第92話 ガルダの噂話を小さくする作戦
床で目を覚ます朝ってのは、だいたいろくな一日にならない。
鉄匙亭の二階、いちばん奥の狭い部屋。
ぎしぎし鳴る床板の上で寝返りを打ったら、背中と腰が一斉に悲鳴を上げた。
「……いてててて。床、容赦ねぇな」
身体を起こすと、上からリオナの顔が覗き込んできた。
上段ベッドで肘をつきながら、心底楽しそうに笑っている。
「おはよう、床担当。顔に“二日目で後悔しました”って書いてあるわよ」
「担当制じゃねぇからな? 交代制って言葉知らねぇのか」
「やーね、床取り合うほど仲良くないでしょ?」
「その仲良くねぇ相棒を床に追いやるってどういう了見だよ……」
ぶつぶつ言いながら立ち上がると、エルナが窓際でカーテンを少しだけ開けた。
「人の声、もう結構しますね……。昨日の火事の話をしてるみたいです」
「だろうな」
外から、断片的な言葉が流れ込んでくる。
「反戦派の仕業だってさ」
「いや、軍がケチったせいだろ」
「“勇者の祟り”だって言ってたぞ、酒場の瓦版屋がよ」
祟りって何だよ。
「……なぁ、俺、昨日、祟ってなんかねぇよな?」
「祟る以前に、魔法も使ってないでしょ」
リオナがベッドからひょいと降りてきた。
「バケツ運んで怒鳴ってただけよ。“祟りの範囲”からはだいぶ遠かったわね」
「なのに、もう“勇者の祟り”になってるってのが、噂の仕事の早さってやつだな」
俺は肩を回して、ばきばき鳴る音に小さくため息をついた。
――まだ脱いでもないのに、噂のひとり歩きだけは元気だこと。
◇
一階の食堂は、朝から人でいっぱいだった。
固いパンと薄いスープを前に、客たちは口々に昨日の火事の話をしている。
「やっぱり反戦派がやったって話だぜ」
「軍の倉庫ばっか続けて燃えるか? どう考えても軍の奴らの管理が悪ぃ」
「瓦版じゃ“裸の勇者の祟り”って書いてたぞ。笑ったけどな!」
お前ら、笑ってんならまだマシか。
俺たちが席に座ると、厨房から女将の声が飛んできた。
「床で寝たあんた、大丈夫だったかい? 朝、廊下まできしんでたよ」
「俺より床の心配してやってくれねぇかな」
「床は壊れたら直せばいいけど、人は替えが利かないからねぇ。ほら、今日は芋多めに入れといてあげるよ」
カウンター越しに器が置かれる。
本当に具が多い。ありがたいけど、なんか悔しい。
パンをちぎってスープに浸したところで、入口の方がざわっとした。
バルツだ。くたびれた服に、少しだけマシな外套を引っかけている。
「ずいぶんと景気のいい火遊びだったみてぇだな、お前ら」
「火遊びはしてねぇ。バケツ遊びだ」
「その割には、お前らを、街の半分が“昨日の火事で見かけた”って言ってるぞ」
バルツは俺たちのテーブルに腰をおろした。
「いい意味でも悪い意味でも、目立つ顔してんのさ。特に、そこの女剣士と祈り手崩れ」
「褒めてるのかどうか、ちょっと微妙ね」
リオナがスープをかき混ぜながら言う。
「で、今日はどう動くの? 昨日の火事で予定変わった?」
「むしろ、あの火事のおかげで話が早くなった」
バルツの目が少しだけ真面目になる。
「今日、お前らを会わせたい相手がいる。ガルダ側で“話が通じる”数少ねぇ相手だ」
「……昨日言ってた協力者ってやつか?」
「ああ」
バルツはテーブルの上で指を一本立てた。
「名前はエルステン・ハルト。ハルト商会の会長だ。軍にも物資を卸してる、中堅どころの商人だな」
「軍と繋がってるのに、話が通じるの?」
エルナが首をかしげる。
「派手に儲けるタイプじゃねぇ、ってことだ」
バルツはスープを一口すすって続けた。
「戦争が長引きゃ鉄は売れる。だがな、街ごと潰れりゃ、客も商会も残らねぇ。そこまでは馬鹿じゃねぇ男だ」
「つまり、“戦争で儲けたい”ってより、“街を残したい”側の人ってこと?」
「少なくとも、戦いは避けたい男だ」
