第98話 荒れた道と、無理を通す人間
砦町の門を出ると、朝の光がまぶしかった。
昨日の鉄工所とは逆の方向へ、土の道が伸びている。
俺たちは三人並んで、その道を歩いていた。
「鉄工所の親方は、けっこうはっきり言ってたわよね」
前を歩くリオナが、ちらっと振り返る。
「“こっちは祟られてなんかいねぇ。ただ無理してるだけだ”ってね」
「ああ。で、今日はその“無理してるだけ”が、街道の方にもあるかどうか見に行く」
「……祟り扱いされてないといいんですけど」
エルナが、小さく胸の前で指を組む。
「でも、瓦版では街道のことも書いてました。“勇者の祟りで鉄の街道が裂ける”って」
「タイトルの付け方だけは立派だよな、あいつら」
俺は息を吐きながら、二人に歩調を合わせる。
道の両脇は、低い野草と石ころだらけの斜面だ。
ときどき、向かい側から荷馬車が軋む音が近づいてくる。
「気をつけてね」
リオナが軽く手を上げ、端に寄るよう合図をする。
前から来た荷車の御者が、俺たちの横を通り過ぎるとき、ぼそっと愚痴をこぼした。
「また車輪がいかれたら堪ったもんじゃねぇ……勇者だか何だか知らねぇが、祟るならよそでやってくれってんだ」
「昨日もそんなこと言ってた人いましたね」
エルナが、御者の背中を見送りながら呟いた。
「“道が祟られてる”って」
「祟ってねぇって口に出したら、余計にややこしくなりそうだな」
口には出さずに、心の中だけでつぶやく事にしている。
◇
しばらく歩くと、前方の様子が変わってきた。
土の道の一部が、不自然に荒れている。
深く刻まれた轍、抉れた溝、崩れかけた路肩。
その脇には、折れた車輪や、ひしゃげた荷台の残骸が放置されていた。
「……ひどいわね、これ」
リオナが眉をひそめる。
「ここが、噂になってる区間か」
「多分そうです。見ただけで、危ないって分かります」
エルナが、崩れた路肩の方を見ながら言う。
少し先には、木材や石を積んだ荷車が止まっていて、数人の作業員が道端で何か話していた。
「作業の人たちかしら」
「だろうな」
俺たちは邪魔にならないように近付くと、声をかけた。
「通りすがりじゃねぇんだ。補修作業の責任者に用がある」
作業員の一人が、面倒くさそうにこちらを見る。
「誰だ、あんたら」
「ハルト商会と、鉄工所の親方から紹介されて来たんだ」
懐から紹介状を取り出して見せる。
男が紙を受け取ると、面倒くさそうだった顔が少しだけ引き締まった。
「ロシュさんを呼んでくる。そこで待ってろ」
そう言うと、道の先へと駆けて行った。
待つことしばし。
荒れた道の向こうから、中年の男が歩いてきた。
がっしりとした体軀に、日焼けした顔、土と汗で汚れた作業着。
腰には測量用らしき棒と、小さな木札の束。
「ロシュだ。街道の補修を任されてる」
男は紹介状に目を落とすと、眉を上げる。
「エルステンと、あの頑固な親方の名前が並んでるのは珍しいな。お前ら、何者だ」
「特に悪い物見じゃねぇよ」
俺は先に言った。
「“祟りの勇者で道が荒れた”なんて話が一人歩きしてるんでな。その前に、ここで本当は何が起きてるのかを聞きに来た」
「……勇者の祟り、か」
ロシュは、ため息とも笑いともつかない息を吐いた。
「まぁいい。立って話すには長くなる。歩きながら見て行くんだな」
そう言って、俺たちを道の真ん中へと誘導する。
近くで見ると、道の荒れ方はもっとひどかった。
片側だけ深く抉れた轍。
水が溜まって乾いた溝。
その上に、板や石を無理やり詰めたような応急処置の跡。
「ここ数ヶ月で、荷馬車が何台転がったと思う?」
ロシュが、足元を指差す。
「分かんねぇな」
「十台だ」
短く呟く。
「軸から折れたのもあれば、車輪が溝にはまって横転したのもある。荷物が川に落ちたこともあった」
「それ全部、“勇者の祟り”ってことになってるのね」
リオナが、崩れた路肩を見ながら言う。
「ああ」
ロシュの口元が、わずかに歪む。
「御者たちは“この道は祟られてる”って言うし、上の連中は“勇者のせいで荷が遅れてる”って言う」
「本当のところは?」
俺が問うと。
「祟りなんかじゃねぇよ」
ロシュは、きっぱりと言った。
「荷が増えたんだ。戦で鉄が足りねぇ、急げ急げって話になってな。荷馬車一台に積む量が、昔の倍近くになった」
道の端に放置されていた折れた車輪を、靴で軽くつつく。
「昔この道を作った時に想定してた重さを、とうに越えてる。補修するにも、道はそのまま、人手は前より減ってる、材料も回してもらえねぇ。それで“祟りだ”はねぇだろ」
「鉄工所と、同じね」
リオナがぽつりと言う。
「古い炉を休ませず、無理して火事になったのに、“勇者の祟り”で片づけられてた」
「あいつ、そんなこと言ってたか」
ロシュの目が、わずかに細くなる。
「“祟られてなんかいねぇ。ただ無理してるだけだ”ってな」
「……あいつらしい」
ロシュの肩が、少しだけ揺れた。
「こっちも似たようなもんだよ。危ねぇから荷を減らせって言っても、“今だけ無理してくれ”の一点張りだ」
「“今だけ”が続くんだよな、そういうのは」
思わず言うと、ロシュがちらっと俺を見る。
「分かってる顔だな」
「似た話を、王国側でも見たことがある」
