第95話 瓦版屋と勇者の祟り
朝の鉄匙亭は、パンの匂いと、人の声でいっぱいだ。
木のテーブルには皿が並び、客たちが手より早く口を動かしている。
そんな中で、やけに耳に残る言葉があった。
「見たか、昨日の瓦版」
「また勇者だろ。“祟りの雷”とかなんとか」
「祟りだの勇者だの言いながら、結局買うんだから俺たちも好きだよな」
食器の音と一緒に、『勇者』と『祟り』の声が何度も混ざる。
「祟ってねぇんだけどな、少なくとも自覚はねぇ」
思わず小声で漏らすと、向かいのリオナがすぐ睨んできた。
「はい、そこ。顔に出てる」
「出てねぇだろ」
「出てる。眉が“いやそう”って言ってる」
「そんな眉にはなってねぇ」
「なってるのよ。ほら、また寄った」
寄ってたらしい。
隣でエルナが、苦笑いを隠すようにスプーンを口元に運んだ。
「……でも、本当に皆さん、読んでるんですね。祟りの記事」
「祟りって言葉は便利だからな」
向かい側の席に腰を下ろしたバルツが、パンをかじりながら言う。
「“よく分からねぇけど怖ぇもの”をひとまとめにできる」
「ひとまとめにされた側は、たまったもんじゃねぇけどな」
芋を口に運びつつ、今日の用事を思い出す。
「で、今日の予定だ」
バルツが、皿とジョッキの隙間に指で簡単な地図を描く。
「午前中は広場だ。エルステンが言ってた瓦版屋は、昼前から人が集まり始める」
「広場の端っこ、露店が並んでる辺りよね」
リオナが、昨日聞いた説明をなぞる。
「午後は?」
「夕方前に、一度場所を移す。今度は酒場の前だ」
バルツは指をすべらせて、別の場所を示す。
「酔っ払い相手に瓦版を売る。こいつもまた、いい客だ」
「今日見たいのは、瓦版じゃなくて――」
エルナが声を落として言う。
「“瓦版を買ってる人たちの顔”ですよね」
「ああ」
俺は頷いた。
「誰が勇者の記事を買って、どういう顔で読んで、どこへ持っていくか。そっちが本命だ」
「絶対にやっちゃいけないこと、もう一回確認しときましょうか」
リオナが、人差し指を立てる。
「瓦版屋に説教しない」
「しねぇよ」
「記事を否定して噛みつかない」
「それもしねぇよ」
「軍人でも反戦派でも、前に立ってる人に絡まない」
「それもしね……って、俺を何だと思ってんだ」
「たまに余計な一言が出る人」
「……否定できねぇのが悔しい」
エルナが、スプーンを置いてまっすぐこちらを見る。
「今日は、“噂を止める日”じゃなくて、“噂がどう動いているかを見る日”ですよ」
「そうだな」
俺は、皿の上の芋をひとつつぶした。
「止められねぇものは、せめて流れ方くらいは見ておいた方がいい」
「じゃ、行くか」
バルツが立ち上がる。
「勇者様、祟りの記事を買いに行く時間だ」
「その呼び方やめろ」
それでも立ち上がるしかない。
今日はそういう日だ。
◇
砦町の広場は、思った以上ににぎやかだった。
真ん中には大きな井戸。
その周りには、パン屋、果物の屋台、小さな金物屋。
人が途切れず行き交っている。
「いたわね」
リオナが、視線だけで合図してくる。
広場の端。
大きな木の下に、粗末な木箱を台にして瓦版を積み上げ、その横で声を張り上げている男がいた。
歳は五十前後。
髪は薄くなりかけているが、声はやけに元気だ。
「新しい瓦版だ! “祟りの勇者、鉄を焼く雷”! “黒風の残り火、ガルダを狙う”!」
聞きたくないワードが順番に並んでいる。
「……全部、俺の知らねぇ話だな」
「知らなくていい話でもあるわ」
リオナが、少しだけ眉をひそめる。
俺たちは人混みの端に立ち、しばらく様子を見ることにした。
瓦版の一番上には、大きく太い文字で見出しが躍っていた。
『裸の勇者、ガルダに迫る』
『祟りの雷、鉄を飲み込む』
『黒風、空から再び』
「タイトルだけで腹が立つの、初めてかもしれません」
エルナが、胸の前で手を組みながら、小さくため息をついた。
「顔には出さないようにね」
リオナが釘を刺す。
「ここで“それは違う”って言い出すと、あっという間に“怪しい客”扱いよ」
「分かってる」
分かってるが、文句が喉に引っかかる。
しばらく見ていると、いろんな人間が瓦版屋の前に来た。
一人目は、前掛けをした中年の男。
多分どこかの店主だ。
瓦版を一部買って、友達らしき男と笑いながら広場の真ん中へ戻っていく。
「また勇者だぜ、ほら見ろよ」
「祟りだとよ。バカバカしいけど、暇つぶしにはなるか」
