表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
92/108

第92話 ガルダの噂話を小さくする作戦

 床で目を覚ます朝ってのは、だいたいろくな一日にならない。


 鉄匙亭の二階、いちばん奥の狭い部屋。

 ぎしぎし鳴る床板の上で寝返りを打ったら、背中と腰が一斉に悲鳴を上げた。


「……いてててて。床、容赦ねぇな」

 身体を起こすと、上からリオナの顔が覗き込んできた。

 上段ベッドで肘をつきながら、心底楽しそうに笑っている。


「おはよう、床担当。顔に“二日目で後悔しました”って書いてあるわよ」


「担当制じゃねぇからな? 交代制って言葉知らねぇのか」


「やーね、床取り合うほど仲良くないでしょ?」


「その仲良くねぇ相棒を床に追いやるってどういう了見だよ……」


 ぶつぶつ言いながら立ち上がると、エルナが窓際でカーテンを少しだけ開けた。


「人の声、もう結構しますね……。昨日の火事の話をしてるみたいです」


「だろうな」


 外から、断片的な言葉が流れ込んでくる。


「反戦派の仕業だってさ」


「いや、軍がケチったせいだろ」


「“勇者の祟り”だって言ってたぞ、酒場の瓦版屋がよ」


 祟りって何だよ。


「……なぁ、俺、昨日、祟ってなんかねぇよな?」


「祟る以前に、魔法も使ってないでしょ」


 リオナがベッドからひょいと降りてきた。

「バケツ運んで怒鳴ってただけよ。“祟りの範囲”からはだいぶ遠かったわね」


「なのに、もう“勇者の祟り”になってるってのが、噂の仕事の早さってやつだな」


 俺は肩を回して、ばきばき鳴る音に小さくため息をついた。


 ――まだ脱いでもないのに、噂のひとり歩きだけは元気だこと。



 一階の食堂は、朝から人でいっぱいだった。

 固いパンと薄いスープを前に、客たちは口々に昨日の火事の話をしている。


「やっぱり反戦派がやったって話だぜ」


「軍の倉庫ばっか続けて燃えるか? どう考えても軍の奴らの管理が悪ぃ」


「瓦版じゃ“裸の勇者の祟り”って書いてたぞ。笑ったけどな!」


 お前ら、笑ってんならまだマシか。


 俺たちが席に座ると、厨房から女将の声が飛んできた。

「床で寝たあんた、大丈夫だったかい? 朝、廊下まできしんでたよ」


「俺より床の心配してやってくれねぇかな」


「床は壊れたら直せばいいけど、人は替えが利かないからねぇ。ほら、今日は芋多めに入れといてあげるよ」


 カウンター越しに器が置かれる。

 本当に具が多い。ありがたいけど、なんか悔しい。

 パンをちぎってスープに浸したところで、入口の方がざわっとした。


 バルツだ。くたびれた服に、少しだけマシな外套を引っかけている。


「ずいぶんと景気のいい火遊びだったみてぇだな、お前ら」


「火遊びはしてねぇ。バケツ遊びだ」


「その割には、お前らを、街の半分が“昨日の火事で見かけた”って言ってるぞ」


 バルツは俺たちのテーブルに腰をおろした。

「いい意味でも悪い意味でも、目立つ顔してんのさ。特に、そこの女剣士と祈り手崩れ」


「褒めてるのかどうか、ちょっと微妙ね」

 リオナがスープをかき混ぜながら言う。


「で、今日はどう動くの? 昨日の火事で予定変わった?」


「むしろ、あの火事のおかげで話が早くなった」


 バルツの目が少しだけ真面目になる。

「今日、お前らを会わせたい相手がいる。ガルダ側で“話が通じる”数少ねぇ相手だ」


「……昨日言ってた協力者ってやつか?」


「ああ」


 バルツはテーブルの上で指を一本立てた。

「名前はエルステン・ハルト。ハルト商会の会長だ。軍にも物資を卸してる、中堅どころの商人だな」


「軍と繋がってるのに、話が通じるの?」

 エルナが首をかしげる。


「派手に儲けるタイプじゃねぇ、ってことだ」


 バルツはスープを一口すすって続けた。

「戦争が長引きゃ鉄は売れる。だがな、街ごと潰れりゃ、客も商会も残らねぇ。そこまでは馬鹿じゃねぇ男だ」


「つまり、“戦争で儲けたい”ってより、“街を残したい”側の人ってこと?」


