投げてこい。それで十分だ」
ずいぶん乱暴な言い方だが、やることは分かりやすい。
「……よし」
スープを飲み干し、椅子から腰を上げる。
「祟りがどうこう言う前に、まずは机の上にだな」
「行きましょう」
エルナが立ち上がり、リオナが腰の剣を軽く確かめる。
俺たちは鉄匙亭を出て、ハルト商会へと向かった。
◇
ハルト商会の半地下は、薄暗さと紙の匂いでいつも通りだった。
階段を下りると、机の上には地図と紙が広がっている。
エルステンが椅子に座り、こちらを見る。
「来たか」
「ああ」
いつもの椅子に腰を下ろすと、背もたれがきしんだ。
エルステンは余計な前置きもなく、短く言う。
「鉄工所と鉄の街道。順番に聞かせろ」
「鉄工所からだな」
俺はまず、火事の日の話をする。
「増産指示に、古い炉。その炉を休ませる暇がない状態。そこに、若い職人が“少しでも早く”と焦って、石炭の量を誤った」
ペンを持つエルステンの手が紙の上を走る。
「古い煙突に溜まってた煤も悪さをした。行き場をなくした熱が変な方向に抜けて、炎が横に走って屋根まで燃やした」
歪んだ鉄枠に黒くなった梁。
あの光景が、ゆっくり頭の中に戻ってくる。
「雷は落ちちゃいねぇ。黒い風も吹いてねぇ。親方は、そこははっきり否定した」
「祟りについては?」
「“祟りのせいにしときゃ、軍の人間も楽だ”って言ってた」
リオナが口を挟む。
「自分たちの判断も、若い子たちの焦りも全部、“勇者の祟り”にして他人事にされてるって」
「それから、“炉の修理に少しでも金を回せ”“無理させすぎだ”って言いたいとも」
エルナが続ける。
「火事を“勇者の祟り”にするんじゃなくて、“無理が重なった結果”としてちゃんと扱ってほしい、ということですね」
「ふむ」
エルステンは、地図の端に小さな印をつけた。
「鉄工所は分かった。鉄の街道は?」
「そっちも似たようなもんだ」
俺は、荒れた道と折れた車輪を思い出す。
「戦の噂で鉄の需要が増えて、荷の量が倍近くになった。道は古いままで、補修の人手も材料も足りねぇ」
ロシュの渋い顔が浮かぶ。
「“危ねぇから荷を減らせ”って言っても、“今だけ積ませてくれ”の一点張り。それで、荷馬車の車軸が折れたり、車輪がはまってひっくり返ったりしてる」
「事故の方も、“勇者の祟り”にか」
「ええ」
リオナが、道の溝を見下ろす仕草をする。
「御者たちは“勇者の祟りで道が荒れる”って言い、上の方では“勇者のせいで事故が起きる”って話にしてる」
「ロシュさんは、“原因は人手と材料の不足と、無茶をさせる指示だ”って」
エルナの声が少し強くなる。
「“祟りが原因にされるのは我慢ならねぇ”とも言っていました」
エルステンは、しばらく黙って紙の上を見ていた。
鉄工所。鉄の街道。
そこから伸びる線が、地図の上でゆっくり交わっていく。
「……なるほど」
静かな呟きが聞こえた。
「どっちも、“祟り”って言葉で責任の所在をぼやかされている現場だな」
「やっぱりそう感じるか」
「ああ」
エルステンは、紙の端を指で押さえる。
「軍と商会の一部は、“勇者のせいで荷が遅れる。鉄が足りない”としたい。そうすれば、自分たちの無茶な注文や整備不足を、人目から逸らせるからだ」
「現場の人たちは、その逆ですね」
エルナが素直に続ける。
「“祟りなんかじゃねぇ”“ただ無理してるだけだ”と言っています」
「だから、腹が立つ」
リオナが言う。
「自分たちの仕事の失敗も、全部“勇者の祟り”って名前で塗りつぶされるから」
「……やってもねぇのに、俺の名前で現場を潰されるのはごめんだな」
口をついて出た本音に、エルステンがこちらを向く。
「王国側でも、似たような話があったんだな」
「まあな」
黒風と、街と、“勇者頼み”の噂。
それを思い出しながら、俺は肩をすくめる。
「どっちの国も、“勇者”って言葉を便利に使いやがる」
「その通りだ」
エルステンは、紙にもう一本線を引いた。