そう言いつつも、二人の目は紙から離れない。
二人目は、買い物袋を提げた女たち。
子どもを連れた者もいる。
「本当に勇者が来るのかしら」
「分からないけど。こういうの読むと、子どもに外を歩かせるのが心配になるわね」
不安と好奇心が混ざった顔だ。
財布の紐は固そうでいて、結局小銭を出していく。
三人目は若い兵士たち。
鎧は着ていないが、腰の剣と歩き方ですぐ分かる。
「おい見ろよ。“勇者がガルダに迫る”だってよ」
「来たら俺たちが斬る番だな」
「裸で来るなら、盾だけでなんとかなるんじゃねぇか」
勝手なことを言いながら、笑って瓦版をめくっていく。
中の何人かは、少しだけ興奮しているように見えた。
「あれが“面白がる側”ね」
リオナがぼそっと言う。
「戦が起きたら、自分が活躍すると信じてるタイプ」
「活躍する前に死ぬ可能性の方が高ぇんだけどな」
口の中だけで、そうつぶやく。
「そろそろ近づいてもいいかしら」
エルナが、俺の袖をちょんと引いた。
「普通の客として、一部買いましょう」
「ああ」
俺たちは列の最後尾に加わった。
列と言っても、数人並ぶくらいだ。
順番が来る。
「はい次!」
瓦版屋の男が、俺の顔を一瞬だけ見て、すぐに紙の束に手を伸ばした。
「新しい勇者の記事だ。“祟りの雷”は今日が一番の売りだぞ」
「じゃあ、一部」
なるべく感情を押し殺した声で言う。
「おう」
瓦版屋は紙を一枚抜き取って、俺の手に押しつけた。
近い距離で見ると、インクの匂いがやたら鼻につく。
「最近、勇者の記事が多いな」
バルツが、あくまで“世間話”の口調で言った。
「そういう時勢ってやつか?」
「書けば売れるからだ」
瓦版屋は、歯が見える笑い方をした。
「裸の勇者でも祟りの雷でも、派手な方が人は買う。子どもも大人もな」
「ネタはどこから?」
エルナが、少しおずおずと尋ねる。
「王国から来るんですか?」
「王国からってわけでもねぇ」
瓦版屋は肩をすくめた。
「こちらにも“親切な人たち”がいる。勇者がどこで何をしたとか、黒風がどう動いたとか、詳しい話を持ってきてくれるのさ」
「“親切な人たち”?」
「顔ぶれはだいたい決まってるがな」
瓦版屋は、そこで視線を少しだけ横に走らせた。
広場の外れ。
柱の影に、軍服の男が一人立っていた。
腕を組み、広場全体を眺めている。
「軍の連中が、“勇者の動向は広く知らせた方がいい”って顔をするんだよ」
瓦版屋は、わざとぼかすような言い方をした。
「それでうちの瓦版が売れるなら、こっちとしても悪い話じゃねぇ」
「なるほど」
バルツが相槌を打つ。
「景気のいい話だ」
「景気はよくねぇよ。戦が始まるって時点でな」
瓦版屋は、そこで急に声量を上げて、次の客に向き直った。
「ほら次! “祟りの勇者、鉄を焼く雷”だ! 今読まねぇと損するぞ!」
会話はそこで打ち切られた。
俺たちは一度広場の端まで下がる。
手元の瓦版を、ざっと流し読みした。
祟りの勇者が鉄工所を焼いただの、雷が黒風を呼び寄せるだの、見覚えのない話が並んでいる。
ところどころ、実際にあった出来事の断片が混ざっているから、余計に腹が立つ。
「……よくこんだけ話を盛れるわね」
リオナが、紙を斜めに持ちながら言う。
「何もかも嘘ってわけじゃないのが、また厄介です」
エルナが、静かに眉を寄せた。
「少しだけ本当のことを混ぜると、人は信じやすくなるから」
「瓦版屋は、売れるものを売ってるだけにも見えるな」
俺は瓦版を折りたたんだ。
「でも、“親切な人たち”とやらと、広場の端の軍服は、忘れない方がよさそうだ」
「広場にいる顔ぶれは、だいたい分かったわね」
リオナが周囲を見渡す。
「普通の人、不安な人、面白がる兵士」
「次は、酔っぱらいの方だな」
バルツが言った。
「酒場前の空気は、広場と全然違うぞ」
◇
時刻が少し進み、日が傾き始めた頃。
俺たちは、砦町の酒場が集まる通りにいた。
瓦版屋は予想どおり、今度は酒場の前に陣取っていた。
広場と同じ木箱。
その上に、さっきと同じように瓦版が積まれている。
「“祟りの勇者、今夜も鉄を焼く”……見出しを少し変えてきたわね」
リオナが呆れた声を出す。
「さっきと同じ内容でも、言い回しを変えれば二度売れるってわけだ」
バルツが肩をすくめた。
客層は広場とは少し違った。
酒場から出てきた男たちが、笑いながら瓦版を買っていく。