「少なくとも、戦いは避けたい男だ」


 バルツは俺たちを順番に見た。


「勘違いすんなよ。王国の使いを歓迎してくれるわけじゃねぇ。最初は疑いしかねぇと思っとけ」


「それはこっちも同じだ」


 パンを噛みながら答える。

「こっちはこっちで、“戦争をでかくしたい奴”に利用されるわけにゃいかねぇ」


「話が早くて助かる」


 バルツは器を空にして立ち上がった。

「腹が満ちたら出るぞ。ついでに、火事場の前も通ってく。噂の温度は、自分の目と耳で確かめとけ」



 砦町の通りは、昨日より少しだけざわついていた。


 西の鉄工所に近づくにつれ、黒く焦げた匂いが鼻につく。

 火そのものはもう消えてるが、壁の一部は真っ黒に焼けて、あちこちで板を打ち付ける音がしていた。

 入口には兵士が二人立ち、道を塞いでいる。


「中は見せられねぇぞ。調査中だ」


「見物しにきたわけじゃねぇよ」


 バルツが肩をすくめて通り過ぎる。

 代わりに、周囲の人だかりの方に耳を傾ける。


「反戦派の連中が火をつけたって聞いたぜ」


「いや、軍が古い油をケチって使い回してたんだ。誰かが見たって言ってた」


「どっちでもいいけどよ、仕事が減ったらたまったもんじゃねぇ」


「瓦版には“裸の勇者の祟り”って書いてたぞ。あれはさすがに笑ったが」


 昨日より、噂の“味付け”が濃くなっている。


「……祟り、定着してるわね」


 リオナが小さく肩をすくめる。

「何もしてないのに祟ったことにされるの、損しかしないわよ」


「何かしてても得してねぇから安心しろ」


「安心するポイントそこ?」


 エルナは、火事場の前に座り込んだ少年をじっと見ていた。

 家族が中で働いていたらしく、兵士に止められながらも何度も立ち上がろうとしている。


 ――やっぱり、火は嫌いだ。


 あの黒風の夜を思い出す。

 燃えているのは、建物と物だけじゃねぇってことを、嫌というほど見た。


「行くぞ」

 バルツが短く声をかけた。


「ここで立ち止まってても話は進まねぇ。今日の目的は別のところにある」



 街の中ほど、商店が並ぶ通りの一角。


 きちんと磨かれたガラス窓に、布地や工具、秤や小さな金属部品が並んでいた。

 入口の上には『ハルト商会』の文字。


「表向きはただの“なんでも屋”って感じね」


「中身はもう少しややこしいがな」

 バルツが先に扉を押し開ける。


 中では店員が客の相手をしていた。

 バルツの顔を見ると、一瞬だけ目を見開いてから、さりげなく頷く。


「バルツさん。奥で旦那がお待ちですよ」


「段取りは済んでるみてぇだな」


 俺たちは店の奥へ通され、さらに階段を降りる。

 そこは半地下の倉庫兼応接室。

 樽や木箱が積まれた隙間に、簡素な机と椅子が並べられていた。


「――見た目は本当にただの荷役だな」

 机の向こうに座っていた男が、ゆっくりとこちらを見回した。


 年の頃は三十代の後半か。

 きちんと整えられた身なりだが、袖口にはインクと油の染みが残っている。


「エルステン・ハルトだ。ハルト商会の主をやっている」


「バルツだ。そっちは昨日の火事でバケツを回してた三人だ」


 紹介が雑じゃねぇか、バルツ。


「“王国の犬”を連れてきたつもりはないと言っていたが」

 エルステンの視線が、俺たち一人一人を刺すように走る。


「それを信じろというには、少し材料が足りないな」


「そりゃそうだろうな」

 俺は肩をすくめた。


「こっちも、“ガルダの軍の回し者じゃねぇ”って言われて、はいそうですかって信じるほど素直じゃねぇよ」


 エルステンの口元が、ほんの少しだけ動いた。

「口が回る荷物持ちだな」


「口しか取り柄がねぇって、ここに来る前に評価されたばっかりだ」


「そこは否定しなよ」

 リオナがすかさず小声でつっこむ。


「まぁ座れ」

 エルステンが顎で椅子を示す。


「話をする前に、ひとまずお互いの“目”を確かめておこう」



 エルステンは机の下から数枚の紙を取り出し、こちら側に滑らせてきた。