バルツは俺たちを順番に見た。
「勘違いすんなよ。王国の使いを歓迎してくれるわけじゃねぇ。最初は疑いしかねぇと思っとけ」
「それはこっちも同じだ」
パンを噛みながら答える。
「こっちはこっちで、“戦争をでかくしたい奴”に利用されるわけにゃいかねぇ」
「話が早くて助かる」
バルツは器を空にして立ち上がった。
「腹が満ちたら出るぞ。ついでに、火事場の前も通ってく。噂の温度は、自分の目と耳で確かめとけ」
◇
砦町の通りは、昨日より少しだけざわついていた。
西の鉄工所に近づくにつれ、黒く焦げた匂いが鼻につく。
火そのものはもう消えてるが、壁の一部は真っ黒に焼けて、あちこちで板を打ち付ける音がしていた。
入口には兵士が二人立ち、道を塞いでいる。
「中は見せられねぇぞ。調査中だ」
「見物しにきたわけじゃねぇよ」
バルツが肩をすくめて通り過ぎる。
代わりに、周囲の人だかりの方に耳を傾ける。
「反戦派の連中が火をつけたって聞いたぜ」
「いや、軍が古い油をケチって使い回してたんだ。誰かが見たって言ってた」
「どっちでもいいけどよ、仕事が減ったらたまったもんじゃねぇ」
「瓦版には“裸の勇者の祟り”って書いてたぞ。あれはさすがに笑ったが」
昨日より、噂の“味付け”が濃くなっている。
「……祟り、定着してるわね」
リオナが小さく肩をすくめる。
「何もしてないのに祟ったことにされるの、損しかしないわよ」
「何かしてても得してねぇから安心しろ」
「安心するポイントそこ?」
エルナは、火事場の前に座り込んだ少年をじっと見ていた。
家族が中で働いていたらしく、兵士に止められながらも何度も立ち上がろうとしている。
――やっぱり、火は嫌いだ。
あの黒風の夜を思い出す。
燃えているのは、建物と物だけじゃねぇってことを、嫌というほど見た。
「行くぞ」
バルツが短く声をかけた。
「ここで立ち止まってても話は進まねぇ。今日の目的は別のところにある」
◇
街の中ほど、商店が並ぶ通りの一角。
きちんと磨かれたガラス窓に、布地や工具、秤や小さな金属部品が並んでいた。
入口の上には『ハルト商会』の文字。
「表向きはただの“なんでも屋”って感じね」
「中身はもう少しややこしいがな」
バルツが先に扉を押し開ける。
中では店員が客の相手をしていた。
バルツの顔を見ると、一瞬だけ目を見開いてから、さりげなく頷く。
「バルツさん。奥で旦那がお待ちですよ」
「段取りは済んでるみてぇだな」
俺たちは店の奥へ通され、さらに階段を降りる。
そこは半地下の倉庫兼応接室。
樽や木箱が積まれた隙間に、簡素な机と椅子が並べられていた。
「――見た目は本当にただの荷役だな」
机の向こうに座っていた男が、ゆっくりとこちらを見回した。
年の頃は三十代の後半か。
きちんと整えられた身なりだが、袖口にはインクと油の染みが残っている。
「エルステン・ハルトだ。ハルト商会の主をやっている」
「バルツだ。そっちは昨日の火事でバケツを回してた三人だ」
紹介が雑じゃねぇか、バルツ。
「“王国の犬”を連れてきたつもりはないと言っていたが」
エルステンの視線が、俺たち一人一人を刺すように走る。
「それを信じろというには、少し材料が足りないな」
「そりゃそうだろうな」
俺は肩をすくめた。
「こっちも、“ガルダの軍の回し者じゃねぇ”って言われて、はいそうですかって信じるほど素直じゃねぇよ」
エルステンの口元が、ほんの少しだけ動いた。
「口が回る荷物持ちだな」
「口しか取り柄がねぇって、ここに来る前に評価されたばっかりだ」
「そこは否定しなよ」
リオナがすかさず小声でつっこむ。
「まぁ座れ」
エルステンが顎で椅子を示す。
「話をする前に、ひとまずお互いの“目”を確かめておこう」
◇
エルステンは机の下から数枚の紙を取り出し、こちら側に滑らせてきた。