「おい見ろよ、今度は鉄を全部飲み込むんだとよ」
「じゃあ明日から仕事しなくて済むじゃねぇか」
「ばか言え、仕事なくなったら酒も飲めねぇだろ」
酒の勢いで話が大きくなっていく。
冗談なのか本気なのか、聞いてる方も判断に困る。
少し離れた場所では、別の連中が紙を覗き込んでいた。
「勇者がガルダを壊してくれりゃ、戦も止まるかもしれねぇ」
「軍も王もまとめてぶっ壊してくれりゃ、一番早ぇよ」
声は小さいが、言っていることは物騒だ。
「……あれは、反戦派寄りね」
リオナの声が低くなる。
「戦を止めたいんじゃなくて、“体制を壊したい”人たちの顔ね」
「瓦版が燃料になってるってわけだ」
俺は、紙の束を指でとんとん叩いた。
「本当にやっかいですね」
エルナが、酒場の前の人だかりを見ながら呟く。
「最初に書いた人より、あとから噂として使う人たちの方が、影響が大きくなっていく」
瓦版屋のところへ、別の客が来た。
さっきまでとは違う、小柄な少年だ。
十歳前後だろうか。
「十部ください」
少年が、小さな声で言う。
「今日は二十だ」
瓦版屋が、紙を束ねて手渡す。
「多めに持ってけって言われてんだろ」
「はい」
少年は、小さな袋からじゃらっと銀貨を出し、瓦版屋に渡した。
それから、その束を抱えて走り出す。
「追うか?」
バルツが、俺たちを見る。
「少しだけ」
俺たちは人混みを避けながら、少年の後をついていった。
全力で追えば目立つ。
少し距離を置いて、角ごとに姿を確認する。
少年が向かった先は、軍の詰所でも、教会でもなかった。
二階建てで事務所のような建物。
立て札に書かれた文字は、この街の商会か役所の名前だろうか。
入口の前には、軍服の男が二人。
出入りする者を見ている。
少年は戸惑うことなく、その中に入っていった。
「……軍の建物ってわけじゃなさそうね」
リオナが、少し離れた路地から様子をうかがう。
「でも、軍服はいる」
「軍そのもの、ってより、“軍のどこかの部署か、軍と仕事してる場所”って感じですね」
エルナが控えめに言う。
「さっき、広場の端に立ってた軍人と顔が似てます」
「瓦版屋に話を持っていく“親切な人たち”と、束で買って配らせる連中」
俺は建物の扉を見ながら言った。
「どっちも、あそこから出てくる顔ぶれかもしれねぇな」
「決めつけるには早いけど、エルステンに伝える価値はありそうね」
リオナが頷く。
「勇者の噂は、軍にも反戦派にも、上手く使えそうな道具だもの」
「道具って言い方、あんまり好きじゃねぇけどな」
俺は息を吐いた。
「でも、実際そうなんだろうな。誰かを動かすための言葉になっちまってる」
◇
陽がだいぶ傾き、通りに長い影が落ち始めていた。
俺たちは人通りの少ない路地に入って、今日見たことを簡単に整理する。
「広場の瓦版屋」
リオナが指を折る。
「普通の市民、不安な人たち、面白がる兵士。どれも“勇者の話を肴にする側”ね」
「酒場前」
エルナが続ける。
「酔った人たちは、勇者の話で気分を大きくする。反戦派よりの人たちは、“体制を壊す話”に使おうとする」
「束で買ってったガキと、その行き先」
俺は三本目の指を立てた。
「あの事務所と、出入りしてる軍服」
「瓦版屋本人も、完全な悪人って感じじゃなかったわね」
リオナが、さっきの顔を思い出すように言う。
「売れるものを売ってるだけっていうか」
「だからって、無罪とも言えねぇけどな」
俺は折りたたんだ瓦版をポケットに突っ込んだ。
「でも、エルステンに伝えるのは、“誰が悪いか”じゃない。“誰が噂を動かしてるか”だ」
「瓦版の内容そのものより、そこに集まる顔ぶれを中心に伝えます」
エルナがまとめる。
「そうね」
「そうだな」
俺は空を見上げた。
祟りなんて、やった覚えはない。
黒風を引き連れてどこかを攻めた覚えもない。
けど、“勇者の祟り”を記事に使って誰かを煽ってる連中は、確かにここにいる。
「……少なくとも、そいつらの顔くらいは、はっきり覚えといてやるか」
「明日はまた、エルステンのところね」
リオナが、軽く伸びをした。
「報告して、次の宿題をもらう」
「宿題って言い方やめろ。気が重くなる」
「でもやるんでしょ?」
「やるけどよ」
しょうがねぇ、と心の中で付け足す。
脱がなくてもできることは、まだ山ほどある。
今日見た顔と場所を頭に仕舞い、俺たちは鉄匙亭へと足を向けた。