 瓦版だ。粗い紙に、大きな文字が踊っている。


『王国兵、沿岸の村を焼く』


『王国の祈り手、ガルダの子どもを生贄に』


『裸の勇者、黒き風を従えガルダへ侵攻』


 最後の見出しで、胃がきゅっと鳴った。


「これを見て、どう思う」

 エルステンの声は淡々としていた。


 どう思う、か。


 王国側だって、似たような瓦版や噂話を撒いている。

 名前だけ違う、よくできた双子みたいなもんだ。


「……王国でも、真反対のやつが出回ってるな」


 俺は一枚ずつ眺めながら言った。

「ガルダ兵、沿岸の村を焼く。ガルダの祈り手、王国の子どもを生贄に。黒風を操る将軍が王都を狙う……だいたいそんな感じだ」


「そうか」


「どっちの国でも、名前の出ねぇ人間が一番割を食ってるってのは、共通してるみてぇだがな」


 エルステンの瞳が、かすかに細くなる。

「剣士の嬢ちゃんはどう見る?」


「これ、本当にあったことだったら、もっと『どこで』『誰が』って話が出るはずよ」

 リオナは瓦版を指で軽く叩いた。


「現場でそんなひどいことが起きたら、兵の愚痴の中にもっと具体的な形で出るわ。“どこの村の誰それが”って」


「なるほど」


「なのに、ここにいるのは“勇者”とか“子ども”とかの言葉ばっかり。都合のいい言葉で塗りつぶしてる感じしかしないわね」


 エルナは、少し迷ったあとで口を開いた。

「教会でも、ときどきこういう“恐怖を煽る話”が説教で使われました」


 視線を伏せ、静かに続ける。

「“こんな恐ろしいことが起きるから、もっと祈りなさい”“もっと献金しなさい”って……。でも、本当に起きた出来事なら、誰か一人くらいは名前を覚えているはずです」


「名もなき犠牲者、ってのは便利なもんだ」

 俺は瓦版をそっと机に戻した。


「“裸の勇者”もそうだな。なんでもそいつのせいにしときゃ、楽だ」


 空気が少しだけ重くなる。


 安い正義感ぶっても意味はない。

 ただこれは、俺自身が一番よく知ってる話だ。


 ――黒風の夜も、そうだったんだから。



「なるほど」

 沈黙のあと、エルステンが椅子にもたれた。


「少なくとも、“単純な愛国者”ではないようだな」


「国のためにここまで来たんじゃねぇよ」


 俺は正直に言った。

「王国が勝とうが負けようが、その先に残るのは“腹減らしてる奴”と“家族といたい奴”だろ」


「ずいぶんと、現実的な勇者像だ」


「裸で夢を語る趣味はねぇんだよ」


「裸はもういいから」

 リオナが即座に突っ込んだ。

 エルナは微妙な顔で口元を押さえている。

 笑いをこらえているのか、突っ込みたいのか、その両方だろう。


 エルステンは、そんな俺たちをしばらく眺めてから、視線をバルツに移した。

「お前はどう見る、バルツ」


「こいつらは、国よりも“目の前の人間”の方を見てる」

 バルツは淡々と言った。


「俺がそう判断したから連れてきた。それだけだ」


「信じるには、まだ材料が足りない」

 エルステンはそう言いつつも、机の上に別の紙束を広げた。


 地図だ。

 この砦町と、そこから伸びる道が簡素に描かれている。


「この山のこっち側が鉱山地帯だ。鉄と石炭の主な産地だな。ここから街へ、“鉄の街道”が伸びている」


 鉱山と街をつなぐ、太い線が一本。


「ここ数ヶ月、この街道で事故やトラブルが続いている」


 エルステンの指が、地図の一点を軽く叩く。


「荷馬車が小さな崖から落ちた。荷が燃えた。橋が一晩で壊れた。どれも理由は“たまたま”だ。“よくある不幸な事故”だ」


「……たまたまにしては続きすぎてる、って顔ね」

 リオナが腕を組む。


「そうだ」

 エルステンは頷いた。


「軍部の一部は“反戦派の妨害だ”と言い張りたい。反戦派の連中は“軍が危険な荷をこっそり運んでるせいだ”と騒ぎだす」


 両方、ありそうな話ではある。

 そこが一番やっかいだ。


「俺としてはな」

 エルステンは、ゆっくり息を吐いた。


「どっちの“物語”にしてもらっても困る。“たまたまじゃない”なら、その正体を見極めたい」