「王国でもガルダでも、“勇者”は便利な言葉だ。戦を煽るのにも、止めるのにも。そして、責任から逃げるのにも使える」
「じゃあ、噂を消せって言っても無理ね」
リオナがため息をつく。
「瓦版も、酒場も、酒の肴にするにはちょうどいいし」
「勇者の噂は消せない」
エルステンはきっぱりと言う。
「だから、別のものを混ぜる」
「別のもの?」
「現場の話だ」
指先で、紙の上の印を二つを軽く叩く。
「鉄工所と鉄の街道。“祟り”という言葉で隠されている、炉と道の話を混ぜる」
「混ぜるって、どういう形で?」
リオナが尋ねる。
「鉄工所の“炉を修理する金がない”という話。街道の“人手と材料が足りない”“今だけ無理してくれが続いている”という話だ」
エルステンは一枚の紙を取り出すと、さっと何かを書き始める。
「商会筋で、“まだ話が通じる相手”が何人かいる。そいつらに、この“現場の声”を流す」
「“勇者のせいで荷が遅れる”じゃなくて、“無理な運用と古い設備で危険が増えている”って話として?」
エルナの言葉に、エルステンは軽くうなずいた。
「戦の噂をしてる連中の中にも、“ここから先は危ない”って分かる奴はいる。そいつらに、ブレーキとして使える言葉を流す」
「つまり、“勇者の祟りで戦を煽る”方じゃなくて、“現場の危険を知りブレーキをかける”方に話を流すってことね」
リオナがまとめた。
「手早く言えばそうだな」
エルステンは肩をすくめる。
「お前たちの話だけで戦が止まることはない。それでも、“止めるために使える話”を少しでも増やしておきたい」
「祈りじゃなくて、現場の声で、ですね」
エルナの声は静かだが、どこか嬉しそうだった。
「……祈りも、まるっきり無駄ってわけじゃねぇだろ」
俺がそう言うと、エルナがくすっと笑う。
「はい。でも、今はこういう形の方が、私にできることが多そうです」
それは確かにそうかもしれない。
「お前たちの役目は終わりだ」
エルステンが、そこで区切りをつけた。
「鉄匙亭に戻って、しばらくは普通の雇われ荷役をやってろ。こっちの仕事は、こっちで片づける」
「了解」
椅子を立ち、伸びを一つする。
「勇者の祟りではなく、鉄工所と街道の真実を伝えた。あとはそっちの仕事ってことだな」
「そういうこった」
エルステンの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
◇
ハルト商会を出ると、砦町の通りは昼前の賑わいになっていた。
商人が行き交い、兵士が数人並んで歩き、遠くからは鍛冶場の音も聞こえる。
鉄工所と鉄の街道の音が、かすかにここまで届いている気がした。
「ねぇ」
横で歩いていたリオナが、ちらっと俺を見る。
「あんた、こういう“人の話を聞いてまとめる仕事”が、案外向いてるんじゃない?」
「裸になって雷落とすよりは、だいぶマシだな」
思わず本音が出る。
「……まあ、どっちにしろ、誰かの手の中で動かされてる感じはするけどよ」
「それでも、“どんな話に使われるか”を選べるだけ、前よりましだと思います」
エルナが、少しうれしそうに言った。
「少なくとも、“勇者の祟り”だけで終わらせないで済みますから」
「そうだな」
俺は通りの先を見る。
王国側じゃ、“勇者様が何とかしてくれる”って噂に振り回された。
今は、“勇者のせいで全部悪くなった”って噂の方を、できるだけ小さくしようとしている。
戦争を止める英雄になれる気はしない。
でも、“別の話を運んでくる役”くらいにはなれるかもしれない。
「祟りの勇者なんかじゃなくてさ」
ぽつりと言葉が出る。
「ただ現場の話を聞いて、運ぶ荷役でいられるうちはまだマシだろ」
「それ、ちょっと格好いいわよ?」
「やめろ、鳥肌立つ」
そんなくだらないやり取りをしながら、俺たちは鉄匙亭へと戻っていった。
炉の音と、荒れた道の気配を背中に感じながら。