黒風と、街と、無茶な命令。
頭の隅に浮かんだ景色を追い払いながら、俺は続けた。
「それでも、なんで“祟り”って言い方がこんなに広まってんだ?」
「楽だからだろ」
ロシュは、あっさり言った。
「御者にとっちゃ、“祟りの道だ”って言ってた方が、事故の原因をごまかしやすい。上の連中にとっちゃ、“勇者のせいで荷が遅れる”って言った方が、自分たちの整備不足や指示ミスを認めなくて済む」
「勇者が嫌われてるっていうより、“便利な存在になってる”感じですね」
エルナが、少し悲しそうな声で言う。
「押しつけ先として」
「そうだな」
ロシュは荒れた道を見下ろした。
「こいつを“勇者の祟り”って呼ぶより前に、荷の積み方と、道の作り方と、人手をどうするか考えろって話だ」
◇
少し開けた場所まで歩き、ロシュは「ここだ」と言って立ち止まった。
道の片側に、大きな岩があった。
その陰に入ると、風がいくぶん和らいでいる。
「ここなら、あまり邪魔にならねぇだろ」
ロシュは岩に背中を預け、腕を組む。
「鉄工所の方は、どうだった」
「こっちと、かなり似てた」
俺は答えた。
「軍の増産指示、古い炉、足りない人手。誰か一人のせいじゃなくて、いろんな“無理”が重なって火が出たって話だ」
「やっぱりな」
ロシュは目を閉じ、短くうなずいた。
「ここもそうだよ。道の古さに荷の重さ。御者の疲れと、“今だけ”って言葉が重なって、事故が起きてる」
エルナが一歩前に出る。
「ロシュさん」
「ん?」
「ここにとって、一番困るのは何ですか」
エルナは、ゆっくりと言葉を並べる。
「祟りの噂そのものですか? それとも、別のことですか?」
ロシュはしばらく黙っていた。
視線が、荒れた道と、補修用の荷車と、遠くの砦町を順番に辿る。
それから、ぽつりと口を開いた。
「道を直す人間と材料が、足りなさすぎることだな」
短く、素直な答えだった。
「危ねぇって言っても、荷主も軍も“今だけ無理してくれ”で押してくる。それで事故が起きると、“勇者の祟り”で片づけようとする」
ロシュは、指で岩の表面をとんとん叩いた。
「噂で困るか困らねぇかで言えば、一番腹立たしいのは、そこだ」
「“勇者のせいで事故が起きた”って瓦版に書かれる前に、直すもんがあるってことね」
リオナが静かに言う。
「遅らせてるのは、不足したものと、無茶な指示だって」
「そうだ」
ロシュの目が、俺たちに向く。
「俺だって、全部上のせいにする気はねぇ。道の悪さだって、俺の責任の一部だ。けど、全て“勇者の祟り”でごまかされるのは、さすがに我慢ならねぇ」
その言葉は、鉄工所の親方の言葉と重なった。
俺は、ゆっくり目を閉じた。
何もしてないのに、勇者の名前が現場の押しつけ先に使われている。
そのせいで、鉄工所の火事も、街道の事故も、全部“仕方なかった”で流されようとしてる。
冗談じゃねぇ。
「エルステンには、鉄工所とここの話をまとめて伝えるつもりだ」
リオナが、ロシュに向き直る。
「“勇者の祟り”じゃなく、“無理な運用と足りない手”の話として」
「そうか」
ロシュは、どこか諦めたような、でも少しだけ救われたような顔をした。
「それで何が変わるかは知らねぇが……一つだけ頼んでいいか」
「内容次第だな」
「上の方に話が通るなら、これだけは言っといてくれ」
ロシュは、岩から体を離し、まっすぐ俺を見た。
「“勇者のせいで荷が遅れる”なんて話だけはやめろってな。遅れてるのは、この荒れた街道と、無茶をさせてる指示だって」
「分かった」
それは、ちゃんと約束しなきゃならないと思った。
「鉄工所の“無理してるだけだ”って言葉と一緒に、持って帰る」
「好きにしろ」
ロシュは肩をすくめ、それから口の端を少しだけ上げた。
「いまの“好きにしろ”で、こっちの仕事がまともに出来るなら、それで十分だ」
◇
砦町へ戻る道を歩きながら、俺たちはそれぞれ黙っていた。
しばらくして、リオナが口を開いた。
「鉄工所も鉄の街道も、“祟り”の前に人間の無理があったわけね」
「ああ」
俺は空を見上げる。
「祟りの勇者が街道を荒らしたわけじゃねぇ。荷を載せすぎた荷馬車と、それを走らせた人間が、街道を荒らしてる」
「噂を全部消すことは、やっぱりできないですよね」
エルナが、少しうつむき加減で言う。
「瓦版もありますし、皆さん口が軽いですし」
「消す必要もねぇと思う」
自分で言いながら、心の中で確かめる。
「ただ、“勇者の祟り”の物語の隣に、別の話を置くだけでいい」
「別の話?」
「鉄工所と鉄の街道。焦げ跡と荒れた道の話だ」
俺は足元の土を軽く蹴る。
「炉から火を出し、街道を荒らしてるのが何なのか。祟りじゃなくて、無理な運用と足りねぇ手だって話を、エルステンに伝える」
「明日はまたハルト商会ね」
リオナが小さく伸びをする。
「昨日と今日聞いたことを、忘れずにそのまま届けないと」
「忘れたら、あいつに細かく突っ込まれそうだしな」
苦笑しつつ、砦町の門を見上げる。
祟りの勇者の物語より問題は、無理を通してる人間がいるって事だ。
それを知ってるか知らないかで、きっとどこかが少しだけ変わる。
そんなことを考えながら、俺は砦町の中へと足を踏み入れた。