「で、その正体を見つけたあと、どうすんだ」


「それをまだ“物語の燃料”にしないように、この街の中で処理したい」


 エルステンの目が、初めて真正面から俺を射抜いた。


「そのために、お前たちの目が必要だ」


「……王国の人間に頼んだなんてバレたら、あんたの首が飛ぶんじゃねぇか」


「だから“王国の人間”ではなく、“ただの雇われ荷役”に頼んでいる」

 言い切りやがった。


「やってほしいことは単純だ」


 エルステンは地図を指先でなぞる。

「鉱山と街を結ぶ街道を実際に見てこい。ここ最近の事故現場も含めてだ。“本当に人為的な妨害があるのか”を確かめてこい」


「あった場合は?」


「そのまま俺のところに報告しろ」

 エルステンは即答した。


「それをどう処理するかは、俺が考える。軍に渡すか、反戦派に流すか、それともどっちにも渡さずに握り潰すか」


「握り潰すって、あっさり言うわね」

 リオナが目を細める。


「その“潰し方”が、“誰も死なないやり方なら”、悪くねぇ」

 俺はそう言って、わざと少し笑ってみせた。


「俺たちも“戦争がどうこう”って話に首まで浸かる気はねぇ。誰かが勝手に盛り上げてる物語を、小さく削るくらいが関の山だ」


「物語を小さくする、か」

 エルステンはその言葉を一度、口の中で転がした。


「傲慢だとは思わないのか」


「……思わねぇと言ったら嘘になるな」

 俺は正直に言った。


「ただ、“何もしないで見てるだけ”の方が、俺にはよっぽどきつい」


 エルナが小さく頷き、リオナはふっと息を吐いた。


「ま、いつも通りってことね。できる範囲で首突っ込んで、ギリギリのラインで帰ってくる」


「俺の人生、そんなのばっかりじゃねぇか?」


「今さらでしょ」


 エルステンは、そんな俺たちのやりとりを黙って聞いていたが、やがて立ち上がった。


「……分かった」

 机の端に指を置き、短く言う。


「バルツの顔と、お前たちの反応に免じて、一度だけ信じることにする。これは契約じゃない。“試し”だ」


「試験ってことか」


「そうだ。街道を見てこい。戻ってきたら、次の話をしよう」



 商会を出ると、坂道の上から子どもの声が聞こえてきた。


 何人かの子どもが広場で走り回っている。

 ボロいマントを裏返しにして頭からかぶり、その下から棒切れを振り回していた。


「オレが裸の勇者だーっ!」


「お前服着てるじゃん!」


「今は準備中なんだよ!」


「雷落とすなよー! オレの家燃やすなよー!」


 きゃはは、と笑い声が響く。


「……おい」

 思わず頭を抱えた。


「仕事早すぎねぇか、噂」


「でも、今のところ“怖い怪物”じゃなくて、“遊びのネタ”にはなってるわね」

 リオナが苦笑する。


「“勇者ごっこ”で済んでるうちは、まだマシってことじゃない?」


「そのうち本物が通りかかったらどうすんだよ」


「そのときは、全力で通り過ぎなさい」


 エルナは、子どもたちを見つめながら、そっと両手を胸の前で組んだ。

「この子たちの遊びが、本当の戦争にならないように……ですね」


 俺は空を見上げた。


 黒風の夜みたいな空じゃない。

 それでも、どこか尖った風が、街のあちこちを撫でている気がした。


 ――噂は止められない。


 けど、その噂がどこに燃え移るかくらいは、まだいじれるかもしれない。


「さて」

 バルツが大きく伸びをした。


「昼飯を軽く入れて、午後から街道を見に行くぞ。坂を下りた先に、また腹に溜まる店がある」


「また濃そうな店ね」


「濃い方が、腹も、覚悟も持つんだよ」


 リオナが肩をすくめ、エルナが小さく笑う。


 俺は子どもたちの勇者ごっこを背中に感じながら、坂を下り始めた。


 鉱山と街を結ぶ“鉄の街道”。

 そこに転がってるのは、偶然か、仕組まれた物語か。


 脱がずに済めばいいが――と、いつもの祈りを胸の奥にしまい込む。


 どうせ今日も、簡単な一日にはならないだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