瓦版だ。粗い紙に、大きな文字が踊っている。
『王国兵、沿岸の村を焼く』
『王国の祈り手、ガルダの子どもを生贄に』
『裸の勇者、黒き風を従えガルダへ侵攻』
最後の見出しで、胃がきゅっと鳴った。
「これを見て、どう思う」
エルステンの声は淡々としていた。
どう思う、か。
王国側だって、似たような瓦版や噂話を撒いている。
名前だけ違う、よくできた双子みたいなもんだ。
「……王国でも、真反対のやつが出回ってるな」
俺は一枚ずつ眺めながら言った。
「ガルダ兵、沿岸の村を焼く。ガルダの祈り手、王国の子どもを生贄に。黒風を操る将軍が王都を狙う……だいたいそんな感じだ」
「そうか」
「どっちの国でも、名前の出ねぇ人間が一番割を食ってるってのは、共通してるみてぇだがな」
エルステンの瞳が、かすかに細くなる。
「剣士の嬢ちゃんはどう見る?」
「これ、本当にあったことだったら、もっと『どこで』『誰が』って話が出るはずよ」
リオナは瓦版を指で軽く叩いた。
「現場でそんなひどいことが起きたら、兵の愚痴の中にもっと具体的な形で出るわ。“どこの村の誰それが”って」
「なるほど」
「なのに、ここにいるのは“勇者”とか“子ども”とかの言葉ばっかり。都合のいい言葉で塗りつぶしてる感じしかしないわね」
エルナは、少し迷ったあとで口を開いた。
「教会でも、ときどきこういう“恐怖を煽る話”が説教で使われました」
視線を伏せ、静かに続ける。
「“こんな恐ろしいことが起きるから、もっと祈りなさい”“もっと献金しなさい”って……。でも、本当に起きた出来事なら、誰か一人くらいは名前を覚えているはずです」
「名もなき犠牲者、ってのは便利なもんだ」
俺は瓦版をそっと机に戻した。
「“裸の勇者”もそうだな。なんでもそいつのせいにしときゃ、楽だ」
空気が少しだけ重くなる。
安い正義感ぶっても意味はない。
ただこれは、俺自身が一番よく知ってる話だ。
――黒風の夜も、そうだったんだから。
◇
「なるほど」
沈黙のあと、エルステンが椅子にもたれた。
「少なくとも、“単純な愛国者”ではないようだな」
「国のためにここまで来たんじゃねぇよ」
俺は正直に言った。
「王国が勝とうが負けようが、その先に残るのは“腹減らしてる奴”と“家族といたい奴”だろ」
「ずいぶんと、現実的な勇者像だ」
「裸で夢を語る趣味はねぇんだよ」
「裸はもういいから」
リオナが即座に突っ込んだ。
エルナは微妙な顔で口元を押さえている。
笑いをこらえているのか、突っ込みたいのか、その両方だろう。
エルステンは、そんな俺たちをしばらく眺めてから、視線をバルツに移した。
「お前はどう見る、バルツ」
「こいつらは、国よりも“目の前の人間”の方を見てる」
バルツは淡々と言った。
「俺がそう判断したから連れてきた。それだけだ」
「信じるには、まだ材料が足りない」
エルステンはそう言いつつも、机の上に別の紙束を広げた。
地図だ。
この砦町と、そこから伸びる道が簡素に描かれている。
「この山のこっち側が鉱山地帯だ。鉄と石炭の主な産地だな。ここから街へ、“鉄の街道”が伸びている」
鉱山と街をつなぐ、太い線が一本。
「ここ数ヶ月、この街道で事故やトラブルが続いている」
エルステンの指が、地図の一点を軽く叩く。
「荷馬車が小さな崖から落ちた。荷が燃えた。橋が一晩で壊れた。どれも理由は“たまたま”だ。“よくある不幸な事故”だ」
「……たまたまにしては続きすぎてる、って顔ね」
リオナが腕を組む。
「そうだ」
エルステンは頷いた。
「軍部の一部は“反戦派の妨害だ”と言い張りたい。反戦派の連中は“軍が危険な荷をこっそり運んでるせいだ”と騒ぎだす」
両方、ありそうな話ではある。
そこが一番やっかいだ。
「俺としてはな」
エルステンは、ゆっくり息を吐いた。
「どっちの“物語”にしてもらっても困る。“たまたまじゃない”なら、その正体を見極めたい」
「で、その正体を見つけたあと、どうすんだ」
「それをまだ“物語の燃料”にしないように、この街の中で処理したい」
エルステンの目が、初めて真正面から俺を射抜いた。
「そのために、お前たちの目が必要だ」
「……王国の人間に頼んだなんてバレたら、あんたの首が飛ぶんじゃねぇか」
「だから“王国の人間”ではなく、“ただの雇われ荷役”に頼んでいる」
言い切りやがった。
「やってほしいことは単純だ」
エルステンは地図を指先でなぞる。
「鉱山と街を結ぶ街道を実際に見てこい。ここ最近の事故現場も含めてだ。“本当に人為的な妨害があるのか”を確かめてこい」
「あった場合は?」
「そのまま俺のところに報告しろ」
エルステンは即答した。
「それをどう処理するかは、俺が考える。軍に渡すか、反戦派に流すか、それともどっちにも渡さずに握り潰すか」
「握り潰すって、あっさり言うわね」
リオナが目を細める。
「その“潰し方”が、“誰も死なないやり方なら”、悪くねぇ」
俺はそう言って、わざと少し笑ってみせた。
「俺たちも“戦争がどうこう”って話に首まで浸かる気はねぇ。誰かが勝手に盛り上げてる物語を、小さく削るくらいが関の山だ」
「物語を小さくする、か」
エルステンはその言葉を一度、口の中で転がした。
「傲慢だとは思わないのか」
「……思わねぇと言ったら嘘になるな」
俺は正直に言った。
「ただ、“何もしないで見てるだけ”の方が、俺にはよっぽどきつい」
エルナが小さく頷き、リオナはふっと息を吐いた。
「ま、いつも通りってことね。できる範囲で首突っ込んで、ギリギリのラインで帰ってくる」
「俺の人生、そんなのばっかりじゃねぇか?」
「今さらでしょ」
エルステンは、そんな俺たちのやりとりを黙って聞いていたが、やがて立ち上がった。
「……分かった」
机の端に指を置き、短く言う。
「バルツの顔と、お前たちの反応に免じて、一度だけ信じることにする。これは契約じゃない。“試し”だ」
「試験ってことか」
「そうだ。街道を見てこい。戻ってきたら、次の話をしよう」
◇
商会を出ると、坂道の上から子どもの声が聞こえてきた。
何人かの子どもが広場で走り回っている。
ボロいマントを裏返しにして頭からかぶり、その下から棒切れを振り回していた。
「オレが裸の勇者だーっ!」
「お前服着てるじゃん!」
「今は準備中なんだよ!」
「雷落とすなよー! オレの家燃やすなよー!」
きゃはは、と笑い声が響く。
「……おい」
思わず頭を抱えた。
「仕事早すぎねぇか、噂」
「でも、今のところ“怖い怪物”じゃなくて、“遊びのネタ”にはなってるわね」
リオナが苦笑する。
「“勇者ごっこ”で済んでるうちは、まだマシってことじゃない?」
「そのうち本物が通りかかったらどうすんだよ」
「そのときは、全力で通り過ぎなさい」
エルナは、子どもたちを見つめながら、そっと両手を胸の前で組んだ。
「この子たちの遊びが、本当の戦争にならないように……ですね」
俺は空を見上げた。
黒風の夜みたいな空じゃない。
それでも、どこか尖った風が、街のあちこちを撫でている気がした。
――噂は止められない。
けど、その噂がどこに燃え移るかくらいは、まだいじれるかもしれない。
「さて」
バルツが大きく伸びをした。
「昼飯を軽く入れて、午後から街道を見に行くぞ。坂を下りた先に、また腹に溜まる店がある」
「また濃そうな店ね」
「濃い方が、腹も、覚悟も持つんだよ」
リオナが肩をすくめ、エルナが小さく笑う。
俺は子どもたちの勇者ごっこを背中に感じながら、坂を下り始めた。
鉱山と街を結ぶ“鉄の街道”。
そこに転がってるのは、偶然か、仕組まれた物語か。
脱がずに済めばいいが――と、いつもの祈りを胸の奥にしまい込む。
どうせ今日も、簡単な一日にはならないだろう。




